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『エンドレス・ポエトリー』 (スペイン語 ご : Poesía sin fin )はアレハンドロ・ホドロフスキー 監督 かんとく による、2016年 ねん のフランス・チリ合作 がっさく のドラマ映画 えいが 。トコピージャ (チリ北部 ほくぶ )でのホドロフスキー監督 かんとく の幼年 ようねん 期 き に焦点 しょうてん を当 あ てた『リアリティのダンス (2013)』に始 はじ まる、監督 かんとく 自身 じしん による映画 えいが 自伝 じでん の続編 ぞくへん 第 だい 二 に 部 ぶ である。1940年代 ねんだい 後半 こうはん から1950年代 ねんだい 前半 ぜんはん にかけて、サンティアゴ 近郊 きんこう のマトゥカナで自由 じゆう 奔放 ほんぽう に生 い きたホドロフスキーの思春期 ししゅんき と青年 せいねん 期 き を、時 とき 系列 けいれつ に沿 そ って描 えが いている。
第 だい 69回 かい カンヌ国際映画祭 かんぬこくさいえいがさい の「監督 かんとく 週間 しゅうかん 」部門 ぶもん で上映 じょうえい された[1] [2] 。
粗暴 そぼう で男 おとこ らしさを好 この む、抑圧 よくあつ 的 てき な父 ちち ハイメと優 やさ しい母 はは サラのもと、チリ・トコピージャ に育 そだ ったアレハンドロ・ホドロフスキー は少年 しょうねん 時代 じだい に故郷 こきょう を離 はな れ、サンティアゴ へと移 うつ る。父親 ちちおや の店 みせ で働 はたら く若 わか きアレハンドロは、息子 むすこ を医者 いしゃ にしようと強制 きょうせい する父 ちち を跳 は ね除 の け、かわりに詩人 しじん としての人生 じんせい を追 お い求 もと める。反発 はんぱつ 心 しん から家 いえ を飛 と び出 だ した彼 かれ は従兄 じゅうけい のリカルドに連 つ れられて芸術 げいじゅつ 家 か 姉妹 しまい の家 いえ に居候 いそうろう するようになる。この新 あたら しい人生 じんせい の中 なか で、彼 かれ は有名 ゆうめい 無名 むめい の芸術 げいじゅつ 家 か や詩人 しじん 、大道芸 だいどうげい 人 じん たちと関 かかわ りを持 も ち、恋 こい を知 し り、性 せい に目覚 めざ め、そして詩 し の世界 せかい に入 はい り込 こ んでいく。酒豪 しゅごう の女性 じょせい 詩人 しじん ステラ・ディアス・バリンに恋 こい し、さらに詩人 しじん ニカノール・パラと出会 であ う。しかしパラの詩 し 「毒蛇 どくへび 」にインスピレーションを与 あた えた女性 じょせい でもあるステラをめぐる誤解 ごかい の中 なか で、アレハンドロはパラを侮辱 ぶじょく してしまい、すれ違 ちが いからステラをも失 うしな ってしまうのであった。パペットの制作 せいさく を通 つう じて知 し り合 あ った老人 ろうじん から最初 さいしょ の住処 すみか としてスタジオを譲 ゆず り受 う けたアレハンドロは毎晩 まいばん 享楽 きょうらく 的 てき なパーティーに興 きょう じ、その中 なか で詩人 しじん のエンリケ・リンと親友 しんゆう になり、詩 し とは何 なに かについて語 かた り合 あ うのだった。
ある時 とき 、エンリケ・リンは小人 こども 症 しょう の恋人 こいびと と喧嘩 けんか し、恋人 こいびと は自殺 じさつ を図 はか った。アレハンドロは生 せい を説 と いて彼女 かのじょ を救 すく ったが、二人 ふたり は肉体 にくたい 関係 かんけい を持 も ち、恋人 こいびと は妊娠 にんしん してしまった。罪悪 ざいあく 感 かん に苛 さいな まれるアレハンドロの前 まえ にかつて父 ちち ハイメと一緒 いっしょ にサーカスで働 はたら いていた老人 ろうじん が現 あらわ れ、悩 なや みを忘 わす れるためにサーカスに戻 もど るように勧 すす める。そこで彼 かれ は道化 どうけ としてサーカスに出 で るが、途中 とちゅう で自 みずか らの罪 つみ を告白 こくはく するとともに、自 みずか らが芸術 げいじゅつ 家 か であることを実感 じっかん するのであった。エンリケとアレハンドロは後 のち に和解 わかい した。
突然 とつぜん アレハンドロの両親 りょうしん が現 あらわ れ、彼 かれ のすべての詩 し と子供 こども 時代 じだい の蔵書 ぞうしょ や品々 しなじな とともに実家 じっか が焼 や け落 お ちたことを彼 かれ に打 う ち明 あ ける。彼 かれ は自分 じぶん の家 いえ を訪 おとず れ、幼少 ようしょう 期 き に別 わか れを告 つ げて自分 じぶん のなりたい姿 すがた を考 かんが える。 彼 かれ は詩人 しじん でありながら大学 だいがく で数学 すうがく を教 おし えて生計 せいけい を立 た てるパラを訪 たず ね、彼 かれ の将来 しょうらい について絶縁 ぜつえん した父親 ちちおや の代 か わりにアドバイスを求 もと める。パラは詩人 しじん としてだけの人生 じんせい を追求 ついきゅう することは止 と めるよう諭 さと すが、アレハンドロは彼 かれ を無視 むし して妥協 だきょう を拒 こば んだ。その中 なか で彼 かれ は自分 じぶん が何者 なにもの か、どう生 い きるのかという問 と いに答 こた えを出 だ していくのだった。
チリで2期 き 目 め を迎 むか えた独裁 どくさい 者 しゃ イバニェス への支持 しじ が強 つよ まったとき、アレハンドロは「シュールレアリズムを救 すく う」ために単身 たんしん パリへ渡 わた ることを決意 けつい した。父 ちち ハイメは船出 ふなで 前 まえ の波止場 はとば で彼 かれ を呼 よ び止 と め、彼 かれ を強制 きょうせい 的 てき に店 みせ で働 はたら かせるために引 ひ き戻 もど そうとした。しかしアレハンドロは父 ちち を圧倒 あっとう しながらもその本当 ほんとう の姿 すがた 、父 ちち の存在 そんざい を認 みと め、パリへと発 た って二度 にど と父親 ちちおや に会 あ うことは無 な かった。
若 わか きアレハンドロ - イェレミアス・ハースコヴィッツ
アレハンドロ - アダン・ホドロフスキー
現在 げんざい のアレハンドロ - アレハンドロ・ホドロフスキー
ハイメ - ブロンティス・ホドロフスキー
サラ/ステラ - パメラ・フローレス
エンリケ・リン - レアンドロ・タウブ
ペケニータ - ジュリア・アヴェンダーノ
ニカノール・パラ - フェリペ・リオス
キャロリン・カールソン - マリア・ルフェーヴル
イバニェス - バスティアン・ボーデンホーファー
グスタヴォ・べセラ=シュミット - フェリペ・ペーニャ
レビュー収集 しゅうしゅう サイト のRotten Tomatoes 上 うえ では、58件 けん のレビューに基 もと づいて93%の評価 ひょうか を獲得 かくとく しており、平均 へいきん 的 てき な評価 ひょうか は7.3/10である。 「『エンドレス・ポエトリー』によって、脚本 きゃくほん 監督 かんとく をつとめるアレハンドロ・ホドロフスキーの非凡 ひぼん なフィルモグラフィーは、楽 らく しげかつシュールで視覚 しかく 的 てき に鮮 あざ やかな視覚 しかく 体験 たいけん へと拡張 かくちょう された。」というのが同 どう サイト上 じょう での論調 ろんちょう である。[3] Metacritic 上 うえ では19件 けん のレビューに基 もと づき、78点 てん /100点 てん のメタスコアを獲得 かくとく し、「概 おおむ ね好評 こうひょう 」を記録 きろく [4] 。
「バラエティ 」誌 し のオーウェン・グレイバーマン は、「アレハンドロ・ホドロフスキーの『エンドレス・ポエトリー』は、彼 かれ がこれまでに制作 せいさく した中 なか で最 もっと も親 した しみやすい映画 えいが かつ最高 さいこう の映画 えいが かもしれない。フェリーニ 風 かぜ で感動 かんどう 的 てき だ。」と述 の べる[5] 。 また、「ニューヨークタイムズ 」誌 し のA・O・スコット は、「写実 しゃじつ 主義 しゅぎ に関 かん しては問題 もんだい にならない。しかし、にもかかわらずホドロフスキー氏 し は混沌 こんとん として情熱 じょうねつ 的 てき な時間 じかん の精神 せいしん を喚起 かんき させ、彼 かれ 自身 じしん の心理 しんり への明敏 めいびん な洞察 どうさつ を提示 ていじ している。」と述 の べている[6] 。
映画 えいが 撮影 さつえい については、「ロサンゼルス・タイムズ 」誌 し のジャスティン・チャンが「ウォン・カーウァイ との仕事 しごと で有名 ゆうめい な、素晴 すば らしい撮影 さつえい 監督 かんとく クリストファー・ドイル によってダイナミックに構成 こうせい され、魅惑 みわく 的 てき に撮影 さつえい されている。」と評 ひょう している[7] 。