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この項目では、中国の歴史的地名について説明しています。日本の旧国名については「相模国」をご覧ください。 |
相州(そうしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から金代にかけて、現在の河南省安陽市一帯に設置された。
魏晋南北朝時代[編集]
401年(天興4年)、北魏により相州が置かれた。
534年(天平元年)、東魏が鄴に遷都すると、相州は司州と改称された[1]。
577年(建徳6年)、北周が北斉の都の鄴を奪取すると、司州は相州と改称された。
隋初には、相州は3郡9県を管轄した。607年(大業3年)、郡制施行に伴い、相州は魏郡と改称され、下部に11県を管轄した[2]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
618年(武徳元年)、唐により魏郡は相州と改められた。742年(天宝元年)、相州は鄴郡と改称された。758年(乾元元年)、鄴郡は相州と改称された。相州は河北道に属し、安陽・鄴・湯陰・林慮・堯城・洹水・臨漳・成安・内黄・臨河の10県を管轄した[3]。
北宋のとき、相州は河北西路に属し、安陽・湯陰・臨漳・林慮の4県を管轄した[4]。
1128年(建炎2年)、金が南宋から相州を奪った[5]。1129年(天会7年)、相州に彰徳軍節度が置かれた。1192年(明昌3年)、相州は彰徳府に昇格した[6]。
- ^ 『魏書』地形志二上
- ^ 『隋書』地理志中
- ^ 『旧唐書』地理志二
- ^ 『宋史』地理志二
- ^ 『宋史』高宗紀二
- ^ 『金史』地理志中