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心理しんり主義しゅぎ

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心理しんり主義しゅぎ(しんりしゅぎ、えい: psychologismどく: Psychologismus)は、価値かち真理しんり妥当だとうせいなどの抽象ちゅうしょう概念がいねんなんらかの心理しんりてき作用さようとして把握はあくしようとする学問がくもんじょう態度たいど意味いみする。これは、特定とくてい思想しそうというよりもむしろ、功利こうり主義しゅぎ唯物ゆいぶつろん科学かがく主義しゅぎなどのように形而上学けいじじょうがくてき思弁しべんてき議論ぎろんこのまない思想しそうひろられる方法ほうほうろんのひとつである。哲学てつがくじょう心理しんり主義しゅぎフッサールなどが「論理ろんり認識にんしきろんてき考慮こうりょはらわず心理しんりがくてきなものを重視じゅうししすぎる」と批判ひはんてきもちいたことにはじまる。

芸術げいじゅつじょう心理しんり主義しゅぎは、人物じんぶつ心理しんり描写びょうしゃおもきを創作そうさく態度たいどす。

心理しんり主義しゅぎ意義いぎ

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心理しんり主義しゅぎは、おおくの場合ばあい実験じっけん観察かんさつによって確定かくていできない概念がいねん価値かちただしさなど)を実証じっしょう可能かのうなものとしてあつかうために採用さいようされる。たしかに、「価値かちとはなにか?」という議論ぎろん思弁しべんてきおこなうよりも、「価値かちとは個々人ここじん嗜好しこうである」と定義ていぎしてだれなに嗜好しこうするかを観察かんさつするほうがずっと明快めいかいである。しかし、このような手法しゅほうは、自然しぜん主義しゅぎてき誤謬ごびゅうなどの哲学てつがくじょう難問なんもんともなうため、つよ批判ひはんさらされることがおおい。

心理しんり主義しゅぎ具体ぐたいれい

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価値かちかんする心理しんり主義しゅぎ

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価値かちかんする心理しんり主義しゅぎによれば、価値かちとは個々人ここじん欲求よっきゅうすなわち「しいとおも気持きもち」である。その帰結きけつとして、普遍ふへんてき価値かち存在そんざいせず、価値かちどう一人物いちじんぶつにおいてすら不断ふだん変化へんかつづけることになる。このような立場たちば徹底てっていすると、「価値かちあるものがほっされるのではなくほっされたものが価値かちあるものである」というかんがかた辿たどく。経済けいざいがく功利こうり主義しゅぎにおいては、しばしばこのようなったとらかたられる。

真理しんりかんする心理しんり主義しゅぎ

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真理しんりかんする心理しんり主義しゅぎによれば、真偽しんぎとは個々人ここじん納得なっとくすなわち「もっともらしいとおも気持きもち」である。このかんがかたによれば、時代じだい地域ちいきによってなにしんであるかは変化へんかする。

妥当だとうせいかんする心理しんり主義しゅぎ

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妥当だとうせいかんする心理しんり主義しゅぎによれば、妥当だとうせいとは個々人ここじん服従ふくじゅう意欲いよくすなわち「したがいたいとおも気持きもち」である。あるほう妥当だとうかどうかは、その社会しゃかい生活せいかつするほう人々ひとびとがどれくらいそのほうしたがいたいかを調査ちょうさすればよい。これは北欧ほくおうリアリズム法学ほうがく代表だいひょうされるかんがかたである。

道徳どうとく教育きょういくにおける心理しんり主義しゅぎ

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戦後せんご日本にっぽん道徳どうとく教育きょういくでは、もの資料しりょうばれる副読本ふくどくほんなどの教材きょうざいもちいた登場とうじょう人物じんぶつ気持きもちを理解りかい想像そうぞうさせるかたち授業じゅぎょうおこなわれている場合ばあいおお[1]。ここでは、「問題もんだい個人こじん内面ないめん心理しんり還元かんげん[2]する立場たちば心理しんり主義しゅぎであるとされる。この傾向けいこうは、文部もんぶ科学かがくしょう全国ぜんこくしょう中学校ちゅうがっこう無償むしょう配布はいふした『しんのノート』において顕著けんちょである。

これは戦前せんぜん修身しゅうしん教育きょういくにおける徳目とくもく主義しゅぎによる徳目とくもく[3]への批判ひはんや、『中学校ちゅうがっこう学習がくしゅう指導しどう要領ようりょう』の「だい3しょう道徳どうとく だい1 目標もくひょう」で「道徳どうとくてき心情しんじょう判断はんだんりょく実践じっせん意欲いよく態度たいどなどの道徳どうとくせいやしなう」ことが目標もくひょうとされていることが影響えいきょうしている。

こうした傾向けいこう批判ひはんする意見いけんもあり、金沢大学かなざわだいがく教授きょうじゅ松下まつした良平りょうへい著書ちょしょることのちから心情しんじょう主義しゅぎ道徳どうとく教育きょういくえて』において、「気持きもちをう」道徳どうとく教育きょういくを、道徳どうとく偽善ぎぜんだというかんがえをどもたちにけかねないと指摘してきしている[4]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 貝塚かいづか、2009、157ページ
  2. ^ 貝塚かいづか、2009、160ページ。この言葉ことば自体じたい小沢おざわ牧子まきこ中島なかじま浩壽ひろひさしん商品しょうひんする社会しゃかい』(よういずみしゃ、2004ねん)の92ページからの引用いんようである。
  3. ^ 貝塚かいづか、2009、158 - 159ページ
  4. ^ 貝塚かいづか、2009、158ページ

参考さんこう文献ぶんけん

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道徳どうとく教育きょういくにおける心理しんり主義しゅぎ
  • 貝塚かいづか茂樹しげき道徳どうとく教育きょういく教科書きょうかしょ』(学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、2009ねん3がつ25にち、237ページ、ISBN 978-4-284-10175-2

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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