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巴州(はしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から民国初年にかけて、現在の四川省巴中市一帯に設置された。
514年(延昌3年)、北魏により巴州が設置された。
隋初には、巴州は6郡9県を管轄した。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、巴州の属郡は廃止された。この年のうちに万州を統合された。605年(大業元年)、蓬州を統合され、巴州は16県を管轄した。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、巴州は清化郡と改称され、下部に14県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
618年(武徳元年)、唐により清化郡は巴州と改められた。742年(天宝元年)、巴州は清化郡と改称された。758年(乾元元年)、清化郡は巴州と改称された。巴州は山南西道に属し、化城・曽口・清化・始寧・其章・七盤・恩陽・帰仁・盤道・大牟の10県を管轄した[2]。
宋のとき、巴州は利州路に属し、化城・曽口・恩陽・通江・難江の5県を管轄した[3]。
元のとき、巴州は広元路に属し、化城・曽口の2県を管轄した[4]。
1376年(洪武9年)、明により巴州は廃止され、化城県に編入された。1514年(正徳9年)、巴州が再び置かれた。巴州は保寧府に属し、通江・南江の2県を管轄した[5]。
清のとき、巴州は保寧府に属し、通江・南江の2県を管轄した[6]。
1912年、中華民国により巴州は廃止され、巴中県と改められた。
- ^ 『隋書』地理志上
- ^ 『旧唐書』地理志二
- ^ 『宋史』地理志五
- ^ 『元史』地理志三
- ^ 『明史』地理志四
- ^ 『清史稿』地理志十六