もと

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もと』(げんし)は、もと大元おおもとウルス)についてかれた歴史れきししょ正史せいし)。

きよしいぬいたかしみかどさだめたじゅうよんいち編纂へんさんしゃそうこうあきらなど。本紀ほんぎ47、ひょう8、こころざし58、列伝れつでん97のけい210かんからなる紀伝きでんたい成立せいりつあきら1369ねんひろしたけ3ねん)。収録しゅうろく年代ねんだいチンギス・カンイェケ・モンゴル・ウルス(モンゴル帝国ていこく建国けんこくした1206ねんから、じゅんみかどトゴン・テムルだい放棄ほうきした1367ねんまで。

拙速せっそく編纂へんさんにより誤謬ごびゅう重複じゅうふく脱漏だつろうおおいことがはやくよりられており、考証こうしょうがくものぜにだいが「古今ここんふみるのすみやかなる、いまもとものあらず。しかしてぶん陋劣ろうれつもまた、もとものなし」とひょうするなど、しんだいにはすでじゅうよんなかもっと完成かんせいひくいとの評価ひょうかさだまっていた。そのためおおくの歴史れきしによって『もと改訂かいていこころみがなされており、その集大成しゅうたいせい20世紀せいき編纂へんさんされた『新元しんもと』であった。

編纂へんさん過程かてい[編集へんしゅう]

前年ぜんねん皇帝こうてい即位そくい大元おおもとウルスを華北かほくからとしたひろしたけみかどひろし2ねん1368ねん)2がつ1にちみことのりすと、そう主幹しゅかんとして『もと』の編纂へんさんはじめた[1][2]半年はんとしの8がつ一旦いったん最初さいしょ編纂へんさんわったが、元朝がんちょう最後さいご皇帝こうていじゅんみかど本紀ほんぎがないといった問題もんだいてん指摘してきされ、ひろし3ねん2がつ編纂へんさん再開さいかい[3]、8がつ完成かんせい[4]編纂へんさんたずさわったそう濂・こうけいらはいずれも当代とうだい一流いちりゅう文人ぶんじんであったが、『もと』にはおおくの問題もんだいてんがあった。その原因げんいんとしてだいいちに、あかり成立せいりつして即座そくざ編纂へんさんおこなわれたことがげられる。普通ふつう正史せいし編纂へんさんには恣意しいてきなものがじらないように、100ねん程度ていど間隔かんかくをおいてからおこなうのがいとされる。だいに、開始かいしから1ねんはんというごく短時間たんじかんにて完成かんせいしたことがげられる。そのつぎ正史せいしである『あかり』が94ねんという、歴代れきだいでも最長さいちょう時間じかんをかけたのとはこう対照たいしょうである。

ひろしたけみかどがここまで編纂へんさんいそいだのは、かんぞく王朝おうちょう復興ふっこうしたという立場たちばから、夷狄いてき王朝おうちょうであるもと一刻いっこくはや過去かこ存在そんざいとなすと、みずからの正当せいとうせい誇示こじしたかったゆえと推察すいさつされる。

はら史料しりょう[編集へんしゅう]

本紀ほんぎ(『元朝がんちょう実録じつろく[編集へんしゅう]

すすむもとひょう』には「うえふとし(チンギス・カン)よりしたやすしそう(リンチンバル・カアン)まで、じゅうさんあさ実録じつろくぶんひゃくかんあまりのかんす」とあり、『もと』の雛形ひながたが「じゅうさんあさ実録じつろく」すなわちふとしふとしむね定宗さだむねけんむねせいなるむねたけはじめじんむねえいむねやすしていみかどあきらむねぶんむねやすしむね元朝がんちょう歴代れきだい実録じつろくはら史料しりょう編纂へんさんされたものであったとわかる。

元朝がんちょう実録じつろくクビライの治世ちせい編纂へんさんはじまったがクビライの存命ぞんめいちゅうには完成かんせいせず、なりむねテムルの治世ちせいはじめて『実録じつろくならびに『ふとし実録じつろく』・『ふとしそう実録じつろく』・『定宗さだむね実録じつろく』・『睿宗実録じつろく』・『けんそう実録じつろく』が完成かんせいした[5][6]以後いご元朝がんちょう歴代れきだい皇帝こうてい前代ぜんだい皇帝こうてい実録じつろく編纂へんさんするのが慣例かんれいとなり、明朝みょうちょう時代じだいには「じゅうさんあさ実録じつろく」がのこされるにいたった。

この『元朝がんちょう実録じつろく』は散逸さんいつして現存げんそんしていないが、『もとかく本紀ほんぎかく実録じつろく』の性格せいかくをそのままいでいるであろうことはおおくの研究けんきゅうしゃ指摘してきしている。すなわち、かくあさ実録じつろく』はこん上帝じょうてい先帝せんてい事蹟じせきまとめて編纂へんさんさせるものであるため、基本きほんてきに「げん政権せいけんにとって都合つごうわる事実じじつしるされない」という共通きょうつうてんゆうしており、『もと』のかく本紀ほんぎもこの特徴とくちょう継承けいしょうしている。1れいげると、えいむね政権せいけんによって編纂へんさんされた『ひとしそう実録じつろく』をもととする「ひとしそう本紀ほんぎ」は、「ひとしむね息子むすこえいむね即位そくいさせるため、たけはじめ諸子しょしあかりむねぶんむね)を冷遇れいぐう排除はいじょした」事実じじつ徹底的てっていてき排除はいじょして編纂へんさんされているが、ぎゃくぶんむね政権せいけんによって編纂へんさんされたえいむねからあかりむねの『実録じつろく』をもとにする本紀ほんぎはそのあいだ経緯けいいつつかくさずしるしている[7]

また、当然とうぜんのことながら最後さいご皇帝こうていウカアト・カアン(じゅんみかどトゴン・テムル)には『実録じつろく』が存在そんざいせず、そのためだいいち編纂へんさんのち編纂へんさんかん各地かくち採録さいろく収集しゅうしゅうした資料しりょうもと編纂へんさんされている。このような編纂へんさん経緯けいいのため「じゅんみかど本紀ほんぎ」は本紀ほんぎくらべて記述きじゅつ一貫いっかんせいがなく、書物しょもつ比較ひかく検討けんとうなしに記事きじあいだ脈絡みゃくらく見出みいだすことはほとんど不可能ふかのうひょうされている[8]

こころざし/ひょう(『経世けいせい大典たいてん[編集へんしゅう]

もとまき97こころざし47しょく貨志5には「(もとの)『しょく貨』のまえは『経世けいせい大典たいてん』にって19の項目こうもく項目こうもくせており、てんれき以前いぜんについては記載きさい詳細しょうさいである……」とあるように[9]、『もと』のこころざしるいだい部分ぶぶんてんれき2ねんのジャヤガトゥ・カアン(ぶんそうトク・テムル)即位そくい記念きねん出版しゅっぱんされた『経世けいせい大典たいてん』を主要しゅよう史料しりょうげんとして編纂へんさんされている。

経世けいせい大典たいてん』も『元朝がんちょう実録じつろく』と同様どうよう散逸さんいつして現存げんそんしていないが、その一部いちぶが『永楽えいらく大典たいてんちゅうに「站赤」や「こげうん」といった項目こうもく記録きろくされている。『永楽えいらく大典たいてん所収しょしゅうの「站赤」と『もとまき101へいこころざし4「站赤」を比較ひかくすると、後者こうしゃ前者ぜんしゃ文章ぶんしょう一部いちぶ語句ごくえるのみでそのまま引用いんようしているが、その分量ぶんりょう前者ぜんしゃの30ぶんの1程度ていどぎない。そのため、『もと』のこころざしとは、『経世けいせい大典たいてん』の記載きさいすうじゅうぶんいち程度ていど抄録しょうろくしたものであるとかんがえられている。

評価ひょうか[編集へんしゅう]

17世紀せいき以降いこう清朝せいちょう統治とうち中国ちゅうごくでは考証こうしょうがくさかんとなり、『もと』にたいしても顧炎たけしちょうつばさぜにだい邵遠ひらたげんだたる考証こうしょう学者がくしゃ批評ひひょうおこなった。

評価ひょうかてん[編集へんしゅう]

列伝れつでん配置はいち[編集へんしゅう]

しんはつ考証こうしょう学者がくしゃぜにだい昕が最初さいしょ指摘してきしたてんであり、『もと』の列伝れつでんこうむ古人こじん色目いろめじん漢人かんどじゅん編纂へんさんされていることを評価ひょうかするもの。モンゴル帝国ていこくおよだいもとウルスは前代ぜんだいるいない世界せかい帝国ていこくであり、非常ひじょう多種たしゅ多様たよう地域ちいき出身しゅっしん人物じんぶつ臣下しんかとしてつかえていた。そのてんまえ、『もと』の列伝れつでんではだい5かんからだい32かんまでがこうむ古人こじん色目いろめじんだい33かんからだい73かんまでを漢人かんどみなみじんにあてている。なお、列伝れつでんが「后妃こうひ列伝れつでん-睿宗・ひろしむね顕宗けんそうじゅんそうつたえ」からはじまる構成こうせいであることを評価ひょうかする意見いけん存在そんざいする[10]

直訳ちょくやくたい漢文かんぶん採録さいろく[編集へんしゅう]

しんだい考証こうしょう学者がくしゃたちからは批判ひはんてんとして認識にんしきされていたが、近年きんねんのモンゴル研究けんきゅうしゃからはむしろ評価ひょうかてんとしてられるようになったもの。13世紀せいきから14世紀せいきにかけてモンゴル帝国ていこくでは「モンゴル世界せかい共通きょうつうとする」という目標もくひょうした征服せいふくしたしょ民族みんぞく言語げんご翻訳ほんやく環境かんきょう整備せいびしていた。その過程かてい中国ちゅうごく方面ほうめん導入どうにゅうされたのが「モンゴル直訳ちょくやくたい漢文かんぶん」で、とくにクビライの治世ちせい以後いご文章ぶんしょう定型ていけいすすめられたものを「大元おおもとウルス書式しょしき」とも呼称こしょうする。

「モンゴル直訳ちょくやくたい」はモンゴル文章ぶんしょうをモンゴル特有とくゆう語句ごく語順ごじゅんたもったたまま漢文かんぶん翻訳ほんやくした特殊とくしゅ文章ぶんしょうで、モンゴル漢語かんご双方そうほうつうじているものならばもととなるモンゴル文章ぶんしょうをある程度ていど復元ふくげん可能かのうという特徴とくちょうつ。反面はんめん一般いっぱんてき漢文かんぶん知識ちしきではまっためない文章ぶんしょうとなっており、伝統でんとうてき漢文かんぶん教養きょうようゆうする考証こうしょう学者がくしゃたちはこのような文章ぶんしょうを「ぶんひな俚をごくむ」とさげすんだ。ぎゃくに、近年きんねんのモンゴル学者がくしゃにとって直訳ちょくやくたい当時とうじのモンゴル原文げんぶん類推るいすい可能かのう貴重きちょう資料しりょうであり、研究けんきゅう対象たいしょうとして注目ちゅうもくされている。

もと』に記載きさいされる直訳ちょくやくたいもっと著名ちょめいれいまき29やすしていみかど本紀ほんぎの「即位そくいみことのり」であり、実際じっさい杉山すぎやま正明まさあきはこの文章ぶんしょう考察こうさつし、だい部分ぶぶんのモンゴル原文げんぶんあきらかにしている。これ以外いがいにも、かく本紀ほんぎ実録じつろく性格せいかくいでいるてんなど、はら史料しりょう文体ぶんたい統一とういつせずにそのままうつしているてんがかえって史料しりょう価値かちたかさをんでいるとされるてんがしばしばある[11]

批判ひはんてん[編集へんしゅう]

列伝れつでん重複じゅうふく[編集へんしゅう]

どう一人物いちじんぶつおもにモンゴルじん)についてあやまって2つの列伝れつでんててしまうことで、『もと』にたいする批判ひはんなかでももっともよくられるもの。このようなあやまりがしょうじるのは、かん民族みんぞく人名じんめい漢字かんじ転写てんしゃするさい多数たすう表記ひょうき方法ほうほうがあるのにたいし、編纂へんさんかんがこれをどう一人物いちじんぶつ認識にんしきできず別人べつじんとしてあつかってしまったためとかんがえられる。また、同様どうよう理由りゆうで『もと』は本紀ほんぎ列伝れつでん人名じんめい表記ひょうき統一とういつまったくなされていないため、いまなお対応たいおうする人名じんめい不明ふめい人物じんぶつおおい。

一般いっぱんてきには以下いかの3れい列伝れつでん重複じゅうふくとしてられている。

  • もとまき121列伝れつでん8の「はやだい」とまき122列伝れつでん9の「ゆきだい」(よんいぬ一人ひとりスブタイのこと)
  • もとまき131列伝れつでん18の「かんしゃ」とまき133列伝れつでん20の「かんしゃ抜都」(キプチャクじんオルジェイトゥ・バアトルのこと)
  • もとまき150列伝れつでん37の「いし抹也さき」とまき152列伝れつでん39の「いし抹阿からし」(キタイじんせき抹姓のエセンのこと)

また、以下いかの2れいどう一人物いちじんぶつ列伝れつでんでこそないものの、親族しんぞくどうしであるためにほとんど内容ないよう重複じゅうふくしていると指摘してきされている。

  • もとまき121列伝れつでん10ちょくだっでんまき133列伝れつでん20ゆるがせ剌出でんゆるがせ剌出はちょくだっしたがえにあたる)
  • もとまき132列伝れつでん19くいゆるがせおもえでんまき135列伝れつでん22おもねこたえあかでんおもねこたえあかくいゆるがせおもえ息子むすこにあたる)

[12]

宗室そうしつけいひょう不備ふび[編集へんしゅう]

しんだい考証こうしょうがくではあまり指摘してきされてこなかったが、『しゅう』や『ぞく』といったペルシア史料しりょうとの比較ひかく検討けんとう可能かのうとなった20世紀せいき後半こうはん以後いご指摘してきされるようになったもの。『ぞく』などの系譜けいふ史料しりょう比較ひかくしたとき、「宗室そうしつけいひょう」にはあまりにも問題もんだいてんおおいため、杉山すぎやま正明まさあきは「これにもとづいて、大元おおもとウルス治下ちかしょおうみつる正確せいかく把握はあくすることなど、ほとんど不可能ふかのうごとちかい」とさえしょうしている[13]

  • 根拠こんきょのない系譜けいふ創作そうさく
    ジョチ、チャガタイ、フレグといった、いわゆる「西方せいほう3ハンこく」の系図けいずにみられるもので、事実じじつもとづかない系図けいず創作そうさくされている。はなはだしいのはジョチ系図けいずうけらあか太子たいし)でバトゥ(抜都)、サルタク(撒里こたえ)、モンケ・テムルせわし哥帖)、トダ・モンケだつだっこうむ哥)、トクタだつだっ)、ウズベクつきそくべつ)らジョチ・ウルス歴代れきだい当主とうしゅすべ兄弟きょうだい関係かんけいにあるとしている。まるところ、これらの系図けいず本紀ほんぎ列伝れつでん(ジョチ場合ばあいまき107うけらあかでん)に散見さんけんする人名じんめいなん根拠こんきょもなく、恣意しいてきにつなぎあわせたものにぎないとえる。
  • どう一人ひとりめいちが
    トクト、テムルといったモンゴルじんあいだではありふれた人名じんめいでよくられるもので、おな名前なまえだが実際じっさいにはことなる人物じんぶつちがえてしまうもの。以下いかのような事例じれい指摘してきされている。
    1. ジョチ系図けいずうけらあか太子たいし)のやすし粛王トクト(だつだっ)、粛王コンチェク(ひろしとおる父子ふし:ジョチのトクタとチャガタイけいチュベイ王家おうけ人物じんぶつちがえている。
    2. トゥルイけいソゲドゥ系図けいずとし哥都大王だいおう)の荊王トク・テムル(だつだつ)、荊王イェス・エブゲン(也速けん父子ふし:ソゲドゥトク・テムルとオゴデイけいコデントク・テムルちがえている。
  • まった関係かんけいのない系図けいず挿入そうにゅう
    ある家系かけいまった関係かんけいのないべつ家系かけいがいりざってしまうもの。たとえばチンギス・カンの庶子しょしコルゲンの家系かけいだい5、だい6世代せだいまった関係かんけいのない家系かけいざりこんだものであるとかんがえられている。また、前述ぜんじゅつしたどう一人ひとりめい別人べつじんちがえた箇所かしょからべつ家系かけい挿入そうにゅうされるという事例じれいもある。

内容ないよう[編集へんしゅう]

本紀ほんぎ[編集へんしゅう]

まき まきだい 節目ふしめ
まき1 本紀ほんぎだい1 ふとし ふとしテムジン/チンギス・カン
まき2 本紀ほんぎだい2 ふとしむね 定宗さだむね ふとしそうオゴデイ・カアン定宗さだむねグユク・カン
まき3 本紀ほんぎだい3 けんむね けんそうモンケ・カアン
まき4 本紀ほんぎだい4 せい1 クビライ/セチェン・カアンなかみつる元年がんねん1260ねん) - ちゅうすべ2ねん1261ねん))
まき5 本紀ほんぎだい5 せい2 クビライ/セチェン・カアン(ちゅうすべ3ねん1262ねん) - いたりもと元年がんねん1264ねん))
まき6 本紀ほんぎだい6 せい3 クビライ/セチェン・カアン(いたりもと2ねん1265ねん) - いたりもと6ねん1269ねん))
まき7 本紀ほんぎだい7 せい4 クビライ/セチェン・カアン(いたりもと7ねん1270ねん) - いたりもと9ねん1272ねん))
まき8 本紀ほんぎだい8 せい5 クビライ/セチェン・カアン(いたりもと10ねん1273ねん) - いたりもと12ねん1275ねん))
まき9 本紀ほんぎだい9 せい6 クビライ/セチェン・カアン(いたりもと13ねん1276ねん) - いたりもと14ねん1277ねん))
まき10 本紀ほんぎだい10 せい7 クビライ/セチェン・カアン(いたりもと15ねん1278ねん) - いたりもと16ねん1279ねん))
まき11 本紀ほんぎだい11 せい8 クビライ/セチェン・カアン(いたりもと17ねん1280ねん) - いたりもと18ねん1281ねん))
まき12 本紀ほんぎだい12 せい9 クビライ/セチェン・カアン(いたりもと19ねん1282ねん) - いたりもと20ねん1283ねん))
まき13 本紀ほんぎだい13 せい10 クビライ/セチェン・カアン(いたりもと21ねん1284ねん) - いたりもと22ねん1285ねん))
まき14 本紀ほんぎだい14 せい11 クビライ/セチェン・カアン(いたりもと23ねん1286ねん) - いたりもと24ねん1287ねん))
まき15 本紀ほんぎだい15 せい12 クビライ/セチェン・カアン(いたりもと25ねん1288ねん) - いたりもと26ねん1289ねん))
まき16 本紀ほんぎだい16 せい13 クビライ/セチェン・カアン(いたりもと27ねん1290ねん) - いたりもと28ねん1291ねん))
まき17 本紀ほんぎだい17 せい14 クビライ/セチェン・カアン(いたりもと29ねん1292ねん) - いたりもと31ねん1294ねん))
まき18 本紀ほんぎだい18 なりむね1 なりむねテムル/オルジェイトゥ・カアンいたりもと31ねん1294ねん) - げんさだ元年がんねん1295ねん))
まき19 本紀ほんぎだい19 なりむね2 なりむねテムル/オルジェイトゥ・カアン(げんさだ2ねん1296ねん) - 大徳だいとく2ねん1298ねん))
まき20 本紀ほんぎだい20 なりむね3 なりむねテムル/オルジェイトゥ・カアン(大徳だいとく3ねん1299ねん) - 大徳だいとく6ねん1302ねん))
まき21 本紀ほんぎだい21 なりむね4 なりむねテムル/オルジェイトゥ・カアン(大徳だいとく7ねん1303ねん) - 大徳だいとく11ねん1307ねん))
まき22 本紀ほんぎだい22 たけはじめ1 たけはじめカイシャン/クルク・カアン大徳だいとく11ねん1307ねん) - 至大しだい元年がんねん1308ねん))
まき23 本紀ほんぎだい23 たけはじめ2 たけはじめカイシャン/クルク・カアン(至大しだい2ねん1309ねん) - 至大しだい4ねん1311ねん))
まき24 本紀ほんぎだい24 じんむね1 じんむねアユルバルワダ/ブヤント・カアン至大しだい4ねん1311ねん) - すめらぎけい2ねん1313ねん))
まき25 本紀ほんぎだい25 じんむね2 じんむねアユルバルワダ/ブヤント・カアン(のべゆう元年がんねん1314ねん) - のべゆう3ねん1316ねん))
まき26 本紀ほんぎだい26 じんむね3 じんむねアユルバルワダ/ブヤント・カアン(のべゆう4ねん1317ねん) - のべゆう7ねん1320ねん))
まき27 本紀ほんぎだい27 えいむね1 えいむねシデバラ/ゲゲーン・カアンのべゆう7ねん1320ねん) - いたり元年がんねん1321ねん))
まき28 本紀ほんぎだい28 えいむね2 えいむねシデバラ/ゲゲーン・カアン(いたり2ねん1322ねん) - いたり3ねん1323ねん))
まき29 本紀ほんぎだい29 やすしていみかど1 やすしていみかどイェスン・テムル・カアンいたり3ねん1323ねん) - たいじょう2ねん1325ねん))
まき30 本紀ほんぎだい30 やすしていみかど2 やすしていみかどイェスン・テムル・カアン(やすしてい3ねん1326ねん) - 致和元年がんねん1328ねん))
まき31 本紀ほんぎだい31 あかりむね あきらそうコシラ/クトクト・カアンてんれき2ねん1329ねん))
まき32 本紀ほんぎだい32 ぶんむね1 ぶんそうトク・テムル/ジャヤガトゥ・カアンてんれき元年がんねん1328ねん))
まき33 本紀ほんぎだい33 ぶんむね2 ぶんそうトク・テムル/ジャヤガトゥ・カアン(てんれき2ねん1329ねん))
まき34 本紀ほんぎだい34 ぶんむね3 ぶんそうトク・テムル/ジャヤガトゥ・カアン(いたりじゅん元年がんねん1330ねん))
まき35 本紀ほんぎだい35 ぶんむね4 ぶんそうトク・テムル/ジャヤガトゥ・カアン(いたりじゅん2ねん1331ねん))
まき36 本紀ほんぎだい36 ぶんむね5 ぶんそうトク・テムル/ジャヤガトゥ・カアン(いたりじゅん3ねん1332ねん))
まき37 本紀ほんぎだい37 やすしむね やすしそうリンチンバル・カアンいたりじゅん3ねん1332ねん))
まき38 本紀ほんぎだい38 じゅんみかど1 じゅんみかどトゴン・テムル/ウカアト・カアンげんみつる元年がんねん1333ねん) - こういたりもと元年がんねん1335ねん))
まき39 本紀ほんぎだい39 じゅんみかど2 じゅんみかどトゴン・テムル/ウカアト・カアン(こういたりもと2ねん1336ねん) - こういたりもと4ねん1338ねん))
まき40 本紀ほんぎだい40 じゅんみかど3 じゅんみかどトゴン・テムル/ウカアト・カアン(こういたりもと5ねん1339ねん) - いたりただし2ねん1342ねん))
まき41 本紀ほんぎだい41 じゅんみかど4 じゅんみかどトゴン・テムル/ウカアト・カアン(いたりせい3ねん1343ねん) - いたりせい8ねん1348ねん))
まき42 本紀ほんぎだい42 じゅんみかど5 じゅんみかどトゴン・テムル/ウカアト・カアン(いたりせい9ねん1349ねん) - いたりせい12ねん1352ねん))
まき43 本紀ほんぎだい43 じゅんみかど6 じゅんみかどトゴン・テムル/ウカアト・カアン(いたりせい13ねん1353ねん) - いたりせい14ねん1354ねん))
まき44 本紀ほんぎだい44 じゅんみかど7 じゅんみかどトゴン・テムル/ウカアト・カアン(いたりせい15ねん1355ねん) - いたりせい16ねん1356ねん))
まき45 本紀ほんぎだい45 じゅんみかど8 じゅんみかどトゴン・テムル/ウカアト・カアン(いたりせい17ねん1357ねん) - いたりせい20ねん1360ねん))
まき46 本紀ほんぎだい46 じゅんみかど9 じゅんみかどトゴン・テムル/ウカアト・カアン(いたりせい21ねん1361ねん) - いたりせい25ねん1365ねん))
まき47 本紀ほんぎだい47 じゅんみかど10 じゅんみかどトゴン・テムル/ウカアト・カアン(いたりせい26ねん1366ねん) - いたりせい28ねん1368ねん))

こころざし[編集へんしゅう]

まき まきだい 節目ふしめ
まき48 こころざしだい1 天文てんもん1 - 簡儀おおせ大明だいめい殿どのとうせい方案ほうあんけいひょうけい窺几西域せいいきぞう四海しかいはかけんにちうすしょくかさ珥及へんがつ五星凌犯及星変上
まき49 こころざしだい2 天文てんもん2 - つき五星凌犯及星変下
まき50 こころざしだい3じょう ぎょう1
まき51 こころざしだい3 ぎょう2
まき52 こころざしだい4 こよみ1 - 授時れきじょう
まき53 こころざしだい5 こよみ2 - 授時れき
まき54 こころざしだい6 こよみ3 - 授時れきけいじょう
まき55 こころざしだい7 こよみ4 - 授時れきけい
まき56 こころざしだい8 こよみ5 - 庚午こうごもとこよみうえ
まき57 こころざしだい9 こよみ6 - 庚午こうごもとこよみ
まき58 こころざしだい10 地理ちり1 - 中書ちゅうしょしょうはらうら)・みねきたとうしょゆき中書ちゅうしょしょう
まき59 こころざしだい11 地理ちり2 - りょうとうしょゆき中書ちゅうしょしょう河南かなん江北こうほくとうしょゆき中書ちゅうしょしょう
まき60 こころざしだい12 地理ちり3 - 陝西せんせいとうしょゆき中書ちゅうしょしょう四川等処行中書省甘粛かんせいとうしょゆき中書ちゅうしょしょう
まき61 こころざしだい13 地理ちり4 - 雲南うんなんとうしょゆき中書ちゅうしょしょう
まき62 こころざしだい14 地理ちり5 - こう浙等しょゆき中書ちゅうしょしょう江西えにしとうしょゆき中書ちゅうしょしょう
まき63 こころざしだい15 地理ちり6 - みずうみこうとうしょゆき中書ちゅうしょしょうせいひがしとうしょゆき中書ちゅうしょしょう
まき64 こころざしだい16 かわみぞ1 - つうめぐみかわ壩河きむみずかわりゅうぶく宮前みやまえかわうみがんそうとうかわみぞかわしろ浮甕やま渾河白河しらかわかわ灤河河間こうまかわ冶河滹沱かわかいどおりかわ兗州閘
まき65 こころざしだい17じょう かわみぞ2 - 黄河こうが済州さいしゅうかわ滏河こうすみみぞさんしろみぞひろしこうみぞあげしゅう運河うんがねりみずうみ淞江おりやましおかんしゅううみりゅう山河さんがどう
まき66 こころざしだい17 かわみぞ3 - 黄河こうがしょくせき涇渠金口きんぐちかわ
まき67 こころざしだい18 礼楽れいがく1 - せいあさ始末しまつ元正がんしょう受朝ただし天寿てんじゅせいふし受朝ただし・郊廟れいなり受賀ただし皇帝こうてい即位そくい受朝ただし群臣ぐんしんじょう皇帝こうてい尊号そんごうれいなり朝賀あさかただし冊立さくりつ皇后こうごうただし冊立さくりつ皇太子こうたいしただし太皇太后たいこうたいこうじょう尊号そんごうしんさつたからただし皇太后こうたいごうじょう尊号そんごうしんさつたからただし太皇太后たいこうたいこうじょう尊号そんごうしんさつたからただし進發しんぱつさつたからしるべしたがえさつたからかんあるきつげびょうただし国史こくしいんしんさきあさ実録じつろく
まき68 こころざしだい19 礼楽れいがく2 - せいらく始末しまつとう楽器がっきみやけん楽器がっきふしらくうつわぶんまいたけまいまいひょう
まき69 こころざしだい20 礼楽れいがく3 - 郊祀楽章がくしょう宗廟そうびょう楽章がくしょう社稷しゃしょく楽章がくしょうさきのう楽章がくしょうせん聖楽せいがくあきら
まき70 こころざしだい21 礼楽れいがく4 - 郊祀らくまい宗廟そうびょうらくまいたいじょうじゅうしつらくまい
まき71 こころざしだい22 礼楽れいがく5 - らくふくだいらく職掌しょくしょう宴楽えんらくうつわ楽隊がくたい
まき72 こころざしだい23 祭祀さいし1 - 郊祀じょう
まき73 こころざしだい24 祭祀さいし2 - 郊祀
まき74 こころざしだい25 祭祀さいし3 - 宗廟そうびょうじょう
まき75 こころざしだい26 祭祀さいし4 - 宗廟そうびょうかみ御殿ごてん
まき76 こころざしだい27じょう 祭祀さいし5 - たいしゃふとしきびさきのうせんきよしたけ鎮海瀆・こおりけん社稷しゃしょくこおりけんせん聖廟せいびょうこおりけんさんすめらぎびょうたけ鎮海瀆常まつ風雨ふううかみなりたけしげるおう帝王ていおうびょうしゅうこうびょう名山めいざん大川おおかわ忠臣ただおみ義士ぎしほこら功臣こうしんほこら大臣だいじんびょう
まき77 こころざしだい27 祭祀さいし6 - いたり正親まさちかまつ南郊なんこういたり正親まさちかまつふとびょうさんすめらぎびょう祭祀さいし礼楽れいがくかお考妣こうひふうおくりなそうけんしたがえまつしゅ熹加ふうひとし国父こくふついおくりなけんじやすしくにぞくきゅうれい
まき78 こころざしだい28 輿こしふく1 - 冕服・輿こし
まき79 こころざしだい29 輿こしふく2 - 儀仗ぎじょうたかしてん鹵簿ろぼそと
まき80 こころざしだい30 輿こしふく3 - まもる
まき81 こころざしだい31 選挙せんきょ1 - 科目かもく学校がっこう
まき82 こころざしだい32 選挙せんきょ2 - 銓法じょう
まき83 こころざしだい33 選挙せんきょ3 - 銓法ちゅう・銓法
まき84 こころざしだい34 選挙せんきょ4 - 考課こうか
まき85 こころざしだい35 百官ひゃっかん1 - 三公みつきみ中書ちゅうしょれいみぎ丞相じょうしょうひだり丞相じょうしょうたいらあきら政事せいじみぎすすむひだりすすむ参政さんせい参議さんぎ中書ちゅうしょしょうごとひだりみぎ中書ちゅうしょしょうじょうぞく吏部戸部とべれい兵部ひょうぶ刑部おさかべこう
まき86 こころざしだい36 百官ひゃっかん2 - 枢密院すうみついんくだり枢密院すうみついん西川にしかわこう枢密院すうみついん江南こうなんこう枢密院すうみついん甘粛かんせいゆき枢密院すうみついん河南かなんゆき枢密院すうみついんみねきたぎょう枢密院すうみついんだいとくだい江南こうなんしょ道行みちゆきだい陝西せんせいしょ道行みちゆきだい粛政かどおとずれ
まき87 こころざしだい37 百官ひゃっかん3 - だいそうただしだいつかさみのり翰林かんりんけん国史こくしいんこうむ翰林院かんりんいんしゅうけんいん宣政のぶまさいんせん徽院ふとし禧宗禋院
まき88 こころざしだい38 百官ひゃっかん4 - ふとつね礼儀れいぎいんてんみずいんふとしいんふとし医院いいん奎章かく学士がくしいん芸文げいぶんかんさむらいせいきゅうごとちゅうしょうさくいんつうせいいんちゅうせいいん
まき89 こころざしだい39 百官ひゃっかん5 - もうかせいいんうち諸王しょおうでんかんみやこまもるたかし福司ふくじ
まき90 こころざしだい40 百官ひゃっかん6 - だい都留つる守司もりじ武備ぶびてらふとぼくてらなおじょうてらたいかんささえかん利用りようかんちゅうなおかんあきら佩監けいせいかんすいかん秘書ひしょかんつかさたかしかんかいかいつかさたかしかんうえ都留つる守司もりじけんほんそうかんなおきょうそうかんくも需総かんだい都路みやこじそうかん管領かんりょうしょみちたか房総ぼうそうかん
まき91 こころざしだい41じょう 百官ひゃっかん7 - くだり中書ちゅうしょしょうせん慰使せん慰使つかさ元帥げんすいせん慰使けんかんぐんまん元帥げんすい元帥げんすい宣撫せんぶやすなで招討しょみちまん儒学じゅがくひさげきょこうむひさげきょ学校がっこうかんかんつつみきょてんうんしお使舶提きょ海道かいどううんかてまんしょみちそうかんしょしゅうしょけんしょぐんしょ蛮夷ばんい長官ちょうかん
まき92 こころざしだい41 百官ひゃっかん8・選挙せんきょ附録ふろく
まき93 こころざしだい42 しょく貨1
まき94 こころざしだい43 しょく貨2
まき95 こころざしだい44 しょく貨3
まき96 こころざしだい45じょう しょく貨4
まき97 こころざしだい45 しょく貨5
まき98 こころざしだい46 へい1
まき99 こころざしだい47 へい2
まき100 こころざしだい48 へい3
まき101 こころざしだい49 へい4
まき102 こころざしだい50 刑法けいほう1
まき103 こころざしだい51 刑法けいほう2
まき104 こころざしだい52 刑法けいほう3
まき105 こころざしだい53 刑法けいほう4

ひょう[編集へんしゅう]

まき まきだい 節目ふしめ
まき106 ひょうだい1 后妃こうひひょう - ふとしふとしそう定宗さだむねけんそうなるむねたけはじめひとしそうえいむねたいじょうあきらそうぶんむねれつ・睿宗ひろしそう顕宗けんそうじゅんむね
まき107 ひょうだい2 宗室そうしつけいひょう - うみこたえさとしん搠只哈撒王位おうい哈赤ぬるだい王位おういてつ哥斡あかきん国王こくおうべつさといにしえだい大王だいおううけらあか太子たいし察合だい太子たいし闊列けん太子たいし闊端太子たいし闊出太子たいし哈剌察児王位おういごうしつ大王だいおうごう大王だいおうめつさと大王だいおうゆるがせ察大王位おういのうゆるがせ太子たいし禾忽大王だいおうゆるがせ覩都大王だいおうあさひれつ兀大王位おういおもねさと哥大王位おういばち綽大王位おういすえ哥大王位おういとし哥都大王だいおうはん禿かぶろ大王だいおうおもねはや歹大王位おういたまりゅうこたえしつ大王だいおうかわたいらおうむかし里吉さとよし朶児ただ王位おうい安西あんざいおうせわし哥剌雲南うんなんおうゆるがせ哥赤あいきばあか大王だいおう西平にしだいらおうおく魯赤やすしおう闊闊鎮南おうだつ歓位ゆるがせ魯帖王位おういはりおう松山まつやま湘寧おう迭里哥児はなおう阿木あぎ哥位
まき108 ひょうだい3 諸王しょおうひょう - きむしるしじゅうひもきむしるし螭紐きむしるし駝紐きむ鍍銀しるし駝紐きむ鍍銀しるしかめぼたんぎんしるしかめひも
まき109 ひょうだい4 しょ公主こうしゅひょう - あきらこく公主こうしゅちょうこく公主こうしゅ魯国公主こうしゅ鄆国公主こうしゅこうあきら公主こうしゅ高麗こうらい公主こうしゅおもねむかしりん公主こうしゅおび魯罕公主こうしゅのべやす公主こうしゅ□□公主こうしゅ□□公主こうしゅじゅうかく公主こうしゅ
まき110 ひょうだい5じょう さん公表こうひょう1 - ふとしふとしでんふとしへいとら/1206ねん - いたりじゅん3ねん/1332ねん
まき111 ひょうだい5 さん公表こうひょう2 - たいふとしでんふとしげんみつる元年がんねん/1333ねん - いたりただし28ねん/1368ねん
まき112 ひょうだい6じょう 宰相さいしょう年表ねんぴょう1 - 中書ちゅうしょれいみぎ丞相じょうしょうひだり丞相じょうしょうたいらあきら政事せいじみぎすすむひだりすすむまいり政事せいじへいとら/1206ねん - いたりじゅん3ねん/1332ねん
まき113 ひょうだい6 宰相さいしょう年表ねんぴょう2 - 中書ちゅうしょれいみぎ丞相じょうしょうひだり丞相じょうしょうたいらあきら政事せいじみぎすすむひだりすすむまいり政事せいじげんみつる元年がんねん/1333ねん - いたりただし28ねん/1368ねん

列伝れつでん[編集へんしゅう]

まき まきだい 節目ふしめ
まき114 列伝れつでんだい1 后妃こうひいち - ふとしきさき孛児だいあさひしんふとしそうきさきだつれつ哥那定宗さだむねきさき斡兀りつうみ迷失けんそうきさきゆるがせだいきさき察必きさきみなみなりむねきさきしつ憐答さとなりむねきさきぼく魯罕たけはじめきさきたけはじめきさきそく哥失さとたけはじめまた乞烈から兀氏じんむねきさき阿納あのしつしつさとえいむねきさきそく哥八剌やすしていみかどきさきはちやすしていみかど必罕はや哥答さとあきらそうきさき邁来すすむあきらそうきさきはちすなぶんむねきさきぼくこたえしつさとやすしそうきさきこたえさと也忒迷失・じゅんみかどきさきこたえおさめしつさとじゅんみかどきさきはくがおゆるがせじゅんみかどきさきかんしゃゆるがせ
まき115 列伝れつでんだい2 睿宗ひろしむね顕宗けんそうじゅんむね
まき116 列伝れつでんだい3 后妃こうひ - 睿宗きさき唆魯じょうあまひろしそうきさきはくあい也怯あか顕宗けんそうきさきがおおびえさと迷失じゅんむねきさきこたえおのれ
まき117 列伝れつでんだい4 べつさといにしえだいうけらあか禿かぶろきばゆるがせひろしとおるひろしじょうはな
まき118 列伝れつでんだい5 とく薛禅孛禿おもね剌兀おもえ剔吉ゆるがせさと
まき119 列伝れつでんだい6 はなはじむひろし魯朮ひろしなんじゆるがせ
まき120 列伝れつでんだい7 察罕さつはちしゃうけらあかだい鎮海あやか乃台われ也而曷思むぎさと
まき121 列伝れつでんだい8 はやだい按竺邇かしここたえひろししょうおもえ
まき122 列伝れつでんだい9 ともえ而朮おもね而忒てききんてつ邁赤按札ゆきだい唵木うみむかしさと鈐部搠直腯魯はなむかしきちおもえ哈散おさめ
まき123 列伝れつでんだい10 ぬのさとし召烈だいしょう兀児闊闊はなはいのべはちおもねうけら紹古おもね剌瓦而思しょう也蒲あまぼくちょうおもね哥潘じゅん只海ただのうみとまてっ抜都おびえおびえさととうやめちょくだっつきさとあさおもえこね阿児あごおもえらんはち禿かぶろもぐさ
まき124 列伝れつでんだい11 とうほん哈剌また哈赤きたとうとうすべおもねたけ璘帖きよしなんじはやせわし哥撒はじめそくおもえ
まき125 列伝れつでんだい12 さいてんあか贍思ひのとぬの魯海きばこうさとし耀てつ
まき126 列伝れつでんだい13 やすわらわ兀都たいかどまれけん
まき127 列伝れつでんだい14 はくがお
まき128 列伝れつでんだい15 おもねうけらおもねさとかいきばあい
まき129 列伝れつでんだい16 おもねはちあかひもおもね剌罕おもねとうかい唆都ひさし
まき130 列伝れつでんだい17 とおるさとゆるがせかんさわおもね魯渾薩理
まき131 列伝れつでんだい18 はや嚢加歹せわし兀台おく魯赤かんしゃはくじょうふところまたくろ迷失おがめ
まき132 列伝れつでんだい19 くいゆるがせおもえ魯合こたえたま哇失むぎさとさがせあか抜都のぼるきち哈剌䚟すなぜんじょうはな
まき133 列伝れつでんだい20 とうはいのべ也罕てききんせん脱力だつりょくかんゆるがせ剌出重喜しげよしだんただだつかんしゃ抜都しつさとはく孛蘭奚おびえれつくらはく也速䚟児むかし
まき134 列伝れつでんだい21 撒吉おもえつきあいむかしはん鉄連てつれんあい闊闊禿かぶろゆるがせからじん朶児あか和尚おしょうりゅうひろし迦魯おさめこたえおもえ闊里きちおもえしょう雲石うんせきだつゆるがせ斡羅おもえ朶羅だい也先はな
まき135 列伝れつでんだい22 てつ哥朮とうとうさとあかとうかいちょうくちきちゆるがせ孛児そくつききょれん赤海あこうみきばおもねこたえあかあかりやすゆるがせりんしつしつ剌抜とおるさと曷剌乞台だついんおさめ和尚おしょう
まき136 列伝れつでんだい23 哈剌哈孫おもねすなはなはいじゅう
まき137 列伝れつでんだい24 察罕きょくくるる阿礼あれいうみきば奕赫抵雅なんじひのとだつれつうみきば
まき138 列伝れつでんだい25 かんさとだつだっつばめてつはくがおうまさつだいだつだっ
まき139 列伝れつでんだい26 乃蛮だい朶児ただ朶爾ちょくはんおもね魯図ひもてき
まき140 列伝れつでんだい27 べつおびえはな太平たいへいてつとう達識たっしきじょうむつみ
まき141 列伝れつでんだい28 ふとはな察罕じょう擴廓じょう
まき142 列伝れつでんだい29 こたえしつはちけいわらわ也速とおるさとじょうおさめ
まき143 列伝れつでんだい30 うまつねとうおもねさかえしょう雲石うんせきかいやすしはな
まき144 列伝れつでんだい31 こたえさとあさつき魯帖ぼくがおてつほしきち福寿ふくじゅみちわらわ
まき145 列伝れつでんだい32 また憐真はんれん恵山えさんかいきばつき魯不はないたるれいあさ識理
まき146 列伝れつでんだい33 耶律すわえざいねばごう重山かさねやま楊惟ちゅう
まき147 列伝れつでんだい34 ちょうやわらふみてんふみてんさち
まき148 列伝れつでんだい35 ただししゅんいむみのる
まき149 列伝れつでんだい36 耶律とめりゅうはくりんかく宝玉ほうぎょくいしてんおう耶律禿かぶろはなおう
まき150 列伝れつでんだい37 いし抹也さきなにはくさちまもるけん耶律おもねうみなに郝和なお抜都ちょういし抹明やすちょうさかえりゅうとおるやす
まき151 列伝れつでんだい38 薛塔剌海こう鬧児おうよしおうたまちょうすすむやしきじゅんおうよしもりゆたかいし抹孛迭児賈塔剌渾おくあつしえいゆうちょう抜都ちょうさかえちょうたかしすず
まき152 列伝れつでんだい39 ちょうすすむとおるおうめずらし楊傑ただりゅうとおるたけそん張子はりこりょうからけいひとしさかえあきらいしてんろくいし抹阿からしりゅうあきらちょうやわら
まき153 列伝れつでんだい40 りゅうさとしおうおう守道もちこうせんおうたまなんじこげとくひろしいしてんくにみず楊奐賈居さだ
まき154 列伝れつでんだい41 ひろしぶくげんていかなえすすむいし抹按ただ謁只さとていあつし
まき155 列伝れつでんだい42 ひろしあらわふみてんさわ
まき156 列伝れつでんだい43 ただしぶんちょうひろしはん
まき157 列伝れつでんだい44 りゅう秉忠ちょうぶんけん郝経
まき158 列伝れつでんだい45 姚枢もと竇黙
まき159 列伝れつでんだい46 そうさだしょうていちょうりょうちょう
まき160 列伝れつでんだい47 おういわおおうみさご高鳴たかなあきらりゅう王思おうしれんけんじょたかしはじめ閻復
まき161 列伝れつでんだい48 楊大ふちりゅうせい
まき162 列伝れつでんだい49 ゆるがせらんきちにわふみこうきょうりゅうこくすぐる
まき163 列伝れつでんだい50 いさおてるちょう雄飛ゆうひちょういさおてるうまとおるほどおもえれんがらす孫沢まごさわちょう
まき164 列伝れつでんだい51 楊恭懿おうまことかくまもるけい楊桓楊果おうはつこげやしなえただしはじめよじなお
まき165 列伝れつでんだい52 ちょう賈文備かいまことかん如徳ちょうくしげしゅうあきらあなもとしゅ国宝こくほうちょうだてひとし秉節ちょうまんいえやつかくのぼる綦公じき楊賽いんはな鮮卑仲吉なかよしかんがお石柱せきちゅう
まき166 列伝れつでんだい53 おうずいあきらりゅうおんいし高山こうざん鞏彦あきら蔡珍ちょうやすしとおるはじめとくていよしちょうさかえいし抹狗いぬすわえかなえ樊楫ちょうひとししん苴日だんきょうさとししん苴福おうむかしちょうひろしえら
まき167 列伝れつでんだい54 ちょう立道たつみちちょうにわめずらしちょうめぐみりゅうこうれい王国おうこくあきらきょうちょういしずえたんさかえおう
まき168 列伝れつでんだい55 ちんゆうりゅうせんなにさかえひねおもえずみはたちょうきょう姚天ぶくもとこくただし
まき169 列伝れつでんだい56 じんすぐる賈昔剌りゅう哈剌はちいし抹明さとしゃなかあつしこう觿ちょうきゅうおもえおうはくしょう
まき170 列伝れつでんだい57 尚文なおふみさるほふ致遠かみなりえびす祗遹おう利用りようとおるぶんちょう袁裕ちょう郝彬こうはじめ楊湜かなえりょういさお
まき171 列伝れつでんだい58 りゅういんきよし
まき172 列伝れつでんだい59 ほど鉅夫ちょうはじめ鄧文ばら袁桷曹元ようひとしくつけん
まき173 列伝れつでんだい60 ちぇあきらちぇつばめこうくすのきうま
まき174 列伝れつでんだい61 姚燧かくぬき夾谷りゅう耶律ゆうなお郝天ていちょうあなまご
まき175 列伝れつでんだい62 ちょうはじめちょうようひろしけいげん
まき176 列伝れつでんだい63 曹伯けいもとれいおう寿ひさしおうりゅうただししゃゆずるかんわかちょうりゅういさおあつしじょうおそとくまことはたおこりむね
まき177 列伝れつでんだい64 ちょうおもえあきらもとちょうのぼる臧夢かいちん
まき178 列伝れつでんだい65 りょうりゅうさとしなかおうやくおうゆいちょうはくあつし
まき179 列伝れつでんだい66 しょう楊朶ただしょうはいじゅう
まき180 列伝れつでんだい67 耶律まれあきらちょうのべあなおもえみそ
まき181 列伝れつでんだい68 げん明善あきよしおそれしゅう掲傒斯
まき182 列伝れつでんだい69 ちょうおこりいわおおうげんもとゆうみずのえそうほんしゃはし
まき183 列伝れつでんだい70 おうまもるまこと王思おうしまこと好文よしふみ孛朮魯翀天爵てんしゃく
まき184 列伝れつでんだい71 おうみやこなかおうかつけいにんそくひねおもえけんかん元善もとよしちぇたかし
まき185 列伝れつでんだい72 りょおもえまことひろし沢民たくみんぶんでんかんきびぶたなえ
まき186 列伝れつでんだい73 ちょうかえりちんひとしなり曹鑑ちょう
まき187 列伝れつでんだい74 がらすまごりょう賈魯逯魯曾みつぎやすししゅうはくとう
まき188 列伝れつでんだい75 ただし摶霄りゅう哈剌はなおうすぐるいし抹宜まご
まき189 列伝れつでんだい76 儒学じゅがくいち - ちょうふくきむくつさちもとけんちんくぬぎえびすいちかつらさわどうじょやす
まき190 列伝れつでんだい77 儒学じゅがく - えびすちょうくま朋来ほうらい戴表もと牟応りゅうちんまことただしほお楊載りゅうかんせい師道しどうりくぶんけいしゅうひとしさかえひねたび孝光たかみつ宇文うぶんおおやけりょうはくがお贍思
まき191 列伝れつでんだい78 良吏りょうりいち - たんきよしもと維禎もとかじしげるぼくてんあきら
まき192 列伝れつでんだい79 良吏りょうり - 耶律はくけんだんじき諳都剌楊景ぎょうはやしきょう観音かんのんやつしゅうつよしろけいあきらおううしとら鄒伯がおりゅう秉直もと義夫よしお
まき193 列伝れつでんだい80 忠義ちゅうぎいち - はくぬるいし攸哈剌抜にんこころざし耶律忒末はくはちごう剌普はなりゅうたかしまことしょうけいしげる
まき194 列伝れつでんだい81 忠義ちゅうぎ - ちょうひとし褚不はなかくよしみどうかんいん卞琛たかしつねかおおうもと楊樸ちょうまごいしひろしもりあきら楊乗おさめそく剌丁
まき195 列伝れつでんだい82 忠義ちゅうぎさん - はくがおはなてききん樊執けいちょんひろしあん撒里しゅう聶炳りゅうこうまご兪述かつらかんさわうし孛羅じょう彭庭けんおうはくがおりゅう朶里はなたかしだいちんくんようぼくきばあつししおうみ中立ちゅうりつ
まき196 列伝れつでんだい83 忠義ちゅうぎよん - がおはな閔本ちょう弘毅こうきていたまかしわじょうきよしなんじ迭里わたるほおさいいんはなちょうこうれい
まき197 列伝れつでんだい84 こう友一ともかず - おううるうかくみちきょうしょうどう寿ことぶきかくいぬいぬちょううるうあらためじゅうやすし豬狗畢也速答そくとうりつ樊淵りゅういさおいずみかくかいあなぜん楊一ちょうえびすこうとおちん韶孫ただししげるひつじひとしちょう一徳かずのり王思おうしさとしとおるとおるおうはつおうていぶんおうこもかくあきら楊皞ちょう文忠ふみただ邵敬扈鐸まご秀実ひでみそうちょうさかえこうじきへいじょいんりゅう廷譲りゅうとおるちょう旺舅ちょうおもえこうもりたすく長寿ちょうじゅまごちょうきょう訾汝どう
まき198 列伝れつでんだい85 こう友二ともじ - おういさおいしあかりさんりゅうりゅうはじめほうりこうさかえりくおもえこうきょうけんえびす伴侶はんりょおうひろしなにしたがえよし哈都あかこう必達曾徳靳昺黄道こうどうけん史彦ふみひこあきらちょう紹祖明徳あきのりちょうけいえきまごそもそもいしひさしおう克己かつみりゅうおもえけいりょゆうしゅうらく
まき199 列伝れつでんだい86 隠逸いんいつ - もりあきらちょう特立とくりつもりほんまごわだちなになかたけつとむ
まき200 列伝れつでんだい87 れつおんないち - しゅよししんかずらみょうしんふゆしゅにしき馮淑やすちょう哇児おうやすし
まき201 列伝れつでんだい88 れつおんな - 范妙もとちんよししんなつ婉常はんたええんりゅうみどりたえやす安正やすまさどうじょあや禹淑せい
まき202 列伝れつでんだい89 しゃくろう - はちおもえともえおかしょ祁志まことちょう宗演そうえん酈希なりしょう輔道
まき203 列伝れつでんだい90 かたわざ - 忠良ただよし靳徳すすむちょうやすしまごおもねろうかわらひのとまたおもえいんおもねあま
まき204 列伝れつでんだい91 宦者 - くにやすしぼくはな
まき205 列伝れつでんだい92 姦臣かんしん - おもね合馬おうまさかえくわてつ迭児哈麻搠思かん
まき206 列伝れつでんだい93 叛臣 - おうぶんみつるおもね魯輝じょう
まき207 列伝れつでんだい94 逆臣ぎゃくしん - てつしつ孛羅じょう
まき208 列伝れつでんだい95 そとえびすいち - こううららふけ日本にっぽん
まき209 列伝れつでんだい96 そとえびす - やすみなみ
まき210 列伝れつでんだい97 そとえびすさん - はるうらないじょうつま琉求さん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 明太めんたいむね実録じつろくひろしねんがつへいとらついたちみことのりおさむもと
  2. ^ 明太めんたいむね実録じつろくひろしねんなながつ乙未おとみみことのり儒士おうたすくとうじゅうにん往北平等びょうどうしょさいおとずれ元元もともとすべ及至せいさんじゅうろくねん事蹟じせきぞうおさむもとときしょ儒脩もとはたなりみことのりさきなりしゃじょうすすむ闕者俟續さい
  3. ^ 明太めんたいむね実録じつろくひろしさんねんがつおつうしみことのりぞくおさむもととき儒士おうたすくとうさい摭故元元もともとすべ以後いご事実じじつかえあさ。仍命翰林かんりん学士がくしそう濂、まちせいおう禕為総裁そうさい、儒士ちょう壎・しゅみぎかい瓊・しゅれんおうつねちょうはじめけんこうへりくだこころざし懋・汶・ちょうせんちょう簡・もりとらいん弼・とらどうじゅうよんにんどう纂脩」
  4. ^ 明太めんたいむね実録じつろくひろしさんねんあきなながつちょうついたちぞくおさむもとなりけいじゅうゆうさんかんじゅうこころざしひょう列伝れつでんさんじゅうろく。凡前しょ備者、悉補完ほかんつうひゃくいちじゅうかん翰林院かんりんいん学士がくしそう濂率しょ儒以しんみことのり刊行かんこうこれにんたまもの白金はっきんじゅうりょうぶんあやぎぬ帛各、授儒ちょうせんとうかんおもんみちょう壎・しゅみぎしゅれん乞還さとしたがえこれ
  5. ^ もとまき18なりむね本紀ほんぎ1「[もと貞元さだもとねんがつ]きのえとら翰林かんりんうけたまわむねただしぶんようとうすすむ実録じつろく』」
  6. ^ もとまき21なりむね本紀ほんぎ4「[大徳だいとく7ねんふゆじゅうがつ]かのえいぬ翰林かんりん国史こくしいんしんふとしふとしむね定宗さだむね・睿宗・けんむねあさ実録じつろく』」
  7. ^ 杉山すぎやま 1995, p. 124.
  8. ^ みや2018,395-397ぺーじ
  9. ^ もとまき97こころざし47したしょく貨志5「しょく貨前こころざしよりどころ経世けいせい大典たいてん為之ためゆき、凡じゅうゆうきゅうてんれき以前いぜんこれしょう矣」
  10. ^ 小林こばやし 1972, p. 13-22.
  11. ^ 小林こばやし 1972, p. 18-20.
  12. ^ 小林こばやし 1972, p. 13.
  13. ^ 杉山すぎやま2004,243ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 内藤ないとう湖南こなんちょささえ史学しがく
  • 箭内やないわたこうむ古史こし研究けんきゅうかたなこう書院しょいん、1930ねん
  • 小林こばやしこう四郎しろうもと明徳めいとく出版しゅっぱんしゃ、1972ねん 
  • 杉山すぎやま正明まさあきだいもとウルスのさん大王だいおうこく : カイシャンのだつけんとその前後ぜんご(うえ)」『京都きょうと大學だいがく文學部ぶんがくぶ研究けんきゅう紀要きようだい34かん京都きょうと大學だいがく文學部ぶんがくぶ、1995ねん3がつ、92-150ぺーじCRID 1050282677039186304hdl:2433/73071ISSN 0452-9774 
  • 杉山すぎやま正明まさあきモンゴル帝国ていこく大元おおもとウルス』(新装しんそうばん3)京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい東洋とうよう研究けんきゅうくさむらかん ; 65〉、2004ねんISBN 4876985227国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん書誌しょしID:000007302776https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007302776 
  • みや紀子のりこ『モンゴル時代じだいの「」の東西とうざい名古屋大学出版会なごやだいがくしゅっぱんかい、2018ねん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

  • 国学こくがくネット — 原典げんてん宝庫ほうこもと』(1かん/本紀ほんぎ1 - 210かん/列伝れつでん97・編集へんしゅう後記こうき簡体字かんたいじ中国語ちゅうごくご