(Translated by https://www.hiragana.jp/)
解放奴隷 - Wikipedia コンテンツにスキップ

解放かいほう奴隷どれい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

解放かいほう奴隷どれい(かいほうどれい、えい: Freedman, : Libertus)とは、奴隷どれいせい社会しゃかいにおいて奴隷どれい身分みぶんより解放かいほうされた人々ひとびとのこと。歴史れきしてき文脈ぶんみゃくにおいては、とく古代こだいローマアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく解放かいほう奴隷どれいすことがおおい。

古代こだいローマ[編集へんしゅう]

古代こだいローマ時代じだいにおいて、当初とうしょは「解放かいほう奴隷どれい」の階級かいきゅう解放かいほうされた奴隷どれい自身じしんではなく、その息子むすこ世代せだい意味いみしていたが、帝政ていせいには解放かいほうされた奴隷どれい自身じしんすようになっていた。また、解放かいほう奴隷どれいには土地とち所有しょゆうする権限けんげんあたえられた。解放かいほうされた奴隷どれい息子むすこ世代せだいは、立派りっぱなローマ市民しみんとしてあつかわれた。

解放かいほう奴隷どれい解放かいほうした主人しゅじん個人こじんめい氏族しぞく名乗なのり、自身じしん名前なまえ家族かぞくめいとしてもちいた。マルクス・トゥッリウス・キケロ速記そっきしゃとしてられている奴隷どれいティロは、解放かいほうにマルクス・トゥッリウス・ティロと名乗なのった。おおくの解放かいほう奴隷どれい解放かいほうもかつての主人しゅじんやその一家いっか関係かんけいつづけた。解放かいほうされた奴隷どれい主人しゅじんパトロヌスとするクリエンテスとなった。

奴隷どれい解放かいほう奴隷どれいとなる方法ほうほうはいくつかあり、主人しゅじん遺書いしょにより解放かいほうされるれいもあれば、生前せいぜん主人しゅじんより解放かいほうされる場合ばあいや、奴隷どれい自身じしん主人しゅじんから自由じゆうかねこともあった。ただ、古代こだいローマにおいて奴隷どれい解放かいほうするには、奴隷どれい解放かいほうぜいおさめる必要ひつようがあった。納税のうぜい義務ぎむがあったにもかかわらず、古代こだいローマの奴隷どれい所有しょゆうしゃは、奴隷どれい解放かいほうするのに熱心ねっしんであった。帝政ていせい時代じだいぜん人口じんこうのおよそ5 %を解放かいほう奴隷どれいめていた。その理由りゆうはいくつか存在そんざいする。

善意ぜんい
上述じょうじゅつのとおり、主人しゅじん死後しご遺書いしょにより解放かいほうされるケースがおおかった。古代こだいローマじんは、自分じぶん遺族いぞく多額たがく財産ざいさんのここと熱心ねっしんく、奴隷どれい解放かいほうという善意ぜんいおこないやすかった。
奴隷どれい労働ろうどう意欲いよくたかめるため
古代こだいローマの奴隷どれい肉体にくたい労働ろうどうだけでなく、知的ちてき労働ろうどうをする奴隷どれい数多かずおおくいた。肉体にくたい労働ろうどう暴力ぼうりょくてき強制きょうせいによって従事じゅうじさせること可能かのうであったが、知的ちてき労働ろうどうおこな奴隷どれい意欲いよくたかめるには、暴力ぼうりょくてき強制きょうせいでは不可能ふかのうであった。そのため意欲いよくたかめる方法ほうほうのひとつとして、一定いってい期間きかん労働ろうどう従事じゅうじしたのち解放かいほう約束やくそくしたのである。上記じょうきのキケロの速記そっきしゃのティロのケースはこの典型てんけいである。
クリエンテスやすため
すうおおくのクリエンテスつのは、ローマの貴族きぞくのステイタスであり、かつ公職こうしょく選挙せんきょにおける票田ひょうでんとなるなどの社会しゃかいてき実利じつりともなっていたため、クリエンテスをばやくかつ確実かくじつやす方法ほうほうとして、奴隷どれい解放かいほうおこなわれた。
忠実ちゅうじつ部下ぶか奴隷どれい監督かんとくしゃとして
ローマの貴族きぞく農園のうえん経営けいえい商業しょうぎょう、その事業じぎょうおこなさい忠実ちゅうじつ部下ぶかとして、その才能さいのう見込みこんだ奴隷どれい解放かいほうした。とく多数たすう奴隷どれい所有しょゆうする貴族きぞく場合ばあい、その奴隷どれい監督かんとくしゃ必要ひつようであるが、それにはみずからも奴隷どれい経験けいけんがある解放かいほう奴隷どれい適任てきにんであった。
役人やくにん官僚かんりょうとして
古代こだいローマの官職かんしょくは、貴族きぞくみずからの名誉めいよるため、あるいはノブレス・オブリージュたすための無償むしょう奉仕ほうしであった(もちろん、官職かんしょくともな利権りけんはあったが)。貴族きぞく就任しゅうにんする上級じょうきゅうしょくだけでは国家こっか運営うんえいはままならず、ちゅう下級かきゅう役人やくにん官僚かんりょう必要ひつようであった。下級かきゅう役人やくにん官職かんしょくについた貴族きぞく個人こじんてき所有しょゆうする奴隷どれいがそのにんき、それらの上位じょういしゃとしての中級ちゅうきゅうしょく解放かいほう奴隷どれいいた。
解放かいほう奴隷どれいからの収益しゅうえき
解放かいほう奴隷どれい実際じっさいには上述じょうじゅつとおり、もと主人しゅじん部下ぶかとなり、解放かいほうされたのち一定いってい期間きかん労働ろうどう奉仕ほうしをする場合ばあいおおく、奴隷どれい解放かいほうしたことでの主人しゅじん経済けいざいてき損失そんしつちいさかった。くわえて、財産ざいさんった解放かいほう奴隷どれいは、遺産いさんもと主人しゅじん贈与ぞうよするれいおおく、利殖りしょくざいけた奴隷どれい解放かいほうすることは、むしろもと主人しゅじん利益りえきとなる場合ばあいすらあった。

皇帝こうてい即位そくいするまで騎士きし階級かいきゅうかれ、元老げんろういん階級かいきゅう友人ゆうじん協力きょうりょくしゃることがなかったクラウディウス統治とうち解放かいほう奴隷どれい積極せっきょくてき利用りようし、いまでいう閣僚かくりょうクラスにも秘書官ひしょかんとして解放かいほう奴隷どれい登用とうようした(今日きょう、アメリカにおけるかく省庁しょうちょう長官ちょうかん英語えいごが「Secretary」であり、秘書ひしょどうかたりなのは、これに由来ゆらいする)。このクラウディウスの解放かいほう奴隷どれい重用じゅうようはローマ帝政ていせい官僚かんりょうせいすすめることとなった。しかし、けんみかど時代じだいにもなると、騎士きし階級かいきゅうクルスス・ホノルム整備せいびされ、公的こうてき官僚かんりょう供給きょうきゅうするルートも確立かくりつされたため、解放かいほう奴隷どれい統治とうち重要じゅうよう任務にんむになうことはすくなくなっていった。

解放かいほう奴隷どれい出身しゅっしん著名ちょめい人物じんぶつ[編集へんしゅう]

関連かんれんする文学ぶんがく作品さくひん[編集へんしゅう]

  • ペトロニウスサテュリコン解放かいほう奴隷どれいトリマルキオのかんおこなわれる豪奢ごうしゃ饗宴きょうえんえがかれている。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく[編集へんしゅう]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにおける「解放かいほう奴隷どれい」 (freedman) は、南北戦争なんぼくせんそう以前いぜんから南北戦争なんぼくせんそう解放かいほうされたもと黒人こくじん奴隷どれいについてあらわす。なお、性差せいさ表現ひょうげんとして freedperson という用語ようご存在そんざいする。

奴隷どれい解放かいほう宣言せんげん合衆国がっしゅうこく憲法けんぽう修正しゅうせいだい13じょう結果けっか、アメリカ南部なんぶにいた400まんにん黒人こくじん奴隷どれい束縛そくばくから解放かいほうされた。解放かいほう宣言せんげんは、南部なんぶしゅうにいる黒人こくじん奴隷どれい本質ほんしつてきに「自由じゆう」であることを言及げんきゅうしたが、奴隷どれいせいからは解放かいほうされなかった。かれらの奴隷どれいせいから自由じゆうへの移行いこうたすけるため、リンカーン大統領だいとうりょう解放かいほう黒人こくじんきょく (en) を創設そうせつした。修正しゅうせいだい14じょうは、もと奴隷どれい市民しみんけんあたえた。修正しゅうせいだい15じょうは、解放かいほう奴隷どれい選挙せんきょけんあたえた。これらの修正しゅうせいだい13じょうから15じょうは、「公民こうみんけん修正しゅうせい条項じょうこう」としてられている。

イスラム世界せかい[編集へんしゅう]

イスラームきょうにおいて、奴隷どれい解放かいほうすることは最後さいご審判しんぱんのち天国てんごくむかえられるためにのぞましい善行ぜんこうとみなされていたので非常ひじょう積極せっきょくてきおこなわれた。奴隷どれい解放かいほうによって社会しゃかい身分みぶんじょう自由じゆうじんにまったくおとらない資格しかく獲得かくとくすることができた。

しかし、解放かいほうされても奴隷どれいはイスラム社会しゃかい部外ぶがいしゃであり、必然ひつぜんてきもと所有しょゆうしゃとのあいだ保護ほごされねばきてけなかった。そのため、もと所有しょゆうしゃとは一種いっしゅ主従しゅうじゅう関係かんけいまれ、有力ゆうりょくしゃ子飼こがい商人しょうにん私兵しへいなどになった。

そのなかでもとく有名ゆうめいなのはマムルークである。遊牧民ゆうぼくみん子弟してい積極せっきょくてき奴隷どれいとしてり、しかのち解放かいほうして[よう出典しゅってん]忠実ちゅうじつ兵士へいしとしたのである。マムルークのなかには有力ゆうりょくしゃアミール)として出世しゅっせしたものもおり、そうした有力ゆうりょくしゃみずからとおな出自しゅつじもの信頼しんらいできるとしてさかんに奴隷どれい購入こうにゅうし、マムルークとした。そしてとうとうエジプトインドイラクにおいて、マムルークによる王朝おうちょう成立せいりつするまでになる。

日本にっぽん[編集へんしゅう]

  • 日本にっぽんにおいても、楽市らくいちといった特別とくべつ環境かんきょうにおいて奴隷どれい解放かいほうられ、「楽市らくいちれい」の特許とっきょ条項じょうこうひとつに、「逃亡とうぼう奴隷どれい犯罪はんざいじん市場いちばないはいった場合ばあい、その追求ついきゅうをまぬがれ、市場いちば住人じゅうにん宗教しゅうきょうにおける売買ばいばいじん)となることで解放かいほうされる」とある。この場合ばあい楽市らくいちといった限定げんていてき環境かんきょう縁切えんきじょう)でのみの奴隷どれい解放かいほうとなる。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

古代こだいローマ
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく・カナダ