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紋章
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地図
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基本情報
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連邦州: |
メクレンブルク=フォアポンメルン州
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郡: |
郡独立市
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標高: |
海抜 40 m
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面積: |
130.46 km²
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人口: |
95,740人(2021年12月31日現在)
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人口密度: |
734 人/km²
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郵便番号: |
19001-19079 (旧: 2750)
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市外局番: |
0385
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ナンバープレート: |
SN
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自治体コード: |
13 0 04 000
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市庁舎の住所: |
Am Packhof 2-6 19053 Schwerin
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ウェブサイト: |
www.schwerin.de
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上級市長: |
アンゲーリカ・グラムコウ (Angelika Gramkow)
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メクレンブルク=フォアポンメルン州でのシュヴェリーンの位置
2011年統廃合後の郡と独立市の区分図
空から眺めたシュヴェリーン。湖に囲まれた街である。
シュヴェリーン城
シュヴェリーン(低地ドイツ語: Swerin、標準ドイツ語: Schwerin [ʃvɛˈʁiːn, ʃvəˈʁiːn])は、ドイツ連邦共和国の都市。メクレンブルク=フォアポンメルン州の州都。旧東独圏である。人口は約96,000人。
「七つの湖の街」とも称され、周辺を多くの淡水湖に囲まれている。その最大のものがシュヴェリーン湖であり、観光客も多く訪れる。交通の要所に位置しており、農作物の集散地として重要な役割を果たした。また、第二次世界大戦後の東ドイツ政権下で工業化が進められた。近隣の都市としては、約55キロ北西のリューベック、30キロ北のヴィスマール、70キロ北東のロストックなどが挙げられる。
西スラヴ人のオボトリート族の王国がその起源。オボトリート人の国家は西は神聖ローマ帝国、東からはポーランド王国、北からはデンマーク王国に攻撃され続け、ついに11世紀に滅亡する。その後神聖ローマ帝国よりザクセン人がやってきて人々を支配した。1160年にハインリヒ獅子公から自治権を与えられ、まもなく司教座がおかれた。中世から近代にかけて、メクレンブルク公領、メクレンブルク=シュヴェリーン公領の都であった。第二次世界大戦後、東ドイツ領となり工業化が進められた。
「シュヴェリーン」という地名は、オボトリート語などが属するポラーブ語の地名「シュヴィエージン」(Zwierzyn)がドイツ語風に訛ったもの。