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ポプラレス

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ポプラレス: Populares)は、共和きょうわせいローマ末期まっき政治せいじ一派いっぱとされる用語ようご日本語にほんごでは民衆みんしゅう平民へいみんばれるが、定義ていぎ明確めいかくで、集団しゅうだんではなく、自身じしん目的もくてき達成たっせいのために民衆みんしゅう利用りようするものをすとする学者がくしゃもいる。

16世紀せいきから19世紀せいきにかけて、ローマの社会しゃかい情勢じょうせいは、おそらくその当時とうじ状況じょうきょうから想像そうぞうされる、貴族きぞく平民へいみんというようなきょく構造こうぞうなされてきたが、プロソポグラフィによる分析ぶんせき結果けっか現在げんざい学者がくしゃあいだでは、きょく構造こうぞうよりも個人こじんてき友情ゆうじょう取引とりひき家族かぞく関係かんけいなどによってむすばれたいくつかのグループの存在そんざい想定そうていされている[1]

概要がいよう

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ティベリウス・グラックス数ヶ月すうかげつあいだ、まるでおうのようにった。
これまでのローマの歴史れきしにはなかったことだ。。。
ガイウス・グラックスがこれからなにをしでかすか、うらないたくもない。
徐々じょじょにだが、破滅はめつかって加速度かそくどてきすべしている。
ガビニウスほう[注釈ちゅうしゃく 1]、その2ねんのカッシウスほう[注釈ちゅうしゃく 2]で、選挙せんきょもめちゃくちゃ。
いま人々ひとびと元老げんろういん分断ぶんだんあきらかで(Videre iam videor populum a senatu disiunctum)、
おおくのこと大衆たいしゅう意志いしが(multitudinis arbitrio)うごかしている。
どうすればそれをふせげるかではなく、そう出来できるかをまなものほうおおいのだ。

キケロ『友情ゆうじょうについて』41. ガイウス・ラエリウス・サピエンス台詞せりふ

共和きょうわせいローマの政治せいじ主導しゅどうしてきた元老げんろういんたいし、平民へいみん支持しじ基盤きばん政治せいじおこなおうとした一派いっぱをポプラレスという(これにたいし、従来じゅうらいどお元老げんろういん主導しゅどうによる政治せいじおこなおうとするものたちをそうじてオプティマテス閥族ばつぞく元老げんろういんぶ)。

ポプラレスが政治せいじしてはじめて使つかわれたのは、紀元前きげんぜん66ねんかんがえられており、現在げんざいではポプラレスは同時どうじ複数ふくすういることはまれで、まとまった集団しゅうだんとして機能きのうしたことはないというのが学者がくしゃ共通きょうつう認識にんしきとなっており、そもそもの定義ていぎさだまっているわけではない。ただ、キケロうところの、自身じしん目的もくてき達成たっせいのために元老げんろういんではなく民衆みんしゅう利用りようするものたち、というのがおおむねれられている[5]ほかにも、オプティマテスととも現代げんだいてき政党せいとうではなかったというのがたりまえ認識にんしきであり、この幽霊ゆうれい成仏じょうぶつすることをねがっていると学者がくしゃもいる[6]

現代げんだい研究けんきゅう

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貴族きぞく(nobilitas)はその権威けんい(dignitas)を、
人々ひとびとはその自由じゆうまわすようになり、
おのおのがうばうことに夢中むちゅうになった。
このためすべては2つのとう(partis)にかれ、
共和きょうわこくかれた。

サッルスティウス『ユグルタ戦記せんき』41.5

テオドール・モムゼン門閥もんばつ民衆みんしゅうというような派閥はばつ対立たいりつとしてとらえた一人ひとりであり、19世紀せいき社会しゃかい情勢じょうせい影響えいきょうかんがえられ、またかれ自身じしん反論はんろんがあることをまえつついていたふしがある。この対立たいりつ構造こうぞう問題もんだいがあることは認識にんしきされてはいるが、完全かんぜん解決かいけつにはいたっていない[7]リリー・ロス・テイラー英語えいごばんは、モムゼンの用法ようほう当時とうじのものであり、現在げんざいのそれとは意味合いみあいがちがうことを指摘してきしているという[8]

従来じゅうらい共和きょうわせい末期まっき戦争せんそうによって中小ちゅうしょう農民のうみん土地とち手放てばなし、支配しはい階層かいそうであるノビレスによるだい土地とち所有しょゆうすすんだため、支配しはいそう対抗たいこうして没落ぼつらく農民のうみん救済きゅうさいのために改革かいかくおこなわれてきたと説明せつめいされてきたが、近年きんねん発掘はっくつ調査ちょうさからはそのような傾向けいこう確実かくじつにはれないことがあきらかとなった。また、史料しりょうから中小ちゅうしょう農民のうみん没落ぼつらくろうとするうごきもあったが、かぎられた情報じょうほうから確定かくていするにはいたっていない[9]おな文脈ぶんみゃく解説かいせつされるマリウスの軍制ぐんせい改革かいかくによる職業しょくぎょう軍人ぐんじんという見方みかたにも、否定ひていてき研究けんきゅうてきている[10]無理むりきょくによって、時代じだい背景はいけい理解りかい支障ししょうをきたしており、状況じょうきょうおうじて「マリウス・キンナ」「カエサル」といった具合ぐあい区別くべつすべきだという提唱ていしょうもある[11]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ぜん139ねんまもるみんかん、アウルス・ガビニウスの立法りっぽう[2]政務せいむかん選挙せんきょ記名きめい投票とうひょうにした[3]
  2. ^ ぜん137ねんまもるみんかんルキウス・カッシウス・ロンギヌス・ラウィッラ立法りっぽう[4]反逆はんぎゃくざい(perduellio)以外いがいみんかいでの裁判さいばん記名きめい投票とうひょう[3]

出典しゅってん

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  1. ^ Achard, p. 794.
  2. ^ MRR1, p. 482.
  3. ^ a b Rotondi, p. 297.
  4. ^ MRR1, p. 485.
  5. ^ Mackie, pp. 49–51.
  6. ^ Seager, p. 328.
  7. ^ 長谷川はせがわ 2, pp. 408–409.
  8. ^ 鷲田わしだ(2020), p. 77.
  9. ^ 砂田すなだ(2008), pp. 2–8.
  10. ^ 砂田すなだ(2018), p. 16.
  11. ^ 鷲田わしだ(2020), pp. 82–83.

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Giovanni Rotondi (1912). Leges publicae populi romani. Società Editrice Libraria 
  • T. R. S. Broughton (1951). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association 
  • R. Seager (1972). “Cicero and the Word Popvlaris”. The Classical Quarterly (Cambridge University Press) 22 (2): 328-338. JSTOR 638213. 
  • Guy Achard (1982). “Langage et société: A propos des optimates et des populares”. Latomus (Société d'Études Latines de Bruxelles) 41 (4): 794-800. JSTOR 41532686. 
  • N. Mackie (1992). “"Popularis" Ideology and Popular Politics at Rome”. Rheinisches Museum für Philologie (J.D. Sauerländers Verlag) 135 (1): 49-73. JSTOR 41233843. 
  • テオドール・モムゼン しる長谷川はせがわ博隆ひろたか わけ『ローマの歴史れきし II 地中海ちちゅうかい世界せかい覇者はしゃへ』名古屋大学出版会なごやだいがくしゅっぱんかい、2005ねんISBN 4-8158-0506-7 
  • 砂田すなだとおる「グラックス改革かいかく再考さいこう」『西洋せいよう論集ろんしゅうだい11かん北海道大学ほっかいどうだいがく文学部ぶんがくぶ西洋せいよう研究けんきゅうしつ、2008ねん、1-26ぺーじ 
  • 砂田すなだとおる共和きょうわせいローマの内乱ないらんとイタリア統合とうごう 退役たいえきへい植民しょくみんへの地方ちほう都市とし対応たいおう北海道大学ほっかいどうだいがく出版しゅっぱんかい、2018ねんISBN 9784832968431 
  • 鷲田わしだあつしろうインゲニウムこう : ローマ共和きょうわせい後期こうきにおける「競争きょうそうてき政治せいじ文化ぶんか」との整合せいごうせい中心ちゅうしん」『待兼山まちかねやま論叢ろんそう. 史学しがくへんだい48かん大阪大学おおさかだいがく西洋せいよう学会がっかい、2014ねん、51-76ぺーじ 
  • 鷲田わしだあつしろう「「民衆みんしゅう」と「閥族ばつぞく」はほろぼさねばならない:ローマ共和きょうわせい後期こうきにおける政治せいじ状況じょうきょう理解りかいけて」『パブリック・ヒストリー』だい17かん大阪大学おおさかだいがく西洋せいよう学会がっかい、2020ねん、75-83ぺーじdoi:10.18910/76014 

関連かんれん項目こうもく

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