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ジーン・ヴィンセント

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Gene Vincent (1957)
ジーン・ヴィンセント
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい ヴィンセント・ユージン・クラドック
Vincent Eugene Craddock
生誕せいたん 1935ねん2がつ11にち
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
バージニアしゅうノーフォーク
死没しぼつ (1971-10-12) 1971ねん10月12にち(36さいぼつ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
カリフォルニアしゅうロサンゼルス
ジャンル ロックンロール
ロカビリー
職業しょくぎょう 歌手かしゅ
ミュージシャン
担当たんとう楽器がっき ボーカル
ギター

ジーン・ヴィンセント (Gene Vincent1935ねん2がつ11にち - 1971ねん10月12にち)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくの1950年代ねんだいロカビリーミュージックのミュージシャンシンガーであり ジーン・ヴィンセント & ヒズ・ブルー・キャップス のヴォーカリストである。1956ねんに「ビー・バップ・ア・ルーラ」をヒットさせたことでられる。そしてブルー・キャップスのギタリストクリフ・ギャラップのギター奏法そうほうのギャロッピングはいまもなおそののこしている。またビートルズひとしロックンロールシーンにおいて彼等かれらあたえた影響えいきょうおおきい。

ジーン・ヴィンセント & ヒズ・ブルー・キャップス

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オリジナル・メンバー( - 1956)
  • ジーン・ヴィンセント (Gene Vincent) (Vo,Gu)
  • クリフ・ギャラップ (Cliff Gallup) (Gu)
ローリング・ストーンえら歴史れきしじょうもっと偉大いだいな100にんのギタリスト」において2003ねんだい79、2011ねん改訂かいていばんでは削除さくじょされた。
  • ウィリー・ウイリアムス (Willie Williams) (Gu)
  • ジャック・ニール (Jack Neal) (Ba)
  • ディッキー・ハレル (Dickie Harrell) (Dr)

略歴りゃくれき

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1935ねん2がつ11にちアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくバージニアしゅうノーフォークまれ[1]本名ほんみょうヴィンセント・ユージン・クラドック(Vincent Eugene Craddock)。生家せいかはとてもまずしく、大変たいへん苦労くろうしてそだった。1947ねん教会きょうかい賛美さんび音楽おんがく(うた)に興味きょうみつ。1950ねん、サウス・ノーフォーク・ハイスクールへ進学しんがく。そのころからカントリーブルース興味きょうみはじめる。1952ねん中退ちゅうたいアメリカ海兵かいへいたいへ。1955ねん7がつ入隊にゅうたいちゅうにオートバイ事故じここし左足ひだりあしだい怪我けがうが、本人ほんにん左足ひだりあし切断せつだん拒否きょひ[2]生涯しょうがいにわたりあし障害しょうがいこととなる[1]除隊じょたいノーフォークのローカルラジオきょく契約けいやく

1956ねんノースカロライナしゅうのラジオきょく、WCMS(げんWCMS-FM)のディスクジョッキー、ビル・(シェリフ・テックス)・デイビスにさそわれカントリー・ショウに出演しゅつえん。これが評価ひょうかける。これをにビルがマネージャーになり、地元じもとのミュージシャンをあつめバックバンドのブルー・キャップス(Blue Caps)を結成けっせいカリフォルニアしゅうロサンゼルスキャピトル・レコードへデモ・テープをおくるが審査しんさ難航なんこう。キャピトル幹部かんぶ反対はんたい多数たすうなか、ジーンのヴォーカルに陶酔とうすいしたいち幹部かんぶのケン・ネルソンの強引ごういんいちしで契約けいやくすることとなる。

同年どうねん、デビュー・シングル"Woman Love"を発表はっぴょうするが、当初とうしょはBめんきょくだった"Be-Bop-A-Lula"がヒットして[3]全米ぜんべいポップ・チャートで7記録きろくした[4]映画えいがおんなはそれを我慢がまんできない』、"Hot Rod Gang"に出演しゅつえん。シングル"Race With The Davil"(96[4])、"Bluejean Bop"(34[4])、 1957ねん、"Lotta Lovin'"/"Wear My Ring"(13[4])、"Dance To The Bop"(23[4])と発表はっぴょうするが、ロックンロールにはじめていたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくではそのヒットしなかった。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでの活動かつどう見切みきりをつけたジーンは、エディ・コクランバディ・ホリーひとし同様どうよう拠点きょてんヨーロッパうつ各国かっこくまわりかなり成果せいかた。なかでもイギリスではロックンロールが全盛期ぜんせいきとく人気にんきがあり、当時とうじ若年じゃくねんだったジョン・レノンポール・マッカートニーひとし度々たびたびショウをかんっていた。ジョンとポールは後年こうねん、それぞれのソロ・アルバム(『ロックン・ロール』、『公式こうしき海賊かいぞくばん』)でジーンの"Be Bop A-Lula"をカバーしている。1960ねん4がつ16にち、イギリスツアーちゅうだったコクランらとともったタクシーが街路がいろじゅ衝突しょうとつし、ヴィンセントらはたすかったものの、コクランは重傷じゅうしょう翌日よくじつ死亡しぼうした。

そのわかころにその影響えいきょうけたビートルズローリング・ストーンズひとしあたらしい時代じだいのロックンロールが席巻せっけんするとともにいわゆるロカビリーとわれるふるいスタイルのロックンロールはかげひそめていった。

1971ねん10月12にち、キャピトルのあるロサンゼルスのインターバリー・コミュニティー・ホスピタルで、胃潰瘍いかいようのためいき引取ひきとる。享年きょうねん36さい。ロサンゼルスのEternal Valley Memorial Park に埋葬まいそうされた。

1998ねんロックの殿堂でんどうはい[5]

ディスコグラフィ

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キャピトル正規せいきアルバム

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  • BLUE JEAN BOP! (1956)
  • Gene Vincent and the Blue Caps (1957)
  • GENE VINCENT ROCKS! AND THE BLUE CAPS ROLL (1958)
  • a gene vincent record date (1959)
  • SOUNDS LIKE GENE VINCENT (1959)
  • TWIST CRAZY TIMES! GENE VINCENT (1960)
  • the crazy beat of GENE VINCENT (1961)

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b Gene Vincent | Biography | AllMusic - Artist Biography by Richie Unterberger
  2. ^ Gene Vincent Biography | The Rock and Roll Hall of Fame and Museum - 2014ねん3がつ10日とおか閲覧えつらん
  3. ^ Be-Bop-a-Lula by Gene Vincent Songfacts - 2014ねん3がつ10日とおか閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e Gene Vincent | Awards | AllMusic
  5. ^ Gene Vincent: inducted in 1998 | The Rock and Roll Hall of Fame and Museum - 2014ねん3がつ10日とおか閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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