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ガイウス・カッシウス・ロンギヌス

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ガイウス・カッシウス・ロンギヌス
C. Cassius Longinus[1]
ロンギヌスとレントゥルス・スピンテルをきざんだ紀元前きげんぜん42ねんごろデナリウス銀貨ぎんか
出生しゅっしょう 紀元前きげんぜん86ねんころ
死没しぼつ 紀元前きげんぜん42ねん
出身しゅっしん階級かいきゅう ノビレス
氏族しぞく カッシウス氏族しぞく
官職かんしょく クァエストル紀元前きげんぜん53ねん
プロクァエストル紀元前きげんぜん52ねん-51ねん
まもるみんかん紀元前きげんぜん49ねん
プラエフェクトゥス・クラッシス紀元前きげんぜん49ねん-48ねん
レガトゥス紀元前きげんぜん47ねん-46ねん
プラエトル・ペレグリヌス紀元前きげんぜん44ねん
プロコンスル紀元前きげんぜん44ねん-42ねん
予定よてい執政しっせいかん紀元前きげんぜん41ねん
シビュラのしょ管理かんり委員いいん(?-紀元前きげんぜん42ねん
配偶はいぐうしゃ ユニア・テルティア英語えいごばん
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ガイウス・カッシウス・ロンギヌスラテン語らてんご: Gaius Cassius Longinus紀元前きげんぜん87ねんまたは紀元前きげんぜん86ねんごろ - 紀元前きげんぜん42ねん)は、共和きょうわせいローマ末期まっき政務せいむかんマルクス・ユニウス・ブルトゥスらとともガイウス・ユリウス・カエサル暗殺あんさつ英語えいごばんした首謀しゅぼうしゃ1人ひとりとしてられる。たんカッシウスカシウス表記ひょうきされることもおおい。エピクロス信奉しんぽうしゃでもあった[2]

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

紀元前きげんぜん53ねんクァエストルとしてだいいちかいさんとう政治せいじ1人ひとりマルクス・リキニウス・クラッススおこなったパルティア遠征えんせいしたがい、カルラエのたたかのち敗残はいざんへいをまとめパルティアがわ侵攻しんこうふせいだ[3]

よく紀元前きげんぜん52ねんからはプロクァエストルとしてシリアぞくしゅう防衛ぼうえいにあたり、ユダヤじん反乱はんらん鎮圧ちんあつ[4]紀元前きげんぜん51ねんにはパルティアぐんアンティオキア近郊きんこう撃退げきたいした[5]

紀元前きげんぜん49ねんからのローマ内戦ないせんでは、カッシウスはグナエウス・ポンペイウス元老げんろういんくみしてガイウス・ユリウス・カエサル対抗たいこうした。ファルサルスのたたかでポンペイウスがやぶれるとカッシウスは元老げんろういん議員ぎいん同様どうようカエサルにゆるされ、カエサルの支配しはいするローマで紀元前きげんぜん44ねん外国がいこくじんがかりプラエトル(praetor peregrinus)に就任しゅうにんした。このとき同僚どうりょう首都しゅとプラエトルはマルクス・ブルトゥスであった。

カッシウスはブルトゥスとともに、当時とうじ王位おういのぞんでいたとされたカエサルの暗殺あんさつ計画けいかくする。暗殺あんさつはんたち精神せいしんめんでのリーダーには、ローマの王政おうせいはいしたルキウス・ユニウス・ブルトゥス末裔まつえいといわれ、ストア信奉しんぽうしゃとして廉潔れんけつ性格せいかくられていたブルトゥスがき、カッシウスは計画けいかく実務じつむめんについて中心ちゅうしんになったとされる(ブルトゥスの異父いふいもうとユニア・テルティアはカッシウスのつま)。カッシウスは、カエサルの暗殺あんさつさいしてその腹心ふくしん部下ぶかであり後継こうけいしゃとなるおそれのあったマルクス・アントニウス同時どうじ殺害さつがいするべきと主張しゅちょうした。しかし暗殺あんさつ大義たいぎ重視じゅうしするブルトゥスはカエサル以外いがいのローマ市民しみんながれることをのぞまず、暗殺あんさつ対象たいしょうはカエサルのみとする計画けいかくてられた。

紀元前きげんぜん44ねんにカッシウスらはカエサルの暗殺あんさつ成功せいこうした。しかしアントニウスによるカエサルの追悼ついとう演説えんぜつなどをけローマの情勢じょうせい共和きょうわのぞまぬ方向ほうこうへと推移すいいしていった。こうした情勢じょうせいなか、カッシウスは暗殺あんさつ以前いぜんから決定けっていしていた任地にんちシリアかうためローマをはなれ、シリアにいたカエサルプブリウス・コルネリウス・ドラベッラやぶり、軍勢ぐんぜいととのえた。そのブルトゥスと合流ごうりゅうしたカッシウスは重税じゅうぜいすなどして、カエサル反攻はんこうそなえた。

だいかいさんとう政治せいじ成立せいりつさせローマの支配しはいけん手中しゅちゅうにしたアントニウスとマルクス・アエミリウス・レピドゥスオクタウィアヌス共和きょうわへの反攻はんこう開始かいしした。カッシウス、ブルトゥスとアントニウス、オクタウィアヌスのりょうぐんはフィリッピ(げんピリッポイ)で対峙たいじした。フィリッピのたたかではカッシウスがアントニウスを、ブルトゥスがオクタウィアヌスをそれぞれった。ブルトゥスはオクタウィアヌスぐんたい優勢ゆうせいたたかったが、カッシウスはぎゃくにアントニウスぐんまれた。たたかいのなか自軍じぐん全面ぜんめんてきやぶれていると形勢けいせい誤解ごかいしたカッシウスは騎兵隊きへいたい接近せっきんけてみずかいのちった。そのおこなわれた2度目どめたたかいで共和きょうわ完敗かんぱいしブルトゥスも自殺じさつした。

僭主せんしゅカエサル」の暗殺あんさつ首謀しゅぼうしゃであったカッシウスとブルトゥスの名声めいせいながのこり、帝政ていせいはいるとカッシウスは「最後さいごのローマじん」としょうされることもあった。一方いっぽうでカエサルを英雄えいゆうしていたダンテ・アリギエーリは『かみきょく』のなかでカッシウスとブルトゥス、およびイエスを裏切うらぎったイスカリオテのユダとも地獄じごくさい下層かそう配置はいちしている。

カッシウスが登場とうじょうする作品さくひん[編集へんしゅう]

舞台ぶたい[編集へんしゅう]

テレビドラマ[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ MRR2, p. 320.
  2. ^ Sedley, David (1997-11). “The Ethics of Brutus and Cassius” (英語えいご). Journal of Roman Studies 87: 41–53. doi:10.2307/301367. ISSN 0075-4358. JSTOR 301367. https://www.cambridge.org/core/product/identifier/S0075435800058068/type/journal_article. 
  3. ^ MRR2, p. 229.
  4. ^ MRR2, p. 237.
  5. ^ MRR2, p. 243.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • T. R. S. Broughton (1952). The Magistrates of the Roman Republic Vol.2. American Philological Association 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]