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『ステュクス川 がわ を渡 わた るカロンのいる風景 ふうけい 』 スペイン語 ご : El paso de la laguna Estigia 英語 えいご : Landscape with Charon Crossing the Styx 作者 さくしゃ ヨアヒム・パティニール 製作 せいさく 年 ねん 1520–1524年 ねん ごろ 種類 しゅるい 板 いた 上 じょう に油彩 ゆさい 寸法 すんぽう 64 cm × 103 cm (25 in × 41 in) 所蔵 しょぞう プラド美術館 びじゅつかん 、マドリード
『ステュクス川 がわ を渡 わた るカロンのいる風景 ふうけい 』(ステュクスがわをわたるカロンのいるふうけい、西 にし : El paso de la laguna Estigia 、英 えい : Landscape with Charon Crossing the Styx )は、初期 しょき フランドル派 は の画家 がか ヨアヒム・パティニール が1520–1524年 ねん ごろ、板 いた 上 じょう に油彩 ゆさい で制作 せいさく した絵画 かいが で、個人 こじん の美術 びじゅつ 愛好 あいこう 家 か の私室 ししつ のための作品 さくひん (キャビネット絵画 かいが ) である[1] 。本 ほん 作 さく の名 な が文献 ぶんけん に最初 さいしょ に現 あらわ れるのは1636年 ねん のことで、スペイン 王 おう フェリペ2世 せい が購入 こうにゅう した可能 かのう 性 せい があるとされている[1] [2] 。現在 げんざい 、マドリード のプラド美術館 びじゅつかん に所蔵 しょぞう されている[1] [2] 。
本 ほん 作 さく は、一般 いっぱん 的 てき な北方 ほっぽう ルネサンス 絵画 かいが と初期 しょき マニエリスム 絵画 かいが の傾向 けいこう と合致 がっち している。16世紀 せいき には、ドイツ とネーデルラント で新 あたら しい絵画 かいが の時代 じだい が幕 まく を開 あ けたが、それは地元 じもと の伝統 でんとう と外国 がいこく の影響 えいきょう を組 く み合 あ わせたものであった。パティニールを含 ふく む多 おお くの画家 がか はイタリア へ旅行 りょこう し、その旅行 りょこう により新 あたら しい概念 がいねん 、特 とく に自然 しぜん に関 かん する表現 ひょうげん がもたらされれた。それゆえ、パティニールの宗教 しゅうきょう 的 てき 主題 しゅだい は、正確 せいかく な観察 かんさつ と自然 しぜん 主義 しゅぎ をヒエロニムス・ボス の北方 ほっぽう 的 てき 伝統 でんとう に触発 しょくはつ された空想 くうそう 的 てき 風景 ふうけい と組 く み合 あ わせている[3] 。なお、パティニールは風景 ふうけい 画 が を手掛 てが けた最初 さいしょ の画家 がか として認識 にんしき されている[2] 。
作品 さくひん は、キリスト教 きりすときょう の「最後 さいご の審判 しんぱん 」と『アルス・モリエンディ (英語 えいご 版 ばん ) 』 (15世紀 せいき の西欧 せいおう に流行 りゅうこう した死 し に方 かた の手引 てびき 書 しょ ) の伝統 でんとう の枠組 わくぐ みの中 なか に、ウェルギリウス の叙事詩 じょじし 『アエネーイス 』 (第 だい 6巻 かん 、369行 ぎょう ) とダンテ の『神 かみ 曲 きょく 』の「地獄 じごく 編 へん 」 (カント3、78行 ぎょう ) に語 かた られている古典 こてん 的 てき 主題 しゅだい を描 えが いている。画面 がめん は中央 ちゅうおう に流 なが れるステュクス川 がわ と左右 さゆう の岸 きし に三 さん 分割 ぶんかつ され、パティニールの作品 さくひん の中 なか でも独特 どくとく なものとなっている[1] 。
ステュクス川 がわ は、地獄 じごく の最 もっと も深 ふか いところを流 なが れる4つの川 かわ の1つである。舟 ふね に乗 の っている大 おお きな人物 じんぶつ はカロン で、死者 ししゃ の魂 たましい を右側 みぎがわ にある冥界 めいかい の神 かみ ハデス の門 もん に送 おく ろうとしている。舟 ふね の乗客 じょうきゃく はあまりに小 ちい さく、顔 かお の表情 ひょうじょう はわからないが、人間 にんげん の魂 たましい である。魂 たましい は左側 ひだりがわ の天国 てんごく へ行 い くか、右側 みぎがわ の地獄 じごく へ行 い くかの岐路 きろ に立 た たされている[2] 。
左側 ひだりがわ には湿地 しっち 帯 たい が拡 ひろ がり、命 いのち の泉 いずみ のあるエデンの園 えん を天使 てんし が示 しめ し、天国 てんごく へ行 い くことを許 ゆる されたものが散歩 さんぽ している。命 いのち の泉 いずみ からは、天国 てんごく を流 なが れるレーテー川 がわ が流 なが れている。また、ここに描 えが かれたクジャク と鹿 しか は「復活 ふっかつ 」と「贖罪 しょくざい 」を象徴 しょうちょう している。奇想 きそう の建築 けんちく 物 ぶつ はボスの『快楽 かいらく の園 えん 』 (プラド美術館 びじゅつかん ) を想起 そうき させる[1] 。
画面 がめん の右側 みぎがわ には、パティニールの地獄 じごく 像 ぞう があり、大方 おおがた ボスの影響 えいきょう を拠 よ り所 どころ としている。パティニールの描写 びょうしゃ は、古代 こだい ギリシャ の作家 さっか パウサニアス (Pausanias) に従 したが っており、絵画 かいが に描 えが かれているハデスの門 もん の1つはペロポネソス半島 はんとう の南端 なんたん のマタパン岬 みさき に今 いま も見 み ることのできる入 い り江 え に位置 いち していた。右側 みぎがわ にある地獄 じごく の手前 てまえ には多 おお くの果実 かじつ が実 み を結 むす び、鳥 とり たちが飛 と び交 か い、むしろ天国 てんごく よりも豊 ゆた かに見 み えるが、これが欺瞞 ぎまん であることは悪魔 あくま のシンボルである猿 さる によって象徴 しょうちょう されている。奥 おく にある塔 とう の下 した にある門 もん の前 まえ には3つの頭 あたま を持 も つ地獄 じごく の番犬 ばんけん ケルベロス がおり、門 もん の入 い り口 くち を守 まも り、入 にゅう ろうとする魂 たましい を脅 おど している。舟 ふね の上 うえ の魂 たましい は地獄 じごく の方 ほう を見 み て、究極 きゅうきょく 的 てき な運命 うんめい を選択 せんたく しており、天国 てんごく の川岸 かわぎし にいて、より入 はい るのが困難 こんなん な天国 てんごく への道 みち へと魂 たましい を招 まね く天使 てんし を無視 むし している[2] [3] [4] 。
本 ほん 作 さく に激動 げきどう の時代 じだい の悲観 ひかん 主義 しゅぎ が反映 はんえい されているのは間違 まちが いない。作品 さくひん が描 えが かれた当時 とうじ の1517年 ねん にはマルティン・ルター の「95か条 じょう の論題 ろんだい 」がヴィッテンベルク で出 だ されており、プロテスタント の宗教 しゅうきょう 改革 かいかく が勢 いきお いを得 え ていた。パティニールはこの作品 さくひん をメメント・モリ としており、鑑賞 かんしょう 者 しゃ すべてに死 し の瞬間 しゅんかん に備 そな えなけらばならないと思 おも い起 お こさせているのである[1] 。
本 ほん 作 さく は世界 せかい 図絵 ずえ の構図 こうず を用 もち い、彼 かれ の作品 さくひん に典型 てんけい 的 てき な3色 しょく 構成 こうせい をとっている。3色 しょく 構成 こうせい とは、前景 ぜんけい の茶色 ちゃいろ から青 あお 緑 みどり 、そして背景 はいけい の薄 うす い青 あお へと色 いろ を変化 へんか させていくものである。パティニールが一般 いっぱん 化 か させたことで認 みと められているこの形式 けいしき は、広大 こうだい な風景 ふうけい の鳥瞰図 ちょうかんず を提供 ていきょう するものである。さらに、絵画 かいが は色彩 しきさい を用 もち いて、天国 てんごく と地獄 じごく 、善 ぜん と悪 あく を目 め に見 み えるようにしている。左側 ひだりがわ には天上 てんじょう 的 てき な場所 ばしょ があり、そこには明 あか るい青空 あおぞら 、輝 かがや く泉 いずみ のある透明 とうめい な青色 あおいろ の川 かわ があり、草 くさ に覆 おお われた丘 おか にアクセントを与 あた える天使 てんし がいる。絵画 かいが の右側 みぎがわ には、地獄 じごく と絞首刑 こうしゅけい に処 しょ せられた人物 じんぶつ を覆 おお う暗 くら い空 そら がある。丘 おか の上 うえ では火 ひ が燃 も え盛 さか っている[2] 。前景 ぜんけい は、天国 てんごく の茶色 ちゃいろ の岩 いわ 々と地獄 じごく の茶色 ちゃいろ の焼 や けた木々 きぎ により成 な り立 た っている。
中 ちゅう 景 けい には、川 かわ と明 あか るい青 あお と緑 みどり の色調 しきちょう の草地 くさち がある。暗 くら い青色 あおいろ の川 かわ の水平 すいへい 線 せん により切 き り取 と られている背景 はいけい は、白 しろ と灰色 はいいろ の雲 くも のある暗 くら い青色 あおいろ の空 そら となっている。この構図 こうず 的 てき 手法 しゅほう により、丘 おか に枠 わく どられ、事物 じぶつ が多 おお く描 えが かれている左右 さゆう 両側 りょうがわ から中 ちゅう 景 けい の開 ひら かれた空間 くうかん へと鑑賞 かんしょう 者 しゃ の目 め は誘 さそ われ、絵画 かいが の焦点 しょうてん となっている舟 ふね の中 なか の人物 じんぶつ が強調 きょうちょう されることになるのである[3] [4] 。
^ a b c d e f “Charon crossing the Styx ”. プラド美術館 びじゅつかん 公式 こうしき サイト (英語 えいご ). 2023年 ねん 5月 がつ 26日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b c d e f プラド美術館 びじゅつかん ガイドブック、2009年 ねん 刊行 かんこう 、326-327頁 ぺーじ 。
^ a b c Robert A. Koch, Joachim Patinir , Princeton, Princeton University Press, 1968 (ISBN 978-0-691-03826-1 )
^ a b Alejandro Vergara (ed.), Patinir , studies and critical catalogue, Madrid, Museo National del Prado, 2007, pp 150-163 (Spanish) (ISBN 978-84-8480-119-1 )