幸福こうふく主義しゅぎ

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幸福こうふく主義しゅぎ(こうふくしゅぎ、えい: eudaemonism)とは倫理りんり目的もくてき幸福こうふくることにあるとする思想しそうじょう立場たちば

ギリシア哲学てつがくおおくにはこの傾向けいこうがあるが、なかでもアリストテレス最高さいこうぜんは「幸福こうふく」(エウダイモニアまれ: εいぷしろんὐδαιμονία, eudaimonia)であり、行為こういすることが幸福こうふくおな意味いみであるとする。近代きんだいにおいても功利こうり主義しゅぎなどはこの立場たちばであるが、そこでは幸福こうふく快楽かいらく意味いみしている(快楽かいらく主義しゅぎ)。

カント義務ぎむろん立場たちばから幸福こうふく主義しゅぎ対立たいりつする倫理りんりがく展開てんかいした。ぜんはそれ自体じたい目的もくてきとするものであってなにかの手段しゅだんとしておこなうものではないという。

アリストテレスの幸福こうふく主義しゅぎ[編集へんしゅう]

アリストテレスは、われわれがもとめる「きもの」には大別たいべつするとさんしゅあるととなえる。

そのひとつが有用ゆうようさ」である。すなわち、これはのものをもとめる手段しゅだんとして役立やくだつよさである。

それにたいし、それ自体じたい目的もくてきとなるような「きもの」としては快楽かいらくがある。しかし、快楽かいらくは、アリストテレスによれば、それ自身じしんとしてものぞましいが、ときとしてのものの手段しゅだんとなるもの[1]である。だから快楽かいらくは、生活せいかつ幸福こうふくにするためのものであっても、もっとも価値かちたかいものとはいえない。

最後さいごに、もっとも価値かちたかきものとしての最高さいこうぜんがある。これこそが幸福こうふく」(エウダイモニア)であり、人間にんげん人間にんげんたらしめるもの、至上しじょう価値かちである。それは、人間にんげんにのみそなわった理性りせい活動かつどう完成かんせいによって実現じつげんする。アリストテレスは、理性りせい活動かつどうとは、人間にんげんとしてのとく(アレテー)の追求ついきゅうであり、テオリアてき態度たいどからまれてくるものであるとした。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ ニコマコス倫理りんりがく』による

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]