アンバガイ・カン
アンバガイ・カン(モンゴル
生涯 [編集 ]
アンバガイ・カンはブユル
アンバガイ・カンは
子 [編集 ]
アンバガイ・カンには10
- アダル・カン(Adal Qan)…タルグタイ・キリルトク(Tar
γ utai Qiriltuγ ,Tarqūtāī Qirīltūq)の父 - アウチュ・バアトル(アンク・ハクチュ)(A'uču Ba'atur,Āngqū Hāqūčū)[4]
- カダアン・タイシ(Qada'an Taiši)
- クリル・バアトル
- トドエン・ギルテ(Tödö'en Girte)[5]
- コドン・オルチャン(Qodun Orčang)
- バカチ
- ウドル・バヤン
系図 [編集 ]
- ボドンチャルからカブル・カンまでのボルジギン
氏 の系図
- カブル・カンから
始 まるキヤト氏 の系図 と、アンバガイ・カンから始 まるタイチウト氏 の系図
脚注 [編集 ]
- ^ 『
元朝 秘史 』には「主因 亦 児 堅 」という文字 で書 かれる。この「主 」ǰü~ǰuが、『遼 史 』『金 史 』あるいは『元 史 』に「乣」という特殊 な文字 で写 されたものの原音 と見 られるが、『黒 韃事略 』の説明 によると、五 十 人 を一 隊 として編成 された、国境 防備 のための外人 傭兵 部隊 を指 すものであった。おそらくは契 丹 語 に由来 する語 であって、最初 は遼 下 で保有 を許 された王侯 貴族 の私 属 の軍隊 を名指 したが、次 の金 朝 にはいると、この語 は自国 の覇 絆 の下 に置 かれた北方 遊牧民 から編成 した国境 守備 隊 を意味 するように使用 されて、奚族 から出 た「咩乣」、タングート族 から出 た「唐古 乣」、モンゴル族 から出 た「萌 骨 乣」などの多 くの乣軍の名 が輩出 するようになったらしい。ここに見 える「タタル乣」もその一 つであろう。≪村 上 1970,p69≫ - ^
村上 1970,p66-67 - ^
女 真 (金 朝 )皇帝 はかつて自分 の役人 がカブル・カンによって殺 されたことを思 い出 し、遊牧民 の反 徒 を懲罰 する刑法 である木馬 に釘 打 ちの刑 に処 した。≪佐 口 1968,P27≫ - ^ 『
親 征 録 』に「沆忽阿 忽 出 」と見 える人物 と同 一人物 で、『集 史 』ではĀngqū Hāqūčūと写 されている。このangquには「最初 の、第 一 の」という意味 がある。また「アウチュ」はhaquču<a'ačuで、haqučuはhawurla-すなわち「怒 る」という動詞 から出 た「怒 れる人 」の意 のhaqurčuがhaqučuになったものであろうとポール・ペリオは説 く。『集 史 』によると、この人物 はアンバガイ・カンの孫 で、タルグタイ・キリルトクおよびコドン・オルチャンと従兄弟 にあたり、タイチウト氏 集団 の有力 な領袖 の一人 とある。≪村 上 1970,p322≫ - ^ 「トドエン」とは「ズボンの
紐 」の意 。「ギルテ」はポール・ペリオによると、kkirtei~kirteiで「汚 い」という意味 があるという。また、この人物 は『親 征 録 』に「脱 端 火 児 真 (トドン・コルチン)」と見 えるが、この「火 児 真 」はおそらくqorčin(「箙 (やなぐい)を負 うた者 」)、すなわち「靭負 (ゆげい)」の意 ではなく、『集 史 』に従 うとquhurčinと読 むべきものであろうから、「箜篌 (くご、クフル)という笛 を吹 く男 」の意 であろうという。つまり彼 は笛吹 きの名人 であり、ものぐさで薄汚 なかったことから出 た名 であろうという。≪村 上 1970,p105≫
参考 資料 [編集 ]
- ドーソン(
訳注 :佐 口 透 )『モンゴル帝国 史 1』(1989年 、平凡社 、ISBN 4582801102) 村上 正二 訳注 『モンゴル秘史 1チンギス・カン物語 』(1970年 、平凡社 )
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