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ジョージ・ミュラー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョージ・ミュラー
生誕せいたん 1805ねん9月27にち
プロシアクロッペンシュタット
死没しぼつ 1898ねん3がつ10日とおか
イギリスブリストル
職業しょくぎょう 説教せっきょう
配偶はいぐうしゃ メアリー・グローブス、スザンナ・サンガー
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ジョージ・フレデリック・ミュラーGeorge Fredrick Müller (ドイツ: George Friedrich Müller)、1805ねん9月27にち - 1898ねん3がつ10日とおか)はプロシアまれで、イギリスで活躍かつやくした孤児こじいん経営けいえいしゃ宗教しゅうきょう説教せっきょう

概要がいよう[編集へんしゅう]

世俗せぞくたよらずかみのみにたよるという方法ほうほう(フェイス・ミッション)を生涯しょうがいつらぬき、おおくの孤児こじたちを救済きゅうさいした。日本にっぽんにおいては、孤児こじ事業じぎょうのパイオニアとなった石井いしい十次じゅうじ岡山おかやま孤児こじいんのモデルとなり、石井いしい思想しそう決定的けっていてき影響えいきょうあたえた[1]。また来日らいにちもしており、新島にいじまじょう招聘しょうへいされ同志社どうししゃ講演こうえんをするなどして、山室やまむろ軍平ぐんぺいなどに多大ただい影響えいきょうおよぼした[2]英国えいこく教会きょうかいてきには、プリマス・ブレザレンジョン・ダービ(ネルソン・ダービーと表記ひょうきされることがおおい)と意図いとせず神学しんがく論争ろんそうをし、それを契機けいきにブレザレン運動うんどう初期しょき段階だんかいにおいて、ミュラーはオープン・ブレザレンを、ダービはエクスクルーシブ・ブレザレンを、とふたつのながれを形成けいせいするおおきな影響えいきょうあたえた人物じんぶつとしても注目ちゅうもくされている[3]。なお、ブレザレン運動うんどう言説げんせついきおいがした結果けっか患難ぜん携挙せつおおいにひろまったが、ジョージ・ミュラーやかれ友人ゆうじんベンジャミン・ウィルズ・ニュートンらは、患難ぜん携挙せつについて否定ひていてきで、患難携挙せつ注目ちゅうもくしていた[4]。ミュラーは、「背教はいきょうこり、ほろびのあらわれるまで、イエスさまないことを、聖書せいしょははっきりと断言だんげんしている。」とかたっていた[5]

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

  • 1805ねん プロシアクロッペンシュタット誕生たんじょう。ミュラーが子供こどものころは非行ひこう少年しょうねんとしてられており、10さいのころには泥棒どろぼうをするようになっていた。日常にちじょうてきうそをつき、悪友あくゆう相手あいてごとをしたり、さけんだりとあそほうけていた。
  • 1825ねん 友人ゆうじんさそわれてちいさないえ集会しゅうかい訪問ほうもんしたのち回心かいしん入信にゅうしん
  • 1829ねん ロンドン、ユダヤじん宣教せんきょうかいはたらくためにロンドンにく。 
  • 1829ねん 病床びょうしょうす。瀕死ひんし重病じゅうびょうになる。 
  • 1829ねん デボンテイマンス回復かいふくする。このころ、ヘンリー・クラークに出会であう。また、プリマス・ブレザレン運動うんどう初期しょきメンバーたちに出会であう。
  • 1930ねん ロンドン、ユダヤじん宣教せんきょうかいとのかかわりをはなれる。テインマスのエベネゼルチャペルで牧師ぼくし就任しゅうにんする。
  • 1830ねん ヘンリー・クラークとともにブリストルのギデオン・チャペルの牧師ぼくしになる。
  • 1834ねん 聖書せいしょ知識ちしき協会きょうかい設立せつりつ
  • 1836ねん 最初さいしょ孤児こじたちいえをブリストル、ウィルソン・ストリートに設立せつりつ
  • 1848ねん プリマス・ブレザレンが分裂ぶんれつロバート・チャップマンらとともにオープンおこす。
  • 1849ねん ブリストルのアシュリーダウンに孤児こじいん設立せつりつ(アレン・ハウス)
  • 1857ねん アシュリーダウンに番目ばんめ孤児こじいん設立せつりつ(ブルーネル・ハウス)
  • 1862ねん アシュリーダウンにさん番目ばんめ孤児こじいん開設かいせつ(ミュラー・ハウス)
  • 1866ねん ヘンリー・クラークが死去しきょ
  • 1869ねん よん番目ばんめ孤児こじいんをアシュリーダウンに設立せつりつ。(デイビー・ハウス)
  • 1870ねん 最後さいご孤児こじいんを、アシュリーダウンに設立せつりつ。(カボット・ハウス)メアリー夫人ふじん死去しきょ
  • 1871ねん スザンナ・サンガーと結婚けっこん
  • 1878ねん 宣教せんきょう旅行りょこう開始かいし。42カ国かこくを32まんキロたびする。
  • 1878ねん ホワイトハウスラザフォード・ヘイズアメリカ大統領だいとうりょう会見かいけんする。
  • 1892ねん 最後さいご宣教せんきょう旅行りょこうえる。
  • 1894ねん スザンナ夫人ふじん死去しきょ
  • 1897ねん ヴィクトリア女王じょおう即位そくい60周年しゅうねんさい、ベテスダ・チャペルで説教せっきょうする。
  • 1898ねん 92さい死去しきょ

書籍しょせき[編集へんしゅう]

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

伝記でんき[編集へんしゅう]

  • A・T・ピアソン『信仰しんこういたひと』 いのちのことばしゃ
  • A・E・C・ブルックスへん『ジョージ・ミュラーのいのりの秘訣ひけつ』 いのちのことばしゃ ISBN 4264008387 2004ねん
  • 金井かない為一ためいちろう 『信仰しんこう勝利しょうりしゃ-ジョージ・ミュラー』東光とうこうしゃ 1926ねん

研究けんきゅうしょ著書ちょしょ論文ろんぶん[編集へんしゅう]

  • 木原きはらかつしん(1999)「ジョージ・ミュラーが石井いしい十次じゅうじおよぼした影響えいきょう」(pp.1–26) 同志社大学どうししゃだいがく人文じんぶん科学かがく研究所けんきゅうじょへん石井いしい十次じゅうじ研究けんきゅう同朋どうほうしゃ ISBN: 481042555X
  • 木原きはらかつしん(1993)「同志社どうししゃのアイロニー ―山室やまむろ軍平ぐんぺい中途ちゅうと退学たいがく-」『新島にいじま研究けんきゅうだい82ごう,pp.139–162.
  • 木原きはらかつしん(2019)「英国えいこく初期しょきブラザレン運動うんどうとジョージ・ミュラー ―その分裂ぶんれつ挫折ざせつ福祉ふくし実践じっせん思想しそう形成けいせいおよぼした影響えいきょうをめぐって―」 『キリストきょう社会しゃかい問題もんだい研究けんきゅう』 (だい68ごう) 1 - 33 .
  • 木原きはらかつしん(2018)「ジョージ・ミュラーの思想しそう形成けいせいにおけるフランケの敬虔けいけん主義しゅぎ影響えいきょうについて」『評論ひょうろん社会しゃかい科学かがく』 (127) 1 - 17
  • 木原きはらかつしんじ(2023)ジョージ・ミュラーとキリストきょう社会しゃかい福祉ふくし源泉げんせん:「天助てんじょ」の思想しそう日本にっぽんへの影響えいきょうきょうぶんかん  ISBN 978-4-7642-7466-2

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 木原きはらかつしん「ジョージ・ミュラーが石井いしい十次じゅうじおよぼした影響えいきょう」(pp.1-26) 同志社大学どうししゃだいがく人文じんぶん科学かがく研究所けんきゅうじょへん石井いしい十次じゅうじ研究けんきゅう角川書店かどかわしょてん、1999ねん詳細しょうさい記載きさいされている
  2. ^ 木原きはらかつしん(1993)「同志社どうししゃのアイロニー ―山室やまむろ軍平ぐんぺい中途ちゅうと退学たいがく-」『新島にいじま研究けんきゅうだい82ごう,pp.139-162.参照さんしょう
  3. ^ Cord,F.R.(1968).A History of the Bresthren Movement,Regent College Publishing:Vancouber.
  4. ^ Cordner, Michael. "The Rapture of the Church". Online Library. Northwestern Theological Seminary. Retrieved 27 June 2010.
  5. ^ Mueller, Susannah Grace (1883). Preaching tours and missionary labours of George Mueller. p. 148.

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]