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ウィリアム・ロバート・ロバートソン

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ウィリアム・ロバート・ロバートソン
Field Marshal 1st Baronet
生誕せいたん 1860ねん1がつ29にち
リンカンシャーしゅう(イギリス)、ウェルボーンむら
死没しぼつ (1933-02-12) 1933ねん2がつ12にち(73さいぼつ
ロンドン(イギリス)
所属しょぞく組織そしき イギリス陸軍りくぐん
ぐんれき 1877 - 1920
最終さいしゅう階級かいきゅう 陸軍りくぐん元帥げんすい
指揮しき イギリス海外かいがい派遣はけんぐん司令しれいかん
戦闘せんとう
だいいち世界せかい大戦たいせん
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陸軍りくぐん元帥げんすい初代しょだいじゅん男爵だんしゃくサー・ウィリアム・ロバート・ロバートソン(Sir William Robert Robertson, GCB(GCVO, GCMG), DSO1860ねん1がつ29にち-1933ねん2がつ12にち)は、イギリス陸軍りくぐん軍人ぐんじん

来歴らいれき

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だいいち世界せかい大戦たいせんにおいて1916ねん-1918ねんあいだ参謀さんぼう総長そうちょう(CIGS)をつとめ、ドイツまとしぼった西部せいぶ戦線せんせん戦略せんりゃく担当たんとうするとともに、戦線せんせんにおける些末となした作戦さくせんには否定ひていてき態度たいどをとった。

一方いっぽう陸軍りくぐん大臣だいじん、その首相しゅしょうとなったデビッド・ロイド・ジョージ次第しだい関係かんけい悪化あっかし、フランスそう司令しれいかんであるロベール・ニヴェルにイギリスぐん従属じゅうぞくさせようとするロイド・ジョージのこころみで、退任たいにん危機ききひんした。

1917ねんには、西部せいぶ戦線せんせんへの十分じゅうぶんべいぐん到着とうちゃくするまで、イギリスは戦域せんいき注力ちゅうりょくすべきであるというロイド・ジョージの見解けんかい対立たいりつし、パッシェンデールのたたかだいさんイーペル会戦かいせん)における攻撃こうげき継続けいぞく支持しじした[1]

ロバートソンは、いち兵卒へいそつから陸軍りくぐん元帥げんすいまで昇進しょうしんした最初さいしょかつ唯一ゆいいつのイギリス陸軍りくぐん軍人ぐんじんである[1]

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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