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カッシンきゅう駆逐くちくかん

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カッシンきゅう駆逐くちくかん
基本きほん情報じょうほう
かんしゅ 駆逐くちくかん (DD)
命名めいめい基準きじゅん 海軍かいぐん功労こうろうしゃ
(1ばんかんステファン・カッシンちなむ)
就役しゅうえき期間きかん 1913ねん - 1935ねん
まえきゅう ポールディングきゅう
じゅん同型どうけいかん エールウィンきゅう
つぎきゅう オブライエンきゅう
要目ようもく
常備じょうび排水はいすいりょう 1,010トン[1]
満載まんさい排水はいすいりょう 1,235トン[2]
全長ぜんちょう 93.10 m
水線すいせんちょう 91.5 m[2]
はば 9.20 m
ふか 5.21 m[3]
吃水きっすい 3.00 m
ボイラー みずかんボイラー×4かん
おも 蒸気じょうきタービン×2
推進すいしん スクリュープロペラ×2じく
出力しゅつりょく 16,000馬力ばりき
速力そくりょく 29ノット
乗員じょういん 98めい
へいそう50口径こうけい4インチたんそうほう×4
・18インチ連装れんそう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん×4
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カッシンきゅう駆逐くちくかん英語えいご: Cassin-class destroyers)は、アメリカ海軍かいぐん駆逐くちくかんかんきゅう[1][2]ほんきゅうは4せき建造けんぞうされ、だいいち世界せかい大戦たいせんにおいては船団せんだん護衛ごえい従事じゅうじした。

設計せっけい

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先行せんこうする1906ねん1910ねん計画けいかくかんがいずれも700トンがたであったのにたいし、ほんきゅうでは、たいこうせい向上こうじょうおよび航続こうぞく距離きょり延伸えんしんはかって、かんがたを1,000トンがた拡大かくだいした。船首せんしゅろう船型せんけいはそのままにかんくびたかさをし、船体せんたい中央ちゅうおうにわずかながらタンブルフォームをし、ビルジキールを極力きょくりょくげている[4]

しゅ機関きかんとしては、パーソンズしき直結ちょっけつ蒸気じょうきタービンによる2じく推進すいしん方式ほうしき採用さいようされた。右舷うげんじくこうあつタービンと後進こうしんタービンをタンデムにはいし、左舷さげんじくには低圧ていあつタービン(後進こうしんタービン内蔵ないぞう)をはいしている。また、このような直結ちょっけつタービン方式ほうしきでは低速ていそく航行こうこう推進すいしん効率こうりつわるいことから、「カッシン」「カミングス」では、巡航じゅんこうとしてレシプロ蒸気じょうき機関きかん2搭載とうさいする構成こうせいこころみられた。これははまだつクラッチをかいして低圧ていあつタービンと結合けつごうされており、16ノットまでは蒸気じょうきタービンを15ノット以下いか巡航じゅんこう運転うんてんではレシプロ蒸気じょうき機関きかん使用しようする方式ほうしきであった。しかし機構きこう複雑ふくざつするうえ期待きたいほどの効果こうかがなかったことから、ほんきゅうオブライエンきゅう一部いちぶもちいられたのみであった。ボイラーはポールディングきゅう同様どうよう重油じゅうゆせんしょうがたで、ソーニクロフトかん、ノルマンかんヤーローかん、ホワイト・フォスターかん搭載とうさいされた[5]

かんほうとしては、ほんきゅうより、しん開発かいはつ50口径こうけい10.2cmほう装備そうびされた。従来じゅうらいべい海軍かいぐん駆逐くちくかんは50口径こうけい7.6cmほう搭載とうさいしており、ほう熕火りょく弱体じゃくたいであることが指摘してきされていたが、これによって是正ぜせい実現じつげんした。当初とうしょは、700トンがたの50口径こうけい7.6cmほう同数どうすうの5もん搭載とうさい予定よていであったが、水雷すいらい火力かりょく強化きょうか優先ゆうせんされることになり、魚雷ぎょらい発射はっしゃかん連装れんそう4とするかわりにほうは4もん削減さくげんされた[1]

同型どうけいかん

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由来ゆらい人物じんぶつは、べいえい戦争せんそうなかにタイコンデロガごうひきい、シャンプレーンたたか活躍かつやくしたスティーブン・カッシン船長せんちょう
バス鉄工てっこうしょにて1912ねん5がつ1にち起工きこう・1913ねん5がつ20日はつか進水しんすい・1913ねん8がつ9にち就役しゅうえき、1922ねん3がつ29にち退役たいえき沿岸えんがん警備けいびたいに1924–33ねん従事じゅうじ売却ばいきゃく
由来ゆらい人物じんぶつは、南北戦争なんぼくせんそうなかにポート・ハドソン砲台ほうだいとの交戦こうせん戦死せんししたリッチモンドごう乗組のりくみ士官しかんアンドリュー・B・カミングズ少佐しょうさ
バス鉄工てっこうしょにて1912ねん5がつ21にち起工きこう・1913ねん8がつ6にち進水しんすい・1913ねん9がつ19にち就役しゅうえき、1922ねん6がつ23にち退役たいえき沿岸えんがん警備けいびたいに1924–32ねん従事じゅうじ売却ばいきゃく
由来ゆらい人物じんぶつは、1830年代ねんだいにマケドニアンごう世界せかい一周いっしゅう遠征えんせいおこない、東南とうなんアジア方面ほうめん通商つうしょう保護ほご従事じゅうじしたジョン・ダウンズ船長せんちょう
ニューヨーク造船ぞうせんしょにて1912ねん6がつ27にち起工きこう・1913ねん11月8にち進水しんすい・1915ねん2がつ11にち就役しゅうえき、1922ねん6がつ6にち退役たいえき沿岸えんがん警備けいびたいに1924–31ねん従事じゅうじ売却ばいきゃく
由来ゆらい人物じんぶつは、シャンプレーンたたかいに参戦さんせんし、1830年代ねんだいにレキシントンごう南米なんべい遠征えんせいおこなったサイラス・ダンカン船長せんちょう
フォアリバー造船ぞうせんしょにて1912ねん6がつ17にち起工きこう・1913ねん4がつ5にち進水しんすい・1913ねん8がつ30にち就役しゅうえき、1922ねん8がつ1にち退役たいえき売却ばいきゃく

参考さんこう文献ぶんけん

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  1. ^ a b c 中川なかがわつとむ「アメリカ駆逐くちくかん」『世界せかい艦船かんせんだい496ごう海人あましゃ、1995ねん5がつ、28-29ぺーじNCID AN00026307 
  2. ^ a b c Randal Gray (1984). Robert Gardiner. ed. Conway's All the World's Fighting Ships 1906-1921. Naval Institute Press. p. 122. ISBN 978-0870219078 
  3. ^ Norman Friedman (2004). U.S. Destroyers: An Illustrated Design History. Naval Institute Press. p. 458. ISBN 9781557504425. https://books.google.co.jp/books?id=Tzp58htKLkEC 
  4. ^ 船体せんたい (技術ぎじゅつめんからたアメリカ駆逐くちくかん発達はったつ)」『世界せかい艦船かんせんだい496ごう海人あましゃ、1995ねん5がつ、150-155ぺーじ 
  5. ^ 阿部あべ安雄やすお機関きかん (技術ぎじゅつめんからたアメリカ駆逐くちくかん発達はったつ)」『世界せかい艦船かんせんだい496ごう海人あましゃ、1995ねん5がつ、156-163ぺーじ