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エレクトロライナー

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エレクトロライナー
イリノイ鉄道てつどう博物館はくぶつかん復元ふくげん保存ほぞんされているエレクトロライナー
基本きほん情報じょうほう
製造せいぞうしょ セントルイス・カー・カンパニー
製造せいぞうねん 1941
製造せいぞうすう 2
改造かいぞうねん 1963
運用うんよう開始かいし 1941
運用うんよう終了しゅうりょう 1978
主要しゅようしょもと
編成へんせい 4
軌間きかん 1435mm(標準軌ひょうじゅんき
電気でんき方式ほうしき 直流ちょくりゅう650V(架空かくう電車でんしゃせん方式ほうしきだいさん軌条きじょう方式ほうしきのどちらにも対応たいおう)
編成へんせい重量じゅうりょう 97,000kg[1]
編成へんせいちょう 47.35m[1]
車体しゃたいだか 3.48m[1]
台車だいしゃ 連接れんせつ台車だいしゃ
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エレクトロライナーのイラスト

エレクトロライナー (Electroliners) は、シカゴ - ミルウォーキーあいだ営業えいぎょうしていたシカゴ・ノースショアー・アンド・ミルウォーキー鉄道てつどう通称つうしょう:ノースショアーせん)で運転うんてんされた高速こうそく急行きゅうこうようインターアーバン電車でんしゃ名称めいしょうである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ノースショアーせん時刻じこくひょう表紙ひょうしえがかれたエレクトロライナー

この電車でんしゃセントルイス・カー・カンパニー1941ねん製造せいぞうされた4車体しゃたい連接れんせつ構造こうぞう流線型りゅうせんけい電車でんしゃで、電装でんそう関係かんけいすべウェスティングハウスしゃ担当たんとうしている。その駆動くどう装置そうちにナタールしゃとも開発かいはつしたカルダン駆動くどう一種いっしゅである最新さいしんしきWN駆動くどう採用さいようしたてん特筆とくひつあたいする。2編成へんせい製造せいぞうされ、それぞれ801-802、803-804の車両しゃりょう番号ばんごうあたえられた。

運用うんよう[編集へんしゅう]

流線型りゅうせんけいの2りょう先頭せんとうしゃあいだに2りょうなかあいだしゃはさんだ4りょう構成こうせいされ、かく車両しゃりょうあいだ連接れんせつ構造こうぞうとなっていた。先頭せんとうしゃ側面そくめんきゃくようとびらをはさんで普通ふつうせき30せき喫煙きつえんせき10せきかれていて、トイレも設置せっちされていた。きゃくようとびらにはステップがついていて併用へいよう軌道きどうじょうていゆかホーム、高床たかゆかホームのいずれでもりできるようになっていた。中間なかましゃいちりょうは40せき座席ざせきしゃで、もういちりょうは26せきのタバーン・ラウンジカーであった。すべての車両しゃりょう冷房れいぼうされており、これはインターアーバンや路面ろめん電車でんしゃ車両しゃりょうでははじめてだった。また、先頭せんとうしゃ連結れんけつ収納しゅうのうしきで、牽引けんいんのみして使用しようした。

ノースショアーせんはシカゴからミルウォーキーをむすんでいたが、そのあいだことなる条件じょうけん路線ろせん走行そうこうする必要ひつようがあった。シカゴ・Lループ高床たかゆかホームとなっており、車両しゃりょう限界げんかいせまきゅう曲線きょくせん数多かずおお存在そんざいした。ノースショアーせん本線ほんせんにおいては時速じそく80マイル(時速じそく130km)以上いじょう速度そくど走行そうこうするできることがもとめられた。そしてミルウォーキーのターミナル近辺きんぺんには併用へいよう軌道きどう存在そんざいした。エレクトロライナーはこういった要求ようきゅうたせるような設計せっけいおこなわれた。

連接れんせつ構造こうぞうであったことから連接れんせつ構造こうぞうではない電車でんしゃ特有とくゆうよこ方向ほうこう振動しんどうがなく心地ごこち向上こうじょうした。エレクトロライナーの外観がいかんパイオニア・ゼファー流線型りゅうせんけいをしているが、ノースショアーせん従来じゅうらいがた車両しゃりょう以上いじょう速度そくどはしることはできなかった。はんしつ運転うんてんだい隣接りんせつする先頭せんとう座席ざせきからは、ドアがはなされていれば旅客りょかくはデンプスター・ストリートからノース・シカゴ・ジャンクションまでのなが直線ちょくせん区間くかんにおいて速度そくどけい時速じそく90マイル(およそ時速じそく144km)をすのがられた。1941ねん車両しゃりょう受領じゅりょうしたさいおこなわれた試運転しうんてんで、最高さいこう速度そくどはかるためしゅ電動でんどう出力しゅつりょく最大さいだいにした。このさい時速じそく110マイル(時速じそく180km)をすこえる速度そくどまで到達とうたつしたものの、踏切ふみきりまりきるまえ踏切ふみきり通過つうかする危険きけん状況じょうきょうとなってしまった。このためエレクトロライナーのさい高速度こうそくど時速じそく90マイル(時速じそく140km)に制限せいげんされた[2]

鉄道てつどうともかい参与さんよ白井しらいあきらは、エレクトロライナーのおよそ15ねん製造せいぞうされ日本にっぽん高速こうそく電車でんしゃ先駆さきがけとなった小田急おだきゅうロマンスカーSEしゃについて、この電車でんしゃ影響えいきょうあたえた可能かのうせい指摘してきしている[3]

歴史れきし[編集へんしゅう]

ノースショアーせんの1940ねん財務ざいむ状況じょうきょうわるく、倒産とうさんふちたされていた。世界せかい恐慌きょうこう影響えいきょうがまだかんじられ、また近接きんせつするシカゴ・アンド・ノース・ウェスタン鉄道てつどうやミルウォーキー鉄道てつどうなどとの競争きょうそうにさらされていた。すべての設備せつびは1920年代ねんだいには建設けんせつされていて摩耗まもうすすんでいた。しかし、ノースショアーせんはシカゴとエヴァンストンの境界きょうかいからシカゴ・Lのループにある利便りべんせいたかえきあいだはしっていた。ノースショアーせん労働ろうどう組合くみあい加入かにゅうしている労働ろうどうしゃたちは路線ろせんがなくなればしょくうしなうことを心配しんぱいしており、旅客りょかく輸送ゆそう活気かっきづけるためにあたらしい流線型りゅうせんけい電車でんしゃ導入どうにゅうすることを経営けいえいじん提案ていあんしたとき従業じゅうぎょういん給与きゅうよ削減さくげんすることに同意どういした。この電車でんしゃはセントルイス・カー・カンパニーとノースショアーせん技術ぎじゅつしょく人々ひとびとによって設計せっけいされた。1941ねん車両しゃりょう到着とうちゃくすると一般いっぱん人々ひとびとからは好評こうひょうであり、景気けいき回復かいふくはじめていた。収入しゅうにゅう増加ぞうかし、ふる設備せつび改装かいそうされ外観がいかん快適かいてきせい向上こうじょうし、ノースショアーせん中西部ちゅうせいぶのありふれたインターアーバンからふたつの主要しゅよう都市としあいだ高速こうそくはし高速こうそく近郊きんこう通勤つうきん路線ろせんへと変化へんかした。1960年代ねんだいになると、高速こうそく道路どうろとの競争きょうそうによりきゃくうばわれ、収入しゅうにゅう激減げきげんし、維持いじ運営うんえい増大ぞうだいし1963ねん1がつ路線ろせんはいせんとなってしまった

リバティーライナー[編集へんしゅう]

本線ほんせんじょうをいくリバティーライナー。ぜん頭部とうぶにSEPTAのロゴマークをつけている
SEPTAのブリッジポートえき英語えいごばんとリバティーライナー(1976ねん

1963ねん1がつシカゴ・ノースショア・アンド・ミルウォーキー鉄道てつどうでの運行うんこう終了しゅうりょうすると、エレクトロライナーはレッドアローラインズとしてられるフィラデルフィア・サブアーバン・トランスポーテーションげん南東なんとうペンシルベニア交通こうつうきょく通称つうしょうSEPTA)へ2編成へんせいとも売却ばいきゃくされ、リバティーライナーとして運行うんこうされた。トロリーポールとステップは撤去てっきょされ、中間なかましゃにもとびら追加ついかされた。だいさん軌条きじょう高床たかゆかホームがもちいられているペンシルベニアしゅうアッパー・ダービーとノリスタウンをむすぶノリスタウン高速こうそくせん運用うんようするためしゅうでんくつ更新こうしんされた。タバーン・ラウンジカーは営業えいぎょうつづけていて、あさ朝食ちょうしょくを、よる飲料いんりょうやおつまみを提供ていきょうしていた。801-802編成へんせいは「バレー・フォージ」(Valley Forge)、803-804は「インディペンデンス・ホール」(Independence Hall)とばれた。

1976ねん引退いんたいした。

保存ほぞん[編集へんしゅう]

イリノイ鉄道てつどう博物館はくぶつかん収蔵しゅうぞうない動態どうたい復帰ふっきつエレクトロライナー

エレクトロライナー801-802は1960年代ねんだい初期しょき状態じょうたい復元ふくげんされ、イリノイ鉄道てつどう博物館はくぶつかん英語えいごばん保存ほぞんされている[4][5]。この保存ほぞんしゃについて、どう博物館はくぶつかんではエレクトロライナーのデビュー75周年しゅうねんむかえる2016ねん動態どうたい復元ふくげんさせることを目指めざしており、公式こうしきサイトじょういちくち25ドルより寄付きふつのっている[6]

エレクトロライナー 803-804,はペンシルベニアしゅうオービソニアにあるロックヒル・トロリー博物館はくぶつかんにリバティライナー「インディペンデンス・ホール」として保存ほぞんされている。

関連かんれん商品しょうひん[編集へんしゅう]

Con-CorからHOスケールで、MTHからOスケール発売はつばいされている。かつて真鍮しんちゅう製品せいひん複数ふくすう会社かいしゃから発売はつばいされていた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c Interurban to Milwaukee. Chicago, Illinois: Central Electric Railfans' Association. (1962). p. 79 
  2. ^ John D. Horachek (November 1982), “The Electroliner Legend -2 "We have never done better than this"”, Trains magazine: 48-58, http://www.mth-railking.com/PDF_Documents/Trains_Electroliner2.pdf 
  3. ^ 白井しらいあきら. “鉄道てつどう技術ぎじゅつ エレクトロライナーとSEの関係かんけい”. 2014ねん12月21にち閲覧えつらん
  4. ^ Illinois Railway Museum (2005ねん11月25にち). “History of the IRM - Restoration”. 2007ねん5がつ27にち閲覧えつらん
  5. ^ Illinois Railway Museum (2005ねん11月25にち). “History of the IRM - History”. 2007ねん5がつ27にち閲覧えつらん
  6. ^ Illinois Railway Museum. “$25 Donation - North Shore Line Electroliner”. 2014ねん12月21にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]