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エリニャ

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座標ざひょう: 北緯ほくい5434ふん 東経とうけい3310ふん / 北緯ほくい54.567 東経とうけい33.167 / 54.567; 33.167

エリニャえき
エリニャの紋章もんしょう

エリニャ(イェリニャ、エリニヤ、ロシア: Ельня, Yelnya)は、ロシアスモレンスクしゅうにあるまち人口じんこうは8,332にん(2021ねん[1]州都しゅうとスモレンスクからひがしへ82キロメートル。1899ねん開通かいつうしたスモレンスク-スヒーニチあいだ鉄道てつどうとおる。スモレンスク高地こうち南部なんぶドニエプルがわ支流しりゅうデスナがわ上流じょうりゅう沿いにっている。エリニンスキー地区ちく行政ぎょうせい中心ちゅうしん

歴史れきし

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イリインスカヤ聖堂せいどう
エリニャをながれるデスナかわ

地名ちめい由来ゆらいは、ロシアの「yel」(モミの)、または「yelan」(もりなか)からとかんがえられている。

エリニャのまち年代ねんだい1150ねん部分ぶぶん初出しょしゅつする(べつ記録きろくでは1211ねんから1218ねん初出しょしゅつとも)。このとしスモレンスクこうロスティスラフはエリニャにたいし、4フリヴニャとキツネの毛皮けがわいちまいぜいとしてする命令めいれいくだしている。

エリニャはスモレンスクの様々さまざま歴史れきし運命うんめいをともにしている。モンゴル侵攻しんこうジョチ・ウルスへのみつぎおさめおさめ、リトアニア大公たいこうこく伸張しんちょうによりその支配しはいかれ、1522ねんには一旦いったんロシア・ツァーリこく一部いちぶに、さらにロシア・ポーランド戦争せんそう1612ねんにはポーランド・リトアニア共和きょうわこく一部いちぶになった。フメリニツキーの反乱はんらんをきっかけに、1654ねんから1667ねんにかけてこったロシア・ポーランド戦争せんそう結果けっか、エリニャはスモレンスクけんのほかの部分ぶぶんとともにロシアりょうとなった。1776ねん、エリニャは正式せいしき地位ちいて、ぐん中心ちゅうしんとなった。

1812ねんフランス帝国ていこくナポレオン1せいはロシアに侵攻しんこうした(1812ねんロシア戦役せんえき)。エリニャはパルチザン運動うんどう重要じゅうよう拠点きょてんになり、ロシアの反攻はんこうミハイル・クトゥーゾフ司令しれい一時いちじてきかれた。

だい世界せかい大戦たいせんどくせんだい祖国そこく戦争せんそう)でも重要じゅうようたたかいの舞台ぶたいとなった。1941ねん8がつ30にちだいいちスモレンスクのたたか緒戦しょせん、エリニャは赤軍せきぐんによるはじめて成功裏せいこうりわった反攻はんこうであるエリニャ攻勢こうせい舞台ぶたいとなった。このたたかいの功績こうせきで、赤軍せきぐんよっつの部隊ぶたいに「親衛隊しんえいたい」の称号しょうごうがはじめて付与ふよされた。

エリニャがドイツぐん占領せんりょうされた1942ねん、エリニンスキー地区ちくドロゴブージ・パルチザン地区ちく一部いちぶとなった。エリニャに陣取じんどるドイツぐんは、パルチザンの支配しはいにある周囲しゅうい農村のうそん地帯ちたい制圧せいあつすることはできなかった。1942ねん3がつにはパルチザンはエリニャ市街しがいりドイツへい多数たすうころして市街地しがいち解放かいほうしたが、さんにちの3がつ18にちにはドイツぐん反撃はんげきもりへと撤退てったいした。

1943ねん8がつクルスクのたたかつづソ連それん反攻はんこうなか、エリニャはだいスモレンスクのたたかかぎにぎ場所ばしょになった。8月30にち、ドイツぐんおおくの犠牲ぎせいしたためエリニャからの撤退てったいせまられたが、これがドイツぐんのスモレンスク地方ちほうからの全面ぜんめん撤退てったいはじまりになった。9月3にちには赤軍せきぐんはついにドニエプルがわ東岸とうがんたっした。エリニャにも戦後せんご祖国そこく戦争せんそう勲章くんしょうおくられている。

文化ぶんか

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1804ねん、エリニャぐんぞくするノヴォスパスコイェむらでロシアのだい作曲さっきょくミハイル・グリンカまれている。1982ねんにはその生家せいか修復しゅうふくのうえ博物館はくぶつかんになっている。エリニンスキー地区ちくでは毎年まいとしグリンカ・フェスティバルも開催かいさいされている。

経済けいざい

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まちしゅ産業さんぎょうはチーズやパンなどの食品しょくひん工業こうぎょう亜麻あまなどの繊維せんいぎょう、およびレンガなどの建材けんざいぎょうである。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ CITY POPULATION”. 19 May 2023閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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