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宕州(とうしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から宋代にかけて、現在の甘粛省宕昌県一帯に設置された。
魏晋南北朝時代[編集]
566年(天和元年)、北周が宕昌国を滅ぼし、その地に宕州を設置した。
隋初には、宕州は2郡3県を管轄した。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、宕州の属郡は廃止された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、宕州は宕昌郡と改称され、下部に3県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
618年(武徳元年)、唐により宕昌郡は宕州と改められた。742年(天宝元年)、宕州は懐道郡と改称された。758年(乾元元年)、懐道郡は宕州の称にもどされた。宕州は隴右道に属し、懐道・良恭の2県を管轄した[2]。763年(広徳元年)、宕州は吐蕃に占領された。
1073年(熙寧6年)、北宋の王韶が宕州を奪回した[3]。宕昌寨が置かれ、岷州に編入された[4]。
- ^ 『隋書』地理志上
- ^ 『旧唐書』地理志三
- ^ 『宋史』王韶伝
- ^ 『宋史』地理志三