原子力 げんしりょく 発電 はつでん 所 しょ
イグナリナ原子力 げんしりょく 発電 はつでん 所 しょ (リトアニア語 ご : Ignalinos atominė elektrinė 、略称 りゃくしょう : Ignalinos AE、IAE)は、リトアニア ・ヴィサギナス にあった、RBMK -1500型 がた の原子力 げんしりょく 発電 はつでん 所 しょ である。原子 げんし 炉 ろ を2つ備 そな えており、同国 どうこく 唯一 ゆいいつ の原子力 げんしりょく 発電 はつでん 所 しょ であったが、1号機 ごうき は2004年 ねん 末 まつ 、2号機 ごうき は2009年 ねん 末 まつ に稼動 かどう を停止 ていし した。「イグナリナ 」とはヴィサギナスから最 もっと も近 ちか い街 まち の名前 なまえ 。
2つの原子 げんし 炉 ろ はともにソビエト連邦 れんぽう 時代 じだい に建設 けんせつ され1986年 ねん に原発 げんぱつ 事故 じこ を起 お こしたチェルノブイリ原発 げんぱつ と同型 どうけい であり、危険 きけん 性 せい が指摘 してき されていた。リトアニアは欧州 おうしゅう 連合 れんごう (EU) との加盟 かめい 交渉 こうしょう においてイグナリナ原発 げんぱつ の2つの原子 げんし 炉 ろ を2009年 ねん までに停止 ていし することで合意 ごうい し、1号機 ごうき を2004年 ねん 末 まつ に、残 のこ る2号機 ごうき を2009年 ねん 12月31日 にち に停止 ていし した。付近 ふきん の敷地 しきち においてイグナリナ原発 げんぱつ に代 か わる原子力 げんしりょく 発電 はつでん 所 しょ (ヴィサギナス原子力 げんしりょく 発電 はつでん 所 しょ )の建設 けんせつ が計画 けいかく されており、2011年 ねん 12月に日立製作所 ひたちせいさくしょ がリトアニアのエネルギ えねるぎ ー省 しょう と仮 かり 契約 けいやく に調印 ちょういん した[1] 。
ヴィサギナス は、発電 はつでん 所 しょ で働 はたら く人々 ひとびと の居住 きょじゅう 区 く として新 あら たに作 つく られた街 まち だった。元々 もともと そこは村 むら すらもないところであったため、インフラ整備 せいび から開拓 かいたく したようなものであった。水冷 すいれい のために水 みず の供給 きょうきゅう が必要 ひつよう であったため、リトアニア 最大 さいだい の湖 みずうみ として知 し られるドルークシェイに近 ちか くであったこの場所 ばしょ が選 えら ばれた。なお、この湖 みずうみ はベラルーシ との国境 こっきょう に位置 いち している。環境 かんきょう 保護 ほご 団体 だんたい などはこの湖 みずうみ が原発 げんぱつ に用 もち いる水 みず を供給 きょうきゅう するには小 ちい さすぎることを懸念 けねん しており、また平均 へいきん 水温 すいおん の上昇 じょうしょう が湖 みずうみ の生態 せいたい 系 けい に影響 えいきょう を与 あた えることも指摘 してき している。
イグナリナ原子力 げんしりょく 発電 はつでん 所 しょ はRBMK -1500型 がた の原子 げんし 炉 ろ で構成 こうせい されている。ソビエト式 しき のRBMK-1500型 がた 原子 げんし 炉 ろ は、元々 もともと は1,500メガワット (150万 まん キロワット)の電力 でんりょく を生 う み出 だ す世界 せかい で最 もっと も強力 きょうりょく な原子 げんし 炉 ろ であったが、今 いま では他 た の原子 げんし 炉 ろ に取 と って代 か わられている。なお、チェルノブイリ原発 げんぱつ 事故 じこ の後 のち は1,360メガワットにまで落 お とされていた。
建設 けんせつ と操業 そうぎょう 開始 かいし [ 編集 へんしゅう ]
建設 けんせつ 準備 じゅんび は1974年 ねん から始 はじ められ、現地 げんち 調査 ちょうさ が開始 かいし されたのはその4年 ねん 後 ご であった。
1983年 ねん に第 だい 1号機 ごうき の運転 うんてん が開始 かいし され、その後 ご 1986年 ねん に第 だい 2号機 ごうき が完成 かんせい した。そのまま運転 うんてん も開始 かいし される予定 よてい であったが、チェルノブイリ原発 げんぱつ 事故 じこ の影響 えいきょう で運転 うんてん 開始 かいし が1年 ねん 延期 えんき され、翌年 よくねん 1987年 ねん に運転 うんてん を開始 かいし した。また、同様 どうよう の影響 えいきょう から第 だい 3号機 ごうき の建設 けんせつ も延期 えんき され、結局 けっきょく 1989年 ねん に建設 けんせつ 計画 けいかく は中止 ちゅうし 、そのまま解体 かいたい された。
操業 そうぎょう 停止 ていし と国民 こくみん 投票 とうひょう [ 編集 へんしゅう ]
イグナリナ原発 げんぱつ の原子 げんし 炉 ろ は、チェルノブイリ原発 げんぱつ のRBMK-1000型 がた と炉心 ろしん の格納 かくのう 構造 こうぞう の脆弱 ぜいじゃく 性 せい という点 てん で類似 るいじ していることから、欧州 おうしゅう 連合 れんごう (EU) は原発 げんぱつ の閉鎖 へいさ を求 もと めていた。そしてリトアニアもEU加盟 かめい に際 さい して現存 げんそん する原子 げんし 炉 ろ の操業 そうぎょう を停止 ていし することに同意 どうい していた。第 だい 1号機 ごうき の操業 そうぎょう 停止 ていし 前 まえ までリトアニアの全 ぜん 電力 でんりょく のおよそ80%を供給 きょうきゅう しているなど、リトアニアは、フランス とともにヨーロッパで最 もっと も原発 げんぱつ に依存 いぞん する国 くに であった。そのため、EUは2013年 ねん まで原子 げんし 炉 ろ 廃 はい 用 よう のための費用 ひよう や補償 ほしょう のために資金 しきん 援助 えんじょ することを決 き めている。
しかし一方 いっぽう で原発 げんぱつ の操業 そうぎょう 停止 ていし にはリトアニア国民 こくみん の強烈 きょうれつ な反対 はんたい もあった。発電 はつでん 所 しょ は地元 じもと 経済 けいざい を支 ささ えており、地元 じもと 住民 じゅうみん の補償 ほしょう のために観光 かんこう などの新 あら たな産業 さんぎょう が促進 そくしん されている。また操業 そうぎょう 停止 ていし に伴 ともな う電気 でんき 料 りょう の高騰 こうとう も指摘 してき されており、多額 たがく の費用 ひよう 負担 ふたん を懸念 けねん する声 こえ もある。
結局 けっきょく リトアニアは、EU加盟 かめい (2004年 ねん 5月 がつ )に際 さい し、2004年 ねん 12月31日 にち に第 だい 1号機 ごうき の運転 うんてん を終了 しゅうりょう した。同様 どうよう に第 だい 2号機 ごうき も2009年 ねん までの閉鎖 へいさ が予定 よてい されていたが、同機 どうき は2006年 ねん までリトアニア国内 こくない の全 ぜん 供給 きょうきゅう の 70 % にあたる電力 でんりょく を供給 きょうきゅう しており[2] 、原発 げんぱつ に大 おお きく依存 いぞん するリトアニアにとって第 だい 2号機 ごうき の閉鎖 へいさ は現実 げんじつ 的 てき な選択 せんたく とは言 い えなかった。2008年 ねん 10月12日 にち に操業 そうぎょう の続行 ぞっこう をめぐる国民 こくみん 投票 とうひょう が行 おこな われ、投票 とうひょう 者 しゃ のおよそ9割 わり は操業 そうぎょう 続行 ぞっこう を支持 しじ したが、国民 こくみん 投票 とうひょう 自体 じたい は投票 とうひょう 率 りつ が50%を下回 したまわ ったために無効 むこう となった。
リトアニアで電力 でんりょく の7割 わり 以上 いじょう を供給 きょうきゅう し、近隣 きんりん 国 こく にも電力 でんりょく を輸出 ゆしゅつ してきたイグナリナ原子力 げんしりょく 発電 はつでん 所 しょ であったが、操業 そうぎょう 続行 ぞっこう にならぬまま、EU加盟 かめい 交渉 こうしょう での合意 ごうい 通 どお り2009年 ねん 12月31日 にち 夜 よる 11時 じ (日本 にっぽん 時間 じかん 1日 にち 午前 ごぜん 6時 じ )に操業 そうぎょう を停止 ていし した。リトアニアは、国内 こくない の火力 かりょく ・水力 すいりょく 発電 はつでん とロシア やウクライナ など近隣 きんりん 国 こく からの電力 でんりょく 輸入 ゆにゅう で需要 じゅよう をまかなう計画 けいかく だが、電気 でんき 料金 りょうきん は家庭 かてい 向 む けが30%企業 きぎょう 向 む けが20%値上 ねあ がり(前年 ぜんねん 比 ひ )し、ロシア へのエネルギー依存 いぞん も強 つよ まるとみられ、また、経済 けいざい への影響 えいきょう が懸念 けねん されている。
操業 そうぎょう 停止 ていし により起 お こりうる電力 でんりょく 不足 ふそく に対応 たいおう するため、イグナリナ原発 げんぱつ と同 おな じ場所 ばしょ に新 あら たな原発 げんぱつ を建設 けんせつ するべきだという議論 ぎろん が1990年代 ねんだい から2000年代 ねんだい にかけて起 お こった。2006年 ねん 2月 がつ 27日 にち にトラカイ でおこなわれたバルト三 さん 国 こく 首相 しゅしょう 会合 かいごう で、3カ国 かこく はそれぞれの国営 こくえい 電力 でんりょく 会社 かいしゃ に対 たい してリトアニアの新 しん 原発 げんぱつ 建設 けんせつ 計画 けいかく に投資 とうし するよう働 はたら きかける旨 むね の公式 こうしき 声明 せいめい を発表 はっぴょう した[3] 。2007年 ねん 6月28日 にち 、リトアニア議会 ぎかい は新 しん 原発 げんぱつ 建設 けんせつ のための新法 しんぽう を成立 せいりつ させ、建設 けんせつ は実行 じっこう に移 うつ されることとなった[4] 。2008年 ねん 7月 がつ 30日 にち 、リトアニア・ラトビア ・エストニア ・ポーランド の電力 でんりょく 会社 かいしゃ は、3,000〜3,200ワット の電力 でんりょく を供給 きょうきゅう する新 しん 原子力 げんしりょく 発電 はつでん 所 しょ の建設 けんせつ に向 む けて、ヴィサギナス原子力 げんしりょく 発電 はつでん 所 しょ 会社 かいしゃ の開業 かいぎょう に同意 どうい した[5] 。新 しん 原発 げんぱつ の操業 そうぎょう 開始 かいし は2015年 ねん 〜2018年 ねん になるものとみられている[6] 。なお、エストニアのアンシップ首相 しゅしょう とエストニア電力 でんりょく のリーヴェC.E.O.は2008年 ねん 10月31日 にち 、「エストニアが原子力 げんしりょく 発電 はつでん の道 みち を選択 せんたく するのであれば、独自 どくじ 建設 けんせつ の路線 ろせん が優先 ゆうせん される」と述 の べ、リトアニアの新 しん 原発 げんぱつ 建設 けんせつ 計画 けいかく 参加 さんか よりも自国 じこく の原発 げんぱつ 建設 けんせつ を優先 ゆうせん することを示唆 しさ している[7] 。
その後 ご 2010年 ねん に新 あら たな原子力 げんしりょく 発電 はつでん 所 しょ の建設 けんせつ に向 む け入札 にゅうさつ を行 おこな ったが、唯一 ゆいいつ 応札 おうさつ した韓国 かんこく 電力 でんりょく 公社 こうしゃ (KEPCO) が応札 おうさつ を取 と り下 さ げ、建設 けんせつ 計画 けいかく は宙 ちゅう に浮 う いていた[8] 。東京電力 とうきょうでんりょく 福島 ふくしま 第 だい 1原発 げんぱつ 事故 じこ 後 ご 、世界 せかい の主要 しゅよう 国 こく で新設 しんせつ 計画 けいかく が一時 いちじ 中断 ちゅうだん したが、2011年 ねん 12月にリトアニアのエネルギ えねるぎ ー省 しょう と日立 ひたち は改良 かいりょう 型 がた 沸騰水 ふっとうすい 型 がた 軽水炉 けいすいろ を建設 けんせつ する契約 けいやく に仮調印 かりちょういん した。2020年 ねん の稼働 かどう を予定 よてい し、他 た のバルト三 さん 国 こく にも出資 しゅっし を呼 よ びかけるとしている[9] 。
2012年 ねん 6月 がつ 21日 にち の議会 ぎかい 承認 しょうにん を受 う け、リトアニア政府 せいふ は引 ひ き続 つづ き地域 ちいき のパートナーや日立 ひたち とプロジェクト会社 かいしゃ の設立 せつりつ や出資 しゅっし 契約 けいやく について協議 きょうぎ する。投資 とうし に関 かん する最終 さいしゅう 的 てき な合意 ごうい は2015年 ねん になる見込 みこ み[10] 。