イエロー・バルーン (きょく)

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イエロー・バルーン
イエロー・バルーンシングル
Bめん Noollab Wolley
リリース
規格きかく 7インチ・シングル
ジャンル サンシャイン・ポップ
時間じかん
レーベル Canterbury
作詞さくし作曲さっきょく ゲイリー・ゼクリー
プロデュース Yodar Critch
イエロー・バルーン シングル 年表ねんぴょう
Yellow Balloon
(1967ねん
Good Feeling Time
(1967ねん
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イエロー・バルーン
ジャン&ディーンシングル
Bめん テイスト・オブ・レイン (Taste of Rain)
リリース
規格きかく 7インチ・シングル
レーベル コロムビア・レコード
作詞さくし作曲さっきょく ゲイリー・ゼクリー
ジャン&ディーン シングル 年表ねんぴょう
Like a Summer Rain
(1966ねん
Yellow Balloon
(1967ねん
Hawaii
(1967ねん
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イエロー・バルーン」(Yellow Balloon) は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく音楽おんがくプロデューサーゲイリー・ゼクリー英語えいごばんいた1967ねん楽曲がっきょく当初とうしょは、ジャン&ディーン提供ていきょうされたきょくであったが、その過程かてい不満ふまんをもったゼクリー自身じしんが、その時点じてんでは架空かくうだったバンドイエロー・バルーン名義めいぎでシングルをし、ヒットした。

リリースまでの経緯けいい[編集へんしゅう]

1966ねんあき、アルバムよう楽曲がっきょくさがしていたジャン&ディーンディーン・トーレンス英語えいごばんは、ゲイリー・ゼクリーに楽曲がっきょく提供ていきょう依頼いらいし、用意よういされた楽曲がっきょくのひとつが「イエロー・バルーン (Yellow Balloon)」であった[1]

しかし、ゼクリーは、トーレンスによる録音ろくおん出来でき満足まんぞくできず、これに対抗たいこうしてみずからシングルをむことを決意けついし、カンタベリー・レコード (Canterbury Records) のケン・ハンドラー (Ken Handler) の協力きょうりょくてこれを実現じつげんした[1]。レコーディングでは、ゼクリーがみずかうたい、マイク・ポスト12げんギター参加さんかした[1]

リリースとその[編集へんしゅう]

ゼクリーが録音ろくおんしたシングルは、イエロー・バルーン名義めいぎでリリースされ、トーレンスのバージョンと直接ちょくせつきそうことになった。トーレンスのシングルは、その当時とうじジャン・ベリー英語えいごばん交通こうつう事故じこ瀕死ひんし重傷じゅうしょうって録音ろくおん参加さんかしていなかったにもかかわらず、ジャン&ディーンのデュオ名義めいぎでリリースされた。1967ねん5がつ20日はつかづけBillboard Hot 100 チャートで、イエロー・バルーンのバージョンは25となったが[2]、ジャン&ディーンのバージョンは圏外けんがいの111にとどまった[3]。これは、合衆国がっしゅうこくない各地かくちのDJたちが、もっぱらイエロー・バルーンのバージョンだけをかけたためであった。シングルのBめんには、曲名きょくめいつづりをさかさまにした「Noollab Wolley」がおさめられていた。

しかし、一部いちぶのラジオきょくは、このきょくが、ドノヴァンの「メロー・イエロー (Mellow Yellow)」のように、幻覚げんかくざい黄色きいろ錠剤じょうざい意味いみしているのではないかと危惧きぐして、放送ほうそうきんじた。

このシングルは、バンドへ興味きょうみをもったファンをし、アルバムの制作せいさくやテレビ番組ばんぐみ出演しゅつえんなどの機運きうんたかまった。問題もんだいは、実際じっさいにはイエロー・バルーンというバンドが実在じつざいしていないということであった。カンタベリー・レコードのハンドラーは、もとマイスケティアーズの一員いちいんでテレビ番組ばんぐみMy Three Sons』のロビー・ダグラス (Robbie Douglas) やくられ、レーベルに所属しょぞくしていたドン・グレイディ英語えいごばん白羽しらはてた。グレイディはいのミュージシャンたちをあつめ、アレックス・ヴァルデス (Alex Valdez)(リードボーカル)、ポール・カネラ (Paul Kanella)(リードギター)、ドン・ブラウクト (Don Braucht)(ベース)、アラン・デボア (Alan DeBoer)(スタジオのみのドラムス)、フォレスト・"フロスティ"・グリーン (Forrest "Frosty" Green)(キーボード)をそろえた。ゼクリーは、セルフタイトルのアルバム『イエロー・バルーン』を、契約けいやく都合つごうから Yodar Critch という変名へんめいプロデュース[1]、また、アルバムに収録しゅうろくされた11きょくのうち8きょくきょう作者さくしゃとしてつらねた[4]

アルバム『イエロー・バルーン』は、収録しゅうろく楽曲がっきょくでチャートりしたのは「イエロー・バルーン」だけであったが、そのながサンシャイン・ポップ古典こてんてき作品さくひんとみなされるようになった[5]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d #651: Yellow Balloon by The Yellow Balloon”. Vancouver Pop Music / Ray McGinnis. 2020ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  2. ^ Biography for Don Grady”. imdb. 2007ねん10がつ11にち閲覧えつらん
  3. ^ Dean Torrence Discography”. jananddean. 2007ねん10がつ11にち閲覧えつらん
  4. ^ The Yellow Balloon* – The Yellow Balloon - Discogs
  5. ^ Spectropop.com

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]