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ジーザス&メリーチェイン

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジーザス&メリーチェイン
The Jesus and Mary Chain
2007ねん10がつ23にちロサンゼルスでのライヴ
基本きほん情報じょうほう
出身しゅっしん スコットランドの旗 スコットランド イースト・キルブライド
ジャンル オルタナティヴ・ロック
ポストパンク
シューゲイザー
ノイズポップ
活動かつどう期間きかん 1984ねん - 1999ねん
2007ねん -
レーベル クリエイションブランコ・イ・ネグロ
共同きょうどう作業さぎょうしゃ Freeheat, Lazycame
公式こうしきサイト thejesusandmarychain.uk.com
メンバー ジム・リード Jim Reid
ウィリアム・リード William Reid
ブライアン・ヤング Brian Young
フィル・キング Phil King
マーク・クローツァー Mark Crozer
きゅうメンバー ベン・ルーリー Ben Lurie
(1990 - 1998)
ダグラス・ハート Douglas Hart
(1984 - 1990)
ボビー・ギレスピー Bobby Gillespie
(1984 - 1986)
マレイ・ダーグリッシュ Murray Dalglish
(1984)
ジョン・ムーア John Moore
(1986 - 1988)
リチャード・トーマス Richard Thomas
(1988 - 1990)
スティーブ・モンティ Steve Monti
(1990 - 1995)
ニック・サンダーソン Nick Sanderson
(1993 - 1998)

ジーザス&メリーチェイン (The Jesus and Mary Chain) は、イギリスロックバンド通称つうしょうジザメリまたはJAMC1984ねんにジム(おとうと)とウィリアム(あに)のリード兄弟きょうだい中心ちゅうしんとしてスコットランドにて結成けっせい。1980年代ねんだいなかばから90ねんまつにかけて6まいのアルバムをリリースし、パンク、ノイズ、ポップを融合ゆうごうしたサウンドは、ピクシーズなどの後進こうしんオルタナティヴ・ロックバンドに影響えいきょうあたえた[1]1999ねんから解散かいさん状態じょうたいだったが2007ねん活動かつどう再開さいかいした。

来歴らいれき

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結成けっせいからデビュー

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ジーザス・アンド・メリー・チェインはボーカルのジムとギタリストのウィリアムのリード兄弟きょうだいによって結成けっせいされた。かれらは失業しつぎょう保険ほけん生活せいかつしながらひま時間じかん使つかってきょくきため、1983ねんころからデモ音源おんげんのレコーディングをはじめる。よく1984ねんベーシストのダグラス・ハート、ドラマーのマレイ・ダーグリッシュが加入かにゅうし、バンドの体裁ていさいととのったことでライヴ活動かつどう開始かいし結成けっせい当初とうしょかれらの音楽おんがく影響えいきょうあたえていたのは、ザ・ストゥージズヴェルヴェット・アンダーグラウンド、そしてシャングリラスだった。

1984ねんなかばにアラン・マッギー英語えいごばん主宰しゅさいするクリエイション・レコーズとシングルいちまい契約けいやくむすび、同年どうねん11がつにシングル『アップサイド・ダウン(Upside Down)』でレコードデビュー。直後ちょくごにダーグリッシュが脱退だったいしたため、のちプライマル・スクリームのフロントマンとしてデビューするボビー・ギレスピーがドラマーとして加入かにゅう。リリースからやく3ヶ月かげつの1985ねん2がつに『アップサイド・ダウン』は英国えいこくインディーチャートで1になり、NMEはじめとした英国えいこくちゅうのメディアから注目ちゅうもくあつめる存在そんざいとなる。

かれらの初期しょきのライヴは悪名あくめいたかく、客席きゃくせきけたまま演奏えんそうし、20ふん程度ていどみじか時間じかんげ、観客かんきゃくとの対話たいわ拒絶きょぜつ。しばしば暴動ぼうどうこり、ザ・サンかみは「あたらしいセックス・ピストルズ」としてかれらの存在そんざいほうじた。一方いっぽうで、アラン・マッギーはこういった悪評あくひょうたくみに利用りようし、バンドが有名ゆうめいになるのに一役ひとやくった。

1980年代ねんだい

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1985ねん、バンドはブランコ・イ・ネグロ契約けいやく。2月にシングル『Never Understand』リリース。3月には「The Jesus and Mary Chain Riot」としてられる事件じけんこす。当日とうじつ、ライヴ会場かいじょうとなったノース・ロンドン大学だいがくではキャパシティをえたりょうのチケットがさばかれ、バンドにとってそれまでで最大さいだい規模きぼのライブとなった。前座ぜんざのミート・ウィップラッシュが観客かんきゃくあおり、メリーチェインが予定よていされた時間じかん大幅おおはばぎてもあらわれず、会場かいじょうそとにはなかれないきゃく大量たいりょうにいたため、現場げんば空気くうき殺気立さっきだっていた。開演かいえんから20ふんれいによってバンドがステージからげると、客席きゃくせきから無数むすうかんがステージにれられ、警察けいさつ到着とうちゃくするまで暴動ぼうどう状態じょうたいとなった。この事件じけん影響えいきょう年内ねんないおおくのライヴがキャンセルとなった。5月にはブランコ・イ・ネグロからの2まいのシングル『You Trip Me Up』をリリース。当初とうしょ、Bめんには「Jesus Fuck」が収録しゅうろくされる予定よていだったが、レコード会社かいしゃからストップがかかり、「Just Out of Reach」にえられた。

同年どうねん11がつ、デビュー・アルバム『サイコキャンディ(Psychocandy)』を発表はっぴょう。アルバム冒頭ぼうとうかざる「Just Like Honey」のドラムはザ・ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」から借用しゃくようしたものであった。2003ねんにはローリングストーンえらぶオールタイム・ベストアルバム500で268えらばれている。

アルバムの発表はっぴょうはアメリカや日本にっぽんしゅうるワールド・ツアーをおこなう。1986ねん7がつには『Some Candy Talking EP』をリリース。ケシはなかこまれたリード兄弟きょうだいうつされたジャケットは、楽曲がっきょくのタイトルもあいまってドラッグを連想れんそうさせるものとして波紋はもんんだ。なおこのEPを最後さいごに、ボビー・ギレスピーがプライマル・スクリーム活動かつどう専念せんねんするためにバンドをった。

リード兄弟きょうだいあらたなドラマーのわりにドラムマシン使つかって2ndアルバム『ダークランズ(Darklands)』を制作せいさく1987ねん9月にリリースされたこのアルバムは前作ぜんさくのノイズのうずかげうすめ、よりメロディアスな、60年代ねんだいのポップサウンドに接近せっきんした仕上しあがりになった[2]

1988ねん3がつにはシングル『Sidewalking』をリリース。同年どうねん4がつにはシングルのBめん発表はっぴょうきょく構成こうせいされたレアトラックしゅうキスはわな(Barbed Wire Kisses)』をリリースしている。さらに1989ねん10月には3rdアルバム『オートマティック(Automatic)』をリリース。みを積極せっきょくてき導入どうにゅうしたほか、前作ぜんさくではほとんどられなかったギターノイズも随所ずいしょ使用しようされ、より躍動やくどうかんのある作風さくふうとなった。ほんさくからリカットされたシングル「Head On」はのちピクシーズがカヴァーしている。

1990年代ねんだい

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前作ぜんさく発表はっぴょうからあいだもなく、1990ねん9月には「Rollercoaster EP」をリリース。

1992ねん3がつには「アメリカでにたい」「JFKようにたい」など過激かげき歌詞かしの「Reverence」を先行せんこうシングルに、4thアルバム『ハニーズ・デッド(Honey's Dead)』をリリース。さらマイ・ブラッディ・ヴァレンタインダイナソーJr.ブラーなどを前座ぜんざしたがおおがかりなワールドツアー「Rollercoaster Tour」をおこなった。よく1993ねんには2まいのレアトラックしゅうサウンド・オブ・スピード(The Sound of Speed)』をリリースした。このアルバムは元々もともと1992ねん日本にっぽん限定げんてい発売はつばいされていたが、その発売はつばいされた「Sound Of Speed EP」のきょく収録しゅうろくあらためて本国ほんごくでも発売はつばいされることとなったものである。

1994ねん8がつには、バンドの代名詞だいめいしでもあったノイズを完全かんぜんり、全編ぜんぺんかわいたアコースティック調ちょうきょくめられた5thアルバム『ストーンド・アンド・ディスローンド(Stoned & Dethroned)』をリリースした。フォーク・ロックてき側面そくめんせたほんさくはイギリスだけでなくアメリカのビルボードチャートにも登場とうじょうしている。しかし1995ねん5月にパイロットシングル「I Hate Rock'N'Roll」をリリースしたのち、ブランコ・イ・ネグロが閉鎖へいさされる。

しばらくの沈黙ちんもくのち1998ねん6がつ古巣ふるすクリエイションから『マンキ(Munki)』をリリース[3]するが、リード兄弟きょうだいなかはアルバム制作せいさくちゅうから悪化あっかしており、ほんさくのツアーちゅうにウィリアムがバンドを脱退だったいしてしまう。予定よていされていたのこりのツアーだけはおこなわれたものの、ツアー終了しゅうりょう正式せいしきなアナウンスはないままに兄弟きょうだいそれぞれのソロ活動かつどうはじまり、バンドは解散かいさん状態じょうたいとなった。ソロとしてもクリエイションと契約けいやくをしていたリード兄弟きょうだいだったが、1999ねんクリエイションはアラン・マッギーの離脱りだつともな解散かいさんした。

解散かいさん

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解散かいさんあにウィリアムはLazycameとして2まいのアルバムをリリース。アルバムのスリーブでみずからのたるみきった裸体らたいさら発禁はっきん対象たいしょうとなった。おとうとジムは後期こうき主要しゅようメンバー、ベン・ルーリー、ニック・サンダーソンとうともフリーヒートFreeheat)を結成けっせいしアルバムをいちまいリリースしている。また兄弟きょうだいいもうとリンダのプロジェクト、シスター・ヴァニラSister Vanilla)では兄弟きょうだいとベンで全曲ぜんきょく提供ていきょうしている。2002ねんにリリースされたプライマル・スクリームのアルバム『イーヴル・ヒート』にはジムがリードヴォーカルをり、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのケヴィン・シールズがプロデュースした「Detroit」が収録しゅうろくされた。

さい結成けっせい

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2007ねんさい結成けっせいし、コーチェラ・フェスティバルでのライヴでおおやけ活動かつどう再開さいかい2008ねんにはサマーソニック出演しゅつえんのために来日らいにちした。2017ねん、19ねんぶりとなる7thアルバム『ダメージ・アンド・ジョイ (Damage and Joy) 』をリリース。

ディスコグラフィ

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アルバム

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記念きねんすべき1stアルバム。アルバム全体ぜんたい耳障みみざわりなノイズでおおわれる作風さくふうはそのシューゲイザーオルタナティブ・ロックおおきな影響えいきょうあたえた。
オリジナルでのリリースは14きょくだが、1986ねん再発さいはつされたCDでは8きょくに"Some Candy Talking"が収録しゅうろくされている。
"Never Understand"、"You Trip Me Up"、"Just Like Honey"がシングルカットされた。
2ndアルバム。前作ぜんさくから一転いってんし、ノイズをおさえメロディアスなめん全面ぜんめんした。前作ぜんさくくらべると地味じみひょうされることもあるが、UKアルバムチャートではキャリア最高さいこうの5にランクインしている。
"April Skies"、"Happy When It Rains"、"Darklands"がシングルカットされた。
3rdアルバム。ふたた作風さくふうわり、より派手はででダイナミックなサウンドプロダクションとなった。オリジナルリリースは10きょくまでで、CDさいし2きょく追加ついかされている。
"Blues From A Gun"、"Head On"がシングルカットされた。
ファンのあいだでは1stと人気にんき二分にぶんする4thアルバム。基本きほんてきには前作ぜんさく踏襲とうしゅうした作風さくふうだが、ぜんキャリアを包括ほうかつする集大成しゅうたいせいてき作品さくひんともいえる。どう時期じきにイギリスでマッドチェスター・ムーブメントがあったためか、ダンサブルなリズムをれたきょくもある。
先行せんこうシングルの"Rollercosater"はとく表記ひょうきされていないがさいろくされており、シングルとはことなる音源おんげんとなっている。
"Reverence"、"Far Gone And Out"、"Almost Gold"がシングルカットされた。
全編ぜんぺんアコースティックで統一とういつされた5thアルバム。先行せんこうシングルの"Sometime Always"にはマジー・スターのヴォーカルで当時とうじウィリアムと恋仲こいなかであったホープ・サンドヴァルがデュエットで参加さんかしており、PVにも出演しゅつえんしている。また、アルバム収録しゅうろくきょくの"God Help Me"ではザ・ポーグスのシェイン・マガウアンがヴォーカルをとっている。
"Sometime Always"、"Come On"がシングルカットされた。
6thアルバム。ブランコ・イ・ネグロの閉鎖へいさによりふたたびクリエイション・レコードからリリースされた。いまさくともなうツアーちゅうにウィリアムがツアーを離脱りだつしたため、ジムだけでのこりのツアーは続行ぞっこうしたものの、ツアー終了しゅうりょうバンドは解散かいさんとなった。
前作ぜんさく同様どうよう、マジー・スターのホープ・サンドヴァルがアルバム収録しゅうろくきょく「Perfume」でボーカルとして参加さんかしている。
"Cracking Up"、"I Love Rock 'n' Roll"がシングルカットされた。
  • ダメージ・アンド・ジョイ / Damage and Joy (2017ねん)
19ねんぶりとなる7thアルバム。自身じしんのレーベル「Artificial Plastic Records」(流通りゅうつうワーナー・ミュージック・グループ系列けいれつオルタナティヴ・ディストリビューション・アライアンス英語えいごばん)よりリリース。キリング・ジョークのユースがベーシストとプロデューサーを担当たんとうしたほか、イゾベル・キャンベル、スカイ・フェレイラらが参加さんかしている。
  • Glasgow Eyes (2024ねん)

編集へんしゅうばん

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  • キスはわな / Barbed Wire Kisses (1988ねん)
  • サウンド・オブ・スピード / The Sound of Speed (1993ねん)
  • ヘイト・ロックンロール / Hate Rock 'N' Roll (1995ねん)
  • コンプリート・ジョン・ピール・セッション / The Complete John Peel Sessions (2000ねん)
  • 21シングルズ / 21 Singles (2002ねん)
  • ライブ・イン・コンサート / BBC Live in Concert (2003ねん)
  • The Power of Negative Thinking (2008ねん)
  • ファイヴ・オリジナル・アルバムズ <完全かんぜん生産せいさん限定げんていばん> (2010ねん)

使用しようされた楽曲がっきょく

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  • ロスト・イン・トランスレーション』 - げきちゅう「Just Like Honey」を使用しよう。サントラにも収録しゅうろくされている。
  • こいしくて』-  げきちゅう「The Hardest Walk」が使用しようされている。
  • インディけい映画えいが監督かんとくグレッグ・アラキはバンドのだいファンで、かれがメガホンをとった『The Living End』はメリー・チェインの同名どうめいきょくからつけられた。さらに『Totally Fucked Up』では「Head On」を、『The Doom Generation』では「Sometimes Always」と「Penetration」を、『Nowhere』では「In the Black」を使用しようしている。
  • クロウ/飛翔ひしょう伝説でんせつ』 - げきちゅう「Snakedriver」を使用しよう。サントラにも収録しゅうろくされている。
  • 2000年代ねんだいシボレーのCMソングとして「Happy When It Rains」が使つかわれた。
  • 2005ねんえいビールメイカーのキャンペーンソングとして「Heat」がテレビからながれた。

トリビア

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ジーザス&メリー・チェイン、さい結成けっせい barks 2007ねん1がつ25にち
  2. ^ ジーザス&メリー・チェイン / ダークランズ CDJournal.com
  3. ^ アメリカではサブ・ポップからリリースされた。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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