(Translated by https://www.hiragana.jp/)
エニセイ川 - Wikipedia コンテンツにスキップ

エニセイがわ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
エニセイがわ
エニセイ川 2006年7月4日撮影
クラスノヤルスク付近ふきん川岸かわぎし
クラスノヤルスクきょうシベリア鉄道てつどう鉄橋てっきょう)から
延長えんちょう 5,539 km
平均へいきん流量りゅうりょう 17,380 m3/s
流域りゅういき面積めんせき 2,700,000 km2
水源すいげん標高ひょうこう 3,351 m
河口かこう合流ごうりゅうさき エニセイわん英語えいごばん
流域りゅういき ロシアの旗 ロシア
モンゴルの旗 モンゴル
テンプレートを表示ひょうじ

エニセイがわ(エニセイがわ、イェニセイがわロシア: Енисе́й, トゥバ: Улуг-Хем, ハカス: Ким суғ, エヴェンキ: Ендэгӣ, ネネツ: ям', 英語えいご: Yenisei)は、ロシアながれる河川かせんである。北極ほっきょくかいなが最大さいだい水系すいけいで、世界せかいでもだい5ながである(オビがわを5,570キロメートルとした場合ばあいには世界せかいだい6)。流域りゅういき面積めんせきユーラシア大陸たいりく最大さいだい河川かせんでもある(バイカルみずふくめるとセントローレンスがわえて世界せかい最大さいだい水量すいりょうとなる)。

沿岸えんがんでは、木材もくざい石炭せきたんてつなどを産出さんしゅつし、それらの輸送ゆそうシベリアの河川かせん交通こうつう)にも使つかわれる[1]

名称めいしょう由来ゆらい

[編集へんしゅう]

イェニセイがわ文献ぶんけん初出しょしゅつとうだい中国ちゅうごくで7世紀せいきにさかのぼり、この地域ちいき古代こだいクルグスじんとの接触せっしょくになる。『しゅうしょ』50かんと『きた』99かんに「つるぎすい[2][3]が、『しんとうしょ』217かんに「けんかわ[4]がみえる。さらに14世紀せいきの『もと』63かんに「けんかわ[5]がみえる。これら漢文かんぶん資料しりょうは、イェニセイ川上かわかみりゅうへの南方なんぽうからの接近せっきんによるものであった。「つるぎ」(けん)と「けん」のかたりは、8世紀せいき突厥碑文ひぶんのケム(Käm)に比定ひていされている[6]。また、14世紀せいきの『しゅうオイラットつてにもケム كيم がみえる[7][8]さらに18世紀せいきにおいても中国ちゅうごく地図ちずでは、「ケム・ビラ」 ᡴᡝ᠊ᠮ᠊ᠠ
ᠪᡳ᠊ᡵᠠ
Kem bira(ケムがわ(イェニセイがわ))(かん熙56ねん(1717ねん完成かんせいかんひろしすめらぎ輿こしぜんらんだいいちはいごう)、「ケミ・ボム」ᡴᡝ᠊ᠮ᠊ᠠ

ᠪᠣ᠊ᠮ
Kem-i bom(ケムがわ(イェニセイがわ)の絶壁ぜっぺき)(雍正5ねん(1727ねん)もしくは雍正7ねん(1728ねん完成かんせい雍正じゅうはいさんはい西にしさん)、「かつかつきよし必拉(イフ・ケム・ビラ)」(だいケムがわ)(いぬいたかし25ねん(1769ねん完成かんせいいぬいたかしじゅうさんはい』(『いぬいたかしうち輿こし』)ろくはい西にし)と表記ひょうきされている[9]

その語源ごげんテュルク諸語しょご起源きげんとはかんがえられておらず[10]サモイェード諸語しょご由来ゆらい[11]考察こうさつされているが、はっきりしない。

現在げんざいにおいては、このかたり古代こだい上記じょうき言語げんごふか関係かんけいがあったとかんがえられているテュルク諸語しょごトゥバのヘム хем xemかわ[12]と、その姉妹しまいトファのヘム hем hemかわ[13]にのみのこっている。また、アルタイ共和きょうわこく河川かせんめいとして、~ケム (-кем -kem)が50以上いじょうみえ[14]アルタイにはこのかたりがない)、さらにハカスでイェニセイがわしめすキム Ким Kim(Ким суғ Kim suγがんまがかろうじてのこっており[15]、すべて現在げんざいトゥバ共和きょうわこくとその周辺しゅうへん分布ぶんぷかぎられている。

一方いっぽう、17世紀せいきのロシアじん北西ほくせいがわからこのかわ下流かりゅう到達とうたつした。その途上とじょう、1600ねんトボリスクコサックマンガゼヤとりでタズがわ流域りゅういききずいた。そのさい接触せっしょくしたどう地域ちいきのサモイェード諸語しょご母語ぼごとするいずれかの民族みんぞくからこのかわ直接的ちょくせつてき間接かんせつてきつたえられ、ロシアふうなまって「イェニセイ」として定着ていちゃくしたとかんがえられている[16]。また、イェニセイがわはすでに16世紀せいきまつオランダじん航海こうかいたちにはられており、ヒリシ “Gilissi”、ヘリシ “Gelissi”、ヘニサ “Geniscea”などと表記ひょうきれがのこっているものの、「イェニセイ」のおとちか表記ひょうきられている[17]とくに “Geniscea”は現代げんだいオランダ発音はつおんでは[xɛnisə]であり、かなりちかおとである。ロシア文献ぶんけんへの登場とうじょうはオランダより若干じゃっかんおそく、1600ねんには現在げんざいおなじ「イェニセイ Енисей Yenisei」のかたり登場とうじょうするようになった[18]。しかし、表記ひょうきれるオランダとはことなり、ロシアは17世紀せいきからそれほど表記ひょうきらいでおらず、せいぜい「イェニセヤ Енисея Yeniseya」、「イェニシャ Енися Yeniya」にとどまる[19]

「イェニセイ」の語源ごげんかんしては、はっきりしていない。

たとえば、著名ちょめい言語げんご学者がくしゃファスマー語源ごげん考察こうさつによると、おそらくカストレーン語彙ごいしゅう[20]参照さんしょうして、ガナサンの「イェンタイェア Jentajea」 “イェニセイがわ”、エネツの「イェドシ Jeddosi」 “イェニセイがわ”、セリクップの「ナンデスィ N'andesi」 “イェニセイがわ”に対応たいおうする同定どうていのサモイェード諸語しょごぞくする言語げんご由来ゆらいする、と結論けつろんした[21]。また、ニコーノフはセリクップハンティ、さらにはエベンキで「おおきなかわ」を意味いみする「イオンデシ иондесси iondessi」が語源ごげんであると主張しゅちょうしている[22]。さらに近年きんねん、イェニセイの語源ごげんを「古代こだいクルグス」(トゥバからの類推るいすいか)の「エネ(эне ene)」 “曾祖母そうそぼ”+「サイ(сай say)」 “砂利じゃり浅瀬あさせ” の合成ごうせいもとめる言説げんせつ[23]などもみえるようになっている。

しかしながら、上記じょうきの「考察こうさつ」はそれぞれの言語げんご辞書じしょ参照さんしょうしていない民間みんかん語源ごげんとどまっている(ファスマーをのぞいて)。信憑しんぴょうせいのある現代げんだい言語げんご資料しりょうもちいた考察こうさつや、史料しりょう利用りようした緻密ちみつ研究けんきゅうがおこなわれることが研究けんきゅうしゃ期待きたいされている[24]

歴史れきし

[編集へんしゅう]

モンゴルけい・テュルクけい民族みんぞくんでいたエニセイがわ流域りゅういきには、17世紀せいきごろからコサック進入しんにゅうしてきた。毛皮けがわもとめてウラル山脈さんみゃくえてオビがわ流域りゅういき西にしシベリア平原へいげん進出しんしゅつしていたコサックは、河川かせん利用りようしてシベリアを東西とうざい往復おうふくしながら次第しだいひがしへとすすんできた。16世紀せいきまつにはオビがわからひがしびるケチかわへコサックが要塞ようさいき、流域りゅういきケットじんヤサクロシアばん毛皮けがわみつぎおさめぜい)をし、ケチかわ源流げんりゅうからおかえてエニセイがわ流域りゅういき侵入しんにゅうした。17世紀せいき以降いこうにはエニセイスクアバカンスク、クラスヌイ・ヤール(クラスノヤルスク)などの要塞ようさい次々つぎつぎてられた。エニセイがわ流域りゅういきかね毛皮けがわ産地さんちとしてロシア帝国ていこくとみをもたらしたが、同時どうじ流刑りゅうけいでもあった。

流域りゅういき

[編集へんしゅう]

モンゴルからきたながれ、シベリア中央ちゅうおうつらぬき、北極ほっきょくかい一部いちぶであるエニセイわん英語えいごばんそそぐ。河口かこう川幅かわはば1 - 3キロメートルはばかわじゅうすうほんかれており、はば50キロメートルの三角州さんかくすになっている。

上流じょうりゅう急流きゅうりゅう洪水こうずいおおく、人口じんこう密度みつど非常ひじょうひくい。中流ちゅうりゅうにはいくつかの巨大きょだい水力すいりょく発電はつでんようダムが建設けんせつされており、ロシアの原料げんりょう生産せいさんぎょうささえている。その一部いちぶソビエト時代じだい強制きょうせい労働ろうどうによるものである。人口じんこう稀薄きはくタイガ地帯ちたいながれ、おおくの支流しりゅうあつめたのち、いちねん半分はんぶんこおりざされるツンドラ地帯ちたいけてカラうみそそぐ。近年きんねん流量りゅうりょう増加ぞうか傾向けいこうにあり、地球ちきゅう温暖おんだんによる永久えいきゅう凍土とうど融解ゆうかい要因よういんとして指摘してきされている。北極ほっきょくかい塩分えんぶん濃度のうど変化へんか地球ちきゅう規模きぼ影響えいきょうをもたらすおそれなどが懸念けねんされている。

上流じょうりゅう

[編集へんしゅう]
クズル付近ふきんにあるビー=ヘムがわとカー=ヘムがわ合流ごうりゅうてん

エニセイがわふたつのおもみなもとはっする。

エニセイがわはサヤン山脈さんみゃくなどにかこまれるミヌシンスク盆地ぼんち[25]はいり、アバカンがわオヤかわロシアばんトゥバがわ英語えいごばんなどのかわあつめる。この付近ふきんでのかわ沿いのおおきなまちにはミヌシンスクアバカンクラスノヤルスクなどがある。

バイカル

[編集へんしゅう]
エニセイがわ流域りゅういき

ながさ320キロメートルで部分ぶぶんてき航行こうこう可能かのううえアンガラがわ(Upper Angara)は、ブリヤート共和きょうわこくながれてバイカル北端ほくたんながむ。なお、バイカル流入りゅうにゅうする最長さいちょう河川かせんはモンゴルに源流げんりゅうをもち、みずうみ南東なんとうがわ三角州さんかくす形成けいせいしてながながさ992キロメートルのセレンガかわである。その最大さいだい支流しりゅうはモンゴル中部ちゅうぶハンガイ山脈さんみゃく東麓ひがしふもとからながれる。その支流しりゅうには、モンゴルの首都しゅとウランバートルながれるトーラがわ(Tuul)、フブスグルからの唯一ゆいいつ流出りゅうしゅつ河川かせんであるエグかわ(エギーンがわ、Egiin Gol)などがある。

アンガラがわ

[編集へんしゅう]

アンガラがわАнгара́、Angara)はバイカルからながながさ1,840キロメートルのかわで、この地方ちほう中心ちゅうしん都市としであるイルクーツクて、エニセイがわにはストレルカ(Strelka、北緯ほくい5810ふん東経とうけい9299ふん)で合流ごうりゅうする。アンガラがわには4かしょダムがあり、この地方ちほう産業さんぎょうのために電力でんりょく供給きょうきゅうしている。イルクーツクにある44メートルのダムには出力しゅつりょく650MW発電はつでんしょがある。500キロメートル下流かりゅうブラーツクには1960年代ねんだいに124メートルのブラーツクダム完成かんせいし、出力しゅつりょく4,500MWの発電はつでんしょつくられ、ダムみずうみはその形状けいじょうから「りゅうみずうみ」とばれている。ひがしサヤン山脈さんみゃくきたふもとはっする支流しりゅうオカがわとイヤかわが「りゅう」のりょうあごを形成けいせいし、アンガラがわが400キロメートルにおよぶなが形成けいせいする。250キロメートル下流かりゅうウスチ=イリムスクにはおなじくらいのおおきさのあたらしいダムがあり(ここで合流ごうりゅうする支流しりゅうのイリムがわにもおおきなダムがある)、さらに400キロメートル下流かりゅうのボグチャニにもダムがある。さらにあたらしいダムをつく計画けいかくもあるが、環境かんきょうへの影響えいきょうおおきさから反対はんたいこえがあり、建設けんせつ予算よさんがついていない。

拡大かくだいつづけるひがしシベリア石油せきゆ産業さんぎょう中心ちゅうしんユコスだい精油せいゆしょ所在地しょざいちアンガルスクは、イルクーツクの50キロメートル下流かりゅう位置いちする。おおきなパイプラインが西にしび、さらに日本海にほんかいきしナホトカ日本にっぽんけの石油せきゆ輸送ゆそうするパイプラインも建設けんせつされようとしている。ひがしシベリアの埋蔵まいぞう資源しげん限度げんどはまだあきらかではなく、イルクーツクのきた200キロメートルのコヴィクチンスコエ(コビクタ、Kovyktinskoye)、およびイルクーツクのきた500キロメートルの中央ちゅうおうシベリア高原こうげんにあるヴェルフネチョンスコエ(ベルフネチ、Verkhnechonskoye)などおおきなガス油田ゆでん開発かいはつ途上とじょうにあり、ひがしアジアへの輸出ゆしゅつ期待きたいされている。

しもエニセイ

[編集へんしゅう]
クラスノヤルスクきょう(クラスノヤルスク付近ふきんでエニセイがわわた鉄道てつどうきょう
ドゥディンカ付近ふきんのツンドラ地帯ちたい

エニセイがわとアンガラがわがストレルカで合流ごうりゅうしたのちだいカズがわ(Great Kaz)が300キロメートル下流かりゅう合流ごうりゅうする。このかわは、オビがわ支流しりゅうケートがわ(ケチがわ、Ket)と、オビ・エニセイ運河うんがむすばれていたことが特筆とくひつされる。エニセイがわはばひろくなり、かわには無数むすう中州なかす出現しゅつげんし、おおくの支流しりゅう合流ごうりゅうしてながれはおおきくなる。とくおおきな支流しりゅうは、ながさ1,800キロメートルをえるポドカメンナヤ・ツングースカがわ、および3,000キロメートルちかながさのニジニャヤ・ツングースカがわという右岸うがんがわの2つの大河たいがで、いずれもひがし中央ちゅうおうシベリア高原こうげんからながれている。これらのかわ上流じょうりゅうたるツングースカ地方ちほうツングースカだい爆発ばくはつられるが、現在げんざい石油せきゆ天然てんねんガス探査たんさ開発かいはつすすんでいる。ニジニャヤ・ツングースカがわとの合流ごうりゅうてんぎると、エニセイがわ北極圏ほっきょくけんはいり、ツンドラ地帯ちたいひろがる。

エニセイがわとし半分はんぶん以上いじょう凍結とうけつする。なにもしないと無数むすうこおりかわをせきめて洪水こうずい発生はっせいしてしまうため、爆発ばくはつぶつ使つかこおりばしみずなが作業さぎょうおこなわれる。ドゥディンカは、クラスノヤルスク定期ていき客船きゃくせんむすばれる最下さいかりゅう港町みなとちょうである。河口かこうさきでははば50キロメートル、ながさ250キロメートルのエニセイわん形成けいせいされている。この部分ぶぶんでは砕氷さいひょうせん航路こうろ確保かくほするために使つかわれる。

こおりには北極ほっきょくへのりゅうこおりゆかざされていた。くわしいことはまだかっていないが、最終さいしゅうごおりにはエニセイがわやオビがわ西にしシベリア低地ていちおおうほどの巨大きょだいみずうみ西にしシベリア氷河ひょうが)にながんでいたとみられる。また、このみずうみみず北極ほっきょくかいられないため、最終さいしゅうてきには黒海こっかいかっていたとかんがえられている。

河口かこうブレホフスキー諸島しょとうロシアばんがあり、一帯いったいアオガンコレゴヌスぞく英語えいごばんシベリアチョウザメ英語えいごばんホッキョクギツネ生息せいそくである。1994ねんラムサール条約じょうやく登録とうろくとなった[26]

支流しりゅう

[編集へんしゅう]
クラスノヤルスク付近ふきんでのエニセイがわクラスノヤルスクきょうから西側にしがわのぞ

下流かりゅうより記載きさい

河川かせん施設しせつ

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ エニセイがわhttps://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%83%8B%E3%82%BB%E3%82%A4%E5%B7%9D 
  2. ^ れいきつねとく棻等せんしゅうしょ』1971 中華ちゅうかしょきょく; 908.
  3. ^ 延壽えんじゅせんきた』1974 中華ちゅうかしょきょく; 3286.
  4. ^ そう濂撰『しんとうしょ』1975中華ちゅうかしょきょく; 6148.
  5. ^ そう濂撰『もと』1976中華ちゅうかしょきょく; 1574.
  6. ^ Thomsen V. 1896 Inscriptions de l'Orkhon. la Société de Littérature Finnoise, Helsingfors.: 100, 123, 140.
  7. ^ Хетагуров Л. А., Семенов А. А. 1952 Рашид-Ад-Дин Сборник летописей. Том 1-1 // Ленинград : Издательство Академии Наук СССР с. 118.
  8. ^ 金山かなやまあゆみ・赤坂あかさか恒明つねあき 2022『『あつまり』「モンゴル部族ぶぞくへん訳注やくちゅう風間かざま書房しょぼう、159ページ.
  9. ^ ひろし前進ぜんしん(2007):〈かん熙、雍正、いぬいたかし三朝全國總圖的繪製〉(だいじょ),《きよし廷三だい實測じっそくぜんしゅう》,そとぶん出版しゅっぱんしゃ.
  10. ^ Hambis L. 1956 “Notes sur Käm, nom de l'Yenissei supérieur.” Journal Asiatique, vol. 244, 281‒300.
  11. ^ Vásáry I. 1971 “Käm, an Early Samoyed Name of Yenisey,” L. Legeti (ed.) Studia Turcica, Budapest: Akademiai Kiado, 469‒482.
  12. ^ Тенишев Э.Р., Тувинско-русский словарь: около 22 000 слов // Москва : Советская энциклопедия. 1968. с. 473.
  13. ^ Рассадин В. И., Словарь тофаларско-русский и русско-тофаларский // Санкт-Петербург : Дрофа. 2005. с. 55.
  14. ^ Молчанова О. Т., Топонимический словарь Горного Алтая // Горно-Алтайское отделение Алтайского книжного издательства. 1979. С. 55—62.
  15. ^ Чанков Д. И., Русско-хакасский словарь: 31000 слов // Государственное издательство иностранных и национальных словарей. 1961. с. 960.
  16. ^ Müller G. F. 1778 Sammlung rußischer Geschichte des Herrn Collegienraths Müllers in Moscow; S. 517‒518.
  17. ^ Бурыкин А. А. 2011 Енисей и Ангара. К истории и этимологии названий гидронимов и изучению перспектив формирования географических представлений о бассейнах рек Южной Сибири // Новые исследования Тувы. 2011, № 2—3. с. 286.
  18. ^ Бурыкин 2011, с. 282.
  19. ^ Русско-китайские отношения в XVII веке. Том 1 1608—1683 // Наука. 1969. с. 594.
  20. ^ Castrén, M. 1855 Wörterverzeichnisse aus den samojedischen Sprachen. S. 52, 83, 141, 238.
  21. ^ Vasmer M. J. Этимологический словарь русского языка. Том 1 (А—Д) // М. Прогресс. 1964 [1950—1958]. с. 20.
  22. ^ Никонов В. К., Краткий топонимический словарь. // М. Мысль 1966. с. 136.
  23. ^ https://books.google.co.jp/books?id=SkRyAwAAQBAJ&pg=PA51&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false .
  24. ^ Бурыкин 2011 С. 279—304.
  25. ^ 青銅器せいどうき時代じだいさかえたアファナシェヴォ文化ぶんか紀元前きげんぜん3500ねん - 紀元前きげんぜん2500ねんころ)や、タガール文化ぶんか(ミヌシンスク遺跡いせき紀元前きげんぜん3000ねんころ)でられる。巨大きょだいクルガン発見はっけんされたため、クルガン仮説かせつとの関係かんけい提唱ていしょうされている。
  26. ^ Brekhovsky Islands in the Yenisei Estuary | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (1997ねん1がつ1にち). 2023ねん4がつ4にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]