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アミヌ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

アミヌ(Aminu、なま没年ぼつねんしょう)は、紀元前きげんぜん19世紀せいきころアムルじんアッシリアおうめいひょうにはだい26だいアッシリアおうとして記録きろくされているが、かれがアッシリアおう即位そくいした事実じじつい。

アムルじん部族ぶぞくひとつであるハナぞく出身しゅっしん族長ぞくちょうイラ・カブカブ息子むすことしてまれた。おそらくマリめぐ紛争ふんそうちちイラ・カブカブが、ヤギド・リムにやぶれたため、ちちおとうとシャムシ・アダドとともにバビロニアのがれた。そのイラ・カブカブはエシュヌンナりょう一部いちぶ占領せんりょうしたが、このさいアミヌはぐん一部いちぶひきいる立場たちばにあり、エシュヌンナおうイピク・アダド2せいたたかった。

かれのその消息しょうそくかっていないが、イラ・カブカブの勢力せいりょく継承けいしょうしたのがシャムシ・アダドであったことからさき死亡しぼうしたとかんがえられる。

アッシリアおうアミヌ

[編集へんしゅう]

シャムシ・アダド1せいはしばらくのちにアッシリア王位おういれ、みずからの正統せいとうせい確保かくほするためにアッシリアおうめいひょう編纂へんさんし、系譜けいふ操作そうさおこなった。このなかでイラ・カブカブははる過去かこだい25だいアッシリアおうとされ、アミヌはだい26だいおうとして記録きろくされたため、かれはアッシリアおうとして後世こうせいつたわることになった。アッシリアおうめいひょうにはだい27だいおうスリリがアミヌの息子むすこであると記述きじゅつされているが、実際じっさい遺物いぶつから発見はっけんされたスリリのちちめいことなっており、系譜けいふ操作そうさあとことができる。