クリスティーネ・フォン・ホルシュタイン=ゴットルプ

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クリスティーネ・フォン・ホルシュタイン=ゴットルプ
Christine von Holstein-Gottorp
スウェーデン王妃おうひ
在位ざいい 1604ねん - 1611ねん

出生しゅっしょう 1573ねん4がつ13にち
ホルシュタイン公国こうこくキール
死去しきょ (1625-12-08) 1625ねん12月8にち(52さいぼつ
 スウェーデングリプスホルム宮殿きゅうでん
埋葬まいそう  スウェーデン、ストレングネースだい聖堂せいどう
結婚けっこん 1592ねん7がつ8にち
配偶はいぐうしゃ スウェーデンおうカール9せい
子女しじょ クリスティーナ
グスタフ2せいアドルフ
マリア・エリサベト
カール・フィリップ
家名かめい ホルシュタイン=ゴットルプ
父親ちちおや ホルシュタイン=ゴットルプこうアドルフ
母親ははおや クリスティーネ・フォン・ヘッセン
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クリスティーネ・フォン・ホルシュタイン=ゴットルプドイツ:Christine von Holstein-Gottorp, 1573ねん4がつ13にち - 1625ねん12月8にち)は、スウェーデンおうカール9せいの2度目どめスウェーデンめいクリスティーナ(Kristina av Holstein-Gottorp)。

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

ホルシュタイン=ゴットルプこうアドルフと、ヘッセンかたはくフィリップ1せいむすめクリスティーネむすめとして、キールまれた。

1592ねん7がつ8にち当時とうじセーデルマンランドこうだったカールと結婚けっこん(カールは1599ねんにスウェーデン摂政せっしょうとなり、1604ねん即位そくいした)。2人ふたりあいだには4まれた。

クリスティーナはつよ意志いし女性じょせいで、支配しはいしゃとして有能ゆうのうだったといわれる。2人ふたりとも性格せいかく非常ひじょうていたため、おっととの結婚けっこん生活せいかつはおおむね幸福こうふくであったといわれた。彼女かのじょおっと同行どうこうしてしばしば外国がいこく旅行りょこうをしており、1600ねんから1601ねんにかけエストニアフィンランドった。彼女かのじょ政治せいじくちおっと影響えいきょうおよぼしたことはないが、クリスティーナは尊敬そんけいされ、おそれられた。しかし、クリスティーナはカール9せいくに不在ふざいにした1605ねんには摂政せっしょうつとめ、次男じなんカール・フィリップがロシア皇帝こうていまねかれた1610ねんから1612ねんにかけては、出国しゅっこく阻止そししようとしたことがられる。また、彼女かのじょ長男ちょうなんグスタフ・アドルフが愛人あいじんエバ・ブラーエ結婚けっこんしようとしたときにも、これをやめさせている。

1625ねん、クリスティーナはグリプスホルム宮殿きゅうでんぼっした。