まもるみんかん

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古代こだいローマ

ローマ時代じだい政治せいじ


統治とうち期間きかん
王政おうせい時代じだい
紀元前きげんぜん753ねん - 紀元前きげんぜん509ねん

共和きょうわせい時代じだい
紀元前きげんぜん508ねん - 紀元前きげんぜん27ねん
帝政ていせい時代じだい
紀元前きげんぜん27ねん - 西暦せいれき476ねん

古代こだいローマの政体せいたい
政体せいたい歴史れきし
身分みぶん
政務せいむかん
執政しっせいかん
臨時りんじしょく
独裁どくさいかん
ローマ軍団ぐんだん
インペラトル
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聖職せいしょくしゃ
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まもるみんかん(ごみんかん、ラテン語らてんご: tribūnus plēbis トリブーヌス・プレービス)は、紀元前きげんぜん494ねん平民へいみん(plēbs プレブス、プレープス)を保護ほごする目的もくてき創設そうせつされた古代こだいローマ公職こうしょくである。プレブスのみがくことのできる公職こうしょくであって、身体しんたい不可侵ふかしんけんなどの特権とっけんをもった。きん現代げんだいにおいて新聞しんぶんめいにも使つかわれる「トリビューン(tribune)」は、この官職かんしょく由来ゆらいする。

起源きげん[編集へんしゅう]

共和きょうわせいローマ拡大かくだいともな貴族きぞくパトリキ)と平民へいみんプレブス)のあいだ貧富ひんぷひろがると、紀元前きげんぜん494ねんにプレブスたちモンテ・サクロ聖山ひじりやま)にもり、自分じぶんたち政治せいじてき発言はつげんりょく強化きょうかもとめた。聖山ひじりやま事件じけんばれるこの事件じけんにおいて、プレブスがわはそれまでのローマの政治せいじ体制たいせい拒否きょひし、もったやま自分じぶんたち中心ちゅうしんとしたあらたな国家こっか樹立じゅりつするうごきまでせた。プレブスがわはトリブヌス・プレビス、直訳ちょくやくすると「平民へいみん指揮しきかん」とばれる代表だいひょうえらび、そのもと結束けっそくし、かれらの身体しんたい不可侵ふかしんとすることをかみちかった。これにたいして日本語にほんごでは「まもるみんかん」の訳語やくごあたえられている。平民へいみん国家こっか代表だいひょうであるまもるみんかんは、当時とうじのパトリキ国家こっか代表だいひょうである執政しっせいかん(コンスル)と対応たいおうして2めいえらばれ、同様どうようトリブスみんかい対応たいおうして、平民へいみんのみで構成こうせいされたプレブスみんかい平民へいみんかい)を議決ぎけつ機関きかんとして召集しょうしゅうした。

こうしたプレブスがわ行動こうどうたいして、パトリキがわ妥協だきょうせざるをず、プレブスみんかい正規せいきみんかいとしてみとめるのみならず、プレブスたち勝手かって選出せんしゅつしたまもるみんかんについても国家こっか官職かんしょくとし、さらにプレブスたちによってちかわれていたまもるみんかん神聖しんせい不可侵ふかしんラテン語らてんご: sacrōsānctus)をも承認しょうにんした。こうしてローマの既存きそん国家こっか体制たいせいまれたまもるみんかんは、プレブスの保護ほごをその任務にんむとし、そのための職権しょっけんとしてほとんどの決定けっていたいする拒否きょひけん(veto, intercessio)があたえられた。

職権しょっけん[編集へんしゅう]

まもるみんかん拒否きょひけん範囲はんい非常ひじょうひろく、執政しっせいかんなどのほか政務せいむかん決定けっていや、元老げんろういん決議けつぎすことができた。非常時ひじょうじインペリウム行使こうしするために設置せっちされる独裁どくさいかん決定けっていたいしては、拒否きょひけん使つかうことはできなかった。政務せいむかん同様どうように、同僚どうりょう拒否きょひけんふたた拒否きょひすることはできなかった。

ひろ範囲はんい拒否きょひけん以外いがいまもるみんかん特権とっけんとして、身体しんたい不可侵ふかしんけんげられる。身体しんたい不可侵ふかしんは、その成立せいりつ過程かていからも政務せいむかんにはあたえられておらず、まもるみんかんにのみ約束やくそくされていた。この不可侵ふかしんせいは、かみちかわれているという神聖しんせいせいと、プレブスたちによってちかわれたというプレブスの「実力じつりょく」によって保証ほしょうされていた。

プルタルコス英雄えいゆうでん対比たいひ列伝れつでん)』の「ティベリウス・グラックス」の項目こうもくでは、「身体しんたい不可侵ふかしんけん」をこう説明せつめいしている。

もしかりに、まもるみんかんがカピトリヌスの神殿しんでんこわ兵器へいきちにしても、我々われわれはそのまもるみんかん行為こういをそのままにしておかねばならない。そのようなこころみをするものわるまもるみんかんぎない。しかしまもるみんかん民衆みんしゅう圧迫あっぱくするようであれば、それはもうまもるみんかんではない。

プルタルコス『ティベリウスでん』15

コンスルがみんかい召集しょうしゅうけんつように、まもるみんかん平民へいみんかい召集しょうしゅうけんっていたが、ホルテンシウスほう成立せいりつすると、平民へいみんかいにも法律ほうりつ制定せいてい可能かのうとなった。このことは、のちに付与ふよされる元老げんろういん召集しょうしゅう権限けんげんわせて、「否定ひてい」の権力けんりょくしかゆうさなかったまもるみんかんにも積極せっきょくてき政策せいさくおこなうことを可能かのうとするものであった。

変遷へんせん[編集へんしゅう]

以上いじょうのように非常ひじょう強力きょうりょく権限けんげんまもるみんかんゆうしていたが、これを積極せっきょくてき使用しようするものはあまりあらわれなかった。まもるみんかん国家こっか官職かんしょくとして成立せいりつしたのは、あくまでパトリキとプレブスの妥協だきょうであり、両者りょうしゃ融和ゆうわをはかるものであり、ぎゃく対立たいりつあおるようなこと滅多めったになかったのである。

さらに、プレブスの一部いちぶがパトリキと合流ごうりゅうしてノビレスばれるしん貴族きぞくそう形成けいせいするころになると、こうしたプレブスけい貴族きぞく政治せいじキャリアのはじめとしてまもるみんかん就任しゅうにんすることになり、まもるみんかん革命かくめい勢力せいりょくとしての性質せいしつ次第しだいうすれていった。さきげた、平民へいみんかい法律ほうりつ制定せいてい可能かのうにしたホルテンシウスほう成立せいりつも、平民へいみんかい議決ぎけつをすでにノビレスがコントロールできるようになっていたことをしめしているとみることもできる。くわえて、のちにまもるみんかん経験けいけんしゃ元老げんろういん議席ぎせきあたえられるようになると、まもるみんかん完全かんぜん体制たいせいないまれたかにえた。

しかしながら、ひろがる貧富ひんぷなどのローマの深刻しんこく社会しゃかい不安ふあん背景はいけいに、ティベリウス・グラックスまもるみんかん就任しゅうにんすると、まもるみんかん革命かくめいてき性質せいしつとなった。まもるみんかん強力きょうりょく権限けんげんもちいたティベリウスの改革かいかくは、おとうとガイウス・グラックスがれ、これらの改革かいかく運動うんどう元老げんろういん保守ほしゅおおきな衝撃しょうげきあたえた。最終さいしゅうてきにはグラックス兄弟きょうだい改革かいかく運動うんどう失敗しっぱいわるが、改革かいかく妨害ぼうがいするために反対はんたい人間にんげんまもるみんかんおくむなど、その権限けんげん強力きょうりょくさがさい認識にんしきされた。そうした一方いっぽうまもるみんかんでありながら殺害さつがいされたティベリウスのように、まもるみんかん身体しんたい不可侵ふかしんらぎもみられた。

その改革かいかくが、私兵しへいした軍隊ぐんたいという実力じつりょく背景はいけいとした将軍しょうぐんたちのうつると、まもるみんかんはそうした将軍しょうぐんたちのクリエンテス子分こぶん)として、かれらに便宜べんぎはかるためにその職能しょくのう行使こうしするようになった。その現状げんじょう危機ききかんおぼえたルキウス・コルネリウス・スッラは、様々さまざま改革かいかく一環いっかんとしてまもるみんかん権力けんりょく削減さくげんおこなった。

まもるみん官職かんしょくけん[編集へんしゅう]

ローマの内戦ないせん最終さいしゅうてき勝者しょうしゃとなったオクタウィアヌス(アウグストゥス)は、養父ようふガイウス・ユリウス・カエサル終身しゅうしん独裁どくさいかんのようなおうへの連想れんそう極力きょくりょくけ、みずからの権力けんりょく根拠こんきょ共和きょうわせい平時へいじ合法ごうほうてき官職かんしょくもとめた。まもるみんかん強力きょうりょく権限けんげんであり、かつ「民衆みんしゅうまもる」という性質せいしつから、オクタウィアヌスの要求ようきゅうたすものではあったが、ユリウスぞくというパトリキけい貴族きぞく養子ようしであったオクタウィアヌスには就任しゅうにんすることはできなかった。

そこでオクタウィアヌスは、当時とうじ連続れんぞくして就任しゅうにんしていた執政しっせいかん辞任じにんすることをえさに、まもるみんかん職権しょっけん(ポテスタス)のみをみずからにあたえる元老げんろういん決議けつぎとおし、1ねん期限きげんをもつまもるみん官職かんしょくけん(tribunicia potestas, トゥリブニキア・ポテスタス)を毎年まいとし更新こうしんすることで元首げんしゅせいにおけるみずからの権力けんりょく基礎きそとした。カエサルもこの職権しょっけんていたが、終身しゅうしん独裁どくさいかんとしての立場たちばほうさきっていたために、この権限けんげん重視じゅうし警戒けいかいされずに承認しょうにんされることとなった。

平民へいみん元老げんろういん議席ぎせきるための登竜門とうりゅうもん」と一般いっぱん認識にんしきされるまもるみんかんと、「共和きょうわせい公職こうしょくキャリアの頂点ちょうてん」たる執政しっせいかんではまった価値かちがつりわないとおもわれていたが、事実じじつとしては執政しっせいかんふくむあらゆる政務せいむかん決定けってい元老げんろういん決議けつぎたいする拒否きょひけん行使こうしでき[1]必要ひつようとあればプレブスみんかい平民へいみんかい)を招集しょうしゅうどうみんかい決議けつぎによる法律ほうりつ制定せいてい可能かのうなうえ、執政しっせいかんすらない身体しんたい不可侵ふかしん権利けんりつ、より強大きょうだい権力けんりょくであった。さらにこのまもるみん官職かんしょくけんは、職権しょっけんのみが抽出ちゅうしゅつされたものであるため、同僚どうりょうたず[2]非常ひじょう強力きょうりょく権限けんげんとなった。

アウグストゥスはアグリッパティベリウスなどへの職権しょっけん授与じゅよ元老げんろういんにかけることで、後継こうけいしゃ候補こうほ承認しょうにんとした。これで帝位ていい世襲せしゅうはかり、以降いこうローマ皇帝こうていもこの形式けいしきつづけ、その称号しょうごうの1つとなった。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 上記じょうきのように独裁どくさいかん決定けっていだけはまもるみんかん拒否きょひけん通用つうようしないが、独裁どくさいかん臨時りんじしょくであり、またカエサル暗殺あんさつ紀元前きげんぜん44ねん4がつマルクス・アントニウス提案ていあん制定せいていされたアントニウスほう英語えいごばんにより独裁どくさいかん官職かんしょく廃止はいしされた。このため、常設じょうせつしょく臨時りんじしょくわずアウグストゥスの拒否きょひけん通用つうようしない官職かんしょく存在そんざいしないことになる。
  2. ^ ローマの官職かんしょく基本きほんてき複数ふくすうめい平時へいじ最高さいこうである執政しっせいかんでも2めい)が選任せんにんされ、下位かい政務せいむかん同僚どうりょう決定けっていたいして拒否きょひけん行使こうしできる。これにたいしアウグストゥスのまもるみん官職かんしょくけん同僚どうりょうがいないため、アウグストゥスの決定けっていたいして拒否きょひけん行使こうしできる官職かんしょく存在そんざいしないことになる。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]