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片山かたやま内閣ないかく

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片山かたやま内閣ないかく
国務大臣こくむだいじん任命にんめいしき記念きねん撮影さつえい
(1947ねん6がつ1にち
内閣ないかく総理そうり大臣だいじん だい46だい 片山かたやまあきら
成立せいりつ年月日ねんがっぴ 1947ねん昭和しょうわ22ねん5月24にち
終了しゅうりょう年月日ねんがっぴ 1948ねん昭和しょうわ23ねん3がつ10日とおか
与党よとう支持しじ基盤きばん 日本にっぽん社会党しゃかいとう民主党みんしゅとう国民こくみん協同きょうどうとう、(緑風りょくふうかい[注釈ちゅうしゃく 1]
内閣ないかく閣僚かくりょう名簿めいぼ首相しゅしょう官邸かんてい
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片山かたやま内閣ないかく(かたやまないかく)は、衆議院しゅうぎいん議員ぎいん日本にっぽん社会党しゃかいとう委員いいんちょう片山かたやまあきらだい46だい内閣ないかく総理そうり大臣だいじん任命にんめいされ、1947ねん昭和しょうわ22ねん5月24にちから1948ねん昭和しょうわ23ねん3がつ10日とおかまでつづいた日本にっぽん内閣ないかく

内閣ないかくかおぶれ・人事じんじ[編集へんしゅう]

国務大臣こくむだいじん[編集へんしゅう]

一人ひとり内閣ないかく[編集へんしゅう]

1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ24にち任命にんめい[1]在職ざいしょく日数にっすう9にち

職名しょくめい だい 氏名しめい 出身しゅっしんとう 特命とくめい事項じこうとう 備考びこう
内閣ないかく総理そうり大臣だいじん 46 片山かたやまあきら 衆議院しゅうぎいん
日本にっぽん社会党しゃかいとう
はつ入閣にゅうかく
日本にっぽん社会党しゃかいとう委員いいんちょう
外務がいむ大臣だいじん 66 臨時りんじ代理だいり
内閣ないかく総理そうり大臣だいじん兼任けんにん
日本にっぽん社会党しゃかいとう委員いいんちょう
内務ないむ大臣だいじん -
大蔵おおくら大臣だいじん -
司法しほう大臣だいじん -
文部もんぶ大臣だいじん -
厚生こうせい大臣だいじん -
農林のうりん大臣だいじん -
商工しょうこう大臣だいじん -
運輸うんゆ大臣だいじん -
逓信ていしん大臣だいじん -
国務大臣こくむだいじん
経済けいざい安定あんてい本部ほんぶ総務そうむ長官ちょうかん
- 欠員けついん
国務大臣こくむだいじん
物価ぶっかちょう長官ちょうかん
- 1947ねん5がつ27にちまで
- 片山かたやまあきら 衆議院しゅうぎいん
日本にっぽん社会党しゃかいとう
事務じむ取扱とりあつかい
内閣ないかく総理そうり大臣だいじん兼任けんにん
1947ねん5がつ27にちけん
日本にっぽん社会党しゃかいとう委員いいんちょう
国務大臣こくむだいじん
復員ふくいんちょう総裁そうさい
- 欠員けついん
国務大臣こくむだいじん
行政ぎょうせい調査ちょうさ総裁そうさい
-
  1. 辞令じれいのある留任りゅうにん個別こべつだいとして記載きさいし、辞令じれいのない留任りゅうにん記載きさいしない。
  2. 臨時りんじ代理だいりは、大臣だいじん空位くうい場合ばあいのみ記載きさいし、海外かいがい出張しゅっちょうとう一時いちじ不在ふざい代理だいり記載きさいしない。
  3. 代数だいすうは、臨時りんじ兼任けんにん臨時りんじ代理だいりかぞえず、兼任けんにん兼務けんむかぞえる。

国務大臣こくむだいじん任命にんめい[編集へんしゅう]

1947ねん昭和しょうわ22ねん)6がつ1にち任命にんめい[2]在職ざいしょく日数にっすう284にち通算つうさん292にち)。

職名しょくめい だい 氏名しめい 出身しゅっしんとう 特命とくめい事項じこうとう 備考びこう
内閣ないかく総理そうり大臣だいじん 46 片山かたやまあきら 衆議院しゅうぎいん
日本にっぽん社会党しゃかいとう
日本にっぽん社会党しゃかいとう委員いいんちょう
外務がいむ大臣だいじん 67 芦田あしだひとし 衆議院しゅうぎいん
民主党みんしゅとう
内閣ないかく総理そうり大臣だいじん臨時りんじ代理だいり
ふく総理そうり
民主党みんしゅとう総裁そうさい
内務ないむ大臣だいじん 67 木村きむら小左衛門こざえもん 衆議院しゅうぎいん
民主党みんしゅとう
1947ねん12月31にちめん
内務省ないむしょう廃止はいし 1947ねん12月31にちづけ
大蔵おおくら大臣だいじん 51 矢野やの庄太郎しょうたろう 衆議院しゅうぎいん
民主党みんしゅとう
はつ入閣にゅうかく
1947ねん6月25にちめん[注釈ちゅうしゃく 2]
52 栗栖くりす赳夫たけお 参議院さんぎいん
無所属むしょぞく
緑風りょくふうかい
はつ入閣にゅうかく
1947ねん6がつ25にちにん
司法しほう大臣だいじん 48 鈴木すずき義男よしお 衆議院しゅうぎいん
日本にっぽん社会党しゃかいとう
はつ入閣にゅうかく
1948ねん2がつ15にちめん
司法省しほうしょう廃止はいし 1948ねん2がつ15にちづけ
法務ほうむ総裁そうさい 法務ほうむちょう設置せっち 1948ねん2がつ15にち設置せっち
1 鈴木すずき義男よしお 衆議院しゅうぎいん
日本にっぽん社会党しゃかいとう
転任てんにん
1948ねん2がつ15にちにん
文部もんぶ大臣だいじん 63 森戸もりと辰男たつお 衆議院しゅうぎいん
日本にっぽん社会党しゃかいとう
はつ入閣にゅうかく
厚生こうせい大臣だいじん 15 一松いちまつ定吉さだきち[3] 衆議院しゅうぎいん
民主党みんしゅとう
農林のうりん大臣だいじん 7 平野ひらの力三りきぞう 衆議院しゅうぎいん
日本にっぽん社会党しゃかいとう
はつ入閣にゅうかく
1947ねん11月4にちめん
- 片山かたやまあきら 衆議院しゅうぎいん
日本にっぽん社会党しゃかいとう
臨時りんじ代理だいり
内閣ないかく総理そうり大臣だいじん兼任けんにん
1947ねん11月4にちけん
1947ねん12月13にちめんけん
日本にっぽん社会党しゃかいとう委員いいんちょう
8 波多野はたのかなえ 衆議院しゅうぎいん
日本にっぽん社会党しゃかいとう
はつ入閣にゅうかく
1947ねん12月13にちにん
商工しょうこう大臣だいじん 29 水谷みずたに長三郎ちょうさぶろう 衆議院しゅうぎいん
日本にっぽん社会党しゃかいとう
はつ入閣にゅうかく
運輸うんゆ大臣だいじん 7 苫米地とまべち義三よしぞう 衆議院しゅうぎいん
民主党みんしゅとう
はつ入閣にゅうかく
1947ねん12月4にちめん
8 北村きたむら德太郎とくたろう 衆議院しゅうぎいん
民主党みんしゅとう
はつ入閣にゅうかく
1947ねん12月4にちにん
逓信ていしん大臣だいじん 2 三木みき武夫たけお 衆議院しゅうぎいん
国民こくみん協同きょうどうとう
はつ入閣にゅうかく
国民こくみん協同きょうどうとう書記しょきちょう→)
国民こくみん協同きょうどうとう委員いいんちょう
労働ろうどう大臣だいじん 労働省ろうどうしょう設置せっち 1947ねん9がつ1にち設置せっち
1 べいくぼ滿亮みつすけ 衆議院しゅうぎいん
日本にっぽん社会党しゃかいとう
転任てんにん[注釈ちゅうしゃく 3]
1947ねん9がつ1にちにん
国務大臣こくむだいじん
経済けいざい安定あんてい本部ほんぶ総務そうむ長官ちょうかん
4 和田わだ博雄ひろお 参議院さんぎいん
無所属むしょぞく
緑風りょくふうかい
物価ぶっかちょう長官ちょうかん兼任けんにん
国務大臣こくむだいじん
物価ぶっかちょう長官ちょうかん
4 和田わだ博雄ひろお 参議院さんぎいん
無所属むしょぞく
緑風りょくふうかい
経済けいざい安定あんてい本部ほんぶ総務そうむ長官ちょうかん兼任けんにん
国務大臣こくむだいじん
復員ふくいんちょう総裁そうさい
2 笹森ささもりじゅんづくり 衆議院しゅうぎいん
国民こくみん協同きょうどうとう
はつ入閣にゅうかく
1947ねん10がつ15にちめん
復員ふくいんちょう廃止はいし 1947ねん10がつ15にちづけ
国務大臣こくむだいじん
行政ぎょうせい調査ちょうさ総裁そうさい
2 齋藤さいとう隆夫たかお 衆議院しゅうぎいん
民主党みんしゅとう
国務大臣こくむだいじん
建設けんせついん総裁そうさい
建設けんせついん設置せっち 1948ねん1がつ1にち設置せっち
1 木村きむら小左衛門こざえもん 衆議院しゅうぎいん
民主党みんしゅとう
転任てんにん[注釈ちゅうしゃく 4]
1948ねん1がつ1にちにん
国務大臣こくむだいじん
地方ちほう財政ざいせい委員いいんかい委員いいんちょう
地方ちほう財政ざいせい委員いいんかい設置せっち 1948ねん1がつ7にち設置せっち
1 竹田たけだ儀一ぎいち 衆議院しゅうぎいん
民主党みんしゅとう
転任てんにん[注釈ちゅうしゃく 5]
1948ねん1がつ7にちにん
国務大臣こくむだいじん
賠償ばいしょうちょう長官ちょうかん
賠償ばいしょうちょう設置せっち 1948ねん2がつ1にち設置せっち
1 笹森ささもりじゅんづくり 衆議院しゅうぎいん
国民こくみん協同きょうどうとう
転任てんにん[注釈ちゅうしゃく 6]
1948ねん2がつ1にちにん
国務大臣こくむだいじん - 西尾にしお末廣すえひろ 衆議院しゅうぎいん
日本にっぽん社会党しゃかいとう
内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかん兼任けんにん はつ入閣にゅうかく
国務大臣こくむだいじん
無任所むにんしょ
- 林平りんぺい 衆議院しゅうぎいん
民主党みんしゅとう
はつ入閣にゅうかく
1947ねん11月25にちまで
国務大臣こくむだいじん
無任所むにんしょ
- べいくぼ滿亮みつすけ 衆議院しゅうぎいん
日本にっぽん社会党しゃかいとう
労働省ろうどうしょう設置せっち準備じゅんび委員いいんかい会長かいちょう[注釈ちゅうしゃく 7] はつ入閣にゅうかく
1947ねん9がつ1にちまで[注釈ちゅうしゃく 3]
国務大臣こくむだいじん
無任所むにんしょ
- 竹田たけだ儀一ぎいち 衆議院しゅうぎいん
民主党みんしゅとう
はつ入閣にゅうかく
1947ねん12月4にちから
1948ねん1がつ7にちまで[注釈ちゅうしゃく 5]
国務大臣こくむだいじん
無任所むにんしょ
- 笹森ささもりじゅんづくり 衆議院しゅうぎいん
国民こくみん協同きょうどうとう
転任てんにん
1947ねん10がつ15にちから
1948ねん2がつ1にちまで
  1. 辞令じれいのある留任りゅうにん個別こべつだいとして記載きさいし、辞令じれいのない留任りゅうにん記載きさいしない。
  2. 臨時りんじ代理だいりは、大臣だいじん空位くうい場合ばあいのみ記載きさいし、海外かいがい出張しゅっちょうとう一時いちじ不在ふざい代理だいり記載きさいしない。
  3. 代数だいすうは、臨時りんじ兼任けんにん臨時りんじ代理だいりかぞえず、兼任けんにん兼務けんむかぞえる。

内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかん法制ほうせいきょく長官ちょうかんとう[編集へんしゅう]

1947ねん昭和しょうわ22ねん)6がつ1にち任命にんめい[2]

職名しょくめい だい 氏名しめい 出身しゅっしんとう 特命とくめい事項じこうとう 備考びこう
内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかん 2 西尾にしお末廣すえひろ 衆議院しゅうぎいん
日本にっぽん社会党しゃかいとう
国務大臣こくむだいじん兼任けんにん
法制ほうせいきょく長官ちょうかん 48 佐藤さとう達夫たつお 法制ほうせいきょく 1947ねん6月14にちにん
1948ねん2がつ15にちめん
法制ほうせいきょく廃止はいし 1948ねん2がつ15にちづけ
内閣ないかく官房かんぼう次長じちょう - 滝川たきかわまついち 日本にっぽん社会党しゃかいとう 1947ねん6がつ10日とおかにん
- 曾禰えき 外務省がいむしょう 1947ねん6月17にちにん[注釈ちゅうしゃく 8]
  1. 辞令じれいのある留任りゅうにん個別こべつだいとして記載きさいし、辞令じれいのない留任りゅうにん記載きさいしない。
  2. 臨時りんじ代理だいりは、大臣だいじん空位くうい場合ばあいのみ記載きさいし、海外かいがい出張しゅっちょうとう一時いちじ不在ふざい代理だいり記載きさいしない。
  3. 代数だいすうは、臨時りんじ兼任けんにん臨時りんじ代理だいりかぞえず、兼任けんにん兼務けんむかぞえる。

政務次官せいむじかん[編集へんしゅう]

  • 1947ねん昭和しょうわ22ねん)6がつ18にち任命にんめい
職名しょくめい 氏名しめい 出身しゅっしんとう 備考びこう
外務がいむ政務次官せいむじかん 松本まつもと瀧藏たきぞう 衆議院しゅうぎいん国民こくみん協同きょうどうとう
内務ないむ政務次官せいむじかん 欠員けついん 1947ねん6がつ24にちまで
長野ながの長廣ながひろ 衆議院しゅうぎいん民主党みんしゅとう 1947ねん6がつ24にちにん
1947ねん12月31にちめん
大蔵おおくら政務次官せいむじかん 小坂こさか善太郎ぜんたろう 衆議院しゅうぎいん民主党みんしゅとう
司法しほう政務次官せいむじかん 佐竹さたけはる 衆議院しゅうぎいん日本にっぽん社会党しゃかいとう 1948ねん1がつ20日はつかめん
榊原さかきばら千代ちよ 衆議院しゅうぎいん日本にっぽん社会党しゃかいとう 1948ねん1がつ21にちにん
1948ねん2がつ14にちめん
司法省しほうしょう廃止はいし 1948ねん2がつ14にちづけ
法務ほうむ政務次官せいむじかん 法務ほうむちょう設置せっち 1948ねん2がつ15にち設置せっち
榊原さかきばら千代ちよ 1948ねん2がつ15にちにん
文部もんぶ政務次官せいむじかん 永江ながえ一夫かずお 衆議院しゅうぎいん日本にっぽん社会党しゃかいとう
厚生こうせい政務次官せいむじかん 金光かねみつ義邦よしくに 衆議院しゅうぎいん民主党みんしゅとう
農林のうりん政務次官せいむじかん 井上いのうえ良二りょうじ 衆議院しゅうぎいん日本にっぽん社会党しゃかいとう
商工しょうこう政務次官せいむじかん 富吉とみよし榮二さかえに 衆議院しゅうぎいん日本にっぽん社会党しゃかいとう
運輸うんゆ政務次官せいむじかん 田中たなか源三郎げんざぶろう 衆議院しゅうぎいん民主党みんしゅとう
逓信ていしん政務次官せいむじかん しい熊三郎くまさぶろう 衆議院しゅうぎいん民主党みんしゅとう
労働ろうどう政務次官せいむじかん 労働省ろうどうしょう設置せっち 1947ねん9がつ1にち設置せっち
土井どい直作なおさく 衆議院しゅうぎいん日本にっぽん社会党しゃかいとう 1947ねん9がつ1にちにん

首班しゅはん指名しめい選挙せんきょ[編集へんしゅう]

勢力せいりょく早見はやみひょう[編集へんしゅう]

内閣ないかく発足ほっそく当初とうしょぜん内閣ないかく事務じむ引継ひきつぎのぞく)。

名称めいしょう 勢力せいりょく 国務大臣こくむだいじん 政務次官せいむじかん その
しやかい社会党しゃかいとう 190 7 5 衆議院しゅうぎいん議長ぎちょう内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかん官房かんぼう次長じちょう
みんしゆ民主党みんしゅとう 152 8 5
こくみんきようとう国民こくみん協同きょうどうとう 39 2 1
りよくふうかい緑風りょくふうかい 94 1 0 参議院さんぎいん議長ぎちょう
国務大臣こくむだいじんのべ2
- 475 18 11 国務大臣こくむだいじんのべ19

内閣ないかくうご[編集へんしゅう]

日本国にっぽんこく憲法けんぽうした国会こっかい指名しめい組閣そかくおこなった最初さいしょ内閣ないかくである。だい23かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ結果けっか比較ひかくだい1とうとなった日本にっぽん社会党しゃかいとう中心ちゅうしんに、民主党みんしゅとう国民こくみん協同きょうどうとうからも閣僚かくりょう連立れんりつないかくとした。無産むさん政党せいとう議員ぎいん首相しゅしょうつとめる内閣ないかくとしてははつのものである。

しかし、片山かたやま本来ほんらい吉田よしだしげるひきいる自由党じゆうとうふくめた(日本にっぽん共産党きょうさんとうのぞく)「挙国一致きょこくいっちないかく」(だい連立れんりつないかく構想こうそう)を目指めざしていたが、自由党じゆうとう入閣にゅうかく難色なんしょくしめしたため組閣そかく難航なんこうする。徹底てっていした反共はんきょう主義しゅぎらす吉田よしだ自由党じゆうとう幹事かんじちょう大野おおの伴睦ばんぼく党首とうしゅ会談かいだん席上せきじょうで「今日きょう閣議かくぎ機密きみつ明日あしたにはモスクワらす分子ぶんし容共ようきょう社会党しゃかいとう左派さは)がいる社会党しゃかいとう政権せいけんには参加さんかできない」「どうしても入閣にゅうかくしてしいなら(社会党しゃかいとう左派さはってしい」と要求ようきゅうした。やむを1947ねん昭和しょうわ22ねん5月24にち片山かたやま単独たんどく親任しんにんしきけ、片山かたやま閣僚かくりょうポストのほとんど[注釈ちゅうしゃく 11]臨時りんじ代理だいりとなる一人ひとり内閣ないかくとしての発足ほっそくとなった。

吉田よしだ表向おもてむき「容共ようきょう」の社会党しゃかいとう左派さはのいる社会党しゃかいとう政権せいけんにははいらないと主張しゅちょうしていたが、実際じっさいは4とう連立れんりつによる不安定ふあんてい政権せいけん運営うんえい見越みこし、共倒ともだおれをおそ連立れんりつくわわらなかったとされる。吉田よしだ予見よけん翌年よくねんになって現実げんじつする。結局けっきょく自由党じゆうとうからは閣僚かくりょうられず、3とう中心ちゅうしんに1947ねん昭和しょうわ22ねん)6がつ1にち閣僚かくりょう人事じんじまり、片山かたやま内閣ないかく本格ほんかくてき発足ほっそくした。閣僚かくりょうりは、社会党しゃかいとう7めい民主党みんしゅとう7めい国民こくみん協同きょうどうとう2めい緑風りょくふうかい1めいといった各党かくとうのバランスを重視じゅうしした「党派とうは均衡きんこうないかく」ではあったが、外相がいしょう蔵相ぞうしょうといった主要しゅよう閣僚かくりょう社会党しゃかいとう議員ぎいんてることができず人材じんざい不足ふそく露呈ろていしたうえに、社会党しゃかいとう左派さはからの入閣にゅうかくはなく、不安定ふあんてい政局せいきょく予感よかんさせた。

裁判官さいばんかん任命にんめい諮問しもん委員いいんかいにおける諮問しもんて、1947ねん8がつ4にちさんふち忠彦ただひこ最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん指名しめいし、14にん最高さいこう裁判所さいばんしょ裁判官さいばんかん任命にんめいした。

神奈川かながわ税務署ぜいむしょいん殉職じゅんしょく事件じけんけてさん国人くにびとによる密造みつぞうしゅ醸造じょうぞう脱税だつぜい事件じけん政府せいふ経済けいざい緊急きんきゅう対策たいさく成否せいひにかかる重大じゅうだい問題もんだいであるとして省庁しょうちょうあいだ連携れんけいつよめさせた[6]

片山かたやま内閣ないかくには、公務員こうむいんの「公僕こうぼく目指めざ国家こっか公務員こうむいんほう制定せいてい内務省ないむしょう解体かいたい廃止はいしし、あらたに国家こっか地方ちほう警察けいさつと、全国ぜんこくやく1600の自治体じちたい警察けいさつ設置せっちする警察けいさつ制度せいど改革かいかく[注釈ちゅうしゃく 12]労働省ろうどうしょう設置せっち失業しつぎょう保険ほけん創設そうせつ封建ほうけんてき家族かぞく制度せいど廃止はいし目標もくひょうとした改正かいせい民法みんぽう制定せいてい刑法けいほう改正かいせい臨時りんじ石炭せきたん鉱業こうぎょう管理かんりほう通称つうしょう炭坑たんこう国家こっか管理かんりほう」)とう実現じつげんした。なかでも炭坑たんこう国家こっか管理かんりほうは、社会しゃかい主義しゅぎ政策せいさく具現ぐげんした社会党しゃかいとう重要じゅうよう法案ほうあんであり、片山かたやま首相しゅしょう水谷みずたにしょうしょうがもっともその成立せいりつ意欲いよくてきであった。しかし、産業さんぎょうさかいからもう反発はんぱつけ、野党やとう自由党じゆうとうばかりか与党よとう民主党みんしゅとうからも難色なんしょくしめされたため、法案ほうあん成立せいりつしたものの、内容ないようは「国家こっか管理かんり」とは程遠ほどとお骨抜ほねぬきとなり政権せいけん脆弱ぜいじゃくさを露呈ろていした(詳細しょうさい臨時りんじ石炭せきたん鉱業こうぎょう管理かんりほうこう参照さんしょう)。

さらには、炭坑たんこう国家こっか管理かんり法案ほうあん採決さいけつさい民主党みんしゅとうぬさはら喜重郎きじゅうろう造反ぞうはん離党りとう社会党しゃかいとう右派うはないでの勢力せいりょくあらそい(西尾にしお末広すえひろ官房かんぼう長官ちょうかん平野ひらの力三りきぞう農相のうしょうとの対立たいりつ)、衆議院しゅうぎいん予算よさん委員いいんかいにおいて党内とうない調整ちょうせいわらないうちに社会党しゃかいとう左派さは造反ぞうはんによる補正ほせい予算よさん否決ひけつなど内部ないぶ対立たいりつ表面ひょうめんし、つい政権せいけん運営うんえいまり片山かたやまは1948ねん昭和しょうわ23ねん)2がつ10日とおか退陣たいじん表明ひょうめいした。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 会派かいはとして与党よとうりしていない。
  2. ^ 脳溢血のういっけつによる病気びょうき療養りょうようのため。
  3. ^ a b 国務大臣こくむだいじん無任所むにんしょ)より補職ほしょく
  4. ^ 内務相ないむしょうより転任てんにん
  5. ^ a b 地方ちほう財政ざいせい委員いいんかい設置せっちともない、国務大臣こくむだいじん無任所むにんしょ)より補職ほしょく
  6. ^ 笹森ささもり賠償ばいしょうちょうともない、国務大臣こくむだいじん無任所むにんしょ)より補職ほしょく
  7. ^ 1947ねん6がつ10日とおかより補職ほしょく
  8. ^ 1947ねん昭和しょうわ22ねん)6がつ17にちより政務せいむ事務じむ次長じちょうにんせい導入どうにゅう
  9. ^ 吉田よしだには山口やまぐち好一よしかず齋藤さいとうには本人ほんにん投票とうひょう白票はくひょう片山かたやま只野ただの直三郎なおさぶろうのこり2ひょう記名きめい
  10. ^ ぬさばらには服部はっとりきょういち尾崎おざきには大山おおやまやすし投票とうひょう
  11. ^ 経済けいざい安定あんてい本部ほんぶ総務そうむ長官ちょうかん復員ふくいんちょう総裁そうさい行政ぎょうせい調査ちょうさ総裁そうさいについては片山かたやま自身じしんへの兼務けんむ発令はつれいなく6月1にちまで空席くうせき物価ぶっかちょう長官ちょうかんのみ3にちおくれて5がつ27にちみずからに事務じむ取扱とりあつかい発令はつれいをしている。閣僚かくりょうポストではないが、内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかん法制ほうせいきょく長官ちょうかん内閣ないかく官房かんぼう次長じちょうすべての政務次官せいむじかん同様どうよう空席くうせき
  12. ^ 日本にっぽん共産党きょうさんとう台頭たいとうおそれた片山かたやま内閣ないかくは、当初とうしょ内務省ないむしょうG2提案ていあんしていた「公安こうあんちょう」の設置せっち検討けんとうしており、警察けいさつ機構きこう解体かいたいには消極しょうきょくてきであったが、GSチャールズ・L・ケーディスつよ意向いこうによりおこなわれた。ケーディスは国家こっか地方ちほう警察けいさつ設置せっちにも反対はんたいしていたが、G2のチャールズ・ウィロビーかえしにより、国家こっか地方ちほう警察けいさつ本部ほんぶ設置せっちされた。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 官報かんぽう号外ごうがい叙任じょにん及辞れい」、昭和しょうわ22ねん5がつ24にち
  2. ^ a b 官報かんぽう号外ごうがい叙任じょにん及辞れい」、昭和しょうわ22ねん6がつ1にち
  3. ^ だい1吉田よしだ内閣ないかく逓信ていしん大臣だいじんから転任てんにん(6がつ1にちまで一人ひとり内閣ないかくのため、厳密げんみつ転任てんにんとはことなる)。
  4. ^ だい1かい国会こっかい衆議院しゅうぎいん会議かいぎろくだい4ごう官報かんぽう号外ごうがい昭和しょうわ22ねん5がつ24にちづけ
  5. ^ だい1かい国会こっかい参議院さんぎいん会議かいぎろくだい4ごう官報かんぽう号外ごうがい昭和しょうわ22ねん5がつ24にちづけ
  6. ^ 税務ぜいむ職員しょくいん殉難じゅんなん小史しょうし

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]