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ほう (法学ほうがく)

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ほう(ほう、えい: law)は、国家こっか強制きょうせいりょくともな社会しゃかい規範きはんである[1]一般いっぱんてきに、国家こっか秩序ちつじょたもつために、国家こっかもうける社会しゃかい規範きはんであって、国民こくみんあいだ自主じしゅてき醸成じょうせいされる道徳どうとくマナーモラルなどの強制きょうせいりょくたない社会しゃかい規範きはんまったことなる性質せいしつ規範きはんである。ほうらなかった場合ばあいでも、違法いほう行為こういがあった場合ばあいばっせられることになる[2]

一般いっぱんてきにイメージされるほう属性ぞくせいとしては、一定いってい行為こうい命令めいれい禁止きんし授権すること、違反いはんしたときに強制きょうせいてき制裁せいさい刑罰けいばつ損害そんがい賠償ばいしょうなど)がせられること、裁判さいばん適用てきようされる規範きはんとして機能きのうすることなどがあげられる。ただし、国民こくみんへの注意ちゅうい喚起かんき目的もくてき罰則ばっそくほう制定せいていされることもある。法治ほうち国家こっかにおいてはすべてのひとほうしたがわなければならず、ほう超越ちょうえつするものないとされること一般いっぱんてきである。こうしたほう運用うんようするにたって、犯罪はんざい紛争ふんそう関与かんよしたひとさば裁判所さいばんしょや、刑法けいほうもとづき実力じつりょく行使こうしする警察けいさつなどが設置せっちされる。刑法けいほう違反いはんしたもの犯罪はんざいしゃとなり刑罰けいばつけるだけにまらず、すべての信用しんよううしない、現職げんしょく家族かぞくなどのいままできずいてきた社会しゃかい関係かんけいや、職業しょくぎょう選択せんたく自由じゆううしな可能かのうせいしょうじることになる。重大じゅうだい犯罪はんざいおかした場合ばあいさらなる社会しゃかいてき制裁せいさいとして実名じつめい報道ほうどうされ、犯罪はんざいしゃとして一般いっぱん認知にんちされることになる。

もっとも、どのようなてんをもって社会しゃかい規範きはん区別くべつされるのか、なにをしてほうほうたらしめるのかについては、これまで種々しゅじゅ見解けんかいとなえられてきた。また、法学ほうがくかく分野ぶんやごとに考察こうさつ着眼ちゃくがんてんことなることもあり、ある分野ぶんや妥当だとうするほう定義ていぎ内容ないようべつ分野ぶんやではかならずしも妥当だとうしないこともある。

このようなてんから、以下いか記述きじゅつではほう定義ていぎ内容ないようについての結論けつろんろんずることをけ、伝統でんとうてき問題もんだいとされた主要しゅようてんについて概観がいかんする。

ほうというかたり[編集へんしゅう]

ヨーロッパ大陸たいりくにおいて「ほう」ないし「法律ほうりつ」という概念がいねんあらわかたりについては、ローマほうius対応たいおうする系列けいれつ(ドイツRecht, フランス語ふらんすごdroit, イタリアdiritto など)と、lex対応たいおうする系列けいれつGesetz, loi, legge など)の2種類しゅるいあり、日本語にほんごでは、それぞれ「ほう」と「法律ほうりつ」にやくけることがおおい。前者ぜんしゃは、自然しぜんほう一定いってい法体ほうたいけいを、後者こうしゃ実定法じっていほう具体ぐたいてきほう規範きはんをそれぞれあらわす。もっとも、かならずしも厳密げんみつ使つかけはされていない。前者ぜんしゃ系列けいれつは「権利けんり」という意味いみをもあわち、後者こうしゃ系列けいれつは(日本語にほんごの「法律ほうりつ」と同様どうように)議会ぎかい制定せいていほう名称めいしょうとしてももちいられる。

ちなみに、英語えいごlawという単語たんごはローマにルーツをたない。この単語たんごは、北海ほっかい帝国ていこくイングランド支配しはいした時代じだいに、デーンじんたちが「かれたもの」という意味いみもちいたノルド語源ごげんであり、これが英語えいごおきてほうという意味いみもちいられるようになったとされる。したがって、lawという単語たんごだけでは、ローマ起源きげんのiusとlexとの概念がいねん区別くべつできない。英語えいごけんでこの系列けいれつ区別くべつする場合ばあいは、前者ぜんしゃは (the) law を、後者こうしゃは a law または laws という表現ひょうげんもちいることがあるほか、形容詞けいようしがたで juristic と legal を使つかけることもある。

漢字かんじの「ほう」(正字せいじは「[3])は、「みず」+「廌」+音符おんぷ」からなる形声けいせい文字もじである[4]。『せつぶんかい』はこの文字もじ裁判さいばんかか架空かくう動物どうぶつ関連付かんれんづけているものの信頼しんらいできない記述きじゅつであり、詳細しょうさい字源じげんあきらかではない[5]仮借かしゃくして手本てほんとする、手本てほんとしてならうことを意味いみする単語たんごもちいる。この単語たんご仏教ぶっきょうではサンスクリットダルマ (dharma) のかんやくにあたる。

道徳どうとくとの関係かんけい[編集へんしゅう]

かつては、規範きはんとしてのほう宗教しゅうきょう道徳どうとくとのあいだには明確めいかく区別くべつはなかった。しかし、近代きんだい統一とういつ国家こっか生成せいせいなどによりほう道徳どうとく峻別しゅんべつすすむことにともない、両者りょうしゃ関係かんけい問題もんだいとされるようになる。もっとも、ここでいう「道徳どうとく」の概念がいねん明確めいかくてんがあり、このてんにともなう混乱こんらんしょうじている。

ほう外面がいめんせい道徳どうとく内面ないめんせい[編集へんしゅう]

まず、トマジウスにより、ほう外面がいめんせい道徳どうとく内面ないめんせいという定式ていしき提示ていじされた。そのろんずるところによると、ほう人間にんげん外面がいめんてき行為こうい規律きりつすることを使命しめいとするのにたいし、道徳どうとく人間にんげん良心りょうしんたい内面ないめんてき平和へいわ達成たっせいすることを使命しめいとする。このてんにつきカントは、若干じゃっかん視点してんえ、合法ごうほうせい (Legalität) と道徳どうとくせい (Moralität) との峻別しゅんべつろんじた。ほう道徳どうとく区別くべつ義務ぎむづけとの関係かんけいもとめ、ほうは、動機どうきとは無関係むかんけい行為こうい義務ぎむ法則ほうそく合致がっちすること(合法ごうほうせい)が要求ようきゅうされるのにたいし、道徳どうとくは、動機どうきそのものが義務ぎむ法則ほうそくしたがうことが要求ようきゅうされるとする。

これらの見解けんかいは、強制きょうせいともな干渉かんしょうからの個人こじん自律じりつてき活動かつどう領域りょういき確保かくほする古典こてんてき自由じゆう主義しゅぎ要請ようせいむすびついて主張しゅちょうされたものであり、ほう強制きょうせいともなうのにたい道徳どうとく強制きょうせいともなわないという結論けつろんみちびくことにより、国家こっか権力けんりょくきすぎをチェックする役割やくわりたした。しかし、道徳どうとく内面ないめんせい強調きょうちょうについては、各種かくしゅ道徳どうとく共通きょうつうしたものとはがた側面そくめんがある。具体ぐたいてきには、このような視点してん伝統でんとうてきキリスト教きりすときょうてき道徳どうとく前提ぜんていとしており、「はじ文化ぶんか」を基調きちょうとする社会しゃかいでは妥当だとうしないのではないかという疑問ぎもんなどが提示ていじされる。

また、このような区別くべつは、ほう個人こじん内面ないめん干渉かんしょうしてはならないという実践じっせんてき提言ていげんともなうものであるが、現実げんじつには、ほうにおいても個人こじん内面ないめんのことが問題もんだいとされないわけではない。たとえば、刑法けいほうでは故意こいはん過失かしつはんとが区別くべつされている。また日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい19じょう思想しそう良心りょうしん自由じゆう保障ほしょうしているのも、大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうしたにおいて内心ないしん自由じゆうそのものを制約せいやくしようとする立法りっぽうがされた反省はんせいによるところがおおきい。

最小さいしょう倫理りんりとしてのほう[編集へんしゅう]

以上いじょう議論ぎろんは、個人こじん道徳どうとく個人こじん倫理りんり)を念頭ねんとういた議論ぎろんであり、社会しゃかい道徳どうとく社会しゃかい倫理りんり)との関係かんけいについては、かならずしも念頭ねんとうかれていない。

ほう社会しゃかい道徳どうとくとの関係かんけい考察こうさつすると、社会しゃかい道徳どうとく社会しゃかい構成こうせいいん外面がいめんてき行動こうどう制約せいやくする原理げんりとしてはたらくことは否定ひていできない。また、個人こじん自律じりつてき選択せんたく内容ないようとなる個人こじん道徳どうとくも、社会しゃかい道徳どうとくによる影響えいきょうけることがある。このようなてんから、ほう基本きほんてきなところは社会しゃかい道徳どうとく一致いっちすることがのぞましいとされ、イェリネックのいう「ほう倫理りんり最小限さいしょうげん」という定式ていしき主張しゅちょうされる。ほうはその内容ないようにつき、社会しゃかい存続そんぞくのために必要ひつよう最小限さいしょうげん倫理りんりれることが要求ようきゅうされるという主張しゅちょうである。もっとも、ほう個人こじん道徳どうとくとの対立たいりつ関係かんけい考慮こうりょしておらず、道徳どうとくかん多様たようしている社会しゃかい維持いじできるかという問題もんだい指摘してきされる。

正義せいぎとの関係かんけい[編集へんしゅう]

ほうと(社会しゃかい道徳どうとくとの関係かんけいという観点かんてんからも問題もんだいになるが、ほうほうたらしめる要素ようそとして、規範きはんが「正義まさよし」に合致がっちすることが必要ひつようか、「悪法あくほうもまたほう」であるかという問題もんだいげられている。

対立たいりつ理念りねんてきとらえると、自然しぜんほう存在そんざい強調きょうちょうする立場たちばによれば、正義せいぎ合致がっちしていることがほうほうたらしめることになるため、外見がいけんじょう有効ゆうこう成立せいりつした実定法じっていほうも、その内容ないよう自然しぜんほうもとめる正義せいぎ合致がっちしないときは無効むこうになるのにたいし、ほう実証じっしょう主義しゅぎ強調きょうちょうする立場たちばによれば、外見がいけんじょう有効ゆうこう成立せいりつした実定法じっていほうはその内容ないようにかかわらずほうであり、それゆえ「悪法あくほうもまたほうである」ことになる(ただし、理念りねんてき対立たいりつであり、かならずしも徹底てっていされて主張しゅちょうされているわけではない)。

この問題もんだいについては、とくに、ナチス体制たいせいした制定せいていされた法律ほうりつしたがったものにつき、その法的ほうてき責任せきにんだい世界せかい大戦たいせんのち追及ついきゅうすることができるのか、ナチス体制たいせい法律ほうりつ効力こうりょくめぐ論争ろんそう展開てんかいされた。

強制きょうせいとの関係かんけい[編集へんしゅう]

強制きょうせい要素ようそとするか[編集へんしゅう]

ほう道徳どうとくとのあいだにはかさなり部分ぶぶんがあるとして、ほうほうたらしめるためには、違反いはんしたものたいして制裁せいさいくわえることにより強制きょうせいできる建前たてまえになっていることが要求ようきゅうされるかという問題もんだいがある。このてんについてケルゼンは、ほうは、一定いってい行動こうどうがある場合ばあいには強制きょうせい刑罰けいばつ私法しほうじょう行政ぎょうせいじょう強制きょうせい執行しっこうなど)が発動はつどうされるべきというほう命題めいだいとしてさだめられている必要ひつようがあるとした。これにたいし、ほう強制きょうせいてき性質せいしつ承認しょうにんするとしても、強制きょうせいてき手段しゅだんともなうことはかならずしも必要ひつようではないとする見解けんかいもある。

強制きょうせいほう要素ようそであることを肯定こうていした場合ばあい一般いっぱんてきにはほうばれない規範きはんであっても、その違反いはんたいする制裁せいさい実力じつりょくともな場合ばあい(いわゆる村八分むらはちぶ存在そんざい団体だんたい内部ないぶおきてなど)があるため、このようなものをほう概念がいねんから排除はいじょする必要ひつようしょうじる。そのため、強制きょうせい高度こうど組織そしきされていることを要求ようきゅうするかんがかたつ(もっとも、国家こっか成立せいりつまえほう未開みかい社会しゃかいほうをも考察こうさつ対象たいしょうとするあるしゅ法学ほうがく分野ぶんやにおいては、ほうひろとらえる必要ひつようせいがあるため、このようなしばりをかける必要ひつようせいひくい)。

また、強制きょうせいとの関連かんれんで、国際こくさいほうほうであるかという問題もんだいがある。国際こくさいほうは、その強制きょうせいというてんでは、国内こくないほう比較ひかくして組織そしきてん発達はったつであるてんなどから、実定じっていてき道徳どうとくぎないというかんがかたもある。もっとも、だい世界せかい大戦たいせんこう国際こくさい連合れんごう欧州おうしゅう評議ひょうぎかいといった国際こくさい組織そしき整備せいびすすむことにより、国際こくさいほう法的ほうてき性格せいかくつよめているともえる。

強制きょうせい正当せいとう根拠こんきょ[編集へんしゅう]

ほう道徳どうとくとの関係かんけいをめぐる問題もんだいや、必要ひつよう条件じょうけんであるかどうかはべつとしてほうには強制きょうせいりょくともなてんから、ほう個人こじん行動こうどうたいして干渉かんしょうできるのはどのような根拠こんきょもとづくのかという問題もんだいがある。

この問題もんだいにつきよく引用いんようされるかんがかたひとつとして、ミル提唱ていしょうした侵害しんがい原理げんり危害きがい原理げんりとも、harm principle)、すなわち、個人こじん意思いしはんしてその行動こうどう干渉かんしょうできるのは、個人こじん他者たしゃたいしてなんらかの侵害しんがいくわえることを防止ぼうしするためであるとするかんがかたげられる。しかし、古典こてんてき自由じゆう主義しゅぎ社会しゃかいであればともかく、社会しゃかい経済けいざいてき弱者じゃくしゃ保護ほごという観点かんてん強調きょうちょうされる福祉ふくし国家こっか思想しそうひろまった社会しゃかいでは、このような根拠こんきょだけで説明せつめいれるかという問題もんだいてんもある。

これにたいし、ほう道徳どうとくとがまった無関係むかんけいでないことを前提ぜんていに、ほう行動こうどう干渉かんしょうする根拠こんきょについて社会しゃかい道徳どうとくそれ自体じたい維持いじ強調きょうちょうする見解けんかいがあり、法的ほうてきモラリズム (legal moralism) とばれる。この見解けんかいつらぬくと、個人こじん行為こうい他者たしゃたいする侵害しんがいともなわない場合ばあいであってもはん倫理りんりてきという理由りゆうにより干渉かんしょうすることが可能かのうになるため、個人こじん自由じゆう領域りょういき確保かくほというてん問題もんだいしょうじる。

さらに、本人ほんにんにとって利益りえきになることをもっ個人こじん行動こうどう介入かいにゅうすることを正当せいとうするパターナリズム (paternalism) のかんがかたがある。一般いっぱんろんとしてこの根拠こんきょ肯定こうていできる場合ばあいがありうるとしても、こまかなてんにつき様々さまざま問題もんだいがある。とくに、それが肯定こうていされるのは介入かいにゅうしゃみずからの行動こうどうにつき適切てきせつ判断はんだん能力のうりょくいている場合ばあいかぎるかか、というてん問題もんだいとなる。また、この見解けんかい徹底てっていすると自己じこ決定けっていけんとの関係かんけいがどうなるかという問題もんだいたる。

ほうげん[編集へんしゅう]

ここでいうほうげんとは、ほうとして援用えんようできる規範きはん存在そんざい形式けいしきのことであり、通常つうじょうは、裁判官さいばんかんほう認識にんしき根拠こんきょとして裁判さいばん理由りゆう援用えんようできるほう形式けいしきのことをいう。

ほうげん中心ちゅうしんとなるのが法律ほうりつ中心ちゅうしんとした制定せいていほう詳細しょうさいについては「法令ほうれい」を参照さんしょう)であることに問題もんだいはないが、その問題もんだいとなるものに以下いかのものがある。

慣習かんしゅうほう
社会しゃかい慣習かんしゅう基礎きそとして妥当だとうする規範きはんのうち、ほうとして確信かくしんされるにいたったものをいう。制定せいていほう整備せいびされている国家こっかにおいては、成文法せいぶんほう補完ほかんする位置いちにあるにすぎない。しかし、制定せいていほうけている部分ぶぶん補充ほじゅうする役割やくわりがあり、また解釈かいしゃくろんとして一定いってい範囲はんい制定せいていほう優先ゆうせんする効力こうりょくみとめる見解けんかいもある。慣習かんしゅうほうは、通常つうじょう判例はんれいつうじて明確めいかくされることとなる。
判例はんれいほう
判例はんれいほうげんとしての効力こうりょくみとめられる場合ばあい、そのような法体ほうたいけい判例はんれいほうぶことがある。伝統でんとうてき理解りかいでは、いわゆるえいべいほうくにでは、判例はんれいほうほう中心ちゅうしんかれ判例はんれい先例せんれい拘束こうそくせいみとめられる(ただし、判例はんれい変更へんこうみとめられないわけではない)のにたいし、日本にっぽんふくめいわゆる大陸たいりくほう基調きちょうとするくににおいては、判例はんれい事実じじつじょう拘束こうそくりょくがあることは肯定こうていしつつも、ほうげんとしてはみとめられないとわれている。しかし、大陸たいりくほう基調きちょうとするくにでも、法典ほうてん十分じゅうぶんではないほう領域りょういきたとえばフランスにおける国際こくさい私法しほうやかつての日本にっぽんにおける国際こくさい裁判さいばん管轄かんかつなど)では、判例はんれい重要じゅうよう位置付いちづけをめているのみならず、判例はんれいはんする判断はんだん上級じょうきゅうしん破棄はきされることをもあわかんがえると、そのおおきいものではなく、そのため、判例はんれいによって形成けいせいされてきたほう規範きはんして「判例はんれいほう」とぶこともある。
条理じょうり
物事ものごと筋道すじみちのことである。法令ほうれいかけかけがある場合ばあいなどに条理じょうりほうげんとされる場合ばあいがある。その場合ばあい条理じょうりほうげんとするほう内容ないようは、通常つうじょう判例はんれいつうじて明確めいかくされることとなる。日本にっぽんほうにおいては、刑事けいじ場合ばあいは、罪刑法定ざいけいほうてい主義しゅぎ原則げんそくがあるため適用てきようすべきほうがない場合ばあい無罪むざいにすればよいだけであるのにたいし、民事みんじ場合ばあいは、適用てきようすべきほうがない場合ばあい条理じょうりほうげんとしてあつかうことが可能かのうかという問題もんだいしょうじる。このてん裁判さいばん事務じむ心得こころえ明治めいじ8ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい103ごう)3じょうは、「民事みんじ裁判さいばん成文せいぶん法律ほうりつナキモノハ習慣しゅうかん習慣しゅうかんナキモノハ条理じょうり推考すいこうシテ裁判さいばんスヘシ」として、適用てきようすべきほうがない場合ばあい条理じょうりによるべきことを規定きていしている。この太政官だじょうかん布告ふこく現在げんざいでも有効ゆうこう法令ほうれいであるかかにつき見解けんかいかれているが(平成へいせい20ねん現在げんざい廃止はいしされていない)、条理じょうりしたがうとしても条理じょうり自体じたいほうげんとしての一般いっぱんてき規準きじゅんにはならず、ほうあなめるための解釈かいしゃく問題もんだい解消かいしょうされるともるが、国際こくさい裁判さいばん管轄かんかつかんするルールが、判例はんれいじょう、(法令ほうれい規定きていまった存在そんざいしないため)条理じょうり根拠こんきょとして形成けいせいされるといったれい存在そんざいした。
学説がくせつ
現在げんざい日本にっぽんなどおおくのくににおいては、ほう解釈かいしゃくについて学説がくせつ参考さんこうすることはあっても、法学ほうがくしゃ学説がくせつ自体じたいほうげんせいがあるとはみとめられていない。しかし、マ帝国まていこくにおいては皇帝こうてい権威けんいもとづき法学ほうがくしゃほう解答かいとうけんみとめられたり、一定いってい権威けんいある学説がくせつ法的ほうてき効力こうりょく付与ふよされるなど、学説がくせつほうげんとされるれいはあった。現在げんざいでも、スコットランドほうにおいては権威けんいのある学者がくしゃ体系たいけいしょほうげんとしてみとめられている。また、イスラームほうにおいても、法学ほうがくしゃ合意ごうい(イジュマーウ)がほうげん一種いっしゅとしてみとめられている。なお、学説がくせつほうげんであることがみとめられないといっても、一部いちぶ非常ひじょう権威けんいのある学者がくしゃ見解けんかいつよ影響えいきょうりょくゆうし、その見解けんかい公権こうけん解釈かいしゃく学説がくせつにおいて当然とうぜん前提ぜんていとされるといったことはしばしばられることであり、その意味いみではそのような学説がくせつにはほうげんとの類似るいじせいみとめられる。

ほう分類ぶんるい[編集へんしゅう]

ほうとく実定法じっていほうとしてのほう)は、種々しゅじゅ観点かんてんから分類ぶんるいされる。

抵触ていしょくほう実質じっしつほう[編集へんしゅう]

法域ほういきによって事案じあん直接ちょくせつ適用てきようされる実体じったいほう手続てつづきほう実質じっしつほう)はことなるため、いずれの法域ほういきにおける実質じっしつほう準拠じゅんきょすべきかがさきまらなければならない。抵触ていしょくほうとは、当該とうがい事案じあんにおいて準拠じゅんきょすべき実質じっしつほう準拠じゅんきょほう)を指定していするほうのことである。

公法こうほう私法しほう[編集へんしゅう]

おおまかに分類ぶんるいすると、公法こうほうとは、国家こっか市民しみんとの関係かんけい規律きりつするほうをいい、私法しほうとは、わたし人間にんげん関係かんけい規律きりつするほうをいう。具体ぐたいてきには、憲法けんぽう行政ぎょうせいほう前者ぜんしゃ典型てんけいであり、民法みんぽう商法しょうほう後者こうしゃ典型てんけいとされる。

このような区別くべつは、国家こっか立場たちば市民しみん立場たちば区別くべつされていることを前提ぜんていとしたものであるが、えいべいほうでは伝統でんとうてきにこのような区別くべつはされていない。また、区別くべつ基準きじゅんについても様々さまざまかんがえがあり、日本にっぽんにおいても、問題もんだいとなる法律ほうりつ関係かんけい訴訟そしょうあらそわれた場合ばあいに、行政ぎょうせい事件じけん訴訟そしょうほう対象たいしょうとなるか民事みんじ訴訟そしょうほう対象たいしょうとなるかという意味いみでしか区別くべつ意味いみがないとの指摘してきもされている。一方いっぽうで、ほう渉外しょうがいてき適用てきよう範囲はんいかんする議論ぎろんにおいては、両者りょうしゃ区別くべつ重要じゅうようせい指摘してきされてもいる。

また、取引とりひき関係かんけい国家こっか介入かいにゅうすることを予定よていした経済けいざいほう中心ちゅうしんに、公法こうほう私法しほうなかあいだ領域りょういきみとめられるほう分野ぶんや発達はったつしており、両者りょうしゃ区別くべつもっぱ理念りねんがたてき区別くべつともいいうる。

実体じったいほう手続てつづきほう[編集へんしゅう]

実体じったいほうとは、法律ほうりつ関係かんけいそれ自体じたい内容ないようさだめるほうのことをいい、手続てつづきほうとは、実体じったいほうさだめる法律ほうりつ関係かんけい実現じつげんするための手続てつづきさだめるほうのことをいう。民法みんぽう商法しょうほう刑法けいほう前者ぜんしゃ典型てんけいであり、民事みんじ訴訟そしょうほう刑事けいじ訴訟そしょうほう後者こうしゃ典型てんけいである。また、手続てつづきほうのうち、手続てつづき形式けいしき訴訟そしょう形式けいしき場合ばあいは、その手続てつづきほう訴訟そしょうほうという(狭義きょうぎ手続てつづきほう)。

手続てつづきほう実体じったいほうつかえるものであるため、まず実体じったいほうありきともおもえるが、歴史れきしてきにはそうともれない側面そくめんがある。たとえば、ローマほうでは実体じったいほう手続てつづきほうとが分化ぶんかであり、訴訟そしょう対象たいしょうとなる個々ここ権利けんり類型るいけい固有こゆう手続てつづきむすびつけられていた。そのようなこともあり、手続てつづきほうから実体じったいほう独立どくりつしたとしてまず手続てつづきほうありきとする見解けんかいもある。

民事みんじほう刑事けいじほう[編集へんしゅう]

私法しほうかんする実体じったいほう手続てつづきほう総称そうしょうして民事みんじほうといい、犯罪はんざい刑罰けいばつかんする実体じったいほう刑法けいほうなど)と手続てつづきほう刑事けいじ訴訟そしょうほうなど)を総称そうしょうして刑事けいじほうという。ほう違反いはんした場合ばあいのサンクションの観点かんてんからは、民事みんじほう損害そんがい賠償ばいしょう責任せきにんやそれにもとづく私法しほうじょう権利けんり強制きょうせい執行しっこう内容ないようとするのにたいし、刑事けいじほう国家こっか権力けんりょくによる刑罰けいばつ内容ないようとする。

もちろん、ふるくは民事みんじ責任せきにん刑事けいじ責任せきにん分化ぶんかであったこともある。たとえば、サリカ法典ほうてんでは、制裁せいさいとして定額ていがく贖罪しょくざいきん制度せいどがあったが、贖罪しょくざいきん一部いちぶ国王こくおう帰属きぞくするものと被害ひがいしゃ帰属きぞくするものがあったり、殺人さつじんたいする制裁せいさいについては、加害かがいしゃ市民しみんである場合ばあいには贖罪しょくざいきん支払しはらいでりるのにたいし、加害かがいしゃ奴隷どれいである場合ばあい死刑しけいになるという差異さいみとめられた。また、えいべいほうにおける懲罰ちょうばつてき損害そんがい賠償ばいしょうも、手続てつづきめんでは民事みんじ訴訟そしょうによるものの、その実体じったい刑事けいじ制裁せいさいてきなものであるとの指摘してきもある。

これらのかたり登場とうじょうする文脈ぶんみゃくにおいては、「公法こうほう」は両者りょうしゃふくまないせま意味いみもちいられる。

世俗せぞくほう宗教しゅうきょうほう[編集へんしゅう]

宗教しゅうきょうてき世俗せぞくてき)な権威けんいにより制定せいていされるほう世俗せぞくほうであり、宗教しゅうきょうてき権威けんいにより制定せいていされるほう宗教しゅうきょうほうである。宗教しゅうきょうほう世俗せぞくほうがどのようにあつかうかについては、さまざまな立法りっぽうれいがある。

国際こくさいほう国内こくないほう[編集へんしゅう]

国内こくないほうは、基本きほんてき国内こくない最高さいこう法規ほうきとしての憲法けんぽう根拠こんきょとし、それにはんしないように制定せいていされる。また、ほう強制きょうせいりょく命令めいれい行政ぎょうせい処分しょぶん刑罰けいばつとう)をゆうし、国家こっか機関きかんなどによって執行しっこうされる。

これにたいし、国際こくさいほう効力こうりょくは、原則げんそくとして、関係かんけい国家こっかによる同意どうい根拠こんきょにしており、また直接的ちょくせつてき強制きょうせいりょく一般いっぱんてき機関きかん現時点げんじてんでは、人権じんけん基本きほんてき自由じゆう保護ほごのための条約じょうやく規定きていにより設置せっちされた欧州おうしゅう人権じんけん裁判所さいばんしょのぞいて存在そんざいしないが、米州べいしゅう人権じんけん条約じょうやくもとづく米州べいしゅう人権じんけん裁判さいばんもそれにじゅんじる権限けんげんち、ひとおよ人民じんみん権利けんりかんするアフリカ憲章けんしょうもとづくアフリカ人権じんけん裁判所さいばんしょもそうした権限けんげんつようにけた努力どりょくがなされている。(国際こくさい人権じんけんほう項目こうもく参照さんしょう国際こくさいほう対話たいわ同意どうい基本きほん原則げんそくのため、一般いっぱんほう(=国内こくないほう)というイメージから乖離かいりする部分ぶぶんがあり、両者りょうしゃ関係かんけい理解りかいする場合ばあい注意ちゅうい必要ひつようである。

法令ほうれい優先ゆうせん順位じゅんい[編集へんしゅう]

ある現象げんしょうたいして法令ほうれい適用てきようするさい複数ふくすう法令ほうれいがある場合ばあい法令ほうれい種類しゅるいによって優先ゆうせん順位じゅんい発生はっせいする。優先ゆうせん順位じゅんいかんするルールを、そのルールのなかでの優先ゆうせんたかじゅんならべると以下いかのようになる。

上位じょうい法令ほうれい優先ゆうせん[編集へんしゅう]

法令ほうれいにはその形式けいしきおうじて優先ゆうせん順位じゅんいがある。たとえば、日本にっぽんほうにおいては、日本国にっぽんこく憲法けんぽうのある規定きてい法律ほうりつのある規定きてい矛盾むじゅん抵触ていしょくする場合ばあい憲法けんぽう規定きてい優先ゆうせんされ、当該とうがい法律ほうりつ規定きてい原則げんそくとして無効むこうとなる。詳細しょうさい法令ほうれい#日本にっぽん法令ほうれい種類しゅるい参照さんしょう上位じょういほう優位ゆうい原則げんそく

一般いっぱんほう特別とくべつほう[編集へんしゅう]

同一どういつ順位じゅんい法令ほうれいであっても、一般いっぱんほうひろ範囲はんい適用てきようされる法令ほうれい)と特別とくべつほう(そのうちのある特定とくてい範囲はんいにのみ適用てきようされる法令ほうれい)の関係かんけいがしばしばられる。ある事象じしょうたいして特別とくべつほう存在そんざいする場合ばあいには、一般いっぱんほうよりも特別とくべつほう優先ゆうせんされる。特別とくべつほう優先ゆうせん原則げんそく

たとえば、訪問ほうもん販売はんばいにかかるトラブルは民法みんぽうでは対処たいしょむずかしかったので、特定とくていしょう取引とりひきほう特別とくべつほうとして制定せいていし、対処たいしょしている。

こうほう優先ゆうせん[編集へんしゅう]

同一どういつ順位じゅんいで、かつ、一般いっぱんほう特別とくべつほう関係かんけいでないかたちで、ぜんほう従前じゅうぜんからある法令ほうれい)とこうほうあたらしく制定せいていされた法令ほうれい)がある場合ばあいは、こうほう優先ゆうせんされる。したがって、法令ほうれい内容ないよう改正かいせいする場合ばあいには、どういち順位じゅんい法令ほうれい制定せいていすることによっておこなわれる。特殊とくしゅれいとしては、条約じょうやく法律ほうりつどう順位じゅんいとするくににおいては、条約じょうやく国内こくない法的ほうてき効力こうりょくが、その制定せいていされた法律ほうりつによってくつがえされることがある。こうほう上位じょうい原則げんそく

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ だいはん,世界せかいだい百科ひゃっか事典じてんない言及げんきゅう, 精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん,デジタルだいtいずみ,ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん,とっさの日本語にほんご便利べんりちょう,旺文社おうぶんしゃ世界せかい事典じてん さんていばん,世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん. “ほうとは”. コトバンク. 2022ねん3がつ29にち閲覧えつらん
  2. ^ らないあいだつみおかしてしまった…法律ほうりつらなかったといいわけすることは可能かのう”. ダーウィン法律ほうりつ事務所じむしょ 刑事けいじ事件じけん専門せんもんサイト (2020ねん6がつ25にち). 2023ねん1がつ21にち閲覧えつらん
  3. ^ 小川おがわ環樹たまきへん角川かどかわしん字源じげん 改訂かいていばん』(角川書店かどかわしょてん、1994ねん)568ぺーじ
  4. ^ 裘錫けいだんだん文字もじ資料しりょうたい漢語かんご研究けんきゅうてき重要じゅうようせい」 『中国ちゅうごくぶん』1979ねんだい6 437-442ぺーじ
    William H. Baxter and Laurent Sagart, Old Chinese - A New Reconstruction, Oxford University Press, 2014, p. 152-153.
  5. ^ 鄧佩れい文字もじ“廌”及其相関そうかんしょ――したがえ金文きんぶん用作ようさく文例ぶんれいちゅうてきこもだんおこり」 『青銅器せいどうきあずか金文きんぶんだい1輯 北京ぺきん大学だいがく出土しゅつど文献ぶんけん研究所けんきゅうじょへん上海しゃんはいせき出版しゅっぱんしゃ、2017ねん、204-221ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 高梨たかなしこう法学ほうがく』(八千代やちよ出版しゅっぱん
  • 尾高おだか朝雄あさお法学ほうがく概論がいろん』(有斐閣ゆうひかく
  • ラートブルフ『法学ほうがく入門にゅうもん』(東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい
  • 比較ひかく法制ほうせい研究所けんきゅうじょ歴史れきしのなかの普遍ふへんほう』 (未来社みらいしゃ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]