(Translated by https://www.hiragana.jp/)
カーボディーズ - Wikipedia コンテンツにスキップ

カーボディーズ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

カーボディーズCarbodies Limited)は、コヴェントリーのホーリーヘッド・ロード(Holyhead Road)に所在しょざいしたイギリス企業きぎょうである。 同社どうしゃコーチビルダーとして事業じぎょう開始かいししたが、現在げんざいロンドンタクシー生産せいさんられるロンドンタクシー・カンパニー(The London Taxi Company)としてられている。

歴史れきし

[編集へんしゅう]

コーチビルダーのホリック・アンド・プラットしゃ(Hollick and Pratt)のもとそう支配人しはいにんであったロバート・「ボビー」・ジョーンズ(Robert 'Bobby' Jones)が当時とうじ勤務きんむさきであった材木ざいもくしょうのグッダーハムズしゃ(Gooderhams)を買収ばいしゅうし、コヴェントリーのウエスト・オーチャード(West Orchard)にあったトーマス・パスしゃ(Thomas Pass)からった設備せつび事業じぎょうはじめた[1]

標準ひょうじゅんされたコーチワーク

[編集へんしゅう]
ヒルマン・ミンクス スポーツツアラー(1934ねん
ヒルマン・ミンクス ドロップヘッドクーペ(1947ねん

カーボディーズしゃは、個々ここことなるデザインの注文ちゅうもん生産せいさんのボディを製造せいぞうするよりも独自どくじのボディ製作せいさく設備せつびたない自動車じどうしゃメーカーのために一定いっていすう標準ひょうじゅんされたデザインのボディを製作せいさくする事業じぎょうはじめた。1920年代ねんだい主要しゅよう顧客こきゃくMGアルヴィスしゃであった。MG・Mタイプ ミジェット(MG M-Type Midgetようボディ製造せいぞうのための多量たりょうあたらしい契約けいやくにより設備せつび拡充かくじゅうせまられて1928ねんにカーボディーズしゃ現在げんざいのホーリーヘッド・ロードのひろ敷地しきち移転いてんした。1930年代ねんだいにはローバー、インヴィクタ(Invicta)、レイルトン(Railton)の各社かくしゃにもボディを供給きょうきゅうするようになっていたが、その10ねんでそれらよりもはるかにだい規模きぼ最大さいだい/さい重要じゅうよう顧客こきゃくルーツ・グループであった。

だい世界せかい大戦たいせんなかにカーボディーズしゃ軍用ぐんよう車両しゃりょうのボディを製造せいぞうしていたが、レンドリースほうつうじてプレス機械きかい入手にゅうしゅしたことから航空機こうくうき部品ぶひん製造せいぞうできるようになった。この時期じき会社かいしゃ組織そしき株式会社かぶしきがいしゃ(limited company)に改組かいそし、ボビー・ジョーンズが(governing director)に、息子むすこのアーネスト・ジョーンズ(Ernest Jones)が(managing director)に就任しゅうにんした。

タクシー、コンバーチブル、デイムラーしゃとその戦後せんごくるま

[編集へんしゅう]

戦後せんごにカーボディーズしゃはロンドンタクシー車両しゃりょうのディーラーであるマン・アンド・オーバートンしゃ(Mann and Overton)とオースチンしゃとのあいだオースチン・FX3のボディ製造せいぞう最終さいしゅう組立くみたて完成かんせいしゃ納入のうにゅうかんする交渉こうしょうおこなった。また、近代きんだいてきぜん金属きんぞくせいサルーンをコンバーチブル改装かいそうする手法しゅほう開発かいはつした。この改装かいそう作業さぎょう初期しょきモノコック構造こうぞうヒルマン・ミンクスHillman Minx)、オースチン・サマーセットAustin Somerset)、ヘアフォード(Hereford)、フォード・コンサル Mk1(Ford Mk1 Consul)、ゼファーZephyr)とのちにフォード・コンサル Mk2、ゼファー、ゾディアックZodiac)にほどこされた。

1954ねんにボビー・ジョーンズはカーボディーズしゃBSAグループ売却ばいきゃくし、どうグループは傘下さんか高級こうきゅう自動車じどうしゃメーカーであるデイムラーしゃ支配しはいにカーボディーズしゃれた。これはカーボディーズしゃをデイムラーしゃよう金属きんぞくせいボディ製造せいぞう工場こうじょうにすることを意図いとした措置そちであったが、実現じつげんはしなかった。しかし、それまでにフォードしゃ、オースチンしゃ活用かつようしてきたのと同様どうよう手法しゅほうコンクエストConquest)のサルーンをドロップヘッドに、ドロップヘッドクーペをコンクエスト ロードスターに改装かいそうし、マジェスティックとマジェスティック メジャー(Majestic Major)のサルーンボディも製造せいぞうした。

BSA傘下さんか製造せいぞう設備せつび拡充かくじゅうされ、あらたな工場こうじょう新設しんせつされた。1958ねんにカーボディーズしゃ自社じしゃ歴史れきしなかもっと重要じゅうようくるまであるオースチン・FX4 タクシー(Austin FX4 taxi)のボディ製造せいぞう最終さいしゅう組立くみたて納入のうにゅう開始かいしした。また、ジャガー・Eタイプのボンネット、トライアンフしゃけのパネル、アリエルとBSAのオートバイスクーターといった製品せいひん試作しさくしゃのボディやるい供給きょうきゅう担当たんとうした。

1960年代ねんだい1970年代ねんだいはじめにけたさらなる契約けいやくハンバー・ホークスーパースナイプシンガー・ヴォーグSinger Vogue)、トライアンフ・2000のサルーンをエステート改装かいそうする作業さぎょうであったが、自家用車じかようしゃ商用しょうようしゃかんする契約けいやく徐々じょじょ減少げんしょうしたことでFX4 タクシーの製造せいぞう同社どうしゃにとってより重要じゅうようなものとなっていった。

マンガニーズ・ブロンズ・ホールディングとロンドンタクシー・インターナショナル

[編集へんしゅう]

1971ねんにカーボディーズしゃがFX4ようシャーシ組立くみたてラインをアーダリー・パーク(Adderley Park)にあるブリティッシュ・レイランドしゃのバーミンガム工場こうじょうからったことでくるまめいあらわすのとはことなり実質じっしつてきにカーボディーズしゃがFX4の製造せいぞうメーカーとなった[2]。2ねんにカーボディーズしゃ親会社おやがいしゃのBSAとともにマンガニーズ・ブロンズ・ホールディングしゃManganese Bronze Holdings)に買収ばいしゅうされた[3]

1970年代ねんだいにカーボディーズしゃ自社じしゃ独自どくじあたらしいタクシー車両しゃりょうのFX5をつくろうとしたが、開発かいはつ費用ひよう高騰こうとうぎたためにこの計画けいかく1979ねん中止ちゅうしされた。1982ねんにはブリティッシュ・レイランドしゃ最終さいしゅうてき事業じぎょう持分もちぶんうしなったことからカーボディーズしゃがFX4の製造せいぞうかんする事業じぎょうすべてをつこととなった[4]。この時期じきになると、フォード・コーティナ MkVのコンバーチブルやレンジローバー・ユニトラック(Unitruck)といったあたらしい製品せいひんれようとしたにもかかわらずFX4が唯一ゆいいつ自社じしゃ製品せいひんとなっていた。レンジローバーのボディをもとにしたあたらしいタクシーであるCR6は、ほぼ5ねん開発かいはつ期間きかんをかけたのち中止ちゅうしされた。

1984ねんにロンドンタクシー車両しゃりょうのディーラーであるマン・アンド・オーバートンしゃはマンガニーズ・ブロンズ・ホールディングしゃ買収ばいしゅうされた。この買収ばいしゅうによりLTI・カーボディーズ、LTI・マン・アンド・オーバートン、ロンドンタクシー・ファイナンスで構成こうせいされたロンドンタクシー・インターナショナルに再編さいへんされた。

1997ねんあたらしいタクシー車両しゃりょうTX1導入どうにゅうされ、これは2002ねん改良かいりょうされてTXIIとなり、2007ねん現行げんこうTX4になった。このシリーズはロンドンタクシー形式けいしき車両しゃりょう供給きょうきゅうしゃとしてLTIの地位ちい確立かくりつした。

1998ねんにカーボディーズ株式会社かぶしきがいしゃ名称めいしょうがLTI株式会社かぶしきがいしゃ(LTI Limited)と改称かいしょうされ、2010ねん11月にはロンドンタクシー・カンパニーとなった。近年きんねんロンドンタクシー・カンパニーは中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく自動車じどうしゃメーカー吉利よしとし汽車きしゃしゃ共同きょうどう輸出ゆしゅつ市場いちば車両しゃりょうとコヴェントリーの母体ぼたい工場こうじょうけの部品ぶひん製造せいぞうするための工場こうじょう上海しゃんはい建設けんせつした。2010ねんにマン・アンド・オーバートンの社名しゃめい廃止はいしされ、ディーラーシップもロンドンタクシー・カンパニーが運営うんえいすることになった。

ギャラリー

[編集へんしゅう]

カーボディーズせいのMG

[編集へんしゅう]

カーボディーズせい戦前せんぜんのスポーツしゃ

[編集へんしゅう]

カーボディーズせい戦後せんごのドロップヘッドクーペとエステート

[編集へんしゅう]

カーボディーズせいのデイムラー

[編集へんしゅう]

カーボディーズせいのタクシー、ハイヤーと商用しょうようしゃ

[編集へんしゅう]

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  • Bill Munro, Carbodies: The Complete Story, Crowood, UK 1998, ISBN 978-1-86-126127-4
  • London Taxi Company press releases
  1. ^ David Thoms, Tom Donnelly, The Motor Car Industry in Coventry since the 1890s Croom-Helm 1985 ISBN 0-7099-2456-9
  2. ^ BSA assemble taxis The Times, Wednesday, May 12, 1971; pg. 18; Issue 58170; col F
  3. ^ MBH to buy taxi group The Times, Wednesday, Apr 11, 1984; pg. 20; Issue 61803; col F
  4. ^ Manganese Bronze boosted by exports The Times, Tuesday, Feb 14, 1984; pg. 20; Issue 61757; col D

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]