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プレブス

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プレブス古典こてんラテン語らてんごplebs プレープス)とは、古代こだいローマ社会しゃかいにおける階級かいきゅうのひとつである。おもパトリキ貴族きぞく)と対比たいひしてもちいられる。日本語にほんごでは「平民へいみん」とやくされることがおおい。

おもにローマ社会しゃかいでの中流ちゅうりゅう以下いか階級かいきゅうしたが、共和きょうわせい後期こうきからその意味いみ次第しだいうすれていった。

発音はつおんについて[編集へんしゅう]

日本語にほんごへのおとうつしでは「プレス」と表記ひょうきされることがおおいが、古典こてんラテン語らてんごでは s の直前ちょくぜんの b は [p]発音はつおんされ[1]、またちょう母音ぼいんたん母音ぼいん区別くべつうしなわれるのはぞくラテン語らてんご時期じきまでたなければならず、この plebs の e はちょう母音ぼいんであるため「プレープス」という表記ひょうきほう原音げんおんちかい。

概要がいよう[編集へんしゅう]

プレブスの起源きげんは、パトリキと同様どうようによくかってはいない。人種じんしゅてき区分くぶんしめ根拠こんきょにもとぼしく、また王政おうせいローマ時代じだいには両者りょうしゃ区別くべつはあまりされてはいなかった。しかしながら王政おうせい初期しょきロムルスヌマトゥッルス・ホスティリウス治世ちせいまでのローマ市民しみんすべてパトリキとばれていることから、以後いごアンクス・マルキウス治世ちせいよりローマに移住いじゅうした人々ひとびとをプレブスとんでいたらしい。当初とうしょプレブスはローマ社会しゃかいきゅう市民しみん英語えいごばんとして認知にんちされており、共和きょうわせいへの転換期てんかんき前後ぜんこうまでは、宗教しゅうきょうてき儀式ぎしきおよび行政ぎょうせいかかわることはゆるされてはいなかった。

王政おうせい廃止はいし以降いこう元老げんろういんというかたち行政ぎょうせい独占どくせんするパトリキとプレブスの区別くべつ厳格げんかくで、じゅうひょうほうでは両者りょうしゃつうこん禁止きんしされていた。そのあいだプレブスないでの氏族しぞく関係かんけい整理せいりされ、氏族しぞくごとの軍隊ぐんたい反映はんえいされ、のちにトリブヌスすこととなった。

プレブスは徐々じょじょちからし、既存きそん勢力せいりょくであるパトリキと対立たいりつしてくる。まず独自どくじみんかいつくり、またローマをモンテ・サクロおかてこもるなどパトリキにたいして反発はんぱつ。この姿勢しせい元老げんろういん議員ぎいんであるパトリキは妥協だきょうし、紀元前きげんぜん494ねんみんかい拒否きょひけんという強大きょうだい権限けんげんち、かつプレブスのみが就任しゅうにんできる公職こうしょくまもるみんかん設置せっち承諾しょうだくする。これ以降いこうプレブスのなかでも裕福ゆうふくもの元老げんろういん議員ぎいんとして支配しはい階級かいきゅうむかれられ、リキニウス・セクスティウスほうによりコンスルもプレブスに開放かいほうされる。そして紀元前きげんぜん1世紀せいきにはパトリキけい元老げんろういん議員ぎいん減少げんしょうし、プレブスけい元老げんろういん議員ぎいん多数たすうめるなか両者りょうしゃちがいの意味いみはさほど重要じゅうようでなくなっていった。

帝政ていせいになると本来ほんらい意味合いみあいからはなれて、プレブスという単語たんご元老げんろういん議員ぎいんした家系かけいでもなく、エクィテス階級かいきゅうでもないローマ市民しみん言葉ことばとして使つかわれるようになった。覇権はけん国家こっかとして地中海ちちゅうかい世界せかい領域りょういきひろげたローマにおいて、ローマ市民しみん全員ぜんいんが、ぞくしゅうみん奴隷どれいうえ君臨くんりんする支配しはいしゃ階級かいきゅうし、『パンとサーカス』という言葉ことば象徴しょうちょうされる特権とっけん既得きとくけん存在そんざいであった。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 松平まつだいら千秋ちあき国原くにはら吉之助よしのすけしんラテン文法ぶんぽうだい7はん東洋とうよう出版しゅっぱん、2000ねん、10ぺーじ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]