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アルベール・マチエ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

アルベール・マチエ(Albert Mathiez、1874ねん1がつ10日とおか - 1932ねん2がつ26にち)は、フランス歴史れきし学者がくしゃ

フランシュ・コンテ地方ちほう農家のうか出身しゅっしん1897ねん高等こうとう師範しはん学校がっこう卒業そつぎょうして歴史れきし教授きょうじゅ資格しかく取得しゅとくであるアルフォンス・オラール[1]指導しどうけながら各地かくちリセ教壇きょうだんち、1911ねんブザンソン大学だいがく1919ねんディジョン大学だいがく教授きょうじゅつとめたのち1926ねんソルボンヌ大学そるぼんぬだいがく教授きょうじゅとなった。

フランス革命かくめい研究けんきゅうをテーマとし、とくロベスピエール中心ちゅうしんとした政治せいじ革命かくめい礼拝れいはい制度せいどなどの宗教しゅうきょう関心かんしんち、1907ねんには「ロベスピエール研究けんきゅう協会きょうかい」を設立せつりつし、その機関きかん革命かくめい年報ねんぽう』(のちに『フランス革命かくめい年報ねんぽう』と改題かいだい)にて、ロベスピエールさい評価ひょうかとなえた。だが、こうした活動かつどうダントン重要じゅうようするオーラルとの対立たいりつまねいた。

だいいち世界せかい大戦たいせんインフレーション経験けいけんから、フランス革命かくめい経済けいざい政策せいさく社会しゃかい運動うんどうかんする研究けんきゅうおこなった。一連いちれん研究けんきゅう成果せいかは、『フランスだい革命かくめい』として集大成しゅうたいせいされる予定よていであったが、刊行かんこう途中とちゅうの1932ねん急死きゅうしした。しかし、従来じゅうらいからの政治せいじとしてのフランス革命かくめい研究けんきゅう宗教しゅうきょう思想しそう社会しゃかい経済けいざい視点してんくわえた同書どうしょ未完みかんながらたか評価ひょうかけた。訳書やくしょだい世界せかい大戦たいせんのち岩波いわなみ文庫ぶんこぜん3かん市原いちはら豊太とよたねづまさしともやく)で刊行かんこうされている。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 松浦まつうら義弘よしひろ「マチエ」(『歴史れきしがく事典じてん 5 歴史れきしとその作品さくひん』(弘文こうぶんどう、1997ねんISBN 978-4-335-21035-8

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ パリ大学だいがくのフランス革命かくめい講座こうざ初代しょだい担当たんとう教授きょうじゅ。(Alphonse Aulard

関連かんれん項目こうもく

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