現代 げんだい 思想 しそう (げんだいしそう)、あるいは、現代 げんだい 哲学 てつがく (げんだいてつがく、英 えい : contemporary philosophy )とは、20世紀 せいき 半 なか ば以降 いこう にあらわれた西洋 せいよう 哲学 てつがく ・思想 しそう のこと。大 おお きく英 えい 米 べい 圏 けん の分析 ぶんせき 哲学 てつがく とドイツ・フランス圏 けん の大陸 たいりく 哲学 てつがく に分 わ けられる。
英 えい 米 べい 圏 けん では、論理 ろんり 実証 じっしょう 主義 しゅぎ を経 へ て分析 ぶんせき 哲学 てつがく が発展 はってん し、これは日常 にちじょう 言語 げんご 学派 がくは と理想 りそう 言語 げんご 学派 がくは (人工 じんこう 言語 げんご 学派 がくは ) とに分 わ かれた。ドイツでは、フッサール の現象 げんしょう 学 がく 、ディルタイ の解釈 かいしゃく 学 がく 、その2つを時間 じかん 論 ろん の上 うえ で統合 とうごう しようと試 こころ みたマルティン・ハイデッガー の現象 げんしょう 学 がく 的 てき 解釈 かいしゃく 学 がく 、基礎 きそ 的 てき 存在 そんざい 論 ろん が多 おお くの学問 がくもん 分野 ぶんや に影響 えいきょう を与 あた えた。
フランス現代 げんだい 思想 しそう では、ドイツ発祥 はっしょう の現象 げんしょう 学 がく を承継 しょうけい する過程 かてい で実存 じつぞん 主義 しゅぎ が興 おこ った。その後 ご 、ソシュール を祖 そ とする構造 こうぞう 主義 しゅぎ が興 おこ り、実存 じつぞん 主義 しゅぎ は廃 すた れていったが、さらにこれに対 たい する反動 はんどう としてポスト構造 こうぞう 主義 しゅぎ が興 おこ るという大 おお きな流 なが れがある。このような大 おお きな流 なが れはやがて相互 そうご に影響 えいきょう を与 あた え始 はじ める。
さらにドイツでは、ヘーゲルの弁証法 べんしょうほう を基礎 きそ に、マルクス主義 まるくすしゅぎ 哲学 てつがく と科学 かがく を統合 とうごう し、非合理 ひごうり 的 てき な社会 しゃかい からの人間 にんげん の解放 かいほう を目指 めざ すフランクフルト学派 がくは の批判 ひはん 理論 りろん が、分析 ぶんせき 哲学 てつがく を実証 じっしょう 主義 しゅぎ であると批判 ひはん して対立 たいりつ していたが、戦後 せんご いわゆる「実証 じっしょう 主義 しゅぎ 論争 ろんそう 」を経 へ て、英 えい 米 べい 圏 けん の分析 ぶんせき 哲学 てつがく の研究 けんきゅう 成果 せいか を受 う け入 い れる流 なが れができた。逆 ぎゃく に、英 えい 米 べい 圏 けん でも、大陸 たいりく 哲学 てつがく の研究 けんきゅう 成果 せいか を受 う け入 い れ、ポストモダン の潮流 ちょうりゅう を受 う けたカルチュラル・スタディーズ 、ポストコロニアリズム などの新 あら たな学問 がくもん の流 なが れがでてきた。
現代 げんだい 思想 しそう の先駆 せんく 者 しゃ たち[ 編集 へんしゅう ]
19世紀 せいき 後半 こうはん から20世紀 せいき 前半 ぜんはん にかけての数 すう 人 にん の哲学 てつがく 者 しゃ ・思想家 しそうか が現代 げんだい 思想 しそう に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えた人物 じんぶつ として列挙 れっきょ される。20世紀 せいき 半 なか ば英 えい 米 べい 哲学 てつがく では分析 ぶんせき 哲学 てつがく が支配 しはい 的 てき になるが、ヨーロッパでは、ゴットロープ・フレーゲ 、バートランド・ラッセル 、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン らを先駆 せんく 者 しゃ とする論理 ろんり 実証 じっしょう 主義 しゅぎ の運動 うんどう が始 はじ まっていた。論理 ろんり 実証 じっしょう 主義 しゅぎ に拠 よ れば、論理 ろんり 学 がく と数学 すうがく の真理 しんり はトートロジー (常 つね に真 しん となる論理 ろんり 命題 めいだい )であり、科学 かがく の真理 しんり は実験 じっけん 的 てき に検証 けんしょう できる。倫理 りんり 学 がく 、美学 びがく 、神学 しんがく 、形而上学 けいじじょうがく および存在 そんざい 論 ろん の主張 しゅちょう を含 ふく め他 た の主張 しゅちょう はどれも意味 いみ がないとした(この理論 りろん は検証 けんしょう 理論 りろん と呼 よ ばれた)。アドルフ・ヒトラー とナチス党 とう の勃興 ぼっこう により、多 おお くの実証 じっしょう 主義 しゅぎ 者 しゃ がドイツ からイギリスやアメリカに逃 のが れ、その後 ご の年月 としつき ではアメリカにおける分析 ぶんせき 哲学 てつがく の支配 しはい を補強 ほきょう することになった。
大陸 たいりく 哲学 てつがく では、ニーチェ 、マルクス 、フロイト の3名 めい がよく名前 なまえ が挙 あ がるが、他 た には、フッサール 、ソシュール なども重要 じゅうよう 視 し される[注釈 ちゅうしゃく 1] 。
分析 ぶんせき 哲学 てつがく と大陸 たいりく 哲学 てつがく の分岐 ぶんき [ 編集 へんしゅう ]
(
画像 がぞう 左 ひだり から)
カント 、
フレーゲ 、
フッサール 。この3
人 にん が
分析 ぶんせき 哲学 てつがく と
大陸 たいりく 哲学 てつがく の
分岐 ぶんき 点 てん を
作 つく った。
サイモン・クリッチリー によれば、分析 ぶんせき 哲学 てつがく と大陸 たいりく 哲学 てつがく の分岐 ぶんき 地点 ちてん は二 ふた つあるとされている。一 ひと つはイマヌエル・カント の哲学 てつがく に対 たい する二 に 通 とお りの反応 はんのう と評価 ひょうか であり、英 えい 米 べい 哲学 てつがく は『純粋 じゅんすい 理性 りせい 批判 ひはん 』の成功 せいこう した「認識 にんしき 論 ろん 」に、大陸 たいりく 哲学 てつがく は『判断 はんだん 力 りょく 批判 ひはん 』の「実践 じっせん 」にそれぞれ強 つよ い関心 かんしん を持 も った。
もう一 ひと つはフランツ・ブレンターノ らの心理 しんり 主義 しゅぎ に対 たい する二人 ふたり の哲学 てつがく 者 しゃ の異 こと なった反応 はんのう で、そのうちの一人 ひとり は大陸 たいりく 哲学 てつがく のフッサールであり、もう一人 ひとり は分析 ぶんせき 哲学 てつがく のフレーゲ である。この二人 ふたり からそれぞれの哲学 てつがく の流 なが れは分岐 ぶんき し、ダメット はそれをフッサールを黒海 こっかい に注 そそ ぐドナウ川 がわ に、フレーゲを北海 ほっかい に注 そそ ぐライン川 がわ に喩 たと えている。フッサールの影響 えいきょう は今日 きょう 大陸 たいりく 哲学 てつがく のみならず、英 えい 米 べい 哲学 てつがく にも広 ひろ く及 およ んでいるが、フッサールは、数学 すうがく ・論理 ろんり 学 がく の基礎 きそ を生物 せいぶつ 学 がく 的 てき ・心理 しんり 学 がく 的 てき な過程 かてい に求 もと めようとする心理 しんり 主義 しゅぎ 、殊 こと に意味 いみ ・思想 しそう までも表象 ひょうしょう ととらえることに強 つよ く反対 はんたい していたが、この点 てん はフレーゲも同様 どうよう であった。しかし、両者 りょうしゃ は、意味 いみ ・思想 しそう という論理 ろんり 的 てき なものと心理 しんり 的 てき なものを厳密 げんみつ に区別 くべつ するという点 てん において共通 きょうつう していたが、フレーゲは、心理 しんり 的 てき なものから論理 ろんり 的 てき なものの領域 りょういき を守 まも るという関心 かんしん から、言語 げんご 表現 ひょうげん の内包 ないほう (意味 いみ )が外延 がいえん (指示 しじ 対象 たいしょう )を決定 けってい すると考 かんが えて現在 げんざい の分析 ぶんせき 哲学 てつがく の基礎 きそ を作 つく った。これに対 たい し、フッサールは、心理 しんり 的 てき なものと論理 ろんり 的 てき なものがどのように相互 そうご に影響 えいきょう を与 あた えるのかという関心 かんしん から、ノエシス / ノエマの関係 かんけい の解明 かいめい に向 む かい、現象 げんしょう 学 がく を創始 そうし することになったのである。
哲学 てつがく の専門 せんもん 職 しょく 化 か [ 編集 へんしゅう ]
フッサールとフレーゲは、ともに数学 すうがく 基礎 きそ 論 ろん という専門 せんもん 的 てき ・技術 ぎじゅつ 的 てき な議論 ぎろん にかかわりながら、自己 じこ の思想 しそう を確立 かくりつ していったのであるが、当時 とうじ は、アインシュタインの相対性理論 そうたいせいりろん や量子力学 りょうしりきがく の著 いちじる しい発達 はったつ に象徴 しょうちょう されるように「科学 かがく の世紀 せいき 」と呼 よ ばれるほど科学 かがく の発達 はったつ した時代 じだい であった。ドイツでは、教育 きょういく と研究 けんきゅう の一体化 いったいか という革命 かくめい 的 てき な発想 はっそう に従 したが ってベルリン大学 だいがく が創設 そうせつ されると、イギリス・フランスに近代 きんだい 化 か の遅 おく れるドイツの産業 さんぎょう 形成 けいせい を支 ささ え、歴史 れきし 学 がく 、社会 しゃかい 学 がく 、教育 きょういく 学 がく 、民俗 みんぞく 学 がく など新 あら たな学問 がくもん 分野 ぶんや が次々 つぎつぎ と生 しょう じ、数学 すうがく 、物理 ぶつり 学 がく 、化学 かがく など既存 きそん の学問 がくもん 分野 ぶんや も急速 きゅうそく な発展 はってん を遂 と げ、今日 きょう の大学 だいがく の基本 きほん 的 てき な諸 しょ 分野 ぶんや がほぼその骨格 こっかく を現 あらわ すことになった時代 じだい でもあった。教養 きょうよう としての学問 がくもん から職業 しょくぎょう としての学問 がくもん という転換 てんかん を果 は たしたドイツの大学 だいがく は、各国 かっこく のモデルとなり、各国 かっこく で専門 せんもん 職 しょく としての学者 がくしゃ 集団 しゅうだん が生 しょう じたのである。このような当時 とうじ の背景 はいけい 事情 じじょう は、哲学 てつがく にも当然 とうぜん のことながら大 おお きな影響 えいきょう を与 あた え、従来 じゅうらい 哲学 てつがく の一 いち 分野 ぶんや であった論理 ろんり 学 がく ・数学 すうがく ・心理 しんり 学 がく などなどが独立 どくりつ の学問 がくもん 分野 ぶんや として分離 ぶんり していっただけでなく、歴史 れきし 学 がく の影響 えいきょう を受 う けて、厳密 げんみつ な批判 ひはん を経 へ た資料 しりょう を用 もち いて研究 けんきゅう する哲学 てつがく 史 し が哲学 てつがく の主要 しゅよう な一 いち 分野 ぶんや とされるようになると、例 たと えば、ヘーゲルのように、一生 いっしょう をかけて自分 じぶん の哲学 てつがく 体系 たいけい を一人 ひとり で完成 かんせい させるというようなことは不可能 ふかのう か著 いちじる しく困難 こんなん になり、多数 たすう の学者 がくしゃ が共同 きょうどう で、ヘーゲル全集 ぜんしゅう を発行 はっこう するというように哲学 てつがく も専門 せんもん 職 しょく 化 か していった。また、哲学 てつがく も当時 とうじ の科学 かがく の発展 はってん に伴 ともな い、学際 がくさい 的 てき になり、科学 かがく 哲学 てつがく など新 あら たな哲学 てつがく 分野 ぶんや の発達 はったつ などに応 おう じて、その内容 ないよう も専門 せんもん 的 てき で技術 ぎじゅつ 的 てき なものになっていったのである。このような傾向 けいこう は、特 とく に英 えい 米 べい 哲学 てつがく における分析 ぶんせき 哲学 てつがく において顕著 けんちょ になり、この傾向 けいこう を徹底 てってい させた理想 りそう 言語 げんご 学派 がくは を生 う んだ。
(
画像 がぞう 左 ひだり から)
フレーゲ 、
ラッセル 、
ウィトゲンシュタイン 。この3
人 にん が
論理 ろんり 実証 じっしょう 主義 しゅぎ の
先駆 せんく 者 しゃ となり、ウィトゲンシュタインの
前期 ぜんき 思想 しそう と
後期 こうき 思想 しそう に
対 たい する
反応 はんのう が
分析 ぶんせき 哲学 てつがく を
二 ふた つに
分 わ かった。
20世紀 せいき 初頭 しょとう にゴットロープ・フレーゲ やバートランド・ラッセル によって記号 きごう 論 ろん 理学 りがく が成立 せいりつ すると、哲学 てつがく の専門 せんもん 職 しょく 化 か という時代 じだい 背景 はいけい の下 した 、スコットランド常識 じょうしき 学派 がくは の成果 せいか など様々 さまざま な影響 えいきょう を受 う け、これを吸収 きゅうしゅう していった分析 ぶんせき 哲学 てつがく のうち、前期 ぜんき ウィトゲンシュタイン の『論理 ろんり 哲学 てつがく 論考 ろんこう 』の影響 えいきょう を受 う けた潮流 ちょうりゅう は論理 ろんり 学 がく 的 てき な人工 じんこう 言語 げんご を重視 じゅうし して論理 ろんり 実証 じっしょう 主義 しゅぎ 運動 うんどう を興 おこ し、人工 じんこう 言語 げんご 学派 がくは (ideal language philosophy 理想 りそう 言語 げんご 学派 がくは )を形成 けいせい したのであるが、これとは正 せい 反対 はんたい に後期 こうき ウィトゲンシュタインの『哲学 てつがく 探究 たんきゅう 』の影響 えいきょう を受 う けた潮流 ちょうりゅう は日常 にちじょう 言語 げんご を重視 じゅうし して日常 にちじょう 言語 げんご 学派 がくは を形成 けいせい した。
W・V・O・クワイン は論理 ろんり 実証 じっしょう 主義 しゅぎ 者 しゃ ではなかったが、哲学 てつがく は知識 ちしき の明晰 めいせき さを追求 ついきゅう し世界 せかい を理解 りかい することでは、科学 かがく と肩 かた を並 なら べて行 い くべきという見解 けんかい は同 おな じだった。クワインはその論文 ろんぶん 『経験 けいけん 主義 しゅぎ の2つのドグマ(教義 きょうぎ )』で論理 ろんり 実証 じっしょう 主義 しゅぎ 者 しゃ や知識 ちしき の分析 ぶんせき ・総合 そうごう 区別 くべつ を批判 ひはん し、正当 せいとう 化 か の整合 せいごう 説 せつ である「信念 しんねん のクモ くも の巣 す 」、ホーリズム を提唱 ていしょう した。クワインの認識 にんしき 論 ろん では、孤独 こどく の場合 ばあい に如何 いか なる経験 けいけん も起 お こらないので、あらゆる信念 しんねん あるいは経験 けいけん が全体 ぜんたい と結 むす びつけられる知識 ちしき に対 たい して実際 じっさい に全体 ぜんたい 的 てき なアプローチがある、としている。クワインは翻訳 ほんやく の不完全性 ふかんぜんせい 理論 りろん の一部 いちぶ として「ガヴァガイ」 (gavagai) という言葉 ことば を編 あ み出 だ したことでも有名 ゆうめい である[1] 。
クワインのハーバード大学 だいがく の教 おし え子 ご ソール・クリプキ は、分析 ぶんせき 哲学 てつがく の影響 えいきょう を大 おお きく受 う けた。クリプキは、ブライアン・ライター が行 おこな った調査 ちょうさ で、過去 かこ 200年間 ねんかん の最 もっと も重要 じゅうよう な哲学 てつがく 者 しゃ 10傑 すぐる に入 はい っていた[2] 。クリプキは4つの哲学 てつがく 論文 ろんぶん で特 とく に良 よ く知 し られている。すなわち、(1) 様相 ようそう 論 ろん 理学 りがく と関係 かんけい 論 ろん 理学 りがく のためのクリプキ意味 いみ 論 ろん (彼 かれ がまだ10代の間 あいだ に開始 かいし した幾 いく つかの論文 ろんぶん に掲載 けいさい された)、(2) 1970年 ねん にプリンストン大学 ぷりんすとんだいがく で行 おこな った講義 こうぎ 「名指 なざ しと必要 ひつよう 性 せい 」(1972年 ねん と1980年 ねん に出版 しゅっぱん 、言語 げんご 哲学 てつがく を再 さい 構築 こうちく し「形而上学 けいじじょうがく を再度 さいど 尊敬 そんけい できるものにした」)、(3) ウィトゲンシュタインの哲学 てつがく の解釈 かいしゃく [3] 、 (4) 真理 しんり 論 ろん 、である。また集合 しゅうごう 論 ろん についても重要 じゅうよう な貢献 こうけん を果 は たした。
クワインのハーバード大学 だいがく でのもう1人 ひとり の教 おし え子 ご デイヴィド・ケロッグ・ルイス は、ブライアン・ライターが行 おこな った調査 ちょうさ で、20世紀 せいき で最 もっと も偉大 いだい な哲学 てつがく 者 しゃ の一人 ひとり に入 はい っている[4] 。論議 ろんぎ を呼 よ んだ様相 ようそう 実在 じつざい 論 ろん の提案 ていあん で良 よ く知 し られており、具体 ぐたい 的 てき で因果 いんが 的 てき に孤立 こりつ した可能 かのう 世界 せかい が無限 むげん にあり、その中 なか の一 ひと つが我々 われわれ の世界 せかい だと主張 しゅちょう している[5] 。これら可能 かのう 世界 せかい は様相 ようそう 論 ろん 理学 りがく の分野 ぶんや で出 で てくる。
トーマス・クーン は科学 かがく 史 し や科学 かがく 哲学 てつがく の分野 ぶんや で広範 こうはん な業績 ぎょうせき を残 のこ した重要 じゅうよう な哲学 てつがく 者 しゃ かつ著作 ちょさく 家 か だった。その有名 ゆうめい な著作 ちょさく 『科学 かがく 革命 かくめい の構造 こうぞう 』は学術 がくじゅつ 文献 ぶんけん で引用 いんよう されることが多 おお い。クーンはこの中 なか で、科学 かがく 者 しゃ は新 あら たに解 と くべきパズルを見付 みつ けるので異 こと なる「パラダイム 」(理論 りろん 的 てき 枠組 わくぐ み)を通 とお って前進 ぜんしん し、問題 もんだい に対 たい する解 かい を見付 みつ けるための苦闘 くとう が拡 ひろ がると世界 せかい 観 かん にシフトが起 お こるとし、これを「パラダイム・シフト 」と名付 なづ けた[6] 。その功績 こうせき は知識 ちしき 社会 しゃかい 学 がく におけるマイルストーン と考 かんが えられている。
西欧 せいおう マルクス主義 まるくすしゅぎ [ 編集 へんしゅう ]
(左 ひだり から順 じゅん に)ホルクハイマー 、アドルノ 。背後 はいご がハーバーマス 。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 以後 いご 、世界 せかい は、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく を中心 ちゅうしん とする西側 にしがわ 世界 せかい と、ソビエト連邦 れんぽう 共和 きょうわ 国 こく を中心 ちゅうしん とする東側 ひがしがわ 世界 せかい に対立 たいりつ する冷戦 れいせん 時代 じだい に入 はい っていった。このことは、西 にし ドイツと東 ひがし ドイツに分裂 ぶんれつ を余儀 よぎ なくされたドイツの思想 しそう 界 かい に決定的 けっていてき な影響 えいきょう を与 あた えた。西欧 せいおう のマルクス主義 まるくすしゅぎ 者 しゃ は、ソ連 それん 型 がた のマルクス主義 まるくすしゅぎ (マルクス・レーニン主義 しゅぎ 、その後継 こうけい としてのスターリン主義 しゅぎ )に対 たい して、異論 いろん や批判 ひはん 的 てき 立場 たちば を持 も つ者 もの も少 すく なくなかったが、最初 さいしょ に西欧 せいおう 型 がた のマルクス主義 まるくすしゅぎ を提示 ていじ したのは哲学 てつがく 者 もの のルカーチ だった。ドイツのフランクフルト学派 がくは と呼 よ ばれるマルクス主義 まるくすしゅぎ 者 しゃ たちは、アドルノ やホルクハイマー を筆頭 ひっとう に、ソ連 それん 型 がた マルクス主義 まるくすしゅぎ のみならず、西洋 せいよう 文明 ぶんめい における伝統 でんとう 的 てき 理論 りろん を批判 ひはん し、かかる理論 りろん が生 う み出 だ した全体 ぜんたい 主義 しゅぎ を批判 ひはん する「批判 ひはん 理論 りろん 」と呼 よ ばれる新 あたら しいマルクス主義 まるくすしゅぎ を展開 てんかい した。これは、ヘーゲルの弁証法 べんしょうほう を基礎 きそ に、マルクス主義 まるくすしゅぎ 哲学 てつがく と科学 かがく を統合 とうごう し、非合理 ひごうり 的 てき な社会 しゃかい からの人間 にんげん の解放 かいほう を目指 めざ すというものであり、フロイトの精神 せいしん 分析 ぶんせき を応用 おうよう する。批判 ひはん 理論 りろん は、まず、デカルト的 てき な主観 しゅかん ・客観 きゃっかん の二 に 項 こう 対立 たいりつ を前提 ぜんてい としている伝統 でんとう 的 てき 理論 りろん を批判 ひはん する。このような対立 たいりつ 図式 ずしき は支配 しはい される客体 かくたい としての自然 しぜん を分析 ぶんせき して観念 かんねん する。そのため、学問 がくもん は分析 ぶんせき される対象 たいしょう ごとに分断 ぶんだん され、専門 せんもん 家 か ・技術 ぎじゅつ 化 か していくが、諸 しょ 学問 がくもん は、人間 にんげん の解放 かいほう を目指 めざ すという目的 もくてき のため統合 とうごう されなければならないのである。また、伝統 でんとう 理論 りろん は世界 せかい を支配 しはい される客体 かくたい として自然 しぜん の総体 そうたい とみるため、現状 げんじょう 追認 ついにん のためのイデオロギー として機能 きのう する。ゆえに、世界 せかい は、マルクス主義 まるくすしゅぎ 的 てき な観点 かんてん から、具体 ぐたい 的 てき な自然 しぜん に対 たい して労働 ろうどう を加 くわ えて作 つく られたところの歴史 れきし 的 てき 社会 しゃかい 的 てき なものの総体 そうたい として把握 はあく されなければならない。さらに、批判 ひはん 理論 りろん はマルクス主義 まるくすしゅぎ も批判 ひはん する。魔術 まじゅつ からの解放 かいほう と合理 ごうり 化 か を目指 めざ した近代 きんだい 的 てき な啓蒙 けいもう の弁証法 べんしょうほう の起源 きげん は、マルクスが主張 しゅちょう したような階級 かいきゅう 対立 たいりつ ではなく、人間 にんげん と自然 しぜん との生存 せいぞん を賭 か けた闘争 とうそう である。したがって、伝統 でんとう 的 てき な理論 りろん は信頼 しんらい してきた理性 りせい は生 なま に従属 じゅうぞく する道具 どうぐ 的 てき なものにすぎない。ゆえに、近代 きんだい 的 てき な理性 りせい が伝統 でんとう 社会 しゃかい を全体 ぜんたい 主義 しゅぎ に導 みちび いた真 しん の犯人 はんにん なのであるとする。
サルトル
フランス実存 じつぞん 主義 しゅぎ の祖 そ サルトル は、主著 しゅちょ 『存在 そんざい と無 む ―現象 げんしょう 学 がく 的 てき 存在 そんざい 論 ろん の試 こころ み 』(1943年 ねん )において、今 いま まさに生 い きている自分 じぶん 自身 じしん の存在 そんざい である実存 じつぞん を中心 ちゅうしん とする存在 そんざい 論 ろん を展開 てんかい した。サルトルの思想 しそう は、特 とく に無 む 神 かみ 論 ろん 的 てき 実存 じつぞん 主義 しゅぎ と呼 よ ばれ、自身 じしん の講演 こうえん 「実存 じつぞん 主義 しゅぎ はヒューマニズムであるか」において、プラトン・アリストテレスに起源 きげん を有 ゆう する「本質 ほんしつ 存在 そんざい が事実 じじつ 存在 そんざい に先立 さきだ つ」という伝統 でんとう 的 てき 形而上学 けいじじょうがく のテーゼを逆転 ぎゃくてん して「実存 じつぞん は本質 ほんしつ に先立 さきだ つ 」 と主張 しゅちょう し、「人間 にんげん は自由 じゆう という刑 けい に処 しょ せられている」 と述 の べた。もし、すべてが無 む であり、その無 む から一切 いっさい の万物 ばんぶつ を創造 そうぞう した神 かみ が存在 そんざい するならば、神 かみ は神 かみ 自身 じしん が創造 そうぞう するものが何 なに であるかを、あらかじめわきまえている筈 はず である。ならば、あらゆるものは現実 げんじつ に存在 そんざい する前 まえ に、神 かみ によって先 せん だって本質 ほんしつ を決定 けってい されているということになる。この場合 ばあい は、創造 そうぞう 主 ぬし である神 かみ が存在 そんざい することが前提 ぜんてい になっているので、「本質 ほんしつ が存在 そんざい に先立 さきだ つ」ことになる。しかし、サルトルはそのような一切 いっさい を創造 そうぞう する神 かみ がいないのだとしたらどうなるのか、と問 と う。創造 そうぞう の神 かみ が存在 そんざい しないというならば、あらゆるものはその本質 ほんしつ を(神 かみ に)決定 けってい されることがないまま、現実 げんじつ に存在 そんざい してしまうことになる。この場合 ばあい は、「実存 じつぞん が本質 ほんしつ に先立 さきだ つ」ことになり、これが人間 にんげん の置 お かれている根本 こんぽん 的 てき な状況 じょうきょう なのだとサルトルは主張 しゅちょう するのである。サルトルにとって、現象 げんしょう 学 がく によって把握 はあく される即 そく 自存 じそん 在 ざい と対 たい 自存 じそん 在 ざい の唐突 とうとつ で無 む 根拠 こんきょ な関係 かんけい は、即時 そくじ 存在 そんざい の幻影 げんえい 的 てき な存在 そんざい の根拠 こんきょ になっている。いずれにせよ、そこでは現象 げんしょう 学 がく に還元 かんげん し得 え ない存在 そんざい としての実存 じつぞん が問題 もんだい にされている。
メルロ=ポンティ は、後期 こうき フッサールの生活 せいかつ 世界 せかい に焦点 しょうてん を当 あ てて、これを乗 の り越 こ えようとした。彼 かれ は、『知覚 ちかく の現象 げんしょう 学 がく 』(1945年 ねん )において、知覚 ちかく ・身体 しんたい を中心 ちゅうしん に据 す えて幻影 げんえい 肢 し の現象 げんしょう を分析 ぶんせき し、自然 しぜん 主義 しゅぎ と観念論 かんねんろん を批判 ひはん する。その前提 ぜんてい となる、デカルト的 てき なコギトにとって「私 わたし の身体 しんたい 」は世界 せかい の対象 たいしょう の一 ひと つであり、仮 かり に、そのような前提 ぜんてい が正 ただ しいとすれば、私 わたし の意識 いしき が、客観 きゃっかん 的 てき にない脚 あし に痒 かゆ みを感 かん じることはないはずである。彼 かれ は、デカルト的 てき 伝統 でんとう を受 う け継 つ ぐサルトルのように対 たい 自主 じしゅ 体 たい 、即 そく 自 じ 客体 かくたい を明確 めいかく に二分 にぶん することに誤 あやま りがあり、両者 りょうしゃ を不可分 ふかぶん の融合 ゆうごう 的 てき 統一 とういつ のうちにとらえられるべきであると主張 しゅちょう する。主体 しゅたい でも客体 かくたい でもあると同時 どうじ に主体 しゅたい でも客体 かくたい でもない裂 きれ 開 ひらき の中心 ちゅうしん である両義 りょうぎ 的 てき な存在 そんざい 、それが身体 しんたい である。生理 せいり 的 てき な反射 はんしゃ でさえ、生 い きた身体 しんたい が環境 かんきょう に対 たい して有 ゆう する全体 ぜんたい 的 てき 態度 たいど 、意味 いみ の把握 はあく を伴 ともな うし、その全体 ぜんたい 性 せい は決 けっ して私 わたし の反省 はんせい 的 てき 意識 いしき に還元 かんげん し尽 つ くされることはない。私 わたし と世界 せかい の間 あいだ の身体 しんたい による関係 かんけい は、全体 ぜんたい 的 てき な構造 こうぞう であるばかりでなく、時間 じかん 的 てき に発展 はってん する構造 こうぞう でもある。彼 かれ にとって即 そく 自 じ 存在 そんざい と対 たい 自存 じそん 在 ざい の対立 たいりつ は、以上 いじょう のような構造 こうぞう を有 ゆう する、より一層 いっそう 深 ふか い媒介 ばいかい の所産 しょさん なのである。このようなメルロ=ポンティの身体 しんたい 論 ろん はフロイトと容易 ようい に結 むす びつく。このような構造 こうぞう に関 かん する理論 りろん が身体 しんたい 論 ろん に適用 てきよう されるだけでなく、これを超 こ えて社会 しゃかい と個人 こじん の関係 かんけい に拡張 かくちょう されるまではそれほどの時間 じかん を要 よう しなかったのである。
(画像 がぞう 左 ひだり )構造 こうぞう 主義 しゅぎ の先駆 せんく 者 しゃ とされるソシュール、(画像 がぞう 右 みぎ )構造 こうぞう 主義 しゅぎ 者 しゃ の提唱 ていしょう 者 しゃ レヴィ=ストロース
『存在 そんざい と無 む 』によって、一躍 いちやく 時代 じだい の寵児 ちょうじ となったサルトル は、その後 ご 、『弁証法 べんしょうほう 的 てき 理性 りせい 批判 ひはん 』(1960年 ねん )において、実存 じつぞん 主義 しゅぎ をマルクス主義 まるくすしゅぎ の内部 ないぶ に包摂 ほうせつ することによって、史的 してき 唯物 ゆいぶつ 論 ろん を再 さい 構成 こうせい し、ヘーゲル-マルクス的 てき な歴史 れきし 主義 しゅぎ とデカルト-フッサール的 てき な人間 にんげん 主義 しゅぎ との統合 とうごう を主張 しゅちょう するようになったが、その後 ご 、サルトルとクロード・レヴィ=ストロース の論争 ろんそう をきっかけに、マルクスの上部 じょうぶ 構造 こうぞう / 下部 かぶ 構造 こうぞう 、生産 せいさん 力 りょく / 生産 せいさん 関係 かんけい といった構造 こうぞう 的 てき な諸 しょ 概念 がいねん が実体 じったい 化 か されていること、また、デカルト-フッサール的 てき な近代 きんだい 的 てき な主体 しゅたい を思想 しそう の前提 ぜんてい として実体 じったい 視 し していることを批判 ひはん し、構造 こうぞう 主義 しゅぎ が台頭 たいとう するようになった。
ポスト構造 こうぞう 主義 しゅぎ ・ポストモダニズム [ 編集 へんしゅう ]
リオタール
1966年 ねん 、ストラスブール大学 だいがく に端 はし を発 はっ した学生 がくせい 運動 うんどう はフランス全土 ぜんど に拡大 かくだい し、いわゆる五月 ごがつ 革命 かくめい がおこると、あろうことか本来 ほんらい 労働 ろうどう 者 しゃ の側 がわ にあるはずのフランス共産党 きょうさんとう (PCF) がストライキを押 お さえ込 こ み、当時 とうじ の左翼 さよく 文化 ぶんか 人 じん もこれを支持 しじ し、マルクス主義 まるくすしゅぎ への民衆 みんしゅう の幻滅 げんめつ を後押 あとお し、マルクス主義 まるくすしゅぎ の頽 くずおれ 落 お と共 とも に近代 きんだい 的 てき な主体 しゅたい という概念 がいねん を前提 ぜんてい に、積極 せっきょく 的 てき な政治 せいじ 参加 さんか を肯定 こうてい したサルトルの実存 じつぞん 主義 しゅぎ も運命 うんめい を共 とも にすることとなった。五月 ごがつ 革命 かくめい の結果 けっか は、左翼 さよく 勢力 せいりょく が民衆 みんしゅう の支持 しじ を失 うしな い、保守 ほしゅ 勢力 せいりょく による安定 あんてい 的 てき な政治 せいじ ・ハイテクを背景 はいけい にした大量 たいりょう 消費 しょうひ 社会 しゃかい の実現 じつげん を準備 じゅんび したのである。
そして、実存 じつぞん 主義 しゅぎ ・マルクス主義 まるくすしゅぎ を批判 ひはん してきた構造 こうぞう 主義 しゅぎ にも批判 ひはん が生 しょう じ始 はじ める。構造 こうぞう 主義 しゅぎ は、主体 しゅたい たる人間 にんげん が無意識 むいしき 的 てき に普遍 ふへん 的 てき な構造 こうぞう に規定 きてい されていると主張 しゅちょう し、現象 げんしょう の背後 はいご にある構造 こうぞう を分析 ぶんせき することによって、あるシステムの内的 ないてき 文法 ぶんぽう をとりだすことができ、各 かく システムはそれにしたがって作用 さよう する。そこでは、あらゆるものが予想 よそう 可能 かのう になり、偶然 ぐうぜん 性 せい や創造 そうぞう 性 せい といったものが排除 はいじょ されてしまうのである。
いわゆるポスト構造 こうぞう 主義 しゅぎ の論者 ろんしゃ とされる者 しゃ たちは、構造 こうぞう 主義 しゅぎ のもつ、構造 こうぞう を静的 せいてき で普遍 ふへん 的 てき なものとし、差異 さい を排除 はいじょ する傾向 けいこう に対 たい して、それは西洋 せいよう 中心 ちゅうしん のロゴス 中心 ちゅうしん 主義 しゅぎ であるとして異議 いぎ を申 もう し立 た てたのである。デリダ によると人間 にんげん が言葉 ことば (ロゴス )によって世界 せかい の全 すべ てを構造 こうぞう 化 か できるという発想 はっそう 自体 じたい 、実存 じつぞん 主義 しゅぎ ・マルクス主義 まるくすしゅぎ と同様 どうよう に西欧 せいおう 形而上学 けいじじょうがく から抜 ぬ け出 だ せておらず、構造 こうぞう 主義 しゅぎ によって形而上学 けいじじょうがく を解体 かいたい しようという試 こころ みもまた形而上学 けいじじょうがく にすぎないと批判 ひはん し、脱 だつ 構築 こうちく による階層 かいそう 的 てき な二 に 項 こう 対立 たいりつ を批評 ひひょう する。ミシェル・フーコー は、当初 とうしょ 構造 こうぞう 主義 しゅぎ 者 しゃ とみられていたが、権力 けんりょく の構造 こうぞう を暴 あば くことにより、西欧 せいおう 的 てき な理性 りせい ・絶対 ぜったい 的 てき な真理 しんり を否定 ひてい していることから、ポスト構造 こうぞう 主義 しゅぎ 者 しゃ とみられるようになった。
そのような状況 じょうきょう 下 か において、リオタール は、『ポストモダンの条件 じょうけん 』(1979年 ねん )を著 あらわ したが、彼 かれ によれば、「ポストモダン とは大 おお きな物語 ものがたり の終焉 しゅうえん 」なのであった。「ヘーゲル 的 てき なイデオロギー 闘争 とうそう の歴史 れきし が終 お わる」と言 い ったコジェーヴ の強 つよ い影響 えいきょう を受 う けた考 かんが え方 かた である。まさにマルクス主義 まるくすしゅぎ のような壮大 そうだい なイデオロギーの体系 たいけい (大 おお きな物語 ものがたり )は終 お わり、高度 こうど 情報 じょうほう 化 か 社会 しゃかい においてはメディアによる記号 きごう ・象徴 しょうちょう の大量 たいりょう 消費 しょうひ が行 おこな われる、とされた。この考 かんが え方 かた に沿 そ えば、“ポストモダン”とは、民主 みんしゅ 主義 しゅぎ と科学 かがく 技術 ぎじゅつ の発達 はったつ による一 ひと つの帰結 きけつ と言 い える、ということだった。
このような文脈 ぶんみゃく における大 おお きな物語 ものがたり 、近代 きんだい =モダンに特有 とくゆう の、あるいは少 すく なくともそこにおいて顕著 けんちょ なものとなったものとして批判 ひはん 的 てき に俎上 そじょう に挙 あ げられたものとしては、自立 じりつ 的 てき な理性 りせい 的 てき 主体 しゅたい という理念 りねん 、整合 せいごう 的 てき で網羅 もうら 的 てき な体系 たいけい 性 せい 、その等質 とうしつ 的 てき な還元 かんげん 主義 しゅぎ 的 てき な要素 ようそ 、道具 どうぐ 的 てき 理性 りせい による世界 せかい の抽象 ちゅうしょう 的 てき な客体 かくたい 化 か 、中心 ちゅうしん ・周縁 しゅうえん といった一 いち 面 めん 的 てき な階層 かいそう 化 か など、合理 ごうり 的 てき でヒエラルキー的 てき な思考 しこう の態度 たいど に対 たい する再考 さいこう を中心 ちゅうしん としつつも、重点 じゅうてん は論者 ろんしゃ によってさまざまであった。したがって、ポスト・モダニズムの内容 ないよう も論者 ろんしゃ や文脈 ぶんみゃく によってそうとう異 こと なり、明確 めいかく な定義 ていぎ はないといってよいが、それは近代 きんだい 的 てき な主体 しゅたい を可能 かのう とした知 ち 、理性 りせい 、ロゴスといった西洋 せいよう に伝統 でんとう 的 てき な概念 がいねん に対 たい する異議 いぎ を含 ふく む、懐疑 かいぎ 主義 しゅぎ 的 てき 、反 はん 基礎 きそ づけ主義 しゅぎ 的 てき な思想 しそう ないし政治 せいじ 的 てき 運動 うんどう というおおまかな特徴 とくちょう をもつということができる。その意味 いみ で単 たん なる学説 がくせつ ・思想 しそう ではなく、より実践 じっせん 的 てき な意図 いと をも包含 ほうがん するムーブメントといえるのである。それは左翼 さよく なき社会 しゃかい 、大量 たいりょう 消費 しょうひ 社会 しゃかい において、自由 じゆう と享楽 きょうらく を享受 きょうじゅ しながらも、反 はん 権力 けんりょく ・反 はん 権威 けんい である続 つづ けるための終 お わりない逃走 とうそう なのである。
冷戦 れいせん の終 お わりと思想 しそう の大衆 たいしゅう 化 か [ 編集 へんしゅう ]
冷戦 れいせん が終 お わり、1991年 ねん にソ連 それん が解体 かいたい すると、「大 おお きな物語 ものがたり 」であったマルクス主義 まるくすしゅぎ も物語 ものがたり としてだけではなく、現実 げんじつ に終焉 しゅうえん を遂 と げたかのように見 み えた。残 のこ ったのは、高度 こうど 資本 しほん 主義 しゅぎ 社会 しゃかい において、大量 たいりょう 消費 しょうひ を続 つづ ける社会 しゃかい であり、無数 むすう の「小 ちい さな物語 ものがたり 」であった。そこでは、専門 せんもん 家 か によって高度 こうど に技術 ぎじゅつ 的 てき なものになった哲学 てつがく も大衆 たいしゅう によって商品 しょうひん として消費 しょうひ されるように至 いた ったのである。ほぼ時期 じき を同 おな じくしてポスト構造 こうぞう 主義 しゅぎ ・ポストモダニズムは急激 きゅうげき に衰退 すいたい していった。
カルチュラル・スタディーズとポストコロニアリズム [ 編集 へんしゅう ]
1980年代 ねんだい 、カルチュラル・スタディーズ とポストコロニアリズム という2つの思想 しそう 潮流 ちょうりゅう がほぼ同 どう 時期 じき に発生 はっせい し、相互 そうご に影響 えいきょう を与 あた えつつ発展 はってん していった。カルチュラル・スタディーズは、リチャード・ホガードが初代 しょだい 所長 しょちょう となったバーミンガム大学 だいがく 現代 げんだい 文化 ぶんか 研究 けんきゅう センター (CCCS: Centre for Contemporary Cultural Studies) を起源 きげん の一 ひと つとし、スチュアート・ホール とディック・ヘブディジ 、ポール・ギルロイ らの活動 かつどう によって発展 はってん し、各国 かっこく に広 ひろ まっていっていった。ホガードは、大学 だいがく 卒業 そつぎょう 後 ご しばらくの間 あいだ アダルト・エディケーション(日本 にっぽん でいうところの夜間 やかん 学校 がっこう に類 るい するもの)で教鞭 きょうべん をとっていたことがあるが、このことに象徴 しょうちょう されるように、カルチュラル・スタディーズの面々 めんめん は、英国 えいこく の高等 こうとう 教育 きょういく と大衆 たいしゅう 文化 ぶんか の関係 かんけい に直面 ちょくめん し、その問題 もんだい の分析 ぶんせき にあたった。そのため文芸 ぶんげい 批評 ひひょう も分析 ぶんせき の対象 たいしょう とするだけでなく、そのなかでも、いわゆる高級 こうきゅう 文化 ぶんか のみならずサブカルチャー (大衆 たいしゅう 文化 ぶんか )をも手 て がかりにする点 てん に特徴 とくちょう がある。大衆 たいしゅう 文化 ぶんか と切 き り離 はな せないメディア論 ろん を駆使 くし し、比較 ひかく 文学 ぶんがく 、文化 ぶんか 人類 じんるい 学 がく 、社会 しゃかい 学 がく 、政治 せいじ 学 がく と結 むす びつきながら展開 てんかい していった。
ポストコロニアリズムは、エドワード・サイード が著 あらわ した『オリエンタリズム 』(1978年 ねん )を嚆矢 こうし とする。サイードは、ミシェル・フーコー に影響 えいきょう を受 う けつつ、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 植民 しょくみん 地 ち だった地域 ちいき は次々 つぎつぎ に独立 どくりつ を果 は たしていき、また、戦後 せんご 人文 じんぶん 学 がく 研究 けんきゅう の中心 ちゅうしん 地 ち となったアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく で、多 おお くのマイノリティーの二 に 世 せい ・三世 さんぜ が大学 だいがく で学位 がくい をとるようになった時代 じだい を背景 はいけい に、西洋 せいよう 中心 ちゅうしん 主義 しゅぎ 的 てき な言説 げんせつ によっていかにオリエント(本 ほん 著 ちょ で問題 もんだい とされているのは東洋 とうよう ではなく中東 ちゅうとう アラブ)が構築 こうちく され、それがいかに権力 けんりょく =知 ち と結 むす びついているのかを分析 ぶんせき したのである。ポスト構造 こうぞう 主義 しゅぎ 、ポストモダニズムの影響 えいきょう の下 した 、文化 ぶんか 人類 じんるい 学 がく 、社会 しゃかい 学 がく 、歴史 れきし 学 がく 、文学 ぶんがく と結 むす びつきながら展開 てんかい し、マハトマ・ガンジー や魯迅 ろじん などの非 ひ 西洋 せいよう の思想 しそう に光 ひかり を当 あ てようとしたのである。
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく が設立 せつりつ された当時 とうじ は社会 しゃかい や政治 せいじ への関心 かんしん がアメリカの哲学 てつがく を支配 しはい していたが、分析 ぶんせき 哲学 てつがく 者 しゃ 達 たち は認識 にんしき 論 ろん 的 てき な問題 もんだい 、言語 げんご や科学 かがく に関 かん する問題 もんだい や概念 がいねん を主 おも に扱 あつか っていたため、アメリカの哲学 てつがく において1970年代 ねんだい まであまり社会 しゃかい や政治 せいじ といった「実践 じっせん 」の問題 もんだい には十分 じゅうぶん に関心 かんしん を払 はら われていなかったが、冷戦 れいせん の終 お わりとほぼ時期 じき を同 おな じくして政治 せいじ と社会 しゃかい に対 たい する関心 かんしん へ回帰 かいき する潮流 ちょうりゅう が生 う まれる。
1971年 ねん 、ジョン・ロールズ はその著書 ちょしょ 『正義 せいぎ 論 ろん 』を出版 しゅっぱん した。この本 ほん では社会 しゃかい 契約 けいやく 論 ろん の一 いち 形態 けいたい に基 もと づくロールズの「公正 こうせい さとしての正義 せいぎ 」観 かん を披瀝 ひれき した。ロールズは彼 かれ の概念 がいねん の原点 げんてん を説明 せつめい するために「無知 むち のベール」と呼 よ ぶ概念 がいねん 機構 きこう の利用 りよう を提案 ていあん した[7] 。ロールズの哲学 てつがく では、原初 げんしょ 状態 じょうたい がトマス・ホッブズ の自然 しぜん 状態 じょうたい に対 たい する相互 そうご 関係 かんけい である。この原初 げんしょ 状態 じょうたい では、人 ひと は無知 むち のベールの影 かげ にあると言 い われ、それは人 ひと それぞれの性格 せいかく に気付 きづ かず、人種 じんしゅ 、宗教 しゅうきょう 、富 とみ などの社会 しゃかい における位置 いち を気付 きづ かせないようにしている。公正 こうせい の原則 げんそく はこの原初 げんしょ 状態 じょうたい にある間 あいだ に分別 ふんべつ のある人 ひと によって選 えら ばれる。公正 こうせい の2つの原則 げんそく は平等 びょうどう な自由 じゆう の原則 げんそく と社会 しゃかい および経済 けいざい 的 てき 不平等 ふびょうどう の分布 ぶんぷ を支配 しはい する原則 げんそく である。ここからロールズは格差 かくさ 原理 げんり に従 したが う配分 はいぶん の公正 こうせい の仕組 しく みを論 ろん じ、社会 しゃかい および経済 けいざい 的 てき 不平等 ふびょうどう 全 すべ ては最小 さいしょう の利点 りてん のある最大 さいだい の恩恵 おんけい であらねばならないと言 い っている[8] 。
自由 じゆう 意志 いし 論 ろん 者 しゃ ロバート・ノージック はロールズの考 かんが えを政府 せいふ による過度 かど の統治 とうち と権利 けんり 侵害 しんがい を促進 そくしん していると見 み なし、1974年 ねん に『アナーキー・国家 こっか ・ユートピア 』を出版 しゅっぱん した。この本 ほん では、最小 さいしょう の国家 こっか を論 ろん じ、個人 こじん の自由 じゆう を防衛 ぼうえい している。政府 せいふ の役割 やくわり は警察 けいさつ の保護 ほご 、国家 こっか 防衛 ぼうえい および裁判所 さいばんしょ の管理 かんり に限定 げんてい し、現代 げんだい 政府 せいふ によって通常 つうじょう に行 おこな われている他 ほか の任務 にんむ 、すなわち教育 きょういく 、社会 しゃかい 保障 ほしょう 、福祉 ふくし 等々 とうとう は、宗教 しゅうきょう 団体 だんたい や慈善 じぜん 団体 だんたい など自由 じゆう 市場 いちば で運営 うんえい される民間 みんかん 組織 そしき に取 と って代 か わられるべきだと主張 しゅちょう している[9] 。ノージックはその見解 けんかい を公正 こうせい さの授権理論 りろん と主張 しゅちょう し、もし社会 しゃかい の誰 だれ もが獲得 かくとく 、移行 いこう および調整 ちょうせい の原則 げんそく に従 したが ってその所有 しょゆう 物 ぶつ を獲得 かくとく するならば、その配分 はいぶん が如何 いか に不公平 ふこうへい であろうとも割 わ り付 つ けのパターンは公正 こうせい であるとしている。公正 こうせい さの授権理論 りろん は「分配 ぶんぱい の公正 こうせい さが実際 じっさい にある歴史 れきし 的 てき 状況 じょうきょう によって決定 けってい されるが(終局 しゅうきょく 状態 じょうたい 理論 りろん の反対 はんたい )、最 もっと も一生懸命 いっしょうけんめい に働 はたら いた者 もの あるいは最 もっと も分 わ け前 まえ に値 あたい する者 もの が一番 いちばん の分 わ け前 まえ を得 え られることを保証 ほしょう する如何 いか なるパターンとも関係 かんけい を持 も たない」と主張 しゅちょう している[10] 。
アラスデア・マッキンタイア はイギリスで生 う まれ教育 きょういく を受 う けたが、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく に40年間 ねんかん ほど生活 せいかつ し働 ばたら いた。マッキンタイアは古代 こだい ギリシア において提唱 ていしょう された道徳 どうとく 論 ろん である徳 とく 倫理 りんり 学 がく に関 かん する関心 かんしん を再生 さいせい させた功績 こうせき のある[11] [12] 、卓越 たくえつ したトマス・アクィナス 主義 しゅぎ 政治 せいじ 哲学 てつがく 者 しゃ と考 かんが えられている。「現代 げんだい の哲学 てつがく と現代 げんだい の生活 せいかつ は理路 りろ 整然 せいぜん とした道徳 どうとく 法 ほう の欠如 けつじょ によって特徴付 とくちょうづ けられ、この世界 せかい に住 す む大半 たいはん の個人 こじん はその人生 じんせい に意味 いみ ある目的 もくてき 感 かん が無 な く、純粋 じゅんすい な社会 しゃかい も欠 か けている」と主張 しゅちょう している[13] 。マッキンタイアはこのような状態 じょうたい を正 ただ すための適切 てきせつ な方法 ほうほう は個人 こじん が適切 てきせつ に美徳 びとく を獲得 かくとく できる純粋 じゅんすい に政治 せいじ 的 てき な社会 しゃかい に戻 もど ることであると考 かんが えている。
学術 がくじゅつ 的 てき 哲学 てつがく とは別 べつ に、政治 せいじ と社会 しゃかい の関心 かんしん は公民 こうみん 権 けん 運動 うんどう とマーティン・ルーサー・キング・ジュニア の著作 ちょさく が中心 ちゅうしん 的 てき 話題 わだい になった。
^ "UNDERSTANDING QUINE'S THESES OF INDETERMINACY" by Nick Bostrom Retrieved September 7, 2009
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^ 1982. Wittgenstein on Rules and Private Language: an Elementary Exposition. Cambridge, Mass.: Harvard University Press. ISBN 0-674-95401-7 . Sets out his interpretation of Wittgenstein aka Kripkenstein.
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H・グロックナー『ヨーロッパの哲学 てつがく その史的 してき 考察 こうさつ 』上中 かみなか 下 か 、井上 いのうえ 昌一 しょういち 訳 やく 、早稲田大学 わせだだいがく 出版 しゅっぱん 部 ぶ 、1965年 ねん - 1968年 ねん 、ASIN: B000JAC6AI、: B000JA9ASE、: B000JA54ZM
『現代 げんだい 思想 しそう ―現代 げんだい 思想 しそう の109人 にん 』青土 おうづち 社 しゃ 、1978年 ねん
今村 いまむら 仁司 ひとし ・三島 みしま 憲一 けんいち ・鷲田 わしだ 清一 せいいち ・野家 のや 啓一 けいいち ・矢代 やしろ 梓 あずさ 『現代 げんだい 思想 しそう の源流 げんりゅう 』講談社 こうだんしゃ 、2003年 ねん 6月 がつ 11日 にち 、ISBN 4062743515
仲 なか 正 ただし 昌樹 まさき ・清家 きよいえ 竜介 りゅうすけ ・北田 きただ 暁 あきら 大 だい ・藤本 ふじもと 一 はじめ 勇 いさむ ・毛利 もうり 嘉孝 よしたか 『現代 げんだい 思想 しそう 入門 にゅうもん ―グローバル時代 じだい の「思想 しそう 地図 ちず 」はこうなっている!』PHP研究所 けんきゅうじょ 、2007年 ねん
サイモン・クリッチリー『ヨーロッパ大陸 たいりく の哲学 てつがく 』佐藤 さとう 透 とおる 訳 わけ 、野家 のや 啓一 けいいち 解説 かいせつ 、岩波書店 いわなみしょてん 、2004年 ねん ISBN 4000268724