りゅうとおる (東平とうへい)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

りゅう とおる(りゅう つう、? - 1256ねん)は、かねあさ末期まっきからモンゴル帝国ていこく初期しょきにかけて活躍かつやくした人物じんぶつなかたち東平とうへいひとしかわけん出身しゅっしん

概要がいよう[編集へんしゅう]

かねまつ混乱こんらん東平とうへい地方ちほういむみのる軍閥ぐんばつきずくとこれにしたがい、濮州曹州相州あいしゅう潞州ていすえすわえおか平定へいてい功績こうせきげたという。1220ねんかのえたつ)にいむみのるがモンゴル帝国ていこく服属ふくぞくすると[1]ひがしアジア方面ほうめんぐんひきいるムカリりゅうどおり推薦すいせんし、りゅうどおりは鎮国じょう将軍しょうぐんひだりふく元帥げんすいすみみなみとくしゅうそうかん行軍こうぐんせん地位ちいさづけられた[2][3]。また、オゴデイ・カアン即位そくいには「うえせん」の地位ちい昇格しょうかくとなっているが、これは従来じゅうらいかん人世じんせいこう自称じしょうしてきた称号しょうごうちがってモンゴル帝国ていこく公認こうにんするもので、おなじくいむみのる部下ぶかであったちょうすすむとおるいしてんろくちょうたかしすずひとしらもどう時期じきせん地位ちいさづけられた記録きろくがある[4]

のちみなみそう主君しゅくんほうじる彭義あきら大名だいみょう中心ちゅうしん勢力せいりょく拡大かくだいすると、りゅうどおりひとしかわじょう攻撃こうげきけた。彭義あきらひきいる軍団ぐんだん夜半やはん城壁じょうへきのぼはじめたが、りゅうどおり側近そっきんものたちがつづみらしながらすすんだためにへいおどろき、おおくが城壁じょうへきからちてほり溺死できししてしまった。翌日よくじつ、彭義あきら軍勢ぐんぜい潰走かいそうし、彭義あきらわずすうひきいてのがれたという。1237ねんちょうとり)にはとくしゅうとうしょまん軍民ぐんみんそうかん地位ちいうつったが[2]、1256ねんへいたつ)にくなった[5]死後しご息子むすこりゅうふくとおる地位ちいいだ[6]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 愛宕あたご1988,48ぺーじ
  2. ^ a b 安部あべ 1972, p. 19.
  3. ^ もとまき152列伝れつでん39りゅうとおるでん,「りゅうとおるなかたち東平とうへいひとしかわじん也。はつしたがえいむみのるらいつぎしたがえおさむ濮・曹・そう・潞・ていすえすわえおかじつこも于太はなはじむ、以通ためひとしかわそうかんひろ授鎮国上くにがみ将軍しょうぐんひだりふく元帥げんすいすみみなみとくしゅうそうかん行軍こうぐんせんふとしそうすずきん、陞上せん
  4. ^ 井戸いど 1982, p. 41-42.
  5. ^ もとまき152列伝れつでん39りゅうとおるでん,「そうすすむ彭義あきらおさむひとしかわじょうりつしゅよるとうつう与六よろくななにん譟而すすむそうじんおどろき懼、墜溺死者ししゃ甚衆。明日あしたふくあいかこえじょうさん匝、つうれいもり陴者うえ槊如くしにわかしたがえ撤去てっきょそうじん懼其こうおのれ也、だいつぶせよしあきら僅以すうめんとしひのととり、遷徳しゅうとうしょまん軍民ぐんみんそうかんとしへいたつそつ
  6. ^ もとまき152列伝れつでん39りゅうとおるでん,「ふくとおるかさねため行軍こうぐんせんしたがえいむみのるりゃくあんゆたかどおりやすし・淮・ほり・泗・蘄・あんけいしょしゅうけんそう西にしせいふくとおるまんみつる東平とうへい軍馬ぐんばおさむ釣魚ちょうぎょさん苦竹にがたけ寨、有功ゆうこうかえけんとくしゅう軍民ぐんみんそうかんなかみつる元年がんねんたてまつむね戍和りんかえ、授虎すすむたけまもるぐんふく指揮しき使璮叛、使つかい招復とおるふくとおるたてこれときへい討賊、あつまりずみみなみとぼししょくふくとおるつき其私蓄以ずみ嘉之よしゆきたまもの白金はっきんせんりょうふくとおる固辞こじいたりもとねんすすむ左翼さよくさむらいまもるおやぐん指揮しき使よんねん、遷右翼うよくきゅうねんあきらいさむ大将軍だいしょうぐんおおとりしゅうとうしょ経略けいりゃく使じゅうねん、遷征ひがしひだりふく元帥げんすいみつるぐんよんまんせんせんきゅうひゃくせい日本にっぽんあずかやまとへいじゅうまんぐう戦敗せんぱいかえ、招降淮南ワイナンしょぐん邑。じゅうねん、授昭しんそうかんじゅうよんねん、遷黄しゅうせん慰使。じゅうねんあらため太平たいへいそうかんにわか授鎮国上くにがみ将軍しょうぐんため淮西どうせん慰使元帥げんすいじゅうねんたてまつ国上くにがみ将軍しょうぐん三月さんがつそつ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 安部あべ健夫たけおもとだい研究けんきゅうそうぶんしゃ東洋とうようがく叢書そうしょ〉、1972ねんdoi:10.11501/12185117全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:73006578https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12185117 
  • 井戸いど一公かずきみ元朝がんちょうさむらいまもるおやぐん成立せいりつ」『九州大学きゅうしゅうだいがく東洋とうよう論集ろんしゅうだい10かん九州大学きゅうしゅうだいがく文学部ぶんがくぶ東洋とうよう研究けんきゅうかい、1982ねん3がつ、26-58ぺーじCRID 1390853649694060032doi:10.15017/24543hdl:2324/24543ISSN 0286-5939 
  • 愛宕あたご松男まつお東洋とうよう史学しがく論集ろんしゅう 4かんさんいち書房しょぼう、1988ねん
  • もとまき152列伝れつでん39りゅうとおるでん
  • 新元しんもとまき143列伝れつでん40りゅうとおるでん