ガイウス・カエサル

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ガイウス・カエサル

ガイウス・ユリウス・カエサル・ウィプサニアヌスGaius Julius Caesar Vipsanianus, 紀元前きげんぜん20ねん - 紀元きげん4ねん)は、古代こだいローマ将軍しょうぐんマルクス・ウィプサニウス・アグリッパだいユリア息子むすこで、初代しょだいローマ皇帝こうていアウグストゥス養子ようしおとうとルキウス・カエサルともにアウグストゥスの後継こうけいしゃ候補こうほ一人ひとりだった。

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

アウグストゥスの側近そっきんであったマルクス・アグリッパとアウグストゥスのむすめユリアの長男ちょうなんガイウス・ウィプサニウス・アグリッパとして紀元前きげんぜん20ねん誕生たんじょうした。アウグストゥスからると直系ちょっけいまごたるため、後継こうけいしゃ候補こうほとしてはやくから期待きたいされていた。おとうとルキウス・カエサルアグリッパ・ポストゥムスが、いもうとしょうユリアだいアグリッピナがいる。

おとうとルキウスが誕生たんじょうした紀元前きげんぜん17ねんにアウグストゥスの養子ようしとなり、ガイウス・ユリウス・カエサルそしてだいよんめいにウィプサニウス氏族しぞくからの養子ようしウィプサニアヌスくわガイウス・ユリウス・カエサル・ウィプサニアヌスあらためる。以後いごおなじように皇帝こうてい養子ようしとなったおとうとルキウスととも後継こうけいしゃとしてそだてられた。紀元前きげんぜん13ねんのトロイア競技きょうぎ年長ねんちょうぐみ組長くみちょうつとめ、はじめてローマ市民しみんまえにでる。15さいとなった紀元前きげんぜん5ねんには養父ようふアウグストゥスによって5ねん紀元きげん1ねん執政しっせいかん(コンスル)指名しめいされ、元老げんろういん議席ぎせきた。このとき予定よてい執政しっせいかん指名しめいされただけではなく騎士きし階級かいきゅうから「青年せいねん第一人者だいいちにんしゃ」(プリンケプス・ユウェントゥティス、Princeps Juventutis)の称号しょうごうおくられ、未来みらい元首げんしゅ候補こうほであることをローマ市民しみんつよ印象いんしょうけた。この称号しょうごう以後いご元首げんしゅ候補こうほにもおくられ、事実じじつじょう皇太子こうたいし」を意味いみする称号しょうごうになっていった。

紀元前きげんぜん1ねんだいドルススしょうアントニアむすめリウィッラ結婚けっこんすると予定よてい執政しっせいかんとしてドナウ方面ほうめん軍務ぐんむにつく。その東方とうほう派遣はけんされ、そので1ねんむかえ、正式せいしきにコンスルに就任しゅうにんした。このときのガイウスの幕僚ばくりょうには、皇帝こうていネロちちとなるグナエウス・ドミティウス・アヘノバルブスやのちの親衛隊しんえいたいながルキウス・アエリウス・セイヤヌス、マルクス・ロリウス、プブリウス・スルピキウス・クィリニウスなどがいた。

当時とうじアルメニア王国おうこくではアウグストゥスが王位おういにつけたアルタウァスデスが追放ついほうされており、この王位おういメディア出身しゅっしんのアリオバルザネスをけることがガイウスにあたえられた任務にんむであった。ガイウスはこの任務にんむたすが、アルメニアではパルティア介入かいにゅう叛乱はんらん再発さいはつした。紀元きげん3ねんにアルメニアのパルティア包囲ほういせんにおいて負傷ふしょうローマ帰還きかんする途中とちゅう現在げんざいトルコ南部なんぶのリミラでぼっした。このときまだ24さいだった。

このガイウスのよりまえ紀元きげん2ねんおとうとルキウスも死亡しぼうしていたため、アウグストゥスは一定いってい年齢ねんれいたっしている後継こうけいしゃ候補こうほうしない、つまリウィア・ドルシッラであったティベリウス後継こうけいしゃとせざるをなくなった。ガイウスがんだ紀元きげん4ねんにアウグストゥスは、ティベリウスをガイウスのおとうとアグリッパ・ポストゥムスとも養子ようしとしている。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]