市民しみん社会しゃかい

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市民しみん社会しゃかい(しみんしゃかい、えい: civil society どく: bürgerliche Gesellschaft ふつ: société civile, société bourgeoise[1])または資本しほん主義しゅぎ社会しゃかい(しほんしゅぎしゃかい)、近代きんだい社会しゃかい(きんだいしゃかい)、ブルジョア社会しゃかい(ブルジョアしゃかい)[2][3]とは、市民しみん階級かいきゅう封建ほうけんてき身分みぶん制度せいど土地とち制度せいど打倒だとうして実現じつげんした、民主みんしゅてき資本しほん主義しゅぎてき社会しゃかい[4][5]。「市民しみん階級かいきゅう」「市民しみん革命かくめい」「市民しみんほう」「市民しみんてき自由じゆうとうともに、だい大戦たいせんから有力ゆうりょくになった用語ようご[1]

この言葉ことば本来ほんらい、「市民しみん革命かくめい (ブルジョア革命かくめい) によって成立せいりつした社会しゃかい」を意味いみする[5]資本しほん知識ちしきじんらの市民しみん階級かいきゅう絶対ぜったい君主くんしゅせい封建ほうけんせい打破だはし、基本きほんてき人権じんけん確保かくほしたことで市民しみん社会しゃかい成立せいりつした[5]政治せいじてきには民主みんしゅ主義しゅぎに、経済けいざいてきには資本しほん主義しゅぎもとづく社会しゃかいだとされる[5]

歴史れきしじょう市民しみん社会しゃかい[編集へんしゅう]

古代こだいギリシアローマにおける市民しみん共同きょうどうたいと、その伝統でんとうじょうにある市民しみん革命かくめい近代きんだい市民しみん社会しゃかいすだけでなく、国家こっか権力けんりょくから統制とうせいけない「公共こうきょう空間くうかん」を場合ばあいもあり、マルクス主義まるくすしゅぎ立場たちばからは、階級かいきゅう対立たいりつ前提ぜんていとして有産ゆうさん階級かいきゅう支配しはいする社会しゃかいとしてこのかたりもちいられる。

また、20世紀せいき前半ぜんはん思想家しそうかアントニオ・グラムシによれば、すでにメディア・学校がっこう教会きょうかいなど日常にちじょういたところ国家こっか権力けんりょく分散ぶんさんして浸透しんとうしており、このことが市民しみん社会しゃかい抑圧よくあつするとされる。そのため、これに対抗たいこうしうる自発じはつてき市民しみん団体だんたい運動うんどうをネットワークすることで、「公共こうきょうせい」・「公共こうきょう空間くうかん」をもどそうとするうごきもみられる。

古代こだい市民しみん共同きょうどうたい近代きんだい市民しみん社会しゃかい[編集へんしゅう]

西洋せいよう古代こだいにおける市民しみん共同きょうどうたいとしては、古代こだいアテネやローマがれいとしてげられる。この時代じだいの「市民しみん」とは、じゅうそう歩兵ほへいとしてポリス防衛ぼうえいにあたり市政しせい参加さんかするような市民しみんけん保有ほゆうしゃ自由じゆうみんしており、けっして都市としぜん構成こうせいいんしていたわけではなかった。中世ちゅうせい身分みぶんせい社会しゃかいにおいては、各人かくじん権利けんりにおいて対等たいとうであることはなく、こうした市民しみん共同きょうどうたい伝統でんとううしなわれていた。

市民しみん共同きょうどうたい復活ふっかつは、イギリス・フランスにおいては市民しみん革命かくめい成功せいこうによってされる。イギリス革命かくめいにおいては中世ちゅうせい以来いらい身分みぶんせい議会ぎかい存続そんぞくするなど過去かこ伝統でんとう社会しゃかい尊重そんちょうされたが、フランス革命かくめいではアンシャン・レジーム否定ひていし、旧来きゅうらい身分みぶんせい社会しゃかい完全かんぜん解体かいたいして人権じんけん宣言せんげんかかげた。そのため、フランスのほうがより理念りねん純化じゅんかしたかたち市民しみん社会しゃかいをきずきあげた。すなわち、自由じゆうかつ権利けんりにおいて対等たいとう市民しみん結合けつごうという形態けいたいにより合致がっちする。このあらたに形成けいせいされた市民しみん共同きょうどうたい国家こっかむすびついて国民こくみん共同きょうどうたい形成けいせいされた。

近代きんだい市民しみん社会しゃかいにおいては、個人こじん自由じゆう保障ほしょうされることが、その成立せいりつ要件ようけんとなる。すなわち、かく個人こじん市民しみん)がみずからの政治せいじてき主張しゅちょう宗教しゅうきょうてき立場たちばなどをから強制きょうせいされないことや、かく個人こじんみずからの財産ざいさん自由じゆう処分しょぶんでき(私有しゆう財産ざいさんせい)、しょう活動かつどう自由じゆう保障ほしょうギルド廃止はいしなど)されていることなどがもとめられる。イギリス・フランスでは市民しみん革命かくめいつうじて市民しみん政治せいじ主導しゅどうけんにぎったため、これらのことを政府せいふ保障ほしょうすることになった。

冷戦れいせん以後いご動向どうこう[編集へんしゅう]

ファシズムも、冷戦れいせんにおける東欧とうおう共産党きょうさんとう政権せいけんも、国家こっかとう社会しゃかいのあらゆる領域りょういきにまで干渉かんしょうして支配しはい統制とうせいするというてんでは同様どうようであった。(どちらの体制たいせい国家こっか個人こじん否定ひていして、政治せいじ経済けいざい社会しゃかい完全かんぜん統制とうせいにおく全体ぜんたい主義しゅぎへといた可能かのうせいがあった。)このてんで、上述じょうじゅつのグラムシの見解けんかい先見せんけんてきであったといえる。こうした状況じょうきょう市民しみんてき自由じゆう確保かくほするためには、従来じゅうらい共産党きょうさんとう労働ろうどう組合くみあい主体しゅたいにした一極いっきょくがた運動うんどうではなく、日常にちじょうにまで官僚かんりょうせいやマスメディアをつうじて干渉かんしょうをはかる国家こっか権力けんりょくたいして、市民しみん日常にちじょう生活せいかつにかかわるしょ団体だんたいがネットワークをむすんできょくてき抵抗ていこう運動うんどう展開てんかいすべきだというかんがえが形成けいせいされていった。とりわけ、共産党きょうさんとう市民しみん抑圧よくあつした東欧とうおうにおいて、1989ねん共産党きょうさんとう独裁どくさい政権せいけんがあいついで崩壊ほうかいした(東欧とうおう革命かくめい)ことと、そのさい市民しみんしょ団体だんたい活躍かつやくしたことは、こうした議論ぎろん活性かっせいさせていった。またこうした市民しみん社会しゃかい復活ふっかつは、国境こっきょうえたネットワークとなり、その総称そうしょうであるグローバル市民しみん社会しゃかい(GCS)の概念がいねん注目ちゅうもくされている[6]ユーゴスラビア空爆くうばくなどの人道的じんどうてき危機ききさいして、GCSは人道じんどう支援しえんおこなっているとカルド―(Mary Kaldor)は指摘してきする。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 平凡社へいぼんしゃ 2019, p. 市民しみん社会しゃかい.
  2. ^ 小学館しょうがくかん 2019, p. 市民しみん社会しゃかい.
  3. ^ 松村まつむら 2019a, p. 市民しみん社会しゃかい.
  4. ^ 松村まつむら 2019b, p. 市民しみん社会しゃかい.
  5. ^ a b c d ブリタニカ・ジャパン 2019, p. 市民しみん社会しゃかい.
  6. ^ グローバル市民しみん社会しゃかいろん戦争せんそうへのひとつの回答かいとう』Mary Kaldor, Takehiko Yamamoto, Noboru Miyawaki, Maki Kimura,、法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく、Tōkyō、2007ねんISBN 978-4-588-62208-3OCLC 675330791https://www.worldcat.org/oclc/675330791 

参照さんしょう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 松村まつむら, あきら (2019ねん). “デジタル大辞泉だいじせん”. 市民しみん社会しゃかい. 2019ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]