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ウィズ (映画えいが)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィズ
The Wiz
監督かんとく シドニー・ルメット
脚本きゃくほん ジョエル・シュマッカー
原作げんさく オズの魔法使まほうつか by ライマン・フランク・ボーム
The Wiz by ウィリアム・F・ブラウン
製作せいさく ロブ・コーエン
製作せいさくそう指揮しき ケン・ハーパー
出演しゅつえんしゃ ダイアナ・ロス
マイケル・ジャクソン
テレサ・メリット
テルマ・カーペンター
レナ・ホーン
リチャード・プライヤー
音楽おんがく チャーリー・スモールズ
ニコラス・アシュフォード & ヴァレリー・シンプソン
アンソニー・ジャクソン
ルーサー・ヴァンドロス
クインシー・ジョーンズ
撮影さつえい オズワルド・モリス
編集へんしゅう デデ・アレン
製作せいさく会社かいしゃ モータウン・プロダクション
配給はいきゅう アメリカ合衆国の旗 ユニバーサル・ピクチャーズ
日本の旗 CIC
公開こうかい アメリカ合衆国の旗 1978ねん10月24にち
日本の旗 1979ねん10月6にち
上映じょうえい時間じかん 134ふん
製作せいさくこく アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
言語げんご 英語えいご
製作せいさく 2400まんドル[1]
興行こうぎょう収入しゅうにゅう 2100まんドル[2]
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ウィズ』(原題げんだい: The Wiz)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのモータウン・プロダクションズとユニバーサル・ピクチャーズがコラボし1978ねん10がつ24にち公開こうかいされたミュージカル冒険ぼうけん映画えいが[3]ライマン・フランク・ボームの1900ねん児童じどう文学ぶんがくオズの魔法使まほうつか』を1974ねんアフリカけいアメリカじん出演しゅつえんしゃによりブロードウェイミュージカルした作品さくひんザ・ウィズ』をもと製作せいさくされた。この映画えいがはドロシーの冒険ぼうけんじくにしている。ニューヨークハーレムむシャイな24さい教師きょうしであるドロシーはニューヨークをファンタジックにしたようなオズのくにまぎむ。かかし、ブリキおとこ臆病おくびょうライオンと友達ともだちになり、ただ一家いっかかえしてくれるちからつミステリアスなウィズをさがしにく。

ロブ・コーエンがプロデュースし、シドニー・ルメット監督かんとくつとめ、ダイアナ・ロスマイケル・ジャクソン(ドラマ映画えいが唯一ゆいいつ主演しゅえんさく)、ニプシー・ラッセル、テッド・ロス、メイベル・キング、テレサ・メリット、テルマ・カーペンター、レナ・ホーンリチャード・プライヤー出演しゅつえんした。ウィリアム・F・ブラウンのブロードウェイばん脚本きゃくほんジョエル・シュマッカー映画えいがばん改訂かいていし、チャーリー・スモールズとルーサー・ヴァンドロスきょく映画えいが使用しようクインシー・ジョーンズ音楽おんがく監督かんとくつとめた。ジョーンズとニコラス・アシュフォード & ヴァレリー・シンプソンの作曲さっきょくチームによるおおくの新曲しんきょく映画えいがばん追加ついかされた。公開こうかい当初とうしょ、『ウィズ』は批評ひひょうてきにも商業しょうぎょうてきにも失敗しっぱいし、1970年代ねんだい初頭しょとうこったブラックスプロイテーションからはじまったアフリカけいアメリカじん映画えいが復活ふっかつ終焉しゅうえんとなっていった[4][5][6]公開こうかい当初とうしょ失敗しっぱいにかかわらず、『ウィズ』はとくにアフリカけいアメリカじん、オズやマイケル・ジャクソンのファンのあいだカルト映画えいがとしてあつかわれるようになった[7][8]

あらすじ[編集へんしゅう]

ハーレムのちいさなアパートにシャイな24さい教師きょうしのドロシー(ダイアナ・ロス)が叔母おばのエム(テレサ・メリット)と叔父おじのヘンリー(スタンリー・グリーン)とともんでいる。11月下旬げじゅん、3にんはたくさんの感謝かんしゃさいディナーをかこんでいる。エムは、マンハッタンにある125ばんどおみなみ1人ひとりらしをしようとしてなかなか決断けつだんできないでいるドロシーをからかう。

ドロシーが食卓しょくたく片付かたづけていると、いぬのトトがキッチンのドアからもう吹雪ふぶきむ。彼女かのじょかれもどそうとのちうが、あらしまれてしまう。みなみ魔女まじょグリンダがつくした不思議ふしぎゆき竜巻たつまきこり、オズの王国おうこくまぎむ。吹雪ふぶきがやみ、ドロシーは「オズ」というネオンサインをやぶって着地ちゃくちすると、マンチキンランドを統治とうちしていたひがしわる魔女まじょエバーミーンを圧死あっしさせてしまう。この結果けっかドロシーは到着とうちゃくした広場ひろばんでいたマンチキンたちを解放かいほうする。かれらはエバーミーンによってかべ落書らくが変身へんしんさせられていたのである。

ドロシーはマンチキンたちの保護ほごしゃとなるきた魔女まじょミス・ワン(テルマ・カーペンター)と出会であい、ミス・ワンは魔法まほう使つかってエバーミーンのぎんくつをドロシーにかせる。しかしドロシーはくつはいらないからいえかえらせてほしいとたのむ。ミス・ワンは黄色おうしょくのレンガどうとおってエメラルド・シティの首都しゅとき、魔法使まほうつかいのウィザードにたのめばかえれるとかたる。魔女まじょぎんくつぐなと注意ちゅういし、マンチキンとともえ、ドロシーは自分じぶんみちさがす。

翌朝よくあさ、ドロシーは人間にんげんかたちをしたカラスのグループにいじめられているゴミでできたカカシ(マイケル・ジャクソン)をたす友達ともだちになる。2人ふたり黄色おうしょくのレンガどうつけ、ともたのしくあるす。カカシは自分じぶんなか唯一ゆいいつけているとおもっている「のう」をウィザードにたのもうとする。エメラルド・シティへの道中どうちゅう、ドロシー、トト、カカシは世紀せいきまつ前後ぜんこう荒廃こうはいしたゆう園地えんちでブリキおとこ(ニプシー・ラッセル)と出会であう。またニューヨーク公共こうきょう図書館としょかんまえ石像せきぞうのライオンのなかかくれていた、虚栄きょえいしんつよくジャングルからされた臆病おくびょうライオン(テッド・ロス)と出会であう。ブリキおとことライオンはウィザードをさがすドロシーたちのたび参加さんかし、ブリキおとこは「ハート」を、臆病おくびょうライオンは「勇気ゆうき」を所望しょもうする。トトをふくむ5めいはエメラルド・シティへかおうとするが、荒廃こうはいした地下鉄ちかてつにクレイジーな行商ぎょうしょうじん(ホームレス)がおり、あく人形にんぎょうはなつなど障害しょうがいにぶちたる。かれらはなんとか地下鉄ちかてつからすと、派手はで売春ばいしゅんのグループであるポピー・ガールズと出会であい、ドロシー、トト、ライオンをケシ香水こうすい永遠えいえんねむりにつかせようとする。

なんとかエメラルド・シティ(ワールドトレードセンター)にたどりき、ドロシーのぎんくつのおかげでもん通過つうかする。いちぎょうまち洗練せんれんさ、ファッション、ダンサーのうつくしさに魅了みりょうされる。かれらはタワー最上階さいじょうかいむウィズ(リチャード・プライヤー)との面会めんかいゆるされる。ウィザードは巨大きょだい金属きんぞくあたま登場とうじょうする。かれはもしひがしわる魔女まじょ姉妹しまいでオズの地下ちか下水げすいかんブラック企業きぎょう経営けいえいする西にしわる魔女まじょエヴィリン(メイベル・キング)を殺害さつがいすればのぞみをかなえるとかたる。彼女かのじょのもとに到着とうちゃくするまえに、彼女かのじょかれらが自分じぶん殺害さつがいしにやってくることに気付きづき、かれらを誘拐ゆうかいするためフライング・モンキー(バイカー)をおくむ。

なが追跡ついせきのち、フライング・モンキーはかれらをつかまえ、彼女かのじょのもとにれていく。姉妹しまい殺害さつがいしたドロシーへの復讐ふくしゅうのため、カカシとはなし、ブリキおとこつぶし、臆病おくびょうライオンを拷問ごうもんにかけ、ドロシーにぎんくつわたすよう要求ようきゅうする。トトをがまれるとおどされドロシーはぎんくつわたしそうになるが、カカシが火災報知器かさいほうちきのスイッチの場所ばしょつたえてドロシーがスイッチをれる。スプリンクラーがしただけでなく、エヴィリンもける。彼女かのじょ王座おうざながれ、トイレのようにぶためる。エヴィリンがけたため、彼女かのじょ言葉ことば効力こうりょくうしなう。ウィンキーの国民こくみん拘束こうそくから自由じゆうになり、人間にんげん姿すがたあらわし、仕事しごと道具どうぐえる。かれらはよろこびのダンスをおどり、ドロシーを解放かいほう女神めがみとしてあがめる。フライング・モンキーは完遂かんすいしたかれらをエメラルド・シティにもどす。

エメラルド・シティに到着とうちゃくすると、裏門うらもんからウィザードの部屋へやはいり、かれペテン師ぺてんしだったことに気付きづく。「偉大いだい権力けんりょくのオズ」はハーマン・スミスというニュージャージーしゅうアトランティックシティ政治せいじからちた人物じんぶつで、気球ききゅうでの政治せいじキャンペーンちゅうあらしにさらわれオズにたどりいたのである。カカシ、ブリキおとこ臆病おくびょうライオンはのぞみがかなわないとみだすが、ドロシーはこれまでの過程かていでそれぞれののぞみがかなったことを気付きづかせる。ドロシーのみがのぞみがかなわないとおもった矢先やさきみなみ魔女まじょグリンダ(レナ・ホーン)が登場とうじょうし、ぎんくつ両足りょうあしのかかとを3かいわせると魔法まほうかえることができるとかたる。グリンダにおれいを、3にんわかれをげ、トトをうでいて彼女かのじょ最愛さいあいいえのことをかんがえる。ドロシーがかかとをらすと、すぐにハーレムのいえ近所きんじょにいることに気付きづく。少女しょうじょから大人おとな成長せいちょうし、ドロシーはトトをれてアパートにもどる。彼女かのじょおそれにかうつよさをち、人生じんせいまえあるす。

キャスト[編集へんしゅう]

役名やくめい 俳優はいゆう 日本語にほんご吹替
ドロシー ダイアナ・ロス 佐藤さとうゆうこ
カカシ マイケル・ジャクソン 保志ほし総一朗そういちろう
グリンダ
みなみ魔女まじょ
レナ・ホーン 塩田しおだ朋子ともこ
臆病おくびょうライオン テッド・ロス 池田いけだまさる
ブリキ人間にんげん ニプシー・ラッセル 斎藤さいとう志郎しろう
ミス・ワン
きた魔女まじょ
テルマ・カーペンター
叔母おばエム テレサ・メリット
叔父おじヘンリー スタンリー・グリーン
ハーマン・スミス/ウィズ リチャード・プライヤー 岩崎いわさきひろし
アビレーン
西にしわる魔女まじょ
メイベル・キング 片岡かたおか富枝とみえ

曲目きょくもく[編集へんしゅう]

特記とっきのないかぎすべてチャーリー・スモールズの作曲さっきょくである。

  1. Overture Part I (instrumental)
  2. Overture Part II (instrumental)
  3. The Feeling That We Had - 叔母おばエマ、コーラス
  4. Can I Go On?(クインシー・ジョーンズ、ニコラス・アシュフォード & ヴァレリー・シンプソン)- ドロシー
  5. Tornado/Glinda's Theme (instrumental)
  6. He's the Wizard - ミス・ワン、コーラス
  7. Soon As I Get Home/Home - ドロシー
  8. ユー・キャント・ウィン You Can't Win - カカシ、4のカラス
  9. Ease On Down the Road #1 - ドロシー、カカシ
  10. What Would I Do If I Could Feel? - ブリキ人間にんげん
  11. Slide Some Oil to Me - ブリキ人間にんげん
  12. Ease On Down the Road #2 - ドロシー、カカシ、ブリキ人間にんげん
  13. I'm a Mean Ole Lion - 臆病おくびょうライオン
  14. Ease On Down the Road #3 - ドロシー、カカシ、ブリキ人間にんげん臆病おくびょうライオン
  15. Poppy Girls Theme(アンソニー・ジャクソン(instrumental)
  16. Be a Lion - ドロシー、カカシ、ブリキ人間にんげん臆病おくびょうライオン
  17. End Of The Yellow Brick Road (instrumental)
  18. Emerald City Sequence(作曲さっきょく: クインシー・ジョーンズ、作曲さっきょく: Smalls)- コーラス
  19. Is This What Feeling Gets?(ドロシーのテーマ)(作曲さっきょく: クインシー・ジョーンズ、作詞さくし: アシュフォード & シンプソン)- ドロシー
  20. Don't Nobody Bring Me No Bad News - アビレーン、the Winkies
  21. Everybody Rejoice/A Brand New Day(ルーサー・ヴァンドロス- ドロシー、カカシ、ブリキ人間にんげん臆病おくびょうライオン、コーラス
  22. Believe in Yourself(ドロシー)- ドロシー
  23. The Good Witch Glinda (instrumental)
  24. Believe in Yourself (Reprise) - グリンダ
  25. Home (Finale) - ドロシー

プロダクション[編集へんしゅう]

製作せいさくまえおよび発展はってん[編集へんしゅう]

『ウィズ』はベリー・ゴーディモータウン映画えいが・テレビ部門ぶもんであるモータウン・プロダクション8ほんフィーチャー映画えいがであった。元々もともとゴードンはブロードウェイでドロシーやくえんじたことのある当時とうじ10だいであったのちのリズム・アンド・ブルース歌手かしゅステファニー・ミルズをドロシーやく配役はいやくするつもりであった。当時とうじ33さいであったモータウンのスターのダイアナ・ロスがゴーディに自分じぶんはドロシーやくにどうかたずねたさいやくには年齢ねんれいうえぎるとかたった[9]。ロスはゴーディを説得せっとくする一方いっぽうエグゼクティブ・プロデューサーであるユニバーサル・ピクチャーズロブ・コーエン自分じぶんをドロシーやくにすれば映画えいがをプロデュースするという方向ほうこうってった。最終さいしゅうてきにゴーディとコーエンはこれに合意ごういした。映画えいが評論ひょうろんポーリン・ケイルはロスがやく獲得かくとくしたことについて「映画えいがのこ強烈きょうれついちれい」とした[9]

映画えいが監督かんとくジョン・バダムはロスがドロシーやく配役はいやくされたことをって監督かんとくり、コーエンは後任こうにんシドニー・ルメット監督かんとくえた[9]。バダムはこの降板こうばんかんしてのちにコーエンに、「ロスは素晴すばらしい歌手かしゅである。そして素晴すばらしい女優じょゆうでありダンサーであるが、このキャラクターではない。彼女かのじょは『オズの魔法使まほうつかい』の6さい少女しょうじょのドロシーとはちがう」とかたった[10]20世紀せいきフォックス舞台ぶたいばん経済けいざいてき後援こうえんをしており、映画えいが製作せいさくさきかいけんがあったがユニバーサルにゆずった[11]当初とうしょユニバーサルは作品さくひん成功せいこう見込みこみ、製作せいさく予算よさん限度げんどをつけなかった[11]

ジョエル・シュマッカーによる『ウィズ』の脚本きゃくほんは、シュマッカーとロスが信奉しんぽうしているワーナー・アーハードのおしえやその自己じこ啓発けいはつセミナーであるアーハード・セミナーズ・トレーニング(est)の影響えいきょうけている[12]。コーエンは「映画えいが自分じぶんさがしと自分じぶんかたりでestの専門せんもん用語ようご使用しようしたestふう寓話ぐうわになるとおもった。そんなはなしきではない。しかしロスはestのセミナーをけたことがあり、彼女かのじょがその脚本きゃくほんみとめるのであれば彼女かのじょ議論ぎろんするのはむずかしい」とかたった[12]。シュマッカーはestのトレーニングをけた結果けっか好意こういてきかたり、「これまでの人生じんせい永遠えいえん感謝かんしゃすることをまなんだ」とかたった[12]。しかしかれはまた「みなそれぞれ自分じぶんみちあゆみ、あやまちをおかしている」とかたった[12]。『グローヴ・ブック・オブ・ハリウッド』によると、映画えいが終盤しゅうばん魔女まじょグリンダが「estふうまり文句もんく」をかえしているとし、また使用しようきょくBelieve in Yourself』がestふうであるとしている[12]

映画えいが製作せいさくちゅう、ルメットは映画えいが完成かんせいしたら「かつてだれたことない個性こせいてき映画えいが」になるとかんじていた[11]メトロ・ゴールドウィン・メイヤーの1939ねん映画えいがオズの魔法使まほうつかい』から影響えいきょうけている可能かのうせいについてたずねられると、ルメットは「1939ねん映画えいがのものからなに影響えいきょうけていない。素晴すばらしい映画えいがではあったが、コンセプトがちがう。かれらはカンザスしゅうわたしたちはニューヨークしゅうかれらは白人はくじんわたしたちは黒人こくじん使用しよう楽曲がっきょく脚本きゃくほんまったちがう。わたしたちはどの分野ぶんやともかさならないことを確信かくしんしている」とかたった[11]

以前いぜんモータウンに所属しょぞくしていたマイケル・ジャクソンは1975ねん兄弟きょうだいジャクソン5ともエピック・レコード移籍いせきし、1977ねんの『ウィズ』製作せいさく開始かいし当初とうしょからかかわりカカシやく配役はいやくされた。ジャクソンはやくうごきを研究けんきゅうするためガゼルチーターヒョウのビデオを[13]臆病おくびょうライオンやくのテッド・ロスと西にしわる魔女まじょやくメイベル・キングはそれぞれ舞台ぶたいばんでもおなやくえんじていた。レナ・ホーン当時とうじルメットの義母ぎぼで、魔女まじょグリンダに配役はいやくされた。ニプシー・ラッセルがブリキ男役おとこやくに、コメディアンのリチャード・プライヤーがウィズやく配役はいやくされた[9][14]

おも撮影さつえい[編集へんしゅう]

『ウィズ』はニューヨークのクイーンズにあるアストリア・スタジオでスタジオ撮影さつえいおこなわれた。1964ねんニューヨーク万国博覧会ばんこくはくらんかい使用しようされたこわれかかったニューヨークしゅうパビリオンがマンチキンランドとして使用しようされ、コニーアイランドのアストロランドはザ・サイクロンを背景はいけいにブリキおとこのシーンで使用しようされ、ワールドトレードセンターはエメラルド・シティとして使用しようされた[15]。エメラルド・シティのシーンは精巧せいこうつくられ、650めいのダンサー、385めいのスタッフが参加さんかし、1,200ちゃく衣装いしょう使用しようされた[15][16]衣裳いしょうデザインのトニー・ウォルトンはニューヨークの著名ちょめいなデザイナーのたすけをり、オスカー・デ・ラ・レンタやノーマ・カマリなどのデザイナーからエキゾチックな衣装いしょうぬのれてエメラルド・シティの衣裳いしょう完成かんせいさせた[14]。アルバート・ウィトロックはSFX担当たんとう[11]スタン・ウィンストンがメイクのリーダーをつとめた[14]

クインシー・ジョーンズ音楽おんがく監督かんとくおよび音楽おんがくプロデューサーを担当たんとうした[13]かれはのちに当初とうしょでなかったが、シドニー・ルメットのこの作品さくひんきになったとしるした [13]映画えいが製作せいさく過程かていでジョーンズがマイケル・ジャクソンとはじめてい、ジョーンズはのちにジャクソンの3まいのヒット・アルバム『オフ・ザ・ウォール』、『スリラー』、『バッド』をプロデュースした[17]。ジョーンズはジャクソンと仕事しごとができたことが『ウィズ』のなか最高さいこう経験けいけんであったとかたり、ジャクソンの演技えんぎサミー・デイヴィスJr.演技えんぎスタイルと比較ひかくした[13]。エメラルド・シティのゴールドのシーンで50フィート(15m)のグランドピアノを演奏えんそうしているようなカメオ出演しゅつえんをしている。

商業しょうぎょう効果こうか[編集へんしゅう]

製作せいさく2,400まんドルで興行こうぎょう収入しゅうにゅう1,360まんドルにしかならず、『ウィズ』は商業しょうぎょうてき失敗しっぱいした[1][2][9]。テレビ放映ほうえいけんCBSに1せんまんドルで売却ばいきゃくし、モータウンとユニバーサルのじゅん損失そんしつは1,040まんドルとなった[2][9]当時とうじ史上しじょう最高さいこうがくのミュージカル映画えいがであった[18]。この映画えいが失敗しっぱいは1970年代ねんだいすう年間ねんかんつづいたブラックスプロイテーション時代じだい人気にんきとなっていたすべ黒人こくじん映画えいが製作せいさくからハリウッド・スタジオをとおのかせた[4][5][6]

1989ねん、MCA/ユニバーサル・ホーム・ビデオからVHSビデオが出版しゅっぱんされ、1984ねん5がつ5にち当時とうじのマイケル・ジャクソンの大人気だいにんきこたえてCBSで100ふん短縮たんしゅくされてテレビ放映ほうえいされた[19]定期ていきてきブラック・エンターテインメント・テレビジョン(BET)、TVワン、VH1ソウルなどで放映ほうえいされ、バウンスTVではじめてデジタル放送ほうそうされた[20]。オープニングのシーンが感謝かんしゃさいであることから、感謝かんしゃさい時期じきにしばしば放映ほうえいされる[9][21]

1999ねん、DVDばん出版しゅっぱんされ[22]、2008ねんに30周年しゅうねん記念きねんばんとしてリマスターばん出版しゅっぱんされた[22][23][24]。このDVDには特典とくてん映像えいぞうとして映画えいが製作せいさくちゅう特別とくべつ映像えいぞう予告編よこくへん収容しゅうようされた[22]。2010ねん、ブルーレイが出版しゅっぱんされた[25]

  • ユニバーサルスタジオジャパンのニューヨークエリアに「ニューヨーク図書館としょかん」の映画えいが撮影さつえいセットがありライオンぞう再現さいげんされている。

評価ひょうか[編集へんしゅう]

1978ねん10がつ公開こうかいから批評ひひょう酷評こくひょうしていた[1][26]おおくの批評ひひょうはドロシーやくえんじるにはダイアナ・ロスがとしぎていると批判ひはんした[6][27][28][29]。また舞台ぶたいばんはとても成功せいこうしたのに、なぜそのまま映画えいができなかったのかとしている。トーマス・ヒシャックは「ブロードウェイ・ミュージカルがハリウッドにあいだなにがあったのか」とし、「ジョエル・シュマッカーのつまらない脚本きゃくほん」と「『Believe in Yourself』のきょくよわい」ことを指摘してきした[27]かれはダイアナ・ロスえんじるドロシーを「つめたく、神経質しんけいしつで、奇妙きみょう魅力みりょくがない」とし、映画えいがは「批評ひひょうおよび興行こうぎょう収入しゅうにゅうこわしだ」としるした[27]。チャールズ・ハーポールは『ヒストリー・オブ・アメリカン・シネマ』のなかで「10年間ねんかんもっと失敗しっぱいした作品さくひんの1つ」、「このとし最大さいだい失敗しっぱいミュージカル」としょうした[2]。『グローヴ・ブック・オブ・ハリウッド』では、この映画えいがはダイアナ・ロスの映画えいがでのキャリアを終了しゅうりょうさせ、ロスにとって最後さいご女優じょゆう活動かつどうとなったとしるした[12][16][30]。トム・ショーンは『ブロックバスター』のなかで「高価こうか駄作ださく」としるした[31]。『ミスター・アンド・ミセス・ハリウッド』の著者ちょしゃは「子供こどもにはこわすぎて、大人おとなにはくだらなすぎる」と脚本きゃくほん批判ひはんした[1]。1939ねん映画えいが『オズの魔法使まほうつかい』でカカシやくえんじたレイ・ボルジャーは『ウィズ』をたか評価ひょうかせず、「仰々ぎょうぎょうしくて1939年版ねんばんのような普遍ふへんてき魅力みりょくはない」とかたった[32]

カカシやくのマイケル・ジャクソンの演技えんぎ映画えいが数少かずすくない長所ちょうしょとされ、批評ひひょうは「じつ演技えんぎ才能さいのうがある」、「唯一ゆいいつ記録きろくすべき瞬間しゅんかん」とかたった[15][33]。ジャクソンは映画えいがについて「これ以上いじょうのことはない」とかたった[34]。1980ねん、ジャクソンは撮影さつえいについて「これまでの人生じんせいわすれられない最高さいこう経験けいけんだった」とかたった[33]。『ウィズ』はその精巧せいこう装置そうちデザインでこう評価ひょうかけ、『アメリカン・ジュウイッシュ・フィルムメイカー』では「アステア&ロジャース映画えいが黄金おうごん時代じだいからのニューヨークをもっと想像そうぞうりょくゆたかに変化へんかさせた」としるした[35]。2004ねん、クリストファー・ヌルは臆病おくびょうライオンやくのテッド・ロスとウィズやくのリチャード・プライヤーの演技えんぎ評価ひょうかした[36]。しかし全体ぜんたいてき評価ひょうか批判ひはんてきで、『Ease on Down the Road以外いがいは「ひどいダンス、派手はでなセット、135ふん苦痛くつうつづくシュマッカーの脚本きゃくほん」と批判ひはんした[36]。2005ねん、『ワシントン・ポストでハンク・スチューヴァーは「ざつなシーンがあろうととてもたのしい」とし、音楽おんがくとくにダイアナ・ロスのうた素晴すばらしいとしるした[37]

ニューヨーク・タイムズは「ブラックスプロイテーション観客かんきゃく縮小しゅくしょうし、『カー・ウォッシュ』や『ウィズ』は黒人こくじん映画えいがかいだい一線いっせん活躍かつやくするようになった最後さいご作品さくひん」と分析ぶんせきした[38]。『セント・ピーターズバーグ・タイムズ』は「『ウィズ』の失敗しっぱいジョン・シングルトンスパイク・リー登場とうじょうまで、ハリウッドに白人はくじん起用きようしたほう安全あんぜんだという口実こうじつあたえてしまった。しかしもしブラックスプロイテーションがなかったらデンゼル・ワシントンアンジェラ・バセットなど世代せだい黒人こくじん映画えいが関係かんけいしゃ登場とうじょうするのにもっと時間じかんがかかったかもしれない」としるした[39]。『ボストン・グローブは「「黒人こくじん映画えいが」というものは批判ひはんされやすい。黒人こくじん映画えいがあらわすのに時代遅じだいおくれ、偽善ぎぜんてき窮屈きゅうくつ表現ひょうげんされる」とし、『ウィズ』を1970年代ねんだいの『くろいジャガー』、『吸血鬼きゅうけつきブラキュラ』、『スーパーフライ』と同列どうれつならべた[40]

公開こうかい当初とうしょ批評ひひょうてき商業しょうぎょうてき成功せいこうけていたにもかかわらず、『ウィズ』はオズのファン、アフリカけいアメリカじんからカルト映画えいがとして人気にんきがあり[7]とくにマイケル・ジャクソン唯一ただいちのドラマ映画えいが主演しゅえん作品さくひんとして注目ちゅうもくされるようになった[8]

受賞じゅしょうれき[編集へんしゅう]

『ウィズ』はアカデミーしょうにおいて、美術びじゅつしょう(トニー・ウォルトン、フィリップ・ローゼンバーグ、エドワード・スチュワート、ロバート・ドラムヘラー)、衣裳いしょうデザインしょう作曲さっきょくしょう撮影さつえいしょうの4部門ぶもんでノミネートされたが受賞じゅしょうにはいたらなかった[41][42]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d Sharp, Kathleen (2003). Mr. and Mrs. Hollywood: Edie and Lew Wasserman and Their Entertainment Empire. Carroll & Graf Publishers. pp. 357–358. ISBN 0-7867-1220-1 
  2. ^ a b c d Harpole, Charles (2003). History of the American Cinema. Simon and Schuster. pp. 64, 65, 219, 220, 290. ISBN 0-684-80463-8 
  3. ^ allcinema”. allcinema. 2011ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
  4. ^ a b Moon, Spencer; George Hill (1997). Reel Black Talk: A Sourcebook of 50 American Filmmakers. Greenwood Press. xii. ISBN 0-313-29830-0 
  5. ^ a b Benshoff, Harry M.; Sean Griffin (2004). America on Film: Representing Race, Class, Gender, and Sexuality at the Movies. Blackwell Publishing. p. 88. ISBN 0-631-22583-8 
  6. ^ a b c George, Nelson (1985). Where Did Our Love Go? The Rise and Fall of the Motown Sound. St. Martin's Press. p. 193 
  7. ^ a b Han, Angie (2015ねん3がつ31にち). “NBC Teaming With Cirque du Soleil for ‘The Wiz’ Live Musical”. Slashfilm (Slashfilm): p. N01. https://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A44409-2005Jan28.html 2015ねん4がつ6にち閲覧えつらん 
  8. ^ a b Howard, Adam (2011ねん4がつ11にち). “How Lumet’s ‘The Wiz’ became a black cult classic”. The Grio (The Grio). https://thegrio.com/2011/04/11/how-lumets-the-wiz-became-a-black-cult-classic/ 2015ねん4がつ6にち閲覧えつらん 
  9. ^ a b c d e f g Adrahtas, Thomas (2006). A Lifetime to Get Here: Diana Ross: The American Dreamgirl. AuthorHouse. pp. 163–167. ISBN 1-4259-7140-7 
  10. ^ Emery, Robert J. (2002). The Directors: Take One. Allworth Communications, Inc.. p. 333. ISBN 1-58115-219-1 
  11. ^ a b c d e Lumet, Sidney; Joanna E. Rapf (2006). Sidney Lumet: Interviews. Univ. Press of Mississippi. pp. 78, 80. ISBN 1-57806-724-3 
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  13. ^ a b c d Jones, Quincy (2002). Q: The Autobiography of Quincy Jones. Broadway Books. pp. 229, 259. ISBN 0-7679-0510-5 
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外部がいぶリンク[編集へんしゅう]