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政党せいとうせい

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政党せいとうせい(せいとうせい)とは、政党せいとう政治せいじになである政党せいとう構成こうせい要素ようそとする制度せいどやシステム[1]政党せいとうシステム政党せいとう機構きこう政党せいとう体系たいけい政党せいとう制度せいどとも。

概要がいよう

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従来じゅうらい類型るいけい分析ぶんせきは、おも政党せいとうかず焦点しょうてんてて「いちとうせいとうせい多党たとうせい」などに分類ぶんるいすることが一般いっぱんてきだった[1]

ジョヴァンニ・サルトーリかずくわえて政党せいとうあいだ関係かんけいイデオロギーへの移入いにゅうなどを指標しひょう追加ついかし、「いちとうせいいちとう独裁どくさいせい)、ヘゲモニー政党せいとうせいいちとう優位ゆうい政党せいとうせいとうせいだい政党せいとうせい)、穏健おんけん多党たとうせい分極ぶんきょくてき多党たとうせい原子げんし政党せいとうせい」の7つに分類ぶんるいした。とうせい多党たとうせいあいだよりも穏健おんけん多党たとうせい分極ぶんきょくてき多党たとうせいあいだ決定的けっていてき分割ぶんかつせんがあるとした[1]

アーレンド・レイプハルト有効ゆうこう議会ぎかい政党せいとうすう使用しようして「2とうせい、2.5とうせい優位ゆうい政党せいとうのある多党たとうせい優位ゆうい政党せいとうのない多党たとうせい」に分類ぶんるいした。

社会しゃかいてき経済けいざいてき要因よういん歴史れきしてき文化ぶんかてき要因よういん選挙せんきょ制度せいどなどの技術ぎじゅつてき要因よういん各国かっこく政党せいとうせい決定けっていする。しょう選挙せんきょせい一回いっかい投票とうひょうせいとうせい傾向けいこうがあり、比例ひれい代表だいひょうせいかい投票とうひょうせい多党たとうせい傾向けいこうがある[1]

デュヴェルジェ

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類型るいけい分析ぶんせきにおいて影響えいきょうりょくがあったのはモーリス・デュヴェルジェ検証けんしょうだった。デュヴェルジェはいちとうせいとうせい多党たとうせいさんふんし、そのなかとうせい推奨すいしょうした。政治せいじ対立たいりつしゃ対立たいりつになるものであり、中間ちゅうかんてき立場たちば不自然ふしぜんであるため、とう対立たいりついとかんがえた。また、しょう選挙せんきょせいとうせいみ、比例ひれい代表だいひょうせい多党たとうせいむという「デュヴェルジェの法則ほうそく」を提唱ていしょうした[2]

このさんふんほうでは、いちとうせい独裁どくさいを、多党たとうせい混乱こんらんをもたらすとされた。とうせいアメリカイギリスもっとすぐれているとされた。

1970年代ねんだい以後いご修正しゅうせいでは、多党たとうせいかならずしも混乱こんらんをもたらさないことがしめされた。

サルトーリ

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1970年代ねんだいにサルトーリはかずとイデオロギーを基準きじゅんにした類型るいけい提唱ていしょうし、政治せいじ学者がくしゃひろれられた。サルトーリはまず競合きょうごうてきなものと競合きょうごうてきなものに分類ぶんるいし、つぎかずとイデオロギーによって分類ぶんるいした[3]

競合きょうごうてきかつ効率こうりつてき民主みんしゅ主義しゅぎとしていちとう優位ゆうい政党せいとうせい分極ぶんきょくてき多党たとうせい指摘してきした[4]いちとう優位ゆうい政党せいとうせいれられたのはジャワハルラール・ネルーインディラ・ガンディー時代じだいにおけるインドなどである。分極ぶんきょくてき多党たとうせいれられたのはサルトーリの母国ぼこくであるイタリアヴァイマル共和きょうわせいドイツフランスだいさん共和きょうわせいフランスフランスだいよん共和きょうわせいのフランスなどである。これらの政党せいとうせいにおける特徴とくちょうは、イデオロギーの差異さいおおきいことである。

競合きょうごうてきかつ効率こうりつてき民主みんしゅ主義しゅぎとしてだい政党せいとうせい穏健おんけん多党たとうせい指摘してきした[4]だい政党せいとうせいれられたのはアメリカ、イギリスなどである。穏健おんけん多党たとうせいれられたのはベネルクスさんこくなどである。これらの政党せいとうせいにおける特徴とくちょうは、イデオロギーの差異さいちいさいことである。

サルトーリの念頭ねんとうにあったのは、デュベルジェにたいする批判ひはんではなく、その拡張かくちょうである。デュベルジェはとうせい効率こうりつてき民主みんしゅ主義しゅぎであると結論けつろんづけたものの、サルトーリは穏健おんけん多党たとうせい効率こうりつてき民主みんしゅ主義しゅぎであると結論けつろんづけた。

様々さまざま修正しゅうせいけながらも、この分析ぶんせきもっとおおきな影響えいきょうりょくつものとして政治せいじ学者がくしゃあいだひろれられている[5]

レイプハルト

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反論はんろんしたのはレイプハルトである。レイプハルトは政治せいじせいあつかったものの、政党せいとうせい理論りろんかくともえる重要じゅうようせいつ。

レイプハルトは有効ゆうこう議会ぎかい政党せいとうすうがかりに、2とうせい、2.5とうせい優位ゆうい政党せいとうのある多党たとうせい優位ゆうい政党せいとうのない多党たとうせいとに分類ぶんるいした。そのうえで2とうせいと2.5とうせいとを多数決たすうけつがた民主みんしゅ主義しゅぎまたはウェストミンスター・システム・モデルとし、優位ゆうい政党せいとうのある多党たとうせい優位ゆうい政党せいとうのない多党たとうせいとを合意ごうい形成けいせいがた民主みんしゅ主義しゅぎまたはコンセンサス・システム・モデルとした[6]。サルトーリによる分析ぶんせきとの関連かんれんせい以下いかとおりである。

  • 多数決たすうけつがた民主みんしゅ主義しゅぎ
    • だいブロックせい
  • 合意ごうい形成けいせいがた民主みんしゅ主義しゅぎ
    • いちとう優位ゆうい政党せいとうせい
    • 穏健おんけん多党たとうせい
    • 分極ぶんきょくてき多党たとうせい
    • 原子げんし政党せいとうせい

そして、レイプハルトはおおくのめんにおいて多数決たすうけつがた民主みんしゅ主義しゅぎより合意ごうい形成けいせいがた民主みんしゅ主義しゅぎすぐれているという分析ぶんせきを36かこく検証けんしょうにより提唱ていしょうした。マイノリティの代表だいひょうせいにおける度合どあいではたかいことにくわえて、経済けいざいてき業績ぎょうせきでは両者りょうしゃ有意ゆういがないことを主張しゅちょうしている。サルトーリはレイプハルトに「まったいてゆけない」とさい反論はんろんしている。

議論ぎろん

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とうせい政党せいとう活動かつどう禁止きんしされているか、事実じじつじょう存在そんざいしない間接かんせつ民主みんしゅ主義しゅぎである。前者ぜんしゃ1986ねんから2005ねんまでのウガンダであり[注釈ちゅうしゃく 1]後者こうしゃミクロネシアである[注釈ちゅうしゃく 2]ぜん議員ぎいん無所属むしょぞくというかたちとなる。

いちとうせいヘゲモニー政党せいとうせい基本きほんてきいちとう独裁どくさいによる独裁どくさい政治せいじである。いちとうせいナチス・ドイツソビエトベトナムなどである。ヘゲモニー政党せいとうせいひがしドイツ中国ちゅうごく北朝鮮きたちょうせんなどである。またシンガポールロシア事実じじつじょうヘゲモニー政党せいとうせいしている。

一大いちだい政党せいとうせいラジーヴ・ガンディー時代じだいにおけるインドなどである[7][8]55ねん体制たいせい時代じだい日本にっぽんは1と1/2政党せいとうせい表現ひょうげんされる。

だい政党せいとうせいアングロ・サクソン諸国しょこくなどである。

さんだい政党せいとうせい西にしドイツなどである[9]

北欧ほくおうとうせいスカンディナヴィアさんこくなどである。有効ゆうこう議会ぎかい政党せいとうすうとうというかたちとなる[10]

原子げんし政党せいとうせいマレーシア[注釈ちゅうしゃく 3]などである。混乱こんらん政治せいじ体制たいせい移行いこう、いわゆる「うえからの民主みんしゅ」がされた国家こっかなどにおおくみられるとされる。マレーシアのほかに、クライアンテリズム[注釈ちゅうしゃく 4]恩顧おんこ主義しゅぎ)の影響えいきょうりょくつよ政党せいとう組織そしきりょく[注釈ちゅうしゃく 5]よわフィリピン王権おうけんつよ立憲りっけん君主くんしゅせいタイなどが原子げんし政党せいとうせいちかいとされるが、相違そういてんもある。

サルトーリはフランスだい共和きょうわせいにおけるかい投票とうひょうせいすぐれた選挙せんきょ制度せいどであるという結論けつろん著述ちょじゅつしている。

フランスだい共和きょうわせいのフランスはだい政党せいとうせい穏健おんけん多党たとうせいなかあいだてき政党せいとうせいとなるだいブロックせいまたはブロックてき多党たとうせいである[11]ふたつの政党せいとうぐん選挙せんきょによってきそい、勝者しょうしゃとなる政党せいとうぐんにおけるリーダーかくである政党せいとう党首とうしゅ首班しゅはん指名しめいけるのがサルトーリの想定そうていである。

しかし、近年きんねんのフランスではだいさん勢力せいりょく国民こくみん連合れんごう台頭たいとうしてきているほか、イギリスやカナダでも伝統でんとうてきトーリーとうホイッグとうレイバーとう併存へいそんしている状況じょうきょうとなっているため、想定そうていがい事態じたいになっているとえなくもない[12]1993ねん以降いこうのイタリアにおける状況じょうきょうほう想定そうていちかいものの、しょう選挙せんきょせい比例ひれい代表だいひょうせい混在こんざいしている選挙せんきょ制度せいどには批判ひはんもある。なお、サルトーリは母国ぼこくのイタリアで選挙せんきょ制度せいど改革かいかくによる分極ぶんきょくてき多党たとうせい解消かいしょうだい政党せいとうせい実現じつげん目指めざしている。

日本にっぽん政治せいじ政党せいとうせいのありかたたいする支持しじ支持しじ表明ひょうめいしている。国民こくみん民主党みんしゅとうだい政党せいとうせい推奨すいしょうしており[13]社会しゃかい民主党みんしゅとう穏健おんけん多党たとうせい推奨すいしょうしている[14]

冷戦れいせん終了しゅうりょうグローバル情報じょうほう進展しんてん影響えいきょうあたえつつある[15]

日本にっぽん

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憲法けんぽう制定せいていまえおよび明治めいじ憲法けんぽう

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日本にっぽん政党せいとうは、1874ねん1がつせいかんろん論争ろんそうやぶれて下野げやした板垣いたがき退助たいすけ結成けっせいした愛国あいこく公党こうとう起源きげんつ。1881ねんには自由党じゆうとう1882ねんには大隈おおくま重信しげのぶ立憲りっけんあらためしんとう結成けっせいされた。フランスりゅう進歩しんぽ主義しゅぎやイギリスりゅう自由じゆう主義しゅぎ目指めざみんとう吏党対立たいりつ関係かんけいとなったため、政府せいふみんとうまったり、ドイツりゅう保守ほしゅ主義しゅぎ目指めざ御用ごよう政党せいとう立憲りっけんみかど政党せいとう創設そうせつしたりしたものの、有効ゆうこう対策たいさくとならなかった。1889ねん明治めいじ憲法けんぽう制定せいていされたのち政府せいふはしばらく議会ぎかい政党せいとうたいして超然ちょうぜん主義しゅぎったものの、にちしん戦争せんそう政府せいふみんとう協力きょうりょく関係かんけい成立せいりつしたのを契機けいきながれがわり、1898ねんには自由党じゆうとう進歩しんぽとう合同ごうどうして憲政けんせいとう結成けっせいし、日本にっぽん最初さいしょ政党せいとうないかくとして「くまいたないかく」が誕生たんじょうした[16]

憲政けんせいとう自由党じゆうとうけい憲政けんせいとうあらためしんとうけい憲政けんせいほんとう分裂ぶんれつし、前者ぜんしゃ1900ねん伊藤いとう博文ひろぶみ立憲りっけん政友せいゆうかい結成けっせいした。これを与党よとうとしただい4伊藤いとう内閣ないかく政党せいとう政治せいじみちひらいた[17]

一方いっぽう憲政けんせいほんとう1910ねん立憲りっけん国民党こくみんとう1913ねん立憲りっけん同志どうしかい1916ねん憲政けんせいかいて、1927ねん立憲りっけん民政みんせいとうとなった。そして明治めいじ時代じだいまつまで政友せいゆうかい西園寺さいおんじ公望きんもち立憲りっけん同志どうしかいかつら太郎たろうによる政権せいけん交代こうたいかえされた[16]

さらにの「憲政けんせい擁護ようご運動うんどう」に代表だいひょうされる大正たいしょうデモクラシーて「憲政けんせい常道じょうどう」による慣例かんれいまれ、政友せいゆうかい民政みんせいとうによる政党せいとう政治せいじ展開てんかいされるようになった[16]

またロシア革命かくめい資本しほん主義しゅぎ高度こうどによる労働ろうどうしゃ階級かいきゅう発展はってんなどを背景はいけいとして日本にっぽん共産党きょうさんとう1922ねん結党けっとう1935ねん中央ちゅうおう委員いいんかい壊滅かいめつ)や労働ろうどう農民のうみんとう1926ねん結成けっせいのち分裂ぶんれつして日本にっぽん労農ろうのうとう社会しゃかい民衆みんしゅうとう全国ぜんこく大衆たいしゅうとう結党けっとう)などの無産むさん政党せいとう出現しゅつげんするようになり、1928ねん普通ふつう選挙せんきょでは無産むさん政党せいとうからけい8めい当選とうせんしゃている[16]

政党せいとう財界ざいかいから多額たがく選挙せんきょ資金しきん必要ひつようとするようになり、様々さまざま汚職おしょく事件じけんこすようになった。「政党せいとう政治せいじ腐敗ふはい」による批判ひはんから青年せいねん将校しょうこう国家こっか主義しゅぎ団体だんたいなどのあいだ政党せいとう政治せいじ打倒だとう目指めざうごきが活発かっぱつとなった[18]。それが事件じけんとなってあらわれたのが1932ねん青年せいねん将校しょうこう中心ちゅうしんとなってこしたいち事件じけんだった。首相しゅしょういぬやしなえあつし暗殺あんさつされて政党せいとうないかくいぬやしなえ内閣ないかく崩壊ほうかいし、政友せいゆうかい後継こうけい総裁そうさいとなった鈴木すずき喜三郎きさぶろう大命たいめい降下こうかはされなかった。退役たいえき海軍かいぐん大将たいしょう斎藤さいとうみのる首相しゅしょうになり、政友せいゆうかい民政みんせいとうから閣僚かくりょう採用さいようして挙国一致きょこくいっちないかく組織そしきした。退役たいえき海軍かいぐん軍人ぐんじん首班しゅはんとする内閣ないかく発足ほっそくて「憲政けんせい常道じょうどう」による政党せいとう政治せいじ終焉しゅうえんした[19]

政治せいじしん体制たいせい運動うんどうさかんになり、1940ねん10月にはかく政党せいとう解散かいさんして大政たいせい翼賛よくさんかい合流ごうりゅうした[16]大政たいせい翼賛よくさんかい政治せいじ結社けっしゃのため、いちとう独裁どくさいせいには該当がいとうしない[20]

アメリカぐん占領せんりょう日本国にっぽんこく憲法けんぽう

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アメリカぐん占領せんりょう無産むさん政党せいとうつらなる政治せいじたちが革新かくしん政党せいとう集合しゅうごうたいとして日本にっぽん社会党しゃかいとう結成けっせいし、また保守ほしゅ政党せいとうつらなる政治せいじたちが日本にっぽん自由党じゆうとう日本にっぽん進歩しんぽとう日本にっぽん協同きょうどうとうなどに分裂ぶんれつして派閥はばつ包括ほうかつ政党せいとう結成けっせいした。1947ねん日本国にっぽんこく憲法けんぽう施行しこうされ、1948ねんあきまで日本にっぽん社会党しゃかいとう民主党みんしゅとうによる連立れんりつないかく片山かたやま内閣ないかく芦田あしだ内閣ないかく)がつづき、吉田よしだしげる自由党じゆうとう内閣ないかくつづいた[16]

1955ねん保守ほしゅ合同ごうどう自由民主党じゆうみんしゅとう誕生たんじょうし、40ねんちかどうとういちとう優位ゆうい体制たいせいつづいた(自民党じみんとう派閥はばつによる55ねん体制たいせい)。1993ねんそう選挙せんきょ自民党じみんとう過半数かはんすう下回したまわって宮澤みやざわ内閣ないかく敗北はいぼくし、日本新党にほんしんとう細川ほそかわまもる首班しゅはんとする日本新党にほんしんとう新党しんとうさきがけ新生党しんせいとう社会党しゃかいとう公明党こうめいとうによる自民じみん共産きょうさん連立れんりつ政権せいけん成立せいりつし、55ねん体制たいせい崩壊ほうかいした。自民じみん政権せいけん短期間たんきかん崩壊ほうかいし、社会党しゃかいとう自民党じみんとう連立れんりつによる村山むらやま内閣ないかくて、1999ねんから自民党じみんとう公明党こうめいとう連立れんりつするようになった。そのあいだ自民じみん共産きょうさん勢力せいりょく結集けっしゅうし、民主党みんしゅとう結党けっとう民主党みんしゅとう自民党じみんとう議席ぎせきすうせまるなど自民党じみんとういちとう優位ゆうい体制たいせい崩壊ほうかいし、だい政党せいとうせい様相ようそうていした。2009ねんそう選挙せんきょにおける民主党みんしゅとう大勝たいしょうふたた自民じみん政権せいけん誕生たんじょうしたものの、短期間たんきかん崩壊ほうかいし、2012ねんそう選挙せんきょ自公じこう連立れんりつ政権せいけんもどった[16]民主党みんしゅとう政権せいけん崩壊ほうかい民主党みんしゅとう党勢とうせい低迷ていめいもあり、ふたた自民党じみんとういちとう優位ゆうい体制たいせいもどった。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ヨウェリ・ムセベニによる国民こくみん抵抗ていこう運動うんどう存在そんざいした。
  2. ^ 政党せいとう活動かつどう禁止きんしされているわけではないが、地域ちいきべつ無所属むしょぞく議員ぎいん選出せんしゅつされている。議員ぎいん選出せんしゅつには思想しそうよりも血縁けつえん地縁ちえん影響えいきょうりょくつよいとされる。
    かつてナウルとうせいだった。
  3. ^ マレーシアは一種いっしゅのヘゲモニー政党せいとうせい該当がいとうし、原子げんし政党せいとうせい該当がいとうしないとするせつもある。
  4. ^ ある政治せいじ(クライアント)が特定とくてい有権者ゆうけんしゃ団体だんたい(パトロン)から支援しえんけ、クライアントはパトロンに有利ゆうりになるよう国会こっかい行政ぎょうせいはたらきかける互酬てき関係かんけいす(れい:パトロンの借金しゃっきん棒引ぼうびきしてもらうため、クライアントが銀行ぎんこうう。謝礼しゃれいとしてパトロンは選挙せんきょにおいてクライアントに投票とうひょうし、ときにはクライアントの選挙せんきょ運動うんどう補助ほじょする)。パトロン・クライアント関係かんけいともわれる。
    フィリピンではとくにこうした関係かんけいは「パドリノ・システム」とばれる。
  5. ^ 議員ぎいん政党せいとうあいだ転籍てんせき比較的ひかくてき容易よういおこなわれており、じゅう党籍とうせき議員ぎいん存在そんざいする。また、選挙せんきょにおいては政党せいとう指導しどうよりも議員ぎいん個人こじん主導しゅどうによる選挙せんきょ運動うんどうおこなわれている。
    フィリピン共産党きょうさんとう組織そしきされており大衆たいしゅう政党せいとうちか存在そんざいであるが、フィリピン政府せいふによって非合法ひごうほうされている。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d 政党せいとうせい - コトバンク
  2. ^ 政治せいじがく第一歩だいいっぽ、93ぺーじ
  3. ^ 政治せいじがく第一歩だいいっぽ、89ぺーじ
  4. ^ a b 政治せいじがく第一歩だいいっぽ、92ぺーじ
  5. ^ 政治せいじがく<だい2はん> (Next教科書きょうかしょシリーズ)、120ぺーじ
  6. ^ 政治せいじがく第一歩だいいっぽ、109ぺーじ
  7. ^ インドにおける選挙せんきょ政治せいじ政党せいとう政治せいじかんする分析ぶんせき
  8. ^ きゅうソ連それん諸国しょこくにおける憲法けんぽう動態どうたい支配しはい政党せいとう体制たいせい比較ひかく研究けんきゅう
  9. ^ 西にしドイツ「68ねん運動うんどう」と戦後せんご政治せいじ秩序ちつじょ変容へんよう
  10. ^ スウェーデンの年金ねんきん改革かいかくにおける政党せいとう政治せいじ影響えいきょうかんする比較ひかく政治せいじ過程かていろんてき考察こうさつ
  11. ^ 野党やとう(Opposition)の研究けんきゅう
  12. ^ 政治せいじがく ていばん (New Liberal Arts Selection)、507ぺーじ
  13. ^ 前原まえはら誠司せいじ再始動さいしどう 国民こくみん民主党みんしゅとう京都きょうと府連ふれん会長かいちょう就任しゅうにん 「だい政党せいとうせいへ、原点げんてんもどって頑張がんばる」
  14. ^ 社民党しゃみんとうOfficialWeb 理念りねん
  15. ^ ヨーロッパにおける政党せいとう競合きょうごう構造こうぞう変容へんよう政党せいとう戦略せんりゃく
  16. ^ a b c d e f g 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)「政党せいとう
  17. ^ ちょうにち日本にっぽん歴史れきし人物じんぶつ事典じてん伊藤いとう博文ひろぶみ
  18. ^ 世界せかい歴史れきしまっぷ 「政党せいとう政治せいじ展開てんかい
  19. ^ まななお日本にっぽん近代きんだいへん、181ぺーじ
  20. ^ 政党せいとうシステムの比較ひかく政治せいじてき研究けんきゅう-起源きげんから「凍結とうけつ解除かいじょ」まで-

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 三谷みたに太一郎たいちろう政党せいとうシステムの比較ひかく政治せいじてき研究けんきゅう』1992ねん 
  • 若松わかまつしん野党やとう(Opposition)の研究けんきゅう』1998ねん 
  • 渡辺わたなべ博明ひろあき『スウェーデンの年金ねんきん改革かいかくにおける政党せいとう政治せいじ影響えいきょうかんする比較ひかく政治せいじ過程かていろんてき考察こうさつ』2006ねん 
  • 三輪みわ博樹ひろき『インドにおける選挙せんきょ政治せいじ政党せいとう政治せいじかんする分析ぶんせき』2007ねん 
  • ジョヴァンニ・サルトーリ現代げんだい政党せいとうがく』2009ねん 
  • まななお日本にっぽん近代きんだいへん>』2011ねん 
  • 平野ひらのひろし変動へんどうにおける投票とうひょう行動こうどう全国ぜんこくてき系列けいれつてき調査ちょうさ研究けんきゅう』2011ねん 
  • 網谷あみたに龍介りゅうすけ『ヨーロッパにおける政党せいとう競合きょうごう構造こうぞう変容へんよう政党せいとう戦略せんりゃく』2011ねん 
  • 政治せいじがく ていばん (New Liberal Arts Selection)』2011ねん 
  • 大串おおぐしあつしきゅうソ連それん諸国しょこくにおける憲法けんぽう動態どうたい支配しはい政党せいとう体制たいせい比較ひかく研究けんきゅう』2013ねん 
  • アーレンド・レイプハルト民主みんしゅ主義しゅぎたい民主みんしゅ主義しゅぎ』2014ねん 
  • 政治せいじがく第一歩だいいっぽ』2015ねん 
  • 佐々木ささきあつしまれ西にしドイツ「68ねん運動うんどう」と戦後せんご政治せいじ秩序ちつじょ変容へんよう』2016ねん 
  • 村上むらかみ誠一郎せいいちろう自民党じみんとうひとり良識りょうしき』2016ねん 
  • 安井やすい宏樹ひろき『「はん議院ぎいんないかくせい」のにちどく比較ひかく研究けんきゅう』2017ねん 
  • 吉野よしのあつし政治せいじがく<だい2はん> (Next教科書きょうかしょシリーズ)』2018ねん 

関連かんれん項目こうもく

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