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批判ひはん理論りろん

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前列ぜんれつひだりがホルクハイマー、みぎがアドルノ、背後はいご後列こうれつみぎはしあたまいているのがハーバーマス

批判ひはん理論りろん(ひはんりろん、どくKritische Theorieえい:critical theory、ふつ:théorie critique)は、アドルノホルクハイマーフランクフルト学派がくはによって展開てんかいされた社会しゃかい哲学てつがく理論りろん批評ひひょう理論りろん(ひひょうりろん)ともやくされる。

要約ようやく[編集へんしゅう]

批判ひはん理論りろん出発しゅっぱつてんは、カール・マルクス著作ちょさくにある。労働ろうどう運動うんどう政党せいとう政治せいじ運動うんどうによるマルクスの著作ちょさく受容じゅようは、かなりいびつで短絡たんらくてきなものであり、マルクスの哲学てつがく現在げんざいでもさい解釈かいしゃく余地よちおおきい。批判ひはん理論りろんは、マルクスの理論りろんをブルジョワ資本しほん主義しゅぎ批判ひはんならないものとし、経済けいざいがく学説がくせつ歴史れきし哲学てつがく世界せかいかんとはかんがえない。批判ひはん理論りろんには、フロイト精神せいしん分析ぶんせきがくからの影響えいきょう指摘してきされている。批判ひはん理論りろん方法ほうほうろんてき基礎きそは、ヘーゲル弁証法べんしょうほうにある。

フランクフルト学派がくは代表だいひょうしゃたちは、実証じっしょう主義しゅぎ一線いっせんかく立場たちばをとる。ここでは、実証じっしょう主義しゅぎとは、20世紀せいきの「はん形而上学けいじじょうがくてきな」哲学てつがく潮流ちょうりゅう実証じっしょう主義しゅぎしん実証じっしょう主義しゅぎ分析ぶんせき哲学てつがくならんで、批判ひはんてき観念論かんねんろんふくまれる)である。

実証じっしょう主義しゅぎとの1961ねんからの対決たいけつは、いわゆる実証じっしょう主義しゅぎ論争ろんそうばれているが、これもいまではとりわけ「青年せいねん批判ひはん理論りろん」にあっては、分析ぶんせき哲学てつがくてき言語げんご哲学てつがくへの回帰かいきるにつけ、その意味いみうしなってきたように見受みうけられる。

歴史れきし[編集へんしゅう]

批判ひはん理論りろん発展はってんは、1931ねんマックス・ホルクハイマーがフランクフルト・アム・マインの社会しゃかい研究所けんきゅうじょ所長しょちょう就任しゅうにんしたときからはじまる。「批判ひはん理論りろん」という名前なまえは、1937ねんホルクハイマーが発表はっぴょうしたプログラムてき論文ろんぶん伝統でんとうてき理論りろん批判ひはん理論りろん」のタイトルからってこられたものである。批判ひはん理論りろん代表だいひょうさくとされているのは、ホルクハイマーとテオドール・アドルノが1944-1947ねん共同きょうどう執筆しっぴつした論文ろんぶんしゅう啓蒙けいもう弁証法べんしょうほう』である。アメリカへの亡命ぼうめい時期じき、ホルクハイマーとアドルノは、とも権威けんいてき性格せいかくについての調査ちょうさ研究けんきゅうたずさわり、それにより全体ぜんたい主義しゅぎ体制たいせい解明かいめいけての重要じゅうようあしがかりをることができた。だい世界せかい大戦たいせん、ホルクハイマーとアドルノの周辺しゅうへん研究けんきゅうしゃたちの仕事しごとそうじてフランクフルト学派がくはばれるようになる。国家こっか社会しゃかい主義しゅぎとの対決たいけつ経験けいけんとおして、批判ひはん理論りろんは、あらたな飛躍ひやくげていた。アドルノのおしたちのおおくは、かれらに批判ひはん理論りろんをもたらすことになった1933ねん-1945ねん出来事できごとたいして合理ごうりてき説明せつめいのぞんだのである。批判ひはん理論りろんは、世界せかいてき大学だいがく紛争ふんそうまれた1968年代ねんだい運動うんどうなかでその開花かいかむかえる。ドイツではルディ・ドゥチュケおおきな影響えいきょうけた。ホルクハイマー、アドルノらの批判ひはん理論りろんは、おりれて「きゅう批判ひはん理論りろん」とばれるようになり、それにたいしてユルゲン・ハーバーマス代表だいひょうするあたらしいかんがかたが「しん批判ひはん理論りろん」とばれるようになる。

主要しゅよう主張しゅちょう[編集へんしゅう]

批判ひはん理論りろんみっつのおもだった観察かんさつ分野ぶんやは、経済けいざいがく個人こじん発達はったつ、ならびに文化ぶんかである。マルクス主義まるくすしゅぎ精神せいしん分析ぶんせきてき見方みかたわせて、とくに「社会しゃかい」が批判ひはんてき考察こうさつされている。この社会しゃかいたんなる「特定とくてい時代じだい人間にんげん総体そうたい」ととらえられるだけではなく、むしろ個人こじん圧倒あっとうするかたちでそれに対置たいちし、ひと性格せいかく行動こうどう可能かのうせいを、幅広はばひろく、しかも人間にんげん社会しゃかい形成けいせい寄与きよしうる以上いじょう強力きょうりょくかたちかたちづくるさまざまな「関係かんけい」としてとらえられている。そのさい特別とくべつ仲介ちゅうかいてき役割やくわりたすことになるのが、家庭かていにおける社会しゃかい精神せいしん分析ぶんせきてき作用さよう因子いんしとしての家庭かてい)ならびに大衆たいしゅうメディア大衆たいしゅう文化ぶんかである。

ぎゃくに、資本しほん主義しゅぎ社会しゃかいにおいては増大ぞうだいしていく技術ぎじゅつ科学かがくてき進歩しんぽ、そこから由来ゆらいする官僚かんりょうせいによって、疎外そがい進行しんこうし、個人こじん意味いみうしなわれている。理性りせい道具どうぐてき合目的的ごうもくてきてきなものにわっていくなら、啓蒙けいもうてき理性りせいは、人間にんげん本質ほんしつとしての世界せかいたいするしん認識にんしき到達とうたつすることができるだろう。道具どうぐてき理性りせいは、世界せかいと、そして人間にんげん唯一ゆいいつ効用こうよう視点してんからるものである。個人こじんあいだ関係かんけいは、伝統でんとうてき束縛そくばくから解放かいほうされてはじめて、それ自体じたいのものとしてられるようになり、客観きゃっかんされ、そして交換こうかんてき関係かんけいそのもののみに還元かんげんされることができる。

最後さいごに、個々人ここじん包括ほうかつてき社会しゃかいてき統制とうせい行使こうしし、理想りそう主義しゅぎしん形式けいしき主義しゅぎ慣習かんしゅう、あるいは創造そうぞうせい個人こじん性格せいかく対置たいちするものとして抑圧よくあつする「全体ぜんたい主義しゅぎてき管理かんり社会しゃかい」がある。批判ひはん理論りろんは、哲学てつがくが、きたるべき社会しゃかいでのより関係かんけい目指めざして、社会しゃかいなか実践じっせんてき、かつ中心ちゅうしんてき意義いぎあるものであることをつよ期待きたいするのである。ヘルベルト・マルクーゼ著書ちょしょ一次元いちじげんてき人間にんげん』はこうした全体ぜんたい主義しゅぎてき管理かんり社会しゃかい分析ぶんせき批判ひはんしたものである。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]