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シンピウェ・ノンクアイ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
シンピウェ・ノンクアイ
基本きほん情報じょうほう
本名ほんみょう シンピウェ・ノンクアイ
通称つうしょう Golden Master
階級かいきゅう スーパーバンタムきゅう
身長しんちょう 168cm
リーチ 170cm
国籍こくせき 南アフリカ共和国の旗 みなみアフリカ共和きょうわこく
誕生たんじょう (1972-02-18) 1972ねん2がつ18にち(52さい
出身しゅっしん ひがしケープしゅうボーダーポスト
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績せんせき
そう試合しあいすう 21
17
KO 6
3
1
無効むこう試合しあい 0
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シンピウェ・ノンクアイ(Simphiwe Nongqayi、1972ねん2がつ18にち - )は、みなみアフリカ共和きょうわこく男子だんしプロボクサーもと国際こくさいボクシング連盟れんめい(IBF)世界せかいスーパーフライきゅう王者おうじゃひがしケープしゅうボーダーポスト出身しゅっしん

来歴らいれき[編集へんしゅう]

2002ねん9月14にち、30さいおそめでプロデビューをたし4かい判定はんていち。

3せんえて全勝ぜんしょうまもったが、怪我けが影響えいきょうで2年間ねんかんのブランクをつくる。

復帰ふっき試合しあいかんもどすべく2004ねんには3試合しあい2005ねんには5試合しあいとハイペースで、同年代どうねんだい中堅ちゅうけん選手せんしゅやデビューしたばかりの選手せんしゅ相手あいて経験けいけんんだ。

2006ねん12月15にち、クフリレ・マケベと西にしケープしゅうキムベリーのジム・サマーズ・ホールで空位くういWBU世界せかいスーパーフライきゅう王座おうざ決定けっていせんおこない、8かい1ふん43びょうTKOちをおさめ、王座おうざ獲得かくとく成功せいこうした。

2007ねん5月11にち、ラファエル・ティラドと対戦たいせんし、7かい1ふん56びょうTKOちをおさはつ防衛ぼうえい成功せいこうした。

2007ねん8がつ17にち、フェリシアーノ・ダリオ・アズアガと対戦たいせんし、81せん歴戦れきせん猛者もさでカウンターパンチャーのアズアガを相手あいてに5かい1ふん52びょうTKOちをおさめ、2度目どめ防衛ぼうえい成功せいこうした。

2008ねん5月9にち、ジュリオ・デビット・ロクエア・レアとヨハネスブルグナスレク・インドア・アリーナで対戦たいせんした。3かいにノンクアイがはつダウンをうばわれたが、ダウンをり12かい3-0(118-110、116-112、116-111)の判定はんていちをおさめ、この試合しあい勝利しょうりIBF世界せかいスーパーフライきゅうのランカーりをたす。

2009ねん2がつ28にちはつ国外こくがい試合しあいメキシコのリングに登場とうじょうシナロアしゅうロスモチスのポリデポーティヴォ・センテナリオにて、世界せかい5かいきゅう制覇せいはたすホルヘ・アルセおとうとフランシスコ・アルセと、WBAWBC・IBF世界せかいスーパーフライきゅうスーパー王者おうじゃビック・ダルチニアンへの挑戦ちょうせんけんけた試合しあいおこなった。試合しあいまえぜん評判ひょうばん地元じもとのアルセの圧倒的あっとうてき優位ゆういつたえられた。試合しあい好戦こうせんてきパンチャーアルセとみなみアフリカの軽量けいりょうきゅうかいっての技巧ぎこうノンクアイが交互こうごにラウンドを展開てんかい。そのノンクアイが11かいにアルセからダウンをうばい、12かい3-0(3しゃとも116-111)の判定はんていちをおさめ、ぜん評判ひょうばんくつがえしダルチニアンへの挑戦ちょうせんけん獲得かくとく成功せいこうした。

2009ねん9がつ15にち、ダルチニアンがバンタムきゅう挑戦ちょうせん失敗しっぱいしたため、WBAとWBCから指名しめい試合しあい通達つうたつされ、IBF世界せかいスーパーフライきゅう王座おうざ返上へんじょうともなった王座おうざ決定けっていせんカンクンのプラザ・デ・トロスでおこない、スーパーフライきゅう王座おうざ2かん目指めざしていたホルヘ・アルセと対戦たいせん。7かげつまえおとうとフランシスコがやぶれたため、今度こんどあにがリベンジにえていた。おとうと以上いじょう好戦こうせんてきなアルセをコントロールし、3-0(117-111、117-112、116-112)の判定はんていちをおさめ、兄弟きょうだいかえちをし王座おうざ獲得かくとく成功せいこうした。

2010ねん4がつ9にちフランスマシーのセントレ・オムニスポールにてマリク・ボウジアネと対戦たいせんし、12かい0-1(2しゃが114-114、113-115)のけにわりはつ防衛ぼうえい成功せいこうした。あわや逆転ぎゃくてんでボウジアネに逆転ぎゃくてんでの戴冠たいかんゆるすところだった。

2010ねん7がつ31にちナヤリットしゅうテピクのエル・パレンクエ・デ・ラ・フェリアにてファン・アルベルト・ロサス対戦たいせんし、6かいにダウンをうばわれると、最後さいごはレフェリーストップがかかり試合しあい終了しゅうりょう。6かい1ふん0びょうTKOけをきっし、プロはつ黒星くろぼしで2度目どめ防衛ぼうえい失敗しっぱい王座おうざから陥落かんらくした。

2011ねん9月24にちバハ・カリフォルニアしゅうメヒカリのアウディトリオ・デル・エスタドにて、WBO世界せかいスーパーバンタムきゅう王者おうじゃホルヘ・アルセと2ねんりに再戦さいせん。ノンクアイはこの試合しあいが1ねん2かげつりの復帰ふっきせんで、2かいきゅうばしてスーパーバンタムきゅう転向てんこうしていきなりの世界せかいせんだった。一方いっぽうアルセは、前回ぜんかいダウンを挽回ばんかいしてだい逆転ぎゃくてんでメキシコはつの4かいきゅう制覇せいは達成たっせいしており、いきおいがあった。試合しあいはそれまでの減量げんりょううそのようにアルセが全開ぜんかいでスタート。初回しょかい左右さゆうストレートでダウンをうばってアルセが先制せんせい。そのはアルセがばしまくり、前回ぜんかい試合しあいたせてもらえなかった試合しあいとは一変いっぺん、アルセペースになった。その4かい偶然ぐうぜんのバッティングでアルセの右目みぎめうえをカットし、ノンクアイにちをかけるように減点げんてん再開さいかいふたたびピンチにおちいったアルセが反撃はんげきし、ロープにわれたれまくりまもりにまわってまったところに、レフェリーが試合しあいめた。4かい2ふん1びょうTKOけをきっし、2かいきゅう制覇せいは失敗しっぱいと2ねんまえのリベンジをゆるした[1]

2012ねん12月16にち、1ねん3かげつりの復帰ふっきせんイーストロンドンのオリエンタルシアターにてテャボ・ソンジカと対戦たいせんし、3かい1ふん24びょうTKOけをきっし、再起さいき失敗しっぱいしたのを最後さいご現役げんえき引退いんたいした。

獲得かくとくタイトル[編集へんしゅう]

  • WBU世界せかいスーパーフライきゅう王座おうざ
  • IBF世界せかいスーパーフライきゅう王者おうじゃ防衛ぼうえい1)

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ アルセ、エルナンデスも防衛ぼうえい メキシコの世界せかいせん ボクシングニュース「Box-on!」 2011ねん9がつ26にち

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

空位くうい
ぜんタイトル保持ほじしゃ
ビック・ダルチニアン
IBF世界せかいスーパーフライきゅう王者おうじゃ

2009ねん9がつ15にち - 2010ねん7がつ31にち

王者おうじゃ
ファン・アルベルト・ロサス