アルスターの赤 あか い手 て (英語 えいご : Red Hand of Ulster 、アイルランド語 ご : Lámh Dhearg Uladh )は紋章 もんしょう 学 がく [1] においてアイルランド の伝統 でんとう 的 てき 区画 くかく 「地方 ちほう 」のひとつであるアルスター をあらわすものとして使 つか われるものである。よりマイナーない回 いまわ しではあるがオニールの赤 あか い手 て (Red Hand of O'Neill)[2] やアイルランドの赤 あか い手 て (Red Hand of Ireland) としても知 し られている[3] 。その起源 きげん は神話 しんわ 上 じょう の人物 じんぶつ であるLabraid Lámh Dhearg[1] (Labraid of the Red Hand) といわれ、さらに口述 こうじゅつ によって代々 だいだい 伝 つた えられていたほかの神話 しんわ においても見 み られる。このシンボルはアイルランドのゲール文化 ぶんか (Gaelic Ireland )、特 とく に1600年代 ねんだい 以前 いぜん のアルスターにおけるゲール人 じん クラン、たとえばオニール (Uí Néill ) といったものに深 ふか く根 ね ざしている。いくつかのバージョンでは、左手 ひだりて であったり、親指 おやゆび が開 ひら いていたりする (たとえばティロン県 けん のゲーリック体育 たいいく 協会 きょうかい の紋章 もんしょう はそれにあたる)。
アルスター地方 ちほう の旗 はた
多神教 たしんきょう (Celtic polytheism ) 時代 じだい のころ、神話 しんわ 上 じょう の人物 じんぶつ Labraid Lámh Dhearg orもしくはLabraid Lámderg (Labraid of the Red Hand) と最初 さいしょ に関係 かんけい していたと一般 いっぱん 的 てき には考 かんが えられている[1] 。
神話 しんわ によれば、アルスター王国 おうこく にはそのときしかるべき後継 こうけい 者 しゃ がいなかった。そのためボートレースを行 おこな うべきとなり (場所 ばしょ はおそらくストロングフォード湖 こ Strangford Lough )、そして「アルスターの石 いし に最初 さいしょ に手 て をつけたものならばだれでも、王 おう になることができる」と決 き められ認 みと められた。
ある王 おう の候補 こうほ はアルスターを非常 ひじょう に愛 あい し、また王位 おうい を強 つよ く望 のぞ んでいたため、その人物 じんぶつ はレースに負 ま けそうになると自身 じしん の左腕 さわん を切 き り落 お としてそれを岸 きし に投 な げた - かくして彼 かれ は王位 おうい を勝 か ち取 と った。赤 あか は、その手 て が血 ち まみれであったという事実 じじつ を表 あらわ している可能 かのう 性 せい が高 たか い。その物語 ものがたり のほかのバージョンにおいては、その手 て を切 き った王 おう はオニールの血族 けつぞく であるとされ、そのことは彼 かれ らとの結 むす びつきを明 あき らかにしている。
もうひとつの物語 ものがたり は2人 ふたり の巨 きょ 人 じん の戦 たたか いに関 かん するもので、一人 ひとり の巨人 きょじん がもう一方 いっぽう に腕 うで を切 き り落 お とされ、そしてその赤 あか い手 て の痕跡 こんせき は岩 いわ の上 うえ に残 のこ された。Labraid of the Red Handとのかかわりを除 のぞ いてこれらの物語 ものがたり は、 (巨人 きょじん の話 はなし は特 とく に) 回想 かいそう 的 てき な作 つく り話 ばなし に見 み える。
アルスター の赤 あか い手 て は1953年 ねん から1972年 ねん までの旧 きゅう 北 きた アイルランド議会 ぎかい の旗 はた で見 み られた。これはコモンウェルスゲームズ のようないくつかのスポーツ大会 たいかい において北 きた アイルランドをあらわすのに用 もち いられている。
赤 あか い手 て のシンボルは九 きゅう 年 ねん 戦争 せんそう (Nine Years' War ) のさいにオニールのクランによって用 もち いられたものだと思 おも われている。そのさいのスローガンであった「Lámh Dhearg Abu! (ゲール語 ご で"赤 あか い手 て に勝利 しょうり を!")」もまたオニールと結 むす び付 つ けられている[4] 。
紋章 もんしょう はオニールの血統 けっとう をもつ一族 いちぞく の苗字 みょうじ を持 も つ人 ひと たちによって使用 しよう された。一部 いちぶ としてあげるとÓ Donnghile, オーカハイン (Ó Cathain )、 Ó MáeilsheáchlainnやÓ Catharnaighである。いずれも何 なん らかの形 かたち で赤 あか い手 て を特徴 とくちょう としており、共通 きょうつう の血統 けっとう であることを思 おも い起 お こさせる。オニールの紋章 もんしょう の特徴 とくちょう は赤 あか い手 て であり、そのモットーは「Lámh Dhearg Éireann (アイルランドの赤 あか い手 て )」である[5] 。
1243年 ねん にウォルター・デ・バラ (Walter de Burgh ) がアルスター伯 はく (Earl of Ulster ) にな った後 のち 、デ・バラの十字 じゅうじ は赤 あか い手 て と組 く み合 あ わされて現在 げんざい のアルスターの旗 はた (Flag of Ulster ) となっている。
赤 あか い手 て は後 のち に北 きた アイルランド旗 はた につかわれ、キャバン 、ティロン 、ロンドンデリー 、アントリム の各 かく 県 けん のシールドにも加 くわ えられた。赤 あか い手 て はまたアルスター地方 ちほう において、公私 こうし 双方 そうほう で多 おお くの組織 そしき において使用 しよう されている。
赤 あか い手 て は、北 きた アイルランドにおいて使 つか われる非常 ひじょう に小規模 しょうきぼ な、コミュニティーの垣根 かきね を越 こ えたシンボルである、とみなすことができる。そのゲール人 じん アイルランドのシンボルとしてのルーツから、ナショナリスト および共和 きょうわ 主義 しゅぎ 者 しゃ 双方 そうほう のシンボルとしてしばしば使 つか われた。たとえば共和 きょうわ 派 は のアイルランド市民 しみん 軍 ぐん やベルファストの愛国 あいこく 者 しゃ 墓地 ぼち 協会 きょうかい (National Graves Association, Belfast )、アイルランド運輸 うんゆ ・一般 いっぱん 労働 ろうどう 者 しゃ 組合 くみあい (Irish Transport and General Workers Union )やアルスターGAA などがそうである。 しかし、北 きた アイルランドの成立 せいりつ 以来 いらい 、ロイヤリスト 団体 だんたい は広 ひろ くこれを使 つか うようになった。たとえばRHC (赤手 せきしゅ 隊 たい 。Red Hand Commandos ) や赤手 せきしゅ 防衛 ぼうえい 軍 ぐん (Red Hand Defenders )、アルスター防衛 ぼうえい 同盟 どうめい (Ulster Defence Association ) やその他 た の団体 だんたい である。
この赤 あか い手 て はロイヤリスト系 けい 政党 せいとう が使用 しよう していたこともあり、アイルランドの歴史 れきし に詳 くわ しくない人 ひと たちからは単 たん なるロイヤリストのシンボルであると思 おも われていた[6] 。2005年 ねん のミス・北 きた アイルランド (Miss Northern Ireland ) であるゾーイ・サーモン (Zöe Salmon ) は、『ブルー・ピーター 』(Blue Peter 。BBCの子供 こども 向 む け番組 ばんぐみ )における競争 きょうそう で、北 きた アイルランドを代表 だいひょう するものとして赤 あか い手 て を選 えら んだために論争 ろんそう を引 ひ き起 お こした。スコットランド、ストラスクライド大学 だいがく の社会 しゃかい 学 がく 教授 きょうじゅ であるデヴィッド・ミラーは「卍 まんじ (ナチスのシンボルの鉤 かぎ 十字 じゅうじ として悪用 あくよう された)のごとく、赤 あか い手 て は悪用 あくよう された...これはユニオニストのシンボルである。」としてBBCに抗議 こうぎ した[7] 。
赤 あか い手 て はまた、スコットランドまたはノヴァ・スコシアのそれら以外 いがい の準 じゅん 男爵 だんしゃく の印章 いんしょう でもある。旗 はた においては赤 あか い手 て は右手 みぎて である。準 じゅん 男爵 だんしゃく およびアイルランドの協会 きょうかい (The Honourable The Irish Society ) においては左手 ひだりて である。
"アルスターの赤 あか い手 て はまったくもって矛盾 むじゅん してる
準 じゅん 男爵 だんしゃく とくっついてるとされるけど
もし彼 かれ らが左手 ひだりて を使 つか うなら、全 まった くもって正 ただ しい (right)
そして右 みぎ (right) 手 て を使 つか うなら、それは正 ただ しくない
地域 ちいき において違 ちが った風習 ふうしゅう をあてはめるなら
それはひっくり返 かえ すのがルール
もしあんたが右 みぎ (right) 手 て を正 ただ しい (right) と思 おも ってつかうなら賢 かしこ く安心 あんしん
でも左手 ひだりて をつかうなら大 おお ばかだ。[8] 。"
"The Red Hand of Ulster's a paradox quite,
To Baronets 'tis said to belong;
If they use the left hand, they're sure to be right,
And to use the right hand would be wrong.
For the Province, a different custom applies,
And just the reverse is the rule;
If you use the right hand you'll be right, safe and wise,
If you use the left hand you're a fool."