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『群書治要』(ぐんしょちよう)は、中国・唐代初期に、治世のための参考書として編まれた書籍である。太宗の奉勅撰。50巻。
春秋戦国時代より晋代に及ぶ67種の典籍から、治世の上で参考にすべき文言を抜き書きして、各典籍ごとに配列する体裁をとっている。引用書の中には散逸して完本で現存していないものも含まれるため、その資料的価値は高い。また、現存典籍であっても、現行本との異同を見る意味で重要である。
中国では早くに散逸してしまったが、日本に入ったものが金沢文庫に伝存していた(巻4、13、20を欠く)。現在、その本は、宮内庁書陵部に所蔵されている。元和2年(1616年)に、古活字本(駿河版)を用いて徳川家康が板行した。また、天明中(1781年 - 1789年)の尾張藩、弘化中(1844年 - 1848年)の紀州藩が、それぞれ駿河版に活字を補して板行している。1989年には金沢文庫本が影印出版された。
中国では、清代に日本で印刷された本が伝わり、阮元が入手して嘉慶帝に進上している。現存しない書籍を多数収録していることを阮元は高く評価し、明らかに唐初の書物であると判断している[1]。また、1990年代に日本の皇室関係者経由で写本を手に入れた習仲勲が研究を命じて『群書治要考訳』が刊行されている[2][3]。
※上記、2種とも、日本版本を底本としている。
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- 是沢恭三「群書治要について」(『東京国立博物館研究誌』110、1960年)
- 尾崎康「群書治要とその現存本」『斯道文庫論集』第25巻、慶應義塾大学、1991年3月31日、121-210頁、NAID 110000980612。