山上憶良
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出自 [編集 ]
経歴 [編集 ]
歌 風 [編集 ]
作品 [編集 ]
好 去 好 来 の歌 (第 9次 遣唐使 大使 (多治比 広 成 )の無事 の帰国 を祈 って送 った歌 )[8] より神代 ひ云 て伝 らく来 つ虚 見 は倭国 の皇神 しき厳 国 の言霊 はふ幸 と国 り語 ぎ継 ひ言 継 がひけり今 の世 の人 もことごと目 の前 に見 たり知 りたり に人 多 満 ちてはあれども高 光 る日 の朝廷 神 ながら の愛 盛 りに の天 下 し奏 給 ひし家 の子 と選 び給 ひて勅旨 戴 き持 ちて の唐 遠 き境 に遣 はされ罷 りいませ海原 の にも邊 沖 にも り神 留 きいます領 の諸 大御神 等 に船 舳 導 き申 し天地 の大御神 たち倭 の大國 霊 ひさかたの天 の ゆ御 虚 天 がけり見渡 し給 ひ り事 了 還 らむ日 には また更 に大御神 たち船 舳 に御 手 打 ち懸 けて墨縄 を へたるごとく あちかをし延 の値 嘉 より岬 大伴 の御津 の濱 びに に直 泊 御船 は てむ つつみなく泊 幸 くいまして早 帰 りませ[9]
- (「
神代 欲 理 云 傳 久良 久 虚 見通 倭國 者 皇神 能 伊都 久志 吉國 言霊 能 佐吉 播布國 等 加 多利 継 伊 比 都賀 比 計 理 ・・・」『万葉集 』巻 5-894)
- (「
唐 にて詠 んだ歌 - いざ
子 ども はやく へ[10]日本 大伴 の の御津 浜松 待 ち恋 ひぬらむ(『万葉集 』巻 1-63、『新 古今 和歌集 』巻 10-898)
- いざ
宴 を罷 る歌 - 憶良らは
今 は らむ罷 子 泣 くらむ それその母 も を吾 待 つらむそ(『万葉集 』巻 3-337)[11]
- 憶良らは
日本 挽歌 大君 の遠 の朝廷 と しらぬひ筑紫 の國 に泣 く子 なす 慕ひ来 まして息 だにも いまだ休 めず年月 も いまだあらねば心 ゆも思 はぬ間 に うちなびき臥 しぬれ言 はむ術 せむ術 知 らに石木 をも問 ひ放 け知 らず家 ならば形 はあらむを恨 めしき妹 の命 の吾 をばも いかにせよとか にほ鳥 の二人 並 びゐ語 らひし心 そむきて家 離 りいます(『万葉集 』巻 5-794)[9]
- 惑へる
情 を反 さしむる歌
子 等 を ふ思 歌
大宰府 「梅花 の宴 」で詠 んだもの春 されば まづ咲 くやどの梅 の花 独 り見 つつや はる日暮 らさむ(『万葉集 』巻 5-818)
松浦 佐 用 姫 を詠 んだもの行 く船 を振 り留 めかね如何 ばかり恋 しかりけむ松浦 佐 用 姫 (『万葉集 』巻 5-874)など
奈良 時代 の農民 の厳 しい暮 らしの様子 を記 した『貧窮 問答 歌 』風 まじり雨 降 る の夜 雨 まじり雪 降 る夜 は もなく術 寒 くしあれば を堅 塩 取 りつづしろひ うち糟 湯 酒 ろひて啜 かひ咳 鼻 びしびしに しかとあらぬ ひげかきなでて を吾 きて除 人 は在 らじと誇 ろへど寒 くしあれば麻 ぶすま引 き り被 布 肩衣 有 りのことごと へども著 襲 寒 き夜 すらを よりも吾 貧 しき人 の父母 は飢 ゑ寒 からむ どもは 乞ひて妻子 泣 くらむ この時 は いかにしつつか が汝 世 は渡 る天地 は広 しといへど が吾 為 は くやなりぬる狭 日月 は明 しといへど吾 がためは照 りや給 はぬ人 皆 か のみや吾 然 る わくらばに人 とはあるを人並 に も吾 れるを作 綿 も無 き布 肩衣 の のごと わわけさがれる かかふのみ海松 肩 に打 ち懸 け伏 いほの曲 いほの内 に直 土 に藁 解 き敷 きて父母 は枕 の方 に妻 子 どもは足 の方 に囲 みゐて憂 へ ひ かまどには吟 ふき火気 立 てず こしきには蜘蛛 の巣 かきて く飯 炊事 も忘 れて の のどよひをるに いとのきて奴 延 鳥 短 き物 を端 きると いへるがごとく楚 取 る里 長 が声 は まで寝屋 処 来 立 ち呼 ばひぬ かくばかり術無 きものか の世間 道 (『万葉集 』巻 5-892)[9]世 の中 を憂 しとやさしと おもへども飛 びたちかねつ鳥 にしあらねば(『万葉集 』巻 5-893)
痾 に沈 みし時 の歌 (1首 ) やも士 空 しかるべき に万代 語 り継 ぐべき名 は立 てずして(『万葉集 』巻 6-978)[9]
七夕 の歌 (12首 )天漢 相 向 き立 ちて わが戀 ひし君 来 ますなり紐解 き けな(『設 万葉集 』巻 8-1518)[9] など
秋 の野 の花 を詠 める歌 |2首 )秋 の野 に咲 きたる花 を指折 りて かき数 ふれば の七 種 花 (『万葉集 』巻 8-1537)萩 の花 なでしこの尾花 葛 花 花 また女郎花 藤袴 朝 がほの花 (『万葉集 』巻 8-1538)[9]
筑前 国 志賀 の の白水 郎 歌 (10首 )大君 の さなくに さかしらに遣 行 きし荒 雄 ら沖 に袖 振 る(『万葉集 』巻 16-3860)[9] など
なお、2019
歌碑 [編集 ]
官 歴 [編集 ]
大宝 元年 (701年 )正月 23日 :遣 唐 少 録 時期 不 詳 :正 六 位 下 和銅 7年 (714年 )正月 5日 :従 五 位 下 霊 亀 2年 (716年 ) 4月 27日 :伯耆 守 神 亀 3年 (726年 )頃 :筑前 守 [13]天平 5年 (733年 )頃 :卒去 [13]
朝鮮半島 誕生 説 [編集 ]
脚注 [編集 ]
注釈 [編集 ]
出典 [編集 ]
- ^ 『
新撰 姓氏 録 』右京 皇 別 。「和 邇系図 」(『姓氏 家系 大 辞典 』所収 ) - ^ a b c 『
日本 古代 氏族 事典 』 p.470 - ^ 『
姓氏 家系 大 辞典 』 p.6265 - ^
森 公 章 「遣唐使 と唐 文化 の移入 」『遣唐使 と古代 日本 の対外 政策 』吉川弘文館 、2008年 。 - ^ 『
万葉集 』巻 5-897 - ^ 『
万葉集 』巻 6-978 - ^ 『
勅撰 作者 部類 』 - ^ “
大和 神社 _万葉 歌碑 「好 去 好 来 」” 2021年 11月12日 閲覧 。 - ^ a b c d e f g h i j k l
佐佐木 信綱 編 『新 訂 新 訓 万葉集 上巻 ・下巻 』岩波 文庫 、1927年 (1954年 改版 ) - ^
新 古今 和歌集 では「はや日 の本 へ」 - ^ “憶良は
子煩悩 ? それとも社会 派 歌人 ?時代 性 から読 み解 く萬葉 の世界 ”.京都 大学 . 2024年 3月 2日 閲覧 。 - ^ “
新 元号 “令 和 ”の出典 となった万葉集 の部分 を見 たい。”. レファレンス協同 データベース.国立 国会図書館 (2019年 4月 1日 ). 2019年 5月 16日 閲覧 。 - ^ a b 『
朝 日 日本 歴史 人物 事典 』 - ^ 『
山上憶良 』河出書房新社 、1973年 、23-45頁 。 - ^
小川 靖彦 著 「山上憶良 」、西沢 正史 &徳田 武 編 『日本 古典 文学 研究 史 大 事典 』勉 誠 社 、1997年 。
参考 文献 [編集 ]
浦辺 登 『太宰府天満宮 の定 遠 館 』弦 書房 、2009年 。ISBN 978-4-86329-026-6。太田 亮 『姓氏 家系 大 辞典 』角川書店 、1963年 。佐伯 有 清 編 『日本 古代 氏族 事典 』雄山閣 出版 、1994年 。太宰府 市 編 『太宰府 市 史 』2004年 。前田 淑 『大宰府 万 葉 の世界 』弦 書房 、2007年 。ISBN 978-4-902116-78-6。森 弘子 『太宰府 発見 』海鳥 社 、2003年 。ISBN 4-87415-422-0。- 『
朝 日 日本 歴史 人物 事典 』朝日新聞社 、1994年 東 茂美 『山上憶良 の研究 』翰林 書房 、2006年