(Translated by https://www.hiragana.jp/)
神宮式年遷宮 - Wikipedia コンテンツにスキップ

神宮じんぐう式年しきねん遷宮せんぐう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
1953ねんだい59かい内宮ないくう式年しきねん遷宮せんぐううえしん殿舎でんしゃしたきゅう殿舎でんしゃ

(じんぐうしきねんせんぐう)は、神宮じんぐう伊勢神宮いせじんぐう)においておこなわれる式年しきねん遷宮せんぐう、すなわち定期ていきてきおこなわれる遷宮せんぐうのことである。延引えんいんされた時期じき歴史れきしじょうあったが、20ねんごととされている。

概要がいよう[編集へんしゅう]

だい62かい式年しきねん遷宮せんぐうともなてられた外宮げくう別宮べつく多賀たがみや新旧しんきゅう社殿しゃでん(2013ねん
外宮げくうゆたか受大神宮じんぐう摂社せっしゃ清野きよのにわ神社じんじゃ遷宮せんぐう当日とうじつ様子ようす(2017ねん

原則げんそくとして20ねんごとに、内宮ないくうすめらぎ大神宮だいじんぐう)・外宮げくうゆたか受大神宮じんぐう)の2つのせいみや正殿せいでん、14の別宮べつみやすべての社殿しゃでんつくえて神座かんざうつす。このとき、宝殿ほうでんがいぬさ殿どの鳥居とりいかき饌殿などけい65むね殿舎でんしゃのほか、714しゅ1576てん装束しょうぞく神宝しんぽう装束しょうぞく須賀利すがり御太刀みたちひとし神宝しんぽう[1]宇治橋うじばし[注釈ちゅうしゃく 1][注釈ちゅうしゃく 2]などもつくえられる。

記録きろくによれば神宮じんぐう式年しきねん遷宮せんぐうは、飛鳥あすか時代ときよ天武天皇てんむてんのうさだめ、もちすべ天皇てんのう4ねん(690ねん)にだい1かいおこなわれた[1]。その戦国せんごく時代じだいの120ねん以上いじょうおよ中断ちゅうだんいくかの延期えんきなどはあったものの、2013ねんだい62かい式年しきねん遷宮せんぐうまで、およそ1300ねんにわたっておこなわれている。

2005ねんからだい62かい式年しきねん遷宮せんぐうかく行事ぎょうじ進行しんこうし、2009ねん主要しゅよう行事ぎょうじである内宮ないくうかかる「宇治うじわたりはじめしき」が、2013ねんにはせい遷宮せんぐう神体しんたい渡御とぎょ)がときぎょうされた。神宮じんぐうつかさちょうによると、2013ねんまでのかく行事ぎょうじふくだい62かい式年しきねん遷宮せんぐう全体ぜんたい費用ひようは、建築けんちく衣服いふく宝物ほうもつ製作せいさくふくやく550おくえん公表こうひょう。このうち、330おくえん伊勢神宮いせじんぐう自己じこ資金しきんで、220おくえん寄付きふまかなわれた[2]

なお、伊勢神宮いせじんぐう世界せかい遺産いさん登録とうろくされていない理由りゆうとして、この式年しきねん遷宮せんぐう世界せかい遺産いさんもとめられる「不変ふへんせい」「保護ほご」の観点かんてん相容あいいれないことがげられている[3][4]

意義いぎ[編集へんしゅう]

1953ねん10がつ5にちおこなわれた外宮げくう遷御の史上しじょうはじめて写真しゃしん撮影さつえい許可きょかされた)
2013ねん式年しきねん遷宮せんぐうによる外宮げくうきゅう社殿しゃでん(2014ねん3がつ撮影さつえい

式年しきねん遷宮せんぐうおこなうのは、かや屋根やね掘立柱ほったてばしら建物たてもの正殿せいでんひとしつくられているためである。塗装とそうしていない白木しらき地面じめんした掘立柱ほったてばしらは、風雨ふううさらされると礎石そせきうえにあるはしらくらべて老朽ろうきゅうやすく、耐用たいよう年数ねんすうみじかい。そのため、一定いってい期間きかん従前じゅうぜん殿舎でんしゃ寸分すんぶんちがわぬ弥生やよい建築けんちく殿舎でんしゃきずかれる。

うるし塗装とそうもちいるのは縄文じょうもん時代じだいからられ、式年しきねん遷宮せんぐう制度せいどさだめられた天武天皇てんむてんのう時代じだい、7世紀せいきごろには、すで礎石そせきもちいる建築けんちく技術ぎじゅつ確立かくりつされていた。げんに、この時代じだい創建そうけん(または再建さいけん)された法隆寺ほうりゅうじ堂宇どううは、世界せかい最古さいこ木造もくぞう建築けんちくとしての姿すがたいまつたえている。

2013ねん式年しきねん遷宮せんぐう広報こうほう本部ほんぶは、式年しきねん遷宮せんぐうおこなう理由りゆうとして、かみいきおいを瑞々みずみずしくたもつ「つねわか(とこわか)の思想しそう」があると説明せつめいしている[5]。『延喜えんぎしき』にもしるされた20ねんという間隔かんかく由来ゆらいについては、式年しきねん遷宮せんぐう記念きねんせんぐうかん小堀こぼり邦夫くにお館長かんちょうほしい(ほしい)貯蔵ちょぞう年限ねんげんが20ねんだったことをげているほか、20がせいなるかずとされていたという見解けんかい古代こだい暦法れきほう宮大工みやだいく神宝しんぽう職人しょくにん技術ぎじゅつ伝承でんしょうなど諸説しょせつある[5]

用材ようざい[編集へんしゅう]

1985ねん伊勢神宮いせじんぐう内宮ないくう外宮げくう神木しんぼく伐採ばっさいあと長野ながのけん上松うえまつまち赤沢あかざわ自然しぜん休養きゅうようりん

遷宮せんぐうにおいては、1まんほん以上いじょうヒノキざいもちいられる。その用材ようざいりだすやまは、(みそまやま)とばれる。

杣山そまやまは、14世紀せいきおこなわれただい34かい式年しきねん遷宮せんぐうまでは、3かいほど周辺しゅうへん地域ちいき移動いどうしたことはあるものの、すべて神路かんじさんしまやま[6]高倉山たかくらやま[7]という内宮ないくう外宮げくう背後はいごやまであった。

その内宮ないくう用材ようざい杣山そまやまだい35かい式年しきねん遷宮せんぐうから三河みかわこくうつり、外宮げくう用材ようざい杣山そまやまだい36かい式年しきねん遷宮せんぐうから美濃みのこくうつり、だい41かい式年しきねん遷宮せんぐうからだい46かい式年しきねん遷宮せんぐうまでは伊勢いせこく大杉谷おおすぎだに杣山そまやまとした。この伊勢いせこく大杉谷おおすぎだには、徳川とくがわ御三家ごさんけひとつである紀州きしゅう徳川とくがわ領地りょうちである紀州きしゅうはんにあった。

しかし、原木げんぼく枯渇こかつによるしの困難こんなんさから、だい47かい式年しきねん遷宮せんぐうから、おな徳川とくがわ御三家ごさんけでも尾張おわり徳川とくがわ領地りょうちである尾張おわりはん木曽きそたに杣山そまやまうつされた。以後いごだい51かい式年しきねん遷宮せんぐうのみ大杉谷おおすぎだにもどったものの、300ねん以上いじょうにわたり木曽きそたに杣山そまやまとしている。

明治めいじ時代じだいには、木曽きそたにふく尾張おわりはん森林しんりん国有こくゆうされた。明治めいじ時代じだい後期こうきから大正たいしょう時代じだいにかけて、木曽きそ赤沢あかざわをはじめとする地域ちいき神宮じんぐう備林設定せっていされ、樹齢じゅれい200ねんから300ねん用材ようざい安定あんてい提供ていきょう可能かのうとする計画けいかくてき植林しょくりんおこなわれはじめた。だい世界せかい大戦たいせん神宮じんぐう備林の指定していはずされたものの、以後いご遷宮せんぐう用材ようざいおも供給きょうきゅうとなっている。

神宮じんぐうでは、1923ねん森林しんりん経営けいえい計画けいかく策定さくていし、ふたたせいみや周辺しゅうへん神路かんじさんしまやま高倉山たかくらやまさんやま杣山そまやまとすべく、1925ねんまたは1926ねんから、さんやまへのヒノキの植林しょくりんつづけている。遷宮せんぐう用材ようざいとして使用しようできるまでにはおおむね200ねん以上いじょうかかるため、このさんやま植林しょくりんから生産せいさんされた用材ようざい本格ほんかくてき使用しようされるのは100ねん以上いじょうの2120ねんごろとなる。また、この計画けいかくは、400ねんの2400ねんごろには、さんやまからの重要じゅうよう用材ようざい供給きょうきゅう目指めざ遠大えんだいなものである。なお、内宮ないくう正殿せいでんとびらについて、本来ほんらい様式ようしきどおりにいちまいいたとするためには、樹齢じゅれい900ねんえる用材ようざい必要ひつようとなると試算しさんされている[8]。2013ねん平成へいせい25ねん)におこなわれただい62かい式年しきねん遷宮せんぐうでは、やく700ねんぶりに、このせいみや周辺しゅうへんさんやまからの間伐かんばつざい一部いちぶ使用しようし、ぜん用材ようざいの25%がまかなわれた。

さらに、明治めいじ100ねん記念きねんとして神宮じんぐう購入こうにゅうした宮崎みやざきけん鹿児島かごしまけん記念きねんりんは、当初とうしょ目的もくてき財政ざいせい補給ほきゅうであったものの、ヒノキの生産せいさんてきしているとられることから、さんやまおよびたきはらみや神域しんいきりんとあわせて、用材ようざい供給きょうきゅうげんとなることが期待きたいされている[9]

式年しきねん遷宮せんぐうさい解体かいたいされるきゅう殿しんがり使用しようされた用材ようざいは、神宮じんぐうないやその摂社せっしゃ末社まっしゃをはじめ、全国ぜんこく神社じんじゃ造営ぞうえいとうさい利用りようされる。たとえば、内宮ないくう正殿せいでんむねばしらについては宇治橋うじばし神宮じんぐうがわ鳥居とりいとなり、さらにせきひがし追分おいわけ鳥居とりいとなるならわしである。また、外宮げくう正殿せいでんむねばしら宇治橋うじばしおはらいまちがわ鳥居とりいとなり、さらに桑名くわなななさとわた鳥居とりいとなるならわしである。

2013ねん遷宮せんぐうでは、ヒノキ不足ふそくから遷宮せんぐう史上しじょうはじめて、青森あおもりけんさんアスナロ(ヒバ)がもちいられた[10][11]

2016ねん2がつ伊勢神宮いせじんぐう内宮ないくう外宮げくうおさめられていた神宝しんぽうのうち、かわうつぼどうくろづくり御太刀みたちあずさ御弓おゆみだて兵庫ひょうごけん姫路ひめじだてへい主神しゅしんしゃ譲渡ゆずりわたされた[12]

山田やまだ工作こうさくじょう[編集へんしゅう]

神宮じんぐうつかさちょうは、式年しきねん遷宮せんぐう必要ひつよう大量たいりょう用材ようざいや、屋根やねようかや加工かこうのための工場こうじょうである「かみ宮司ぐうじちょう山田やまだ工作こうさくじょう」を外宮げくう敷地しきちないっている。場内じょうないには、製材せいざいしょ加工かこうしょ加工かこう材木ざいもく乾燥かんそう倉庫そうこ屋根やねようかや乾燥かんそう倉庫そうこおよ加工かこうじょう用材ようざい加工かこうまで保存ほぞんしておくほりや、かく工場こうじょうむすトロッコ軌道きどうなどがある。ここではつね小規模しょうきぼ社殿しゃでんえや修復しゅうふくのために製材せいざいおこなわれているが、せい遷宮せんぐう前後ぜんごおおくの伝統でんとう技術ぎじゅつった大工だいくらが全国ぜんこくからあつまってるため、職人しょくにんようりょう敷地しきちないにある。おおくの大工だいく神宮じんぐう建築けんちく様式ようしき伝承でんしょうしていくのも、山田やまだ工作こうさくじょうおおきな役割やくわりである。

祭典さいてん行事ぎょうじ[編集へんしゅう]

式年しきねん遷宮せんぐうでは、おおくの祭典さいてん行事ぎょうじおこなわれる。

下記かき年月日ねんがっぴは、左側ひだりがわだい61かい神宮じんぐう式年しきねん遷宮せんぐう日程にってい右側みぎがわだい62かい神宮じんぐう式年しきねん遷宮せんぐう日程にっていである。年月日ねんがっぴしるされていないものは、決定けっていのものである。

なお「しるしされたものは、(ごじじょう)といい、天皇てんのう日程にっていさだめる。

山口やまぐちさいやまぐちさい
  • 1985ねん5がつ2にち / 2005ねん5がつ2にち
  • 遷宮せんぐう最初さいしょ行事ぎょうじ用材ようざい杣山そまやま山口やまぐちにあるかみまつ儀式ぎしき
  • 現在げんざい用材ようざい木曽きそ山中さんちゅうからすが、この儀式ぎしき古来こらいのまま内宮ないくう神路かんじさん外宮げくう高倉山たかくらやまと、いずれも境内けいだい背後はいごやまおこなわれる。
木本もくほんさいこのもとさい
  • 1985ねん5がつ2にち / 2005ねん5がつ2にち
  • こころはしらしんのみはしらにするまえに、そのかみまつ儀式ぎしき
  • 深夜しんやおこなわれ非公開ひこうかい
そまはじめさいみそまはじめさい
三ツ尾みつお
  • 1985ねん6がつ3にち / 2005ねん6がつ3にち
  • といだい神体しんたいおさめる容器ようき)にする行事ぎょうじ
  • 前回ぜんかいおなじく、長野ながのけん上松うえまつまち赤沢あかざわ自然しぜん休養きゅうようりんおこなわれる。
  • 用材ようざいは「三ツ尾みつおり」(みっひもり)というふるくからの作法さほうす。
  • 式典しきてんは、内宮ないくう外宮げくうじゅんおこなわれ、内宮ないくうよう外宮げくうようかく1ほん伐採ばっさいされる。2ほん交差こうさするようにたおすのがならわしである。
  • 山元やまもとからの輸送ゆそう木曽きそ森林しんりん鉄道てつどうもちいるのがならわしになっている。現在げんざいもごく短距離たんきょりではあるが休養きゅうようりん保存ほぞんせん使用しようする。
うら木曽きそ用材ようざい伐採ばっさいしきうらきそごようざいばっさいしき
  • 1985ねん6がつ5にち / 2005ねん6がつ5にち
  • といだいうら木曽きそでもるため、その安全あんぜん祈願きがんする。
  • 前回ぜんかいおなじく、岐阜ぎふけん中津川なかつがわ以前いぜん加子母かしもむら)でおこなわれる。
  • 式典しきてん次第しだいは、そまはじめさい同様どうようである。
  • 山元やまもとからの輸送ゆそう鉄道てつどう時代じだいより北恵きたけい交通こうつう担当たんとうすることがならわしになっている。
といだいたてまつ曳式みひしろぎほうえいしき
  • 内宮ないくう:1985ねん6がつ10日とおか / 2005ねん6がつ9にち
    外宮げくう:1985ねん6がつ11にち / 2005ねん6がつ10日とおか
  • 木曽きそからされたといだいりょうみやとも予備よび2ほんふくむ)を伊勢いせ到着とうちゃくりょうみや境内けいだいたけ殿どのまではこれる儀式ぎしき
  • 内宮ないくうへは五十鈴川いすずがわ三重みえ県営けんえい体育館たいいくかんうらから内宮ないくう境内けいだいふういのりみやはしまでそりきぞりさかのぼる(「かわかわびき」)。
  • 外宮げくうへは宮川みやがわ河畔かはん度会わたらいきょうから市内しない外宮げくうまでたてまつ曳車でく(「りくおかびき」)。厳密げんみつには市内しないたてまつ曳は地元じもとたてまつ本部ほんぶ主催しゅさいの「たてまつ行事ぎょうじ」であり、神宮じんぐう主催しゅさいの「たてまつ曳式」は、外宮げくう北御門きたごもんからたけ殿どのまでである。
いとはじめしきくりいとはじめしき
  • 前回ぜんかい不詳ふしょう) / 2005ねん7がつ8にち
  • 愛媛えひめけん西にし製糸せいし工場こうじょうにて、神宝しんぽう装束しょうぞく使つか生糸きいと生産せいさん開始かいしにあたりおこなう。
御船みふねだいさいみふなしろさい
  • 内宮ないくう:1985ねん9がつ17にち / 2005ねん9がつ17にち
    外宮げくう:1985ねん9がつ19にち / 2005ねん9がつ19にち
  • りょうせいみやおよび別宮べつくといだいおさめる御船みふねだいふねかたちをしている)の用材ようざいすにあたりおこなわれる儀式ぎしき
  • 参進さんしん修祓しゅうばつののち宮山みややま祭場さいじょう内宮ないくうふういのりみやきょう南東なんとう外宮げくうみや東方とうほう)で祭儀さいぎおこなわれる。
  • さい重要じゅうようなのは「物忌ものいみ」とばれるわらわおとこ内宮ないくう)、童女どうじょ外宮げくう)がおの儀式ぎしき
  • 実際じっさい用材ようざいは、木曽きそ内宮ないくう)およびうら木曽きそ外宮げくう)で、この儀式ぎしき進行しんこうわせされる。
装束しょうぞく神宝しんぽう御料ごりょうはつしきおんしょうぞくしんぽうごりょうおりぞめしき
曳初しきおきひきぞめしき
  • 内宮ないくうどう別宮べつく:1986ねん4がつ12にち / 2006ねん4がつ12にちただ瀧原たきはら2みやざつみやは4がつ16にち
    外宮げくうどう別宮べつく:1986ねん4がつ13にち / 2006ねん4がつ13にち
  • 行事ぎょうじ皮切かわきりとしてりょうみや正殿せいでん垂木たるきなどの重要じゅうよう用材ようざい(「やく」という)を、特定とくていの「かみ領民りょうみん」(江戸えど時代じだい以前いぜん伊勢神宮いせじんぐう領地りょうち住民じゅうみん)が運搬うんぱんする儀式ぎしきだい61かいまでは「むねばしらなど」という表現ひょうげんをしていたが、だい62かいには「むねばしら」はふくまれないと公表こうひょうしている。
  • やく内宮ないくう外宮げくうともせいみやかく3ほん別宮べつみやかく1ほんである。
  • といだいたてまつ曳式とほぼ同様どうようであるが、以下いかてんことなる。
    • 内宮ないくう境内けいだいへのげは御手洗みたらしじょうみたらしばからとなる。
    • りく曳は宮川みやがわからげ、宮川みやがわ堤防ていぼうみずる「どんでん」という作業さぎょう再現さいげんする。
    • 別宮べつくやくは、敷地しきちまではこれるため、最後さいごかついでたてまつ搬するところもある。また域外いきがい内宮ないくう別宮べつくへはそりまたはたてまつ曳車によるりく曳となる。
    • たてまつ曳車はかく地域ちいき独自どくじのものとなり、木遣きやきやりうたなどもことなる。
  • やくやくぎびきともう。
木造きづくりはじめさいこづくりはじめさい
  • 1986ねん4がつ21にち / 内宮ないくう外宮げくう:2006ねん4がつ21にちあらまつりみや多賀たがみや:4がつ22にち月讀つきよみ4みや:4がつ23にち瀧原たきはら2みやざつみや:4がつ25にちふういのりみややまと姫宮ひめみや:4がつ27にちみや月夜つきよみやかぜみや:4がつ28にち
  • 造営ぞうえい工事こうじ開始かいしにあたって作業さぎょう安全あんぜんいの儀式ぎしき
  • 曳初しきはこれられたやくまえ神饌しんせんそなえ、家屋かおく守護神しゅごじんであるせん大神だいじんやふねのおおかみ祝詞のりと奏上そうじょうする。
  • 小口こぐちり、すみき、おのれる所作しょさおこなう。
  • 手斧ちょうなはじめちょうなはじめとも事始ことはじめ神事しんじことはじめしんじともいう。
  • 内宮ないくうでは祭儀さいぎまえに、外宮げくうでは祭儀さいぎのちに、「かみ宮司ぐうじちょう」が造営ぞうえい作業さぎょうたずさわる「神宮じんぐう式年しきねん遷宮せんぐう造営ぞうえいちょう」の関係かんけいしゃぜん神酒みきでもてなす饗膳きょうぜんきょうぜんおこなわれる。
行事ぎょうじおきひきぎょうじ
かわ
りく曳・けいこういん
  • だい1りくおかびき:1986ねん4がつ26にち・27にち・29にち、5がつ10日とおか・11にち・17にち・18にち・24にち・25にち・31にち、6月1にち / 2006ねん5がつ5にち・6にち・7にち・12にちいちにちしん領民りょうみんのみのたてまつ曳日)・13にち・14にち・19にちいちにちしん領民りょうみんのみのたてまつ曳日)20日はつか・21にち・26にちいちにちしん領民りょうみんのみのたてまつ曳日)・27にち・28にち、6月2にちいちにちしん領民りょうみんのみのたてまつ曳日)・3にち・4にち
  • だい1かわ曳(かわびき):1986ねん5がつ17・18・24・25にち / 2006ねん7がつ22にち・23にち・29にち・30にち *だい2りく曳:1987ねん5がつ5にち・9にち10日とおか・16にち・17にち・23にち・24にち・25にち・30にち・31にち、6月6にち・7にち / 2007ねん5がつ4にち・5にち・6にち・12にち・13にち・19にち20日はつか・26にち・27にち、6月2・3にち予備よびかく月曜日げつようび
  • だい2かわ曳:1987ねん5がつ10日とおか・17にち・24にち・31にち / 2007ねん7がつ21にち・22にち・28にち|・29にち予備よびは8がつ4にち・5にち
  • 遷宮せんぐう行事ぎょうじ前半ぜんはん最大さいだい大衆たいしゅう参加さんか行事ぎょうじ
  • ぜんかみ領民りょうみん参加さんかするほか、りく曳には全国ぜんこくから参集さんしゅうした「いちにちしん領民りょうみん」(だい61かいやく2まんにんだい62かいは1ねんやく3まん5000にん)も参加さんかする。
  • 行事ぎょうじ概略がいりゃくは、曳初しき同様どうようであるが、たてまつ曳コースは以下いかのとおり若干じゃっかんことなるほか、用材ようざいは2ほん・3ほん場合ばあいがある。
    • りく曳は、外宮げくう山田やまだ工作こうさくじょうの貯木用材ようざいおさめる。
    • かわ曳は、内宮ないくう境内けいだい宇治橋うじばし手前てまえげ、参集さんしゅう殿でんまえ神宮じんぐう用材ようざいわたす。
    • 内宮ないくう用材ようざいかわ曳をおこなうが、歴史れきしてき事情じじょうによりりく曳をおこな例外れいがいがある。
      • 遷宮せんぐう復活ふっかつ功績こうせきのあったけいこういんけいこういんあたえられた領地りょうちであったいそまち住民じゅうみんが、内宮ないくうとびら宮川みやがわ河畔かはんから外宮げくうやまと姫宮ひめみや経由けいゆして内宮ないくう宇治うじ工作こうさくじょうまでりく曳でたてまつ曳する。けいこういんけいこういんびきという。
      • 伊勢いせ湾岸わんがんにあり、海運かいうん当時とうじ用材ようざい集積しゅうせきであった大湊おおみなとまち住民じゅうみんが、内宮ないくうとうばしらやまと姫宮ひめみやから内宮ないくう宇治うじ工作こうさくじょうまでりく曳でたてまつ曳する。
  • 伊勢いせの「おき」行事ぎょうじとして、くに選択せんたく無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい風俗ふうぞく習慣しゅうかん祭礼さいれい信仰しんこう))に選択せんたくされている。
かりといだい伐採ばっさいしきかりみひしろぎばっさいしき
  • 1986ねん7がつ13にち / 2006ねん5がつ17にち
  • きゅう殿しんがりから新殿にいどのまで神体しんたいうつさい神体しんたいれる「かりといだい」と「かり御船みふねだい」にする用材ようざい儀式ぎしき
鎮地さいちんちさい
  • 1988ねん4がつ25にち / 2008ねん4がつ25にち別宮べつみやは4がつ25にち - 5月2にち
  • 新宮しんぐう建設けんせつ予定よてい作業さぎょう安全あんぜんいの儀式ぎしき一般いっぱん地鎮祭じちんさい相当そうとう
  • 神職しんしょく物忌ものいみ神饌しんせんとうあつか童女どうじょ)によってはじしき穿うがはじしき祭事さいじときぎょうされる[13]
宇治橋うじばし修造しゅうぞう起工式きこうしきうじばししゅうぞうきこうしき
  • 1988ねん7がつ19にち / 2008ねん7がつ26にち
  • はしえをまえ工事こうじ安全あんぜん祈願きがんする。
  • はし守護しゅごするきょう土橋どばしひめ神社じんじゃ祝詞のりと奏上そうじょうかり橋架きょうかきょう位置いちはしくいを3ずつかためる。
かりはし修祓しゅうばつかりばししゅはつ
  • 1988ねん12月27にち / 2008ねん12月27にち
  • かりはし完成かんせい安全あんぜん祈願きがんのおはらいをする。
宇治橋うじばしわたりおさむうじばしわたりおさめ
  • 1989ねん1がつ16にち / 2009ねん2がつ1にち
  • えられる宇治橋うじばし最後さいご通行つうこう儀式ぎしき
  • じゅん市民しみん行事ぎょうじとしておこなわれる。
宇治橋うじばし萬度麻奉下式うじばしまんどぬさほうげしき
  • 1989ねん1がつ17にち / 2009ねん2がつ2にち
  • 宇治橋うじばし解体かいたいまえ擬宝珠ぎぼうしゅうちおさめられているまんあさげる。
宇治橋うじばしわたりはじめしきうじばしわたりはじめしき
  • 1989ねん11月3にち / 2009ねん11月3にち
  • はし安全あんぜん祈願きがん
  • はし守護しゅごするきょう土橋どばしひめ神社じんじゃ祈願きがんしたのちまんあさ擬宝珠ぎぼうしゅおさめる。
  • 神領しんりょうからえらばれた「わたりおんなわたりめ」を先頭せんとうおっと夫婦ふうふまご夫婦ふうふわためをおこない、全国ぜんこくからえらばれたさん世代せだいそろった夫婦ふうふつづく。
たてはしらさいりっちゅうさい
  • 内宮ないくう:1992ねん3がつ11にち / 2012ねん3がつ4にち
    外宮げくう:1992ねん3がつ13にち / 2012ねん3がつ6にち
  • 正殿せいでんはしら最初さいしょてる儀式ぎしき
御形ごぎょうさいごぎょうさい
  • 内宮ないくう:1992ねん3がつ11にち / 2012ねん3がつ4にち
    外宮げくう:1992ねん3がつ13にち / 2012ねん3がつ6にち
  • 御形ごぎょう正殿せいでんつまたばばしら装飾そうしょく)を穿うが儀式ぎしき
  • たてはしらさいつづおこなわれるが非公開ひこうかい
上棟じょうとうさいじょうとうさい
  • 内宮ないくう:1992ねん3がつ26にち / 2012ねん3がつ26にち
    外宮げくう:1992ねん3がつ28にち / 2012ねん3がつ28にち
  • 正殿せいでん棟木むなぎげる儀式ぎしき
  • つな棟木むなぎげる所作しょさをする。
檐付さいのきつけさい
  • 内宮ないくう:1992ねん5がつ23にち / 2012ねん5がつ23にち
    外宮げくう:1992ねん5がつ25にち / 2012ねん5がつ25にち
  • 新殿にいどの屋根やねかやはじめる儀式ぎしき
いらかさいいらかさい
  • 内宮ないくう:1992ねん7がつ21にち / 2012ねん7がつ21にち
    外宮げくう:1992ねん7がつ23にち / 2012ねん7がつ23にち
  • 新殿にいどの屋根やねえる儀式ぎしき
しろ石持いしもち行事ぎょうじおしらいしもちぎょうじ
  • 内宮ないくう:1993ねん7がつ31にち - 8がつ11にち・8がつ17にち - 8がつ19にち / 2013ねん7がつ26にち - 8がつ12にち
    外宮げくう:1993ねん8がつ2にち - 8がつ30にち / 2013ねん8がつ17にち - 9月1にち
  • 遷宮せんぐう行事ぎょうじ後半こうはん最大さいだい大衆たいしゅう参加さんか行事ぎょうじ。1993ねんやく21まんにん参加さんかした。2013ねんは226,000にん参加さんかした。
  • 宮川みやがわ河原かわらから採集さいしゅうした「お白石しろいし」を同様どうようりく曳・かわ曳ではこび、正殿せいでん用地ようちめる行事ぎょうじ
  • 神宮じんぐう関係かんけいしゃ以外いがいにとっては、遷御絶対ぜったいることのできない正殿せいでんそばまではいることができる唯一ゆいいつ機会きかい
  • 基本きほんてきには、いちにちしん領民りょうみんふくめ、行事ぎょうじ参加さんかしゃ参加さんかする。
  • 伊勢いせの「白石しらいしち」行事ぎょうじとして、くに選択せんたく無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい風俗ふうぞく習慣しゅうかん祭礼さいれい信仰しんこう))に選択せんたくされている。
戸祭とまつりみとさい
  • 内宮ないくう:1993ねん9がつ13にち / 2013ねん9がつ13にち
    外宮げくう:1993ねん9がつ15にち / 2013ねん9がつ15にち
  • 新殿にいどのとびらける儀式ぎしき
御船みふねだい奉納ほうのうしきみふなしろほうのうしき
  • 内宮ないくう:1993ねん9がつ17にち / 2013ねん9がつ17にち
    外宮げくう:1993ねん9がつ19にち / 2013ねん9がつ19にち
  • 御船みふねだい正殿せいでんないおさめる儀式ぎしき
あらいきよしあらいきよめ
  • 内宮ないくう:1993ねん9がつ24にち / 2013ねん9がつ24にち
    外宮げくう:1993ねん9がつ26にち / 2013ねん9がつ26にち
  • 文字通もじどお新殿にいどのないあらきよめる儀式ぎしき
こころはしらたてまつけんしんのみはしらほうけん
  • 内宮ないくう:1993ねん9がつ25にち / 2013ねん9がつ25にち
    外宮げくう:1993ねん9がつ27にち / 2013ねん9がつ27にち
  • こころはしらしん正殿せいでん床下ゆかしたてる儀式ぎしき
  • 夜間やかんから深夜しんやおこなわれ非公開ひこうかい詳細しょうさい不明ふめい
杵築きつきさいこつきさい
  • 内宮ないくう:1993ねん9がつ28にち / 2013ねん9がつ28にち
    外宮げくう:1993ねん9がつ29にち / 2013ねん9がつ29にち
  • 新殿にいどの敷地しきちかためる儀式ぎしき
こう鎮祭ごちんさい
  • 内宮ないくう:1993ねん10がつ1にち / 2013ねん10がつ1にち
    外宮げくう:1993ねん10がつ4にち / 2013ねん10がつ4にち
  • 新殿にいどの敷地しきち平安へいあんいの儀式ぎしき
装束しょうぞく神宝しんぽう読合おんしょうぞくしんぽうとくごう
  • 内宮ないくう:1993ねん10がつ1にち / 2013ねん10がつ1にち
    外宮げくう:1993ねん10がつ4にち / 2013ねん10がつ4にち
  • 遷宮せんぐうわせづくえられた装束しょうぞく神宝しんぽうわせる儀式ぎしき
川原かわはら大祓おおはらいかわらおおはらい
  • 内宮ないくう:1993ねん10がつ1にち / 2013ねん10がつ1にち
    外宮げくう:1993ねん10がつ4にち / 2013ねん10がつ4にち
  • かりといだいかり御船みふねだい装束しょうぞく神宝しんぽうや遷御参加さんかしゃはらきよめる儀式ぎしき
かざりおかざり
  • 内宮ないくう:1993ねん10がつ2にち / 2013ねん10がつ2にち
    外宮げくう:1993ねん10がつ5にち / 2013ねん10がつ5にち
  • 殿内とのうち装飾そうしょく
遷御せんぎょ
  • 内宮ないくう:1993ねん10がつ2にち / 2013ねん10がつ2にち
    外宮げくう:1993ねん10がつ5にち / 2013ねん10がつ5にち
  • あらまつりみや:1993ねん10がつ10日とおか / 2013ねん10がつ10日とおか多賀たがみや:1993ねん10がつ13にち / 2013ねん10がつ13にち月読つきよみみや月読つきよみ荒御魂あらみたまみや:1994ねん10がつ6にち / 2014ねん10がつ伊佐いさ奈岐みや伊佐いさ奈弥みや:1994ねん10がつ10日とおか / 2014ねん10がつたきはらみや瀧原たきはらなみみや:1994ねん10がつ28にち / 2014ねん10がつざつみや:1994ねん11月5にち / 2014ねん11月、ふういのりみや:1994ねん11月9にち / 2014ねん11月、やまと姫宮ひめみや:1994ねん11月15にち / 2014ねん11月、みや:1994ねん11月19にち / 2014ねん11月、月夜つきよみや:1994ねん12月4にち / 2014ねん12月、かぜみや:1994ねん12がつ10日とおか / 2014ねん12月
  • 神体しんたいきゅう殿しんがりから新殿にいどのうつ儀式ぎしき
  • 天岩戸あまのいわと伝説でんせつにちなみ鶏鳴けいめいさんこえは、内宮ないくうでは「カケコー」、外宮げくうでは「カケロー」のこえ出御しゅつぎょする。
  • 遷宮せんぐう行事ぎょうじ中核ちゅうかく神事しんじひゃくめいえる奉仕ほうしいん神官しんかん)が参加さんかする。また出御しゅつぎょ時刻じこくには、天皇てんのうかみよしみ殿どの前庭ぜんていから伊勢いせ拝礼はいれいするとされる。
  • 皇族こうぞくはじ多数たすう参列さんれつしゃ見守みまもるが、儀式ぎしき夜間やかん(2013ねんは20より出御しゅつぎょおこなわれ、照明しょうめい松明たいまつのみとなる。
だいおおみけ
  • 内宮ないくう:1993ねん10がつ3にち / 2013ねん10がつ3にち
    外宮げくう:1993ねん10がつ6にち / 2013ねん10がつ6にち
  • 新殿にいどのにおいて、はじめてだい饌をたてまつ儀式ぎしき
奉幣ほうへいほうへい
  • 内宮ないくう:1993ねん10がつ3にち / 2013ねん10がつ3にち
    外宮げくう:1993ねん10がつ6にち / 2013ねん10がつ6にち
  • 天皇てんのうからたてまつられる幣帛へいはく奉納ほうのうする儀式ぎしき
古物ふるものわたりこもつわたし
  • 内宮ないくう:1993ねん10がつ3にち / 2013ねん10がつ3にち
    外宮げくう:1993ねん10がつ6にち / 2013ねん10がつ6にち
  • きゅう殿内とのうち神宝しんぽうるい新殿にいどの西にし宝殿ほうでんうつ儀式ぎしき
御神楽みかぐらみかぐらみけ
  • 内宮ないくう:1993ねん10がつ3にち / 2013ねん10がつ3にち
    外宮げくう:1993ねん10がつ6にち / 2013ねん10がつ6にち
  • 御神楽みかぐら先立さきだだいたてまつ儀式ぎしき
御神楽みかぐらみかぐら
  • 内宮ないくう:1993ねん10がつ3にち / 2013ねん10がつ3にち
    外宮げくう:1993ねん10がつ6にち / 2013ねん10がつ6にち
  • 天皇てんのうから派遣はけんされた宮内庁くないちょう式部しきぶしょく楽師がくし神楽かぐらなどを奉納ほうのうする儀式ぎしき

歴史れきし[編集へんしゅう]

年月日ねんがっぴ 事柄ことがら 天皇てんのう 備考びこう
天武天皇てんむてんのう14ねん685ねん 式年しきねん遷宮せんぐうせい制定せいてい 天武てんむ
もちすべ天皇てんのう4ねん690ねん)9がつ16にち[注釈ちゅうしゃく 3] だい1かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう もちみつる
もちすべ天皇てんのう6ねん692ねん)9がつ15にち[注釈ちゅうしゃく 4] 外宮げくう
和銅わどう2ねん709ねん)9がつ16にち だい2かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 元明もとあき
和銅わどう4ねん711ねん)9がつ15にち 外宮げくう
天平てんぺい元年がんねん729ねん)9がつ16にち だい3かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう ひじりたけし 1ねん延引えんいん
天平てんぴょう4ねん732ねん)9がつ15にち 外宮げくう 2ねん延引えんいん
天平てんぴょう19ねん747ねん)9がつ16にち だい4かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 1ねんげ。
天平てんぴょうかちたから元年がんねん749ねん)9がつ15にち 外宮げくう こうけん 2ねんげ。
天平てんぺい神護かんご2ねん766ねん)9がつ16にち だい5かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう しょうとく
神護かんごけいくも2ねん768ねん)9がつ15にち 外宮げくう
のべれき4ねん785ねん)9がつ18にち だい6かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 桓武かんむ
のべれき6ねん787ねん)9がつ15にち 外宮げくう
のべれき11ねん792ねん 臨時りんじ遷宮せんぐう[注釈ちゅうしゃく 5] 内宮ないくう
ひろしひとし元年がんねん810ねん)9がつ16にち だい7かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 嵯峨さが 6ねん延引えんいん
ひろじん3ねん812ねん)9がつ15にち 外宮げくう 6ねん延引えんいん
てんちょう6ねん829ねん)9がつ16にち だい8かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 淳和じゅんな
てんちょう8ねん831ねん)9がつ15にち 外宮げくう
よしみさち2ねん849ねん)9がつ16にち だい9かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 仁明にんみょう 1ねん延引えんいん
じん寿ことぶき元年がんねん851ねん)9がつ15にち 外宮げくう 文徳ふみのり 1ねん延引えんいん
さだかん10ねん868ねん)9がつ16にち だい10かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 清和せいわ
さだかん12ねん870ねん)9がつ15にち 外宮げくう
仁和にわ2ねん886ねん)9がつ16にち だい11かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 光孝みつたか 1ねんげ。
寛平かんぺい元年がんねん889ねん)9がつ15にち 外宮げくう 宇多うた
延喜えんぎ5ねん905ねん)9がつ16にち だい12かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 醍醐だいご
延喜えんぎ7ねん907ねん)9がつ15にち 外宮げくう 1ねんげ。
延長えんちょう2ねん924ねん)9がつ16にち だい13かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう
延長えんちょう4ねん926ねん)9がつ15にち 外宮げくう
てんけい6ねん943ねん)9がつ16にち だい14かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 朱雀すじゃく
てんけい8ねん945ねん)12月15にち 外宮げくう 3かげつ延引えんいん
おう2ねん962ねん)9がつ16にち だい15かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 村上むらかみ
かんたもつ元年がんねん964ねん)9がつ15にち 外宮げくう
天元てんげん4ねん981ねん)9がつ17にち だい16かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 円融えんゆう 1にち延引えんいん[注釈ちゅうしゃく 6]
永観えいかん元年がんねん983ねん)9がつ15にち 外宮げくう
長保ながほ2ねん1000ねん)9がつ16にち だい17かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう いちじょう
長保ながほ4ねん1002ねん)9がつ15にち 外宮げくう
寛仁かんじん3ねん1019ねん)9がつ17にち だい18かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう こういちじょう 1にち延引えんいん
治安ちあん元年がんねん1021ねん)9がつ15にち 外宮げくう
ちょうこよみ2ねん1038ねん)9がつ16にち だい19かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう こう朱雀すじゃく
長久ながひさ元年がんねん1040ねん)9がつ15にち 外宮げくう
てん5ねん1057ねん)9がつ16にち だい20かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 後冷泉ごれいぜい
康平こうへい2ねん1059ねん)9がつ15にち 外宮げくう
うけたまわ3ねん1076ねん)9がつ16にち だい21かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 白河しらかわ
うけたまわこよみ2ねん1078ねん)9がつ15にち 外宮げくう
よしみ2ねん1095ねん)9がつ16にち だい22かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 堀河ほりかわ
うけたまわとく元年がんねん1097ねん)9がつ15にち 外宮げくう
永久えいきゅう2ねん1114ねん)9がつ16にち だい23かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 鳥羽とば
永久えいきゅう4ねん1116ねん)9がつ15にち 外宮げくう
ながうけたまわ2ねん1133ねん)9がつ16にち だい24かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう たかしとく
のべ元年がんねん1135ねん)9がつ15にち 外宮げくう
仁平にだいら2ねん1152ねん)9がつ16にち だい25かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 近衛このえ
久寿きゅうじゅ元年がんねん1154ねん)9がつ19にち 外宮げくう 4にち延引えんいん
かんおう元年がんねん1169ねん 臨時りんじ遷宮せんぐう[注釈ちゅうしゃく 5] 内宮ないくう 高倉たかくら
うけたまわやす元年がんねん1171ねん)9がつ16にち だい26かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう
うけたまわやす3ねん1173ねん)9がつ15にち 外宮げくう
たてひさ元年がんねん1190ねん)9がつ16にち だい27かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 後鳥羽ごとば
たてひさ3ねん1192ねん)9がつ15にち 外宮げくう
うけたまわもと3ねん1209ねん)9がつ16にち だい28かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 土御門つちみかど
けんれき元年がんねん1211ねん)9がつ15にち 外宮げくう 順徳じゅんとく
安貞やすさだ2ねん1228ねん)9がつ16にち だい29かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう こう堀河ほりかわ
ひろし2ねん1230ねん)9がつ15にち 外宮げくう
たからおさむ元年がんねん1247ねん)9がつ16にち だい30かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう こう深草ふかくさ
けんちょう元年がんねん1249ねん)9がつ26にち 外宮げくう 11にち延引えんいん[注釈ちゅうしゃく 7]
ぶんひさし6ねん1266ねん)9がつ16にち だい31かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 亀山かめやま
ぶんなが5ねん1268ねん)9がつ15にち 外宮げくう
弘安ひろやす8ねん1285ねん)9がつ16にち だい32かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう こう宇多うた
弘安ひろやす10ねん1287ねん)9がつ18にち 外宮げくう
よしみもと2ねん1304ねん)12月22にち だい33かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう こうじょう 3かげつ延引えんいん
徳治とくじ元年がんねん1306ねん)12がつ20日はつか 外宮げくう 3かげつ延引えんいん
げんとおる3ねん1323ねん)9がつ16にち だい34かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 後醍醐ごだいご
正中せいちゅう2ねん1325ねん)9がつ16にち 外宮げくう
興国こうこく4ねん/かんひさし2ねん1343ねん)12月28にち だい35かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう こう村上むらかみ/光明こうみょう 1ねん延引えんいん
興国こうこく6ねん/貞和さだかず元年がんねん1345ねん)12月27にち 外宮げくう 1ねん延引えんいん
正平しょうへい19ねん/貞治さだはる3ねん1364ねん)2がつ16にち だい36かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう こう村上むらかみ/後光ごこうげん 2ねん延引えんいん
天授てんじゅ6ねん/かんれき2ねん1380ねん)2がつ8にち 外宮げくう こう亀山かめやま/こう円融えんゆう 16ねん延引えんいん
もとなか8ねん/明徳めいとく2ねん1391ねん)12がつ20日はつか だい37かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう こう亀山かめやま/こう小松こまつ 8ねん延引えんいん
おうひさし7ねん1400ねん)2がつ28にち 外宮げくう こう小松こまつ 1ねん延引えんいん
おうなが18ねん1411ねん)12月 だい38かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 1ねん延引えんいん
おうなが26ねん1419ねん)12月21にち 外宮げくう しょうこう
えいとおる3ねん1431ねん)12月28にち だい39かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう こう花園はなぞの 1ねん延引えんいん
えいとおる6ねん1434ねん)9がつ15にち 外宮げくう 4ねんげ。
ひろしただし3ねん1462ねん)12月27にち だい40かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 12ねん延引えんいん以降いこう長期ちょうき中断ちゅうだん
えいろく6ねん1563ねん)9がつ23にち 外宮げくう 正親町おおぎまち
天正てんしょう13ねん1585ねん 10月13にち だい41かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 3ねん延引えんいん以降いこう同年どうねんときぎょう常例じょうれいとなる。
10月15にち 外宮げくう
慶長けいちょう14ねん1609ねん 9月21にち だい42かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう こう陽成ようぜい 5ねん延引えんいん
9月27にち 外宮げくう
寛永かんえい6ねん1629ねん 9月21にち だい43かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう こう水尾みずお 以降いこう、20ねん周期しゅうきでのときぎょう常例じょうれいとなる。
9月23にち 外宮げくう
慶安けいあん2ねん1649ねん 9月25にち だい44かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 後光ごこうあきら
9月27にち 外宮げくう
寛文ひろふみ9ねん1669ねん 9月26にち だい45かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう れいもと
9月28にち 外宮げくう
天和てんわ3ねん1683ねん)3がつ10日とおか 臨時りんじ遷宮せんぐう[注釈ちゅうしゃく 5] 内宮ないくう
元禄げんろく2ねん1689ねん 9がつ10日とおか だい46かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 東山ひがしやま
9月13にち 外宮げくう
宝永ほうえい6ねん1709ねん 9月2にち だい47かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 中御門なかみかど
9月5にち 外宮げくう
とおる14ねん1729ねん 9月3にち だい48かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう
9月6にち 外宮げくう
寛延かんえい2ねん1749ねん 9月1にち だい49かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 桃園ももぞの
9月4にち 外宮げくう
明和めいわ6ねん1769ねん 9月3にち だい50かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう こうさくらまち
9月6にち 外宮げくう
寛政かんせい元年がんねん1789ねん 9月1にち だい51かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう ひかりかく
外宮げくう
文化ぶんか6ねん1809ねん 10月16にち だい52かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう
外宮げくう
文政ぶんせい12ねん1829ねん 9月2にち だい53かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 仁孝にんこう
9月5にち 外宮げくう
よしみひさし2ねん1849ねん 9月2にち だい54かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 孝明たかあき
9月5にち 外宮げくう
明治めいじ2ねん1869ねん 9月4にち だい55かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 明治めいじ
9月7にち 外宮げくう
明治めいじ22ねん1889ねん 10月2にち だい56かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう
10月5にち 外宮げくう
明治めいじ33ねん1900ねん)10がつ2にち 臨時りんじ遷宮せんぐう[注釈ちゅうしゃく 5] 内宮ないくう
明治めいじ42ねん1909ねん 10月2にち だい57かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう
10月5にち 外宮げくう
昭和しょうわ4ねん1929ねん 10月2にち だい58かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 昭和しょうわ
10月5にち 外宮げくう
昭和しょうわ28ねん1953ねん 10月2にち だい59かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 4ねん延引えんいん[注釈ちゅうしゃく 8]
10月5にち 外宮げくう
昭和しょうわ48ねん1973ねん 10月2にち だい60かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう
10月5にち 外宮げくう
平成へいせい5ねん1993ねん 10月2にち だい61かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう 上皇じょうこう
10月5にち 外宮げくう
平成へいせい25ねん2013ねん 10月2にち だい62かい式年しきねん遷宮せんぐう 内宮ないくう
10月5にち 外宮げくう

日付ひづけ1872ねん明治めいじ5ねん)までは旧暦きゅうれき太陰たいいん太陽暦たいようれき)。1873ねん明治めいじ6ねん)からは新暦しんれき太陽暦たいようれき)。

南北なんぼくあさ - 戦国せんごく時代じだい[編集へんしゅう]

南北なんぼくあさ時代じだいはいると、国政こくせい混乱こんらんにより延引えんいん常態じょうたいし、日付ひづけ当初とうしょ式日しきじつからずれ、完全かんぜん定例ていれいする。南北なんぼくあさ統一とういつ混乱こんらんつづき、えいとおる3ねん(1431ねん)のだい39かい遷宮せんぐう内宮ないくう)では、材木ざいもく調達ちょうたつ不足ふそくくわえて金物かなもの寸法すんぽうちがいもあり、社殿しゃでん完成かんせいしないまま遷宮せんぐう実施じっしし、一部いちぶ殿どのしゃ結局けっきょくみやつこがえされなかった。つづだい40かい遷宮せんぐうは、内宮ないくうについては、神宮じんぐうがわから朝廷ちょうていけて愁訴しゅうそかえ上奏じょうそうし、ひろしせい3ねん(1462ねん)、室町むろまち幕府ばくふだい8だい将軍しょうぐん足利あしかが義政よしまさ造営ぞうえい使大中おおなかしん秀忠ひでただ私費しひでもって、12ねん延引えんいん実現じつげんしたが、直後ちょくご勃発ぼっぱつした応仁おうにんらん幕府ばくふ分裂ぶんれつする事態じたいいたり、つづ外宮げくうについてはついにときぎょうのめどがたず、1世紀せいきにわたり遷宮せんぐう中絶ちゅうぜつ余儀よぎなくされた[14]

このあいだ殿しんがりしゃ荒廃こうはい一途いっとをたどり、湿気しっけにより建材けんざい装束しょうぞく神宝しんぽう湿しめそんし、神事しんじさいして神職しんしょく昇殿しょうでんすることすらあやぶまれる状態じょうたいになった。正規せいき遷宮せんぐうおこなえる状況じょうきょうではなく、かり殿しんがりへの一時いちじ動座どうざともな応急おうきゅう修繕しゅうぜん急場きゅうばをしのぐことが常態じょうたいしたが、あきらおう6ねん(1497ねん)には、内宮ないくうかり殿しんがり造営ぞうえいすることすらままならなくなった。勅許ちょっきょないまま、正殿せいでんがいよいよ倒壊とうかい目前もくぜん状態じょうたいになったため、神職しんしょく私費しひで「もうか殿しんがり」をてることを検討けんとうせざるをない状態じょうたいとなったが[注釈ちゅうしゃく 9]、このとき最終さいしゅうてきに、神宮じんぐうがわぜん経費けいひ負担ふたんすることを条件じょうけんに、かり殿しんがり造営ぞうえいみとめられた。さら外宮げくういたっては、文明ぶんめい18ねん(1486ねん)、山田やまだ合戦かっせん直接ちょくせつまれ、正殿せいでん戦火せんか炎上えんじょうするというゆう珍事ちんじいたった。やむなく神体しんたい古殿ふるどのうつされ、ここからさらにかり殿しんがりへの遷宮せんぐうかえして急場きゅうばをしのいだ[15]

復興ふっこう江戸えど時代じだい[編集へんしゅう]

遷宮せんぐう中断ちゅうだんしたまま1世紀せいきちかくが経過けいかしたのち、けいこういんせいじゅんが、宇治うじ大橋おおはし架橋かきょうたしたのを皮切かわきりに、式年しきねん遷宮せんぐう復興ふっこうす。内宮ないくうがわしんじゅん仏教ぶっきょう僧侶そうりょであることを理由りゆう難色なんしょくしめしたので、外宮げくうがわ了解りょうかいけて、しんじゅん全国ぜんこく戦国せんごく大名だいみょうしょしょうしょおくり、遷宮せんぐう奉納ほうのうもとめた。これがむすび、えいろく6ねん1563ねん)、内宮ないくう遷宮せんぐうから101ねんにして、外宮げくう遷宮せんぐうった。いでだい41かい遷宮せんぐうでは、しんじゅんあといだしゅうようしょ大名だいみょうはたらきかけ、足利あしかが将軍しょうぐんわって天下てんかじんとなった織田おだ信長のぶなが寄進きしんおこなう。造営ぞうえい開始かいし直後ちょくご本能寺ほんのうじへん横死おうしした信長のぶながわって天下てんか覇権はけんにぎった豊臣とよとみ秀吉ひでよしおなじくだい規模きぼ寄進きしんおこない、天正てんしょう13ねん1585ねん)、りょうみや式年しきねん遷宮せんぐう復活ふっかつした。このときりょうみや式年しきねん同年どうねんおこなはつれいとなり、その前後ぜんごをめぐってりょうみやあいだ意見いけん相違そういがみられた(伊勢神宮いせじんぐう遷宮せんぐう前後ぜんごしょうろん)。また、外宮げくう神宝しんぽうについては、内宮ないくうじゅんずるかたち品目ひんもく中断ちゅうだんまえ規定きていくらべて増加ぞうかしており、また、遷宮せんぐうさいしてきゅう神宝しんぽうつづ神宝しんぽうとしておさめて、点数てんすうえていたれい確認かくにんされている、

つづ天下てんかじんとなった徳川とくがわ家康いえやすのもとでの慶長けいちょう14ねん1609ねん)、だい42かい式年しきねん遷宮せんぐうにおいては、造営ぞうえいりょう3まんいし寄進きしんされ、山田やまだ奉行ぶぎょう指揮しきのもと、親藩しんぱん尾張おわりはん紀州きしゅうはんから用材ようざい調達ちょうたつされるなど、安定あんていてき式年しきねん遷宮せんぐうかえされるようになる。儀式ぎしき次第しだいについては、寛文ひろふみ9ねん1669ねん)のだい45かい式年しきねん遷宮せんぐうでほぼきゅうれいふくした。

古殿ふるどの[編集へんしゅう]

遷宮せんぐうされる社殿しゃでんは、おなひろさの敷地しきち左右さゆうならび、ふたつの敷地しきちに20ねん間隔かんかく交互こうご社殿しゃでんて、神体しんたいする。ふたつの敷地しきちうちかみ鎮座ちんざしていない、そら状態じょうたい社殿しゃでん敷地しきちは「(こでんち)」あるいは「(みしきち)」とばれる。

古来こらい古殿ふるどのかみとなりしん社殿しゃでんに遷御してからも、社殿しゃでん自体じたいつづ参拝さんぱいしゃ崇敬すうけい拝礼はいれいつづけており、神宮じんぐうがわも、とく古殿ふるどのまも神職しんしょくいていた。そして、つぎ遷宮せんぐうさいしてあたらしい社殿しゃでんてる直前ちょくぜんに、壊却されていた。この時点じてんでは、きゅう社殿しゃでんはそのひじりせいゆえに、原則げんそくとして次期じき遷宮せんぐうまで、建築けんちくからかぞえてやく40年間ねんかん存置そんちすることとされ、社殿しゃでん損傷そんしょう剥落はくらくられても早期そうきの壊却はおこなわれず、こころはしらにまで倒壊とうかいおそれがしょうじてはじめて、壊却がみとめられた[16]

そのため、敷地しきちには原則げんそく現在げんざいもちいられている社殿しゃでんとそのまえ古殿ふるどのならんでっていた。このあいだ現行げんこう社殿しゃでん不慮ふりょ火災かさい破損はそんなどによって臨時りんじ遷宮せんぐうおこなうことになったときには、社殿しゃでん再築さいちくまでのあいだ神体しんたい安置あんち場所ばしょとしてかり殿しんがりもうける必要ひつようがあるが、そのとき古殿ふるとのきゅう社殿しゃでんかり殿しんがりとしたれいがある[17]

明治めいじはいると、この慣例かんれいだい転換てんかんし、きゅう社殿しゃでんは遷御すみやかに壊却されるようになった。明治めいじ5ねん(1872ねん)、神宮じんぐうつかさちょうない検討けんとうにおいて、従前じゅうぜん古殿ふるどの存置そんちを「非常ひじょうそなえ」のためのものであったと解釈かいしゃくかえって失火しっかとき延焼えんしょうおそれがあるなどの理由りゆうにより、神祇じんぎしょうもうてをおこない、結果けっか、3ねんまえだい55かい遷宮せんぐうのこされていたきゅう社殿しゃでんが壊却された。一説いっせつには、神宮じんぐうつかさちょう神宮じんぐう大麻たいま頒布はんぷはじめるにあたり、撤下いにしえざいをもってその材料ざいりょうとした、とされる[18]

これ以降いこうきゅう社殿しゃでん遷宮せんぐうからほどなくして壊却されるようになり、りょう敷地しきちには原則げんそく現行げんこう社殿しゃでんと、次期じき社殿しゃでん建築けんちく更地さらちならつようになった。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 宇治橋うじばし式年しきねん遷宮せんぐうのときにえられるようになったのは明治めいじ時代じだい以降いこうである。
  2. ^ a b だい世界せかい大戦たいせん終了しゅうりょうの1949ねん実施じっしする予定よていであった式年しきねん遷宮せんぐうは、4ねん延期えんきされたが、宇治橋うじばし腐朽ふきゅう破損はそんはなはだしかったため、単独たんどくで20ねんみやつこがえした。この歴史れきしてき経緯けいいから、以降いこう式年しきねん遷宮せんぐうより4ねん前倒まえだおしで実施じっしされている。
  3. ^ 一説いっせつには天武天皇てんむてんのう15ねん686ねん)。
  4. ^ 一説いっせつにはもちすべ天皇てんのう元年がんねん687ねん)。
  5. ^ a b c d 正殿せいでん焼失しょうしつのため。
  6. ^ 外院げいんうまさんけがれのため。
  7. ^ 宮中きゅうちゅうきたなにより、こころはしらたてまつけん延期えんきしたため。
  8. ^ 太平洋戦争たいへいようせんそう敗戦はいせん社会しゃかい情勢じょうせい混乱こんらんのため。なお、宇治橋うじばしえのみ、式年しきねん実施じっしした[注釈ちゅうしゃく 2]
  9. ^ もうか殿しんがり」は勅許ちょっきょずに神宮じんぐうがわ独断どくだん建設けんせつされるものであり、本来ほんらい正殿せいでんかこ垣内かきうち建設けんせつすることはおそおおいことであり、さらにそのような非公式ひこうしきてき建物たてもの神体しんたいうつすこと自体じたいが、ありうべからざることであった。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 遷宮せんぐうについて 伊勢神宮いせじんぐう公式こうしきサイト(2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  2. ^ 全国ぜんこく10まんしゃ頂点ちょうてん鎮座ちんざ 比類ひるいなき伊勢神宮いせじんぐう威力いりょく」『週刊しゅうかんダイヤモンド』2016ねん4がつ16にちごう
  3. ^ レファレンス協同きょうどうデータベース「伊勢神宮いせじんぐうが、世界せかい遺産いさんにならないのはなぜか。」
  4. ^ 伊勢神宮いせじんぐうマメマメ知識ちしき「【NOのー.12】伊勢神宮いせじんぐう世界せかい遺産いさんになれないワケ」
  5. ^ a b 遷宮せんぐう刷新さっしん永遠えいえん伊勢神宮いせじんぐう 出雲いずも大社たいしゃ 2013ねん同時どうじに/日本人にっぽんじん宿やど生命せいめいかんう」日本経済新聞にほんけいざいしんぶん朝刊ちょうかん2012ねん11月17にち文化ぶんかめん)2022ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  6. ^ 遷宮せんぐう論集ろんしゅう』「さん造営ぞうえい用材ようざい供給きょうきゅうげん」(神社じんじゃ本庁ほんちょう、1995ねん3がつ31にち発行はっこう)473ページ
  7. ^ 神宮じんぐう式年しきねん遷宮せんぐう』「さん遷宮せんぐう行事ぎょうじ拡大かくだい杣山そまやま」(皇學館大学こうがくかんだいがく、1986ねん5がつ15にち発行はっこう)89ページ
  8. ^ 遷宮せんぐう論集ろんしゅう』「ろく神宮じんぐういきりん用材ようざい生産せいさん計画けいかく」479ページ
  9. ^ 遷宮せんぐう論集ろんしゅう』「はち神域しんいきりんはおおくの使命しめいっている」482ページ
  10. ^ 出荷しゅっかまで100ねん以上いじょう青森あおもりヒバ、天然てんねんりん復元ふくげん伊勢神宮いせじんぐう採用さいよう資源しげん枯渇こかつ. SankeiBiz. (2017ねん7がつ10日とおか). https://web.archive.org/web/20170712012136/http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/170710/cpd1707101721012-n1.htm 2018ねん1がつ24にち閲覧えつらん 
  11. ^ “<青森あおもりヒバ>天然てんねんりん復元ふくげん東北とうほく森林しんりん管理かんりきょく安定あんてい供給きょうきゅう目指めざ手入ていれや植林しょくりん強化きょうか. 河北かわきた新報しんぽう. (2017ねん7がつ29にち). http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201707/20170729_23038.html 2018ねん1がつ24にち閲覧えつらん 
  12. ^ 国宝こくほうきゅう伊勢神宮いせじんぐう神宝しんぽう 姫路ひめじ播磨はりまこく総社そうしゃ”. 神戸こうべ新聞しんぶん (2016ねん2がつ16にち). 2016ねん2がつ23にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2016ねん2がつ23にち閲覧えつらん
  13. ^ 鎮地さい神宮じんぐう会館かいかん崇敬すうけいかい
  14. ^ 中西なかにし, p. 41.
  15. ^ 中西なかにし, pp. 42–43.
  16. ^ 櫻井さくらい, pp. 221–226.
  17. ^ 櫻井さくらい, p. 220.
  18. ^ 櫻井さくらい, pp. 226–227.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 櫻井さくらい勝之かつゆきすすむ伊勢神宮いせじんぐうがた展開てんかい国書刊行会こくしょかんこうかい、1991ねん11月30にちISBN 4-336-03296-3 
  • 中西なかにし正幸まさゆき神宮じんぐう式年しきねん遷宮せんぐう歴史れきし祭儀さいぎ大明だいめいどう東京とうきょう千代田ちよだ、1995ねん11月23にちISBN 4-470-20042-5 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]