「ダンディ 」のその他 た の用法 ようほう については「ダンディー 」をご覧 らん ください。
「ダンディズム 」はこの項目 こうもく へ転送 てんそう されています。
宝塚歌劇団 たからづかかげきだん の作品 さくひん については「ダンディズム! 」をご覧 らん ください。
DOPING PANDAのアルバムについては「DANDYISM 」をご覧 らん ください。
1830年代 ねんだい のパリ における洒落 しゃれ たダンディ。左 さ はフロックコート を、右 みぎ はモーニング を着 き ている。このような体形 たいけい を求 もと めてきついコルセット も用 もち いられた
ダンディ (英 えい : dandy )は、身 み なり・巧 たく みな言葉 ことば づかい・余裕 よゆう ある趣味 しゅみ といったものを特 とく に重視 じゅうし しながら、あくまで無頓着 むとんじゃく を装 よそお ってそれらを追求 ついきゅう し、自 みずか らに陶酔 とうすい する男 おとこ や女 おんな の精神 せいしん を指 さ す[ 1] 。ダンディは、とりわけ18世紀 せいき 後半 こうはん から19世紀 せいき 前半 ぜんはん にかけての英国 えいこく で自発 じはつ 的 てき に生 しょう じ、中産 ちゅうさん 階級 かいきゅう の出自 しゅつじ にかかわらず貴族 きぞく のライフスタイルを模倣 もほう しようと励 はげ んだ。
ダンディに先行 せんこう するものとしてプティ・メートルやミュスカダン (英語 えいご 版 ばん ) が現 あらわ れていたことは記録 きろく 上 じょう はっきりしているものの[ 2] 、現在 げんざい の意味 いみ でのダンディズムが最初 さいしょ に現 あらわ れたのはフランス革命 かくめい 期 き にあたる1790年代 ねんだい のロンドン およびパリ である。ダンディは「慎 つつし み」について自問 じもん ・批評 ひひょう を繰 く り返 かえ し洗練 せんれん させていったが、行 い き着 つ いた先 さき は「シニシズム(en )」こそが「知的 ちてき ダンディズム」であるとする作家 さっか ジョージ・メレディス の定義 ていぎ であった(なおメレディス自身 じしん はダンディではない)。もっとも、この時代 じだい を扱 あつか った『紅 べに はこべ 』のスカーレット・ピンパーネルは、文学 ぶんがく 史上 しじょう でもかなりのダンディではある。先 さき のものよりは手厳 てきび しくない定義 ていぎ として、トーマス・カーライル はダンディを単 たん なる「着道楽 きどうらく 」としている。オノレ・ド・バルザック は人間 にんげん 喜劇 きげき の1作 さく 『金色 きんいろ の眼 め の娘 むすめ 』(1835年 ねん )に、完全 かんぜん な俗人 ぞくじん にして非情 ひじょう の人 ひと アンリ・ド・マルセーを登場 とうじょう させており、このマルセーははじめ完璧 かんぺき なダンディの要件 ようけん を満 み たしていたが、憑りつかれたような恋愛 れんあい の過程 かてい で激 はげ しく凶悪 きょうあく な嫉妬 しっと が姿 すがた を現 あらわ していった。
シャルル・ボードレール は、ダンディズム後期 こうき の「形而上学 けいじじょうがく 的 てき 」段階 だんかい [ 2] にあってダンディを以下 いか のように定義 ていぎ している。すなわち、ダンディとは美学 びがく を宗教 しゅうきょう にまで高 たか め、それに則 のっと って生 い きる者 もの のことであり[ 3] 、その宗教 しゅうきょう というのは、ただダンディが存在 そんざい するだけで責任 せきにん ある中産 ちゅうさん 階級 かいきゅう の市民 しみん への非難 ひなん となる、というものである。「ある面 めん で、ダンディズムは精神 せいしん 主義 しゅぎ およびストイシズム に近 ちか づいてい」き、「[充分 じゅうぶん な資産 しさん を持 も ち労働 ろうどう を免 まぬか れた]こうした存在 そんざい は[ 注 ちゅう 1] 、自 みずか らにとっての美 び の観念 かんねん の洗練 せんれん 、趣味 しゅみ の上 うえ での追求 ついきゅう 、感性 かんせい と思索 しさく とに生 い きている状態 じょうたい に他 た ならない。(中略 ちゅうりゃく )ダンディズムはロマン主義 しゅぎ の1形態 けいたい である。考 かんが えの足 た りない世上 せじょう の連中 れんちゅう が信 しん じているらしいこととは裏腹 うらはら に、ダンディズムは着 き る物 もの に大 おお はしゃぎをしてみせたり道具立 どうぐだ てが逸品 いっぴん であったりすることですらない。こうしたことは、完全 かんぜん なダンディにとっては精神 せいしん における貴族 きぞく 的 てき 優越 ゆうえつ の象徴 しょうちょう 以上 いじょう のものではない。」
「何 なに を着 き るか」ということと政治 せいじ 的 てき 抗議 こうぎ との結 むす びつきは、イングランドでは18世紀 せいき に至 いた ってことに顕著 けんちょ となっており[ 4] 、このことを含 ふく み置 お くと、ダンディズムとはそれまでの貴族 きぞく に代 か わって市民 しみん が社会 しゃかい を担 にな う平等 びょうどう 主義 しゅぎ の時代 じだい の勃興 ぼっこう に対 たい する、貴族 きぞく 階級 かいきゅう によるスタイルを通 つう じた政治 せいじ 的 てき 異議 いぎ 申 もう し立 た てとみなすこともできる。ダンディズムはしばしば封建 ほうけん 社会 しゃかい や前 ぜん 工業 こうぎょう 社会 しゃかい の諸 しょ 価値 かち 、たとえば「完璧 かんぺき なジェントルマン」や「自律 じりつ せる貴族 きぞく 」といったものへの郷愁 きょうしゅう に執着 しゅうちゃく したが、矛盾 むじゅん したことに、ダンディは観衆 かんしゅう を必要 ひつよう とするものであった。オスカー・ワイルド とバイロン卿 きょう の「マーケティング的 てき に成功 せいこう した人生 じんせい 」を調査 ちょうさ した Susann Schmid は、両者 りょうしゃ のうちに作家 さっか でありゴシップおよびスキャンダルの発生 はっせい 源 げん ・供給 きょうきゅう 源 げん であるという、ダンディというものの公共 こうきょう 空間 くうかん における役割 やくわり をみてとっている[ 5] 。英国 えいこく の作家 さっか Nigel Rodgers (en )は、天才 てんさい 的 てき なダンディであるというワイルドの地位 ちい に疑義 ぎぎ を呈 てい し、ワイルドは便宜 べんぎ としてダンディ風 ふう な構 かま えをとっただけに過 す ぎず、求道 きゅうどう 者 しゃ に苛烈 かれつ な要求 ようきゅう を課 か すダンディズムの理念 りねん に身 み を奉 たてまつ げたのではないとみている。
「Dandy」という語 かたり の起源 きげん はよくわかっていない。1770年代 ねんだい には、それまで服装 ふくそう や見 み た目 め が極端 きょくたん であることを指 さ す言葉 ことば だった「eccentricity」が、人々 ひとびと の奇矯 ききょう な振 ふ る舞 ま い全般 ぜんぱん に用 もち いられはじめ[ 6] 、それと並行 へいこう して「dandy」という言葉 ことば も18世紀 せいき 後半 こうはん にはじめて現 あらわ れている。アメリカ独立 どくりつ 戦争 せんそう 直前 ちょくぜん にあたる時期 じき には、植民 しょくみん 地 ち アメリカ市民 しみん の貧乏 びんぼう をい立 いた てぞんざいな作法 さほう をわらう「ヤンキードゥードゥル 」が歌 うた われたが、その1番 ばん の歌詞 かし から読 よ み取 と れるのは、周囲 しゅうい にまさってダンディたらんとする者 もの は優 すぐ れた馬 うま と金 かね の組 く み紐 ひも で飾 かざ った服 ふく を要 よう する(そのような者 もの は「イタリアかぶれの伊達 だて 男 だん 」という意味 いみ で皮肉 ひにく をこめて「マカロニ 」と呼 よ ばれた)にもかかわらず、平均 へいきん 的 てき 植民 しょくみん 地 ち アメリカ市民 しみん の経済 けいざい 力 りょく があまりにも低 ひく かったため、1頭 とう のポニーと身 み を飾 かざ る2、3枚 まい の羽根 はね 飾 かざ りさえあれば仲間 なかま 内 ない で群 ぐん を抜 ぬ いたダンディとみなされ、そうしたダンディは米人 べいじん よりさらに野暮 やぼ ったい旧 きゅう 大陸 たいりく 側 がわ の同胞 どうほう (英国 えいこく 兵 へい )との比較 ひかく においてもダンディであり、英国 えいこく 兵 へい 自身 じしん も米国 べいこく のそうした伊達者 だてしゃ が周囲 しゅうい から殊 こと 絶 たや しているとみなすことさえあった、ということである[ 7] 。少 すこ しのちの1780年 ねん 頃 ごろ 、スコットランド のバラッド にも「dandy」という単語 たんご が現 あらわ れるが[ 8] 、ここでの「dandy」にはこの項目 こうもく で扱 あつか っているような含 ふく みはまずないようである。「Dandy」のもともとの形 かたち はおそらく「jack-a-dandy」というものであったらしい[ 9] 。「Dandy」はナポレオン戦争 せんそう 期 き には流行 りゅうこう 語 ご となった。当時 とうじ の用法 ようほう としては、「dandy」と「fop」は異 こと なるものとされており、「dandy」の装 よそお いの方 ほう が上品 じょうひん で落 お ち着 つ いているとみなされていた。
21世紀 せいき 現在 げんざい の英語 えいご では、「dandy」という語 かたり は、「fine」ないし「great」の意味 いみ をおどけて、またしばしば皮肉 ひにく を込 こ めて表 あらわ す形容詞 けいようし である。また名詞 めいし としては身 み なりの整 ととの った男 おとこ を指 さ すが、それに加 くわ えて自分 じぶん のファッションを絶対 ぜったい 視 し している場合 ばあい に「dandy」と呼 よ ぶことが多 おお い。
ボー・ブランメルと英国 えいこく における初期 しょき ダンディズム[ 編集 へんしゅう ]
ボー・ブランメル (1805年 ねん )
英国 えいこく 社会 しゃかい におけるダンディの模範 もはん となったのは、「ボー・ブランメル」ことジョージ・ブライアン・ブランメル (1778年 ねん - 1840年 ねん )である。ブランメルは少時 しょうじ にはオックスフォ おっくすふぉ ード大学 どだいがく オリオル・カレッジ の学生 がくせい であり、のちには摂政 せっしょう 王 おう 太子 たいし (即位 そくい 後 ご ジョージ4世 せい )の取 と り巻 ま きでもあったが、貴族 きぞく の出 だし ではない。実際 じっさい のところ、ブランメルのすごさは「全 まった く何 なに にも基 もと づいていない」というのはフランスの作家 さっか バルベー・ドールヴィイ が1845年 ねん に喝破 かっぱ するところである[ 10] 。白粉 おしろい をはたくことも香水 こうすい をつけることもなかったが、常 つね に入浴 にゅうよく と髭 ひげ 剃 す りを欠 か かさず、装 よそお いは紺青 こんじょう の無地 むじ のコートであったブランメルは[ 11] 、髪 かみ にはきちんとブラシを当 あ て、身 み に着 つ ける物 もの のサイズはぴったりで、コートから覗 のぞ くリネン は糊 のり がきいてパリッとし、もちろんすべてはきれいに洗濯 せんたく されてあって、仕上 しあ げは丹念 たんねん に結 むす んだクラヴァット (英語 えいご 版 ばん ) (ネクタイの前身 ぜんしん )であった。1790年代 ねんだい 半 なか ば以降 いこう のブランメルは「有名人 ゆうめいじん 」のはしりとなっていた。有名人 ゆうめいじん とは有名 ゆうめい だから有名 ゆうめい であるという人 ひと のことだが、ブランメルの場合 ばあい は口数 くちかず は少 すく ないが機知 きち に富 と んだ伊達 だて 物 ぶつ として有名 ゆうめい なのであった[要 よう 出典 しゅってん ] 。
ナポレオン戦争 せんそう 期 き の首相 しゅしょう であった小 しょう ピット は、1795年 ねん に対 たい 仏 ふつ 戦争 せんそう の戦費 せんぴ 捻出 ねんしゅつ と小麦粉 こむぎこ の使用 しよう 制限 せいげん を目的 もくてき として頭髪 とうはつ 用 よう の白粉 おしろい に課税 かぜい しているが(当時 とうじ の男性 だんせい 用 よう の長 なが く白 しろ いかつら は小麦粉 こむぎこ を原料 げんりょう とする白粉 おしろい によって白 しろ くされていた。また当時 とうじ 不作 ふさく のため小麦粉 こむぎこ は希少 きしょう 化 か し値 ち が上 あ がっていた)、ブランメルはそれに先立 さきだ ってすでにかつらの着用 ちゃくよう をやめ、髪 かみ をローマ風 ふう (ないしブルータス 風 ふう 「à la Brutus」)に短 みじか く刈 か らせていた。またブランメルはそれまで一般 いっぱん 的 てき だった膝 ひざ 丈 たけ の breeches から、仕立 した てた黒 くろ の pantaloons (いわゆるベルボトム ではない)への変遷 へんせん を主導 しゅどう した人物 じんぶつ でもあった。Pantaloons はほぼそのまま現在 げんざい のズボン類 るい になっていき、西洋 せいよう では以後 いご 200年 ねん 、男性 だんせい の服装 ふくそう の主流 しゅりゅう となっている。1799年 ねん 、規定 きてい の年齢 ねんれい に達 たっ したため、ブランメルは父 ちち の遺産 いさん 3万 まん ポンドを相続 そうぞく した。ブランメルはこの3万 まん ポンドのほとんどを着 き る物 もの と賭 か け事 ごと 、豪華 ごうか な暮 く らしに浪費 ろうひ し、1816年 ねん にはダンディの典型 てんけい 的 てき な末路 まつろ である破産 はさん に至 いた った。ブランメルは債権 さいけん 者 しゃ を逃 のが れてフランスに渡 わた り、1840年 ねん 、62歳 さい を目前 もくぜん に[要 よう 出典 しゅってん ] カーン の癲狂院 いん (精神 せいしん 病院 びょういん の前身 ぜんしん )で人知 ひとし れず没 ぼっ した。
ダンディ風 ふう のスタイルをとった人物 じんぶつ でボー・ブランメルにまして成功 せいこう した人物 じんぶつ として、第 だい 6代 だい バイロン男爵 だんしゃく ジョージ・ゴードン・バイロン が挙 あ げられる。バイロン卿 きょう はフランス革命 かくめい 以降 いこう 一旦 いったん すたれたレースのフリルを袖 そで と襟 えり とにあしらった poet shirt (en )を着 き ることがあった。バイロン卿 きょう のこのようなファッション上 じょう の志向 しこう は、アルバニア の民族 みんぞく 衣装 いしょう を装 よそお った姿 すがた を描 えが かせた肖像 しょうぞう 画 が に見 み ることができる[要 よう 出典 しゅってん ] 。
当時 とうじ の突出 とっしゅつ したダンディとして、いま一 いち 人 にん フランスのドルセー伯爵 はくしゃく アルフレード・ドルセー (英語 えいご 版 ばん ) を挙 あ げることができる。ドルセー伯 はく はバイロン卿 きょう の友人 ゆうじん であり、ロンドン社交 しゃこう 界 かい の最 さい 上層 じょうそう に参入 さんにゅう した。
1836年 ねん にトーマス・カーライル は次 つぎ のように書 か いている。
ダンディは伊達 だて 男 おとこ であり、ダンディの生業 せいぎょう 、はたらき、在 あ りようは服 ふく を着 き ることのうちにある。ダンディにおいては感情 かんじょう 、精神 せいしん 、金銭 きんせん 、社交 しゃこう という機能 きのう のいずれも、かしこく服 ふく を着 き こなすという目的 もくてき に英雄 えいゆう 的 てき に奉仕 ほうし している。したがって、他 た の人 ひと が生 い きるために着 き るのに対 たい し、ダンディは着 き るために生 い きるのである。さてここで、殉教 じゅんきょう であり詩情 しじょう でありさらに預言 よげん でもあるこの絶 た え間 ま ない在 あ り方 かた に対 たい して、ダンディが見返 みかえ りに望 のぞ むこととはなんなのか。おそらくただに、存在 そんざい を認 みと められること、といえるのだろう。あるいは生 い きて動 うご いている何 なに 物 ぶつ かとして、いやそれよりも慎 つつ ましいかもしれない。目 め に入 はい る何 なに 物 ぶつ か、可視 かし 光 こう を反射 はんしゃ するに足 た る物 もの ……。[ 12]
19世紀 せいき 半 なか ばには英国 えいこく のダンディは、ヴィクトリア朝 あさ 当時 とうじ の男性 だんせい ファッションという非常 ひじょう に色彩 しきさい に乏 とぼ しいパレットの中 なか で、微細 びさい な洗練 せんれん を披露 ひろう していた。「良質 りょうしつ な毛織 けおり の質 しつ 、ポケットのフラップやコートの折 お り返 かえ しの角度 かくど 、本当 ほんとう に正 ただ しい手袋 てぶくろ の色 いろ 、ブーツや革靴 かわぐつ の適切 てきせつ な照 て り返 かえ し加減 かげん といった具合 ぐあい である。こうしたことからイメージされるのは服装 ふくそう に気 き を遣 や っているが、自分 じぶん の外見 がいけん に無限 むげん の苦痛 くつう を感 かん じており、かつ外見 がいけん に無 む 関心 かんしん を装 よそお う男 おとこ である。この洗練 せんれん されたダンディズムは、男性 だんせい における英国 えいこく らしさの本質 ほんしつ 的 てき 要素 ようそ とみなされ続 つづ けることとなった。」[ 13]
ジョアシャン・ミュラ (1767 - 1815)。フランスの軍人 ぐんじん からナポリ王 おう まで登 のぼ りつめ、伊達 だて 物 ぶつ であったことから「ダンディ王 おう 」と呼 よ ばれた[ 14]
フランスにおけるダンディズムはフランス革命 かくめい と政治 せいじ 的 てき に結 むす びついている。ダンディズムの最初 さいしょ 期 き 段階 だんかい にあたる jeunesse dorée (「金持 かねも ちの道楽 どうらく 息子 むすこ たち」の意 い 。ミュスカダン (英語 えいご 版 ばん ) とも)は旧 きゅう 体制 たいせい 支持 しじ という政治 せいじ 的 てき 表明 ひょうめい のため貴族 きぞく 風 ふう の服装 ふくそう をまとい、サン・キュロット (革命 かくめい 派 は の支持 しじ 母体 ぼたい である貧困 ひんこん 層 そう )とみずからを区別 くべつ した。
ボー・ブランメルの全盛期 ぜんせいき にはファッションと作法 さほう に対 たい するその強権 きょうけん は絶対 ぜったい 的 てき なものであった。ブランメルの服装 ふくそう やスタイルはしきりに模倣 もほう され、ことにフランスでは盛 さか んだったが、フランスでの成 な り行 ゆ きは英国 えいこく とは多少 たしょう 異 こと なっており、ブランメルの模倣 もほう は上位 じょうい 中産 ちゅうさん 階級 かいきゅう だけでなくモンマルトル やモンパルナス に集 つど う作家 さっか や芸術 げいじゅつ 家 か 連 れん にも行 おこな われた。彼 かれ らにとってダンディは、意識 いしき 的 てき に自己 じこ を作 つく りあげ、伝統 でんとう とはっきり断絶 だんぜつ したとして、革命 かくめい 的 てき 価値 かち 観 かん からの祝福 しゅくふく の対象 たいしょう でもあった。服装 ふくそう の入念 にゅうねん さとデカダン 的 てき 生活 せいかつ 様式 ようしき をもってすれば、ブルジョワ社会 しゃかい に対 たい して軽蔑 けいべつ と優位 ゆうい を示 しめ せることがこうしたフランスのダンディたちには理解 りかい されていた。19世紀 せいき 後半 こうはん にはフランスのダンディズムは文学 ぶんがく における象徴 しょうちょう 主義 しゅぎ にも大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えることとなった[要 よう 出典 しゅってん ] 。
ボードレールはダンディズムにいたく関心 かんしん があり、記念 きねん 碑 ひ 的 てき な文章 ぶんしょう を物 もの している。すなわち、ダンディを志 こころざ す者 もの は「エレガントであること以外 いがい に職業 しょくぎょう を持 も つ」べきでなく、また「めいめいにおける美 び の観念 かんねん の追求 ついきゅう 以外 いがい のいかなる状態 じょうたい 」もふさわしくなく、「ダンディは絶 た えず卓越 たくえつ を切望 せつぼう しなければならない。ダンディは鏡 かがみ の前 まえ に生 い き、死 し なねばならない」。ほかにもフランスの知識 ちしき 人 じん はパリの通 とお りをうろつくダンディに関心 かんしん を寄 よ せており、バルベー・ドールヴィイ は『ダンディズムとジョージ・ブランメルに関 かん して』という伝記 でんき 的 てき 考察 こうさつ で、ボー・ブランメルの行 い き方 かた を詳細 しょうさい に吟味 ぎんみ している[ 15] 。
ロベール・ド・モンテスキュー (1855 - 1921)。ボルディーニ 画 が
ダンディは文学 ぶんがく 作品 さくひん の上 うえ では、ワイルド 、サキ 、P・G・ウッドハウス 、ファーバンク (英語 えいご 版 ばん ) といった破滅 はめつ 的 てき な雰囲気 ふんいき が共通 きょうつう する作家 さっか たちの作品 さくひん によく現 あらわ れ、それらは作家 さっか 自身 じしん の投影 とうえい であることもあった。
スウィンバーン 、ワイルド 、ペイター といった詩人 しじん 、アメリカの画家 がか ホイッスラー 、スペインの画家 がか ダリ 、ほかにユイスマンス 、ビアボーン (英語 えいご 版 ばん ) がベル・エポック 期 き (1870年代 ねんだい から1914年 ねん まで)のダンディといえ、ロベール・ド・モンテスキュー などは『失 うしな われた時 とき を求 もと めて』のシャルリュス男爵 だんしゃく のインスピレーションをマルセル・プルースト に与 あた えている。イタリアではガブリエーレ・ダヌンツィオ 、カルロ・ブガッティ が、世紀 せいき 末 まつ の退廃 たいはい 的 てき 芸術 げいじゅつ 家 か に類 るい するダンディを代表 だいひょう している。ワイルドは「誰 だれ しも芸術 げいじゅつ 作品 さくひん となるか、芸術 げいじゅつ 作品 さくひん を着 き るかしなければならない」と書 か いている。
19世紀 せいき 末 まつ にはアメリカのダンディは dude と呼 よ ばれるようになり、エヴァンダー・ベリー・ウォール (英語 えいご 版 ばん ) は "King of the Dudes" の異名 いみょう をとった。
ジョージ・ウォールデン (英語 えいご 版 ばん ) は Who's a Dandy? (2002年 ねん )で、ノエル・カワード 、アンディ・ウォーホル 、クウェンティン・クリスプ (英語 えいご 版 ばん ) を現代 げんだい のダンディとしている[ 15] 。また、P・G・ウッドハウス の描 えが く Psmith は外見 がいけん ・内面 ないめん ともダンディとされるほか、アガサ・クリスティ のエルキュール・ポアロ もダンディとみなされている。
英国 えいこく の画家 がか セバスチャン・ホーズリー (英語 えいご 版 ばん ) は、自身 じしん を「暗黒 あんこく 街 がい のダンディ」 "dandy in the underworld" としており、自伝 じでん のタイトルにも『暗黒 あんこく 街 がい のダンディ』を用 もち いている[ 16] 。
日本 にっぽん では、1990年代 ねんだい 後半 こうはん 、粋 いき なセンスを感 かん じさせる男性 だんせい 的 てき な女性 じょせい ファッションのことをダンディ・ルックと呼 よ んだ。また同 おな じく1990年代 ねんだい 後半 こうはん にはダンディズムは王子 おうじ ロリ となった[ 注 ちゅう 2] 。ダンディという言葉 ことば は、魅力 みりょく 的 てき だが比較的 ひかくてき 高齢 こうれい で、装 よそお いの良 よ い男性 だんせい を指 さ すこともあり、この場合 ばあい 通常 つうじょう 40代 だい 後半 こうはん から50代 だい が該当 がいとう する[要 よう 出典 しゅってん ] 。
スペインでは19世紀 せいき 前半 ぜんはん にダンディズムに関連 かんれん して興味深 きょうみぶか い現象 げんしょう が起 お こった。英国 えいこく とフランスでは中産 ちゅうさん 階級 かいきゅう が貴族 きぞく の作法 さほう を取 と り入 い れたのに対 たい し、スペインでは貴族 きぞく が下層 かそう 階級 かいきゅう の伊達 だて 男 だん (マホ (英語 えいご 版 ばん ) )の流儀 りゅうぎ を取 と り入 い れたのである。スペインのマホたちは、当時 とうじ のフランスかぶれであるアフランセサド (英語 えいご 版 ばん ) とは、凝 こ った服装 ふくそう と独自 どくじ のスタイルとから対照 たいしょう 的 てき 存在 そんざい であり、態度 たいど の生意気 なまいき で横柄 おうへい なことではとりわけであった。スペインにおける著名 ちょめい なダンディとしては、やや時代 じだい が下 くだ るが第 だい 12代 だい オスナ公爵 こうしゃく (英語 えいご 版 ばん ) マリアノ・テジェス=ヒロン (スペイン語 ご 版 ばん ) 、画家 がか サルバドール・ダリ 、詩人 しじん ルイス・セルヌーダ (英語 えいご 版 ばん ) が挙 あ げられる。
アルベール・カミュ は、1951年 ねん の『反抗 はんこう 的 てき 人間 にんげん 』で以下 いか のように述 の べている。
ダンディは美学 びがく 的 てき 手段 しゅだん を通 つう じて自 みずか らの統一 とういつ を作 つく りだす。しかしその美学 びがく は否定 ひてい の美学 びがく である。ボードレールに言 い わせれば、「鏡 かがみ の前 まえ に生 い き、死 し ぬ」というのがダンディの標語 ひょうご だが、これはたしかになかなか言 い い得 え て妙 みょう である。しかしダンディの実際 じっさい の在 あ り様 さま はこれとは逆 ぎゃく であって、ダンディというものは挑発 ちょうはつ によってしか存在 そんざい することができない。かつて人 ひと は自 みずか らの則 のっと るべき調和 ちょうわ を造物主 ぞうぶつしゅ から引 ひ き出 だ していた。しかし神 かみ との断交 だんこう を聖 ひじり 別 べつ した瞬間 しゅんかん から、人 ひと は自分 じぶん の生 なま には寄 よ る辺 べ もなにもなく、日々 ひび はまったく無意味 むいみ で、感覚 かんかく は無為 むい に費 つい やされると感 かん じるようになった。それゆえ人 じん は自 みずか らをその手 て に引 ひ き受 う けなければならない。ダンディは自 みずか らの力 ちから を奮 ふる いたせ、すさまじい拒絶 きょぜつ によって自 みずか らに統一 とういつ を作 つく りだす。放蕩 ほうとう 者 しゃ としてのダンディは、人並 ひとな みの人生 じんせい を逸脱 いつだつ して生 い きる全 すべ ての人 ひと 同様 どうよう 、役者 やくしゃ でしかありえない。しかしこの役者 やくしゃ は世間 せけん を必要 ひつよう とする。ダンディは自分 じぶん の演 えん ずべき役 やく を世間 せけん との対比 たいひ において設定 せってい し演 えん じることしかできない。ダンディは他人 たにん の表情 ひょうじょう にしか自 みずか らの生 せい を実感 じっかん することができない。他人 たにん が彼 かれ の鏡 かがみ なのだ。この鏡 かがみ はすぐに曇 くも ってしまうが、それもそのはずで、というのも人 ひと の注意 ちゅうい 力 りょく には限 かぎ りがあるからである。それは絶 た えず挑発 ちょうはつ によって刺激 しげき されなければならない。それゆえダンディは常 つね に耳目 じもく を驚 おどろ かせるよう駆 か り立 た てられているのである。奇矯 ききょう であることがダンディの使命 しめい であり、このことはダンディから洗練 せんれん や完成 かんせい への道 みち を奪 うば ってしまう。ずっと半端 はんぱ なまま、物事 ものごと の序 じょ の口 くち のところをうろついて、他人 たにん に自分 じぶん を有 あ らしめるよう強 つよ い、しかも他人 たにん の価値 かち を認 みと めないのである。ダンディは人生 じんせい を演 えん じるが、それはダンディには人生 じんせい を生 い きることができないからである。[ 17]
ジャン・ボードリヤール は、ダンディズムは「ニヒリズムの美学 びがく 的 てき 形態 けいたい 」であると述 の べている[ 18] 。
Carlos Espartaco はアメリカの哲学 てつがく 者 しゃ で詩人 しじん の Eduardo Sanguinetti について以下 いか のように述 の べている。
「ダンディだけが、ストア派 は 的 てき 試 こころ みの最期 さいご の継承 けいしょう 者 しゃ であって、自身 じしん を1個 いっこ の物 もの として「見 み た目 め 」の世界 せかい に置 お くことで、「モード」(というものはダンディとおそらく不可分 ふかぶん だが)の名 な の下 した に流行 りゅうこう を逃 のが れたのである。実際 じっさい 、流行 りゅうこう に真空 しんくう を召喚 しょうかん してはじめて、(非 ひ ・流行 りゅうこう としての)ダンディを規定 きてい する流行 りゅうこう を征服 せいふく することができるのだが、その真空 しんくう というのは「いまここの感覚 かんかく とは何 なん 千 せん キロも隔 へだ たった」ものなのである。そして Eduardo Sanguinetti にとって、流行 りゅうこう に「真空 しんくう 」を召喚 しょうかん するとは(Sanguinetti が「反 はん ・流行 りゅうこう 」や「外見 がいけん 」といった文脈 ぶんみゃく で用 もち いる複 ふく 合戦 かっせん 略 りゃく の用語 ようご で言 い うと)自己 じこ を完全 かんぜん にうつろにすることを意味 いみ し、それにより時 とき から解放 かいほう されるが、ただし新 あら たに生 う まれ出 で ずる良 よ きものは欠 か かさず登録 とうろく するという努力 どりょく は否定 ひてい されない。この境地 きょうち に至 いた ることは、ボードレールの言 い うところの「ヘラクレスが双肩 そうけん に担 にな う」大地 だいち からの視点 してん を獲得 かくとく することに近 ちか い。[ 19]
1819年 ねん のダンディゼット
女 おんな のダンディにあたるものはクウェインチュレル quaintrelle である。クウェインチュレルは情熱 じょうねつ ある生活 せいかつ 、すなわち個人 こじん 的 てき スタイルや余暇 よか の気晴 きば らし、他人 たにん からの賞賛 しょうさん 、人生 じんせい の快楽 かいらく の追求 ついきゅう を重視 じゅうし する女 おんな である。
12世紀 せいき には cointerrels(男性 だんせい 形 がた )および cointrelles(女性 じょせい 形 がた )という言葉 ことば が現 あらわ れた。この2つは、はじめ熟練 じゅくれん の技術 ぎじゅつ で作 つく られた物 もの を指 さ し、のち装 よそお いが美 うつく しく会話 かいわ が巧 たく みな人 ひと を指 さ した coint という言葉 ことば に由来 ゆらい する[ 20] 。18世紀 せいき には coint は quaint となり[ 21] 、卓抜 たくばつ した会話 かいわ と美 うつく しさを指 さ した。中 ちゅう 英語 えいご 期 き (12世紀 せいき から15世紀 せいき )の辞書 じしょ には quaintrelle は美 うつく しく着飾 きかざ った(あるいは装飾 そうしょく 過剰 かじょう な)女 おんな とあるが、優雅 ゆうが さや人 ひと を引 ひ き付 つ ける魅力 みりょく といった好 この ましい人格 じんかく 的 てき 要素 ようそ は示 しめ されていない。クウェインチュレルが洗練 せんれん に関 かん して主要 しゅよう な哲学 てつがく 的 てき 要素 ようそ をダンディと共有 きょうゆう しているという考 かんが えは近代 きんだい におこったもので、これはクウェインチュレルの歴史 れきし 的 てき ルーツに遡 さかのぼ って投影 とうえい された。
女 おんな のダンディは19世紀 せいき 初 はじ めのわずかな間 あいだ だけ男 おとこ のダンディと表 あらわ れた時期 じき が重 かさ なっている。この時期 じき の「ダンディ」には fop や over-the-top fellow といった嘲笑 ちょうしょう 的 てき な含 ふく みがあった。ダンディ dandy の女性 じょせい 形 がた は dandyess あるいは dandizette である。チャールズ・ディケンズ は All the Year Around (1869年 ねん )で、「1819年 ねん から1829年 ねん のダンディとダンディゼットは奇妙 きみょう な種族 しゅぞく だったに違 ちが いない。Dandizette はファッション狂 きょう の女性 じょせい を指 さ す単語 たんご で、彼女 かのじょ たちの非常識 ひじょうしき 加減 かげん はダンディのものと全 まった く変 か わらなかった」と述 の べている。1819年 ねん には Charms of Dandyism という小説 しょうせつ が「女 おんな ダンディのトップ」オリヴィア・モアランド Olivia Moreland によって書 か かれている。この小説 しょうせつ の実際 じっさい の作者 さくしゃ は Thomas Ashe という作家 さっか であると考 かんが えられているが、Ashe は同 どう 時代 じだい の実在 じつざい の人物 じんぶつ をモデルに何 なん 作 さっ かの小説 しょうせつ を書 か いているため、オリヴィア・モアランドも実在 じつざい した可能 かのう 性 せい がある。なお、この小説 しょうせつ ではダンディズムは「スタイルに生 い きる」ことと結 むす びついている。その後 ご 、ダンディという言葉 ことば が洗練 せんれん を指 さ すようになると、ダンディは男性 だんせい にのみ用 もち いられるようになっていた。Popular Culture and Performance in the Victorian City (2003年 ねん )では、この変化 へんか を「(前略 ぜんりゃく )あるいはダンディゼットも、言葉 ことば すら男 おとこ のためにとっておかれるようになった」としている。
クウェインチュレルの節 ふし で述 の べたように、クウェインチュレルの活躍 かつやく した期間 きかん は短 みじか いため、同 どう 時代 じだい の人物 じんぶつ から名前 なまえ を挙 あ げるのは難 むずか しい。仮 かり にクウェインチュレルとみなせそうな人物 じんぶつ として、ブレッシントン伯爵 はくしゃく 夫人 ふじん (英語 えいご 版 ばん ) 、マーケイザ・カサーティ (英語 えいご 版 ばん ) 、C・G・ゲスト (英語 えいご 版 ばん ) 、ココ・シャネル 、タマラ・ド・レンピッカ 、マレーネ・ディートリヒ がいる。
^ ダンディのこと。ボードレールは資産 しさん と余暇 よか をダンディの要件 ようけん としている。
^ この記事 きじ の翻訳 ほんやく 元 もと である英語 えいご 版 ばん ではこの文章 ぶんしょう は、「日本 にっぽん では、1990年代 ねんだい 後半 こうはん にダンディズムはある種 しゅ のファッション・サブカルチャーとなった」となっており、ファッション・サブカルチャーから Lolita fashion の Ōji Lolita (Boystyle) の節 ふし にリンクが貼 は られている。この節 ふし には、「Ōji あるいは Ōji-sama (いずれも prince の意味 いみ )は、日本 にっぽん のファッションのひとつで、ロリータ・ファッション の男性 だんせい 的 てき なヴァージョンとされる。ただし Ōji は典型 てんけい 的 てき なロリータ・ファッションのスタイルに該当 がいとう せず、むしろヴィクトリア朝 あさ 期 き の青年 せいねん から影響 えいきょう を受 う けていることから、ロリータ・ファッションとはみなされないことがある。(改行 かいぎょう )Ōji 的 てき 要素 ようそ としては、ブラウス、シャツ、ニッカーボッカーズなど丈 たけ の短 みじか いズボン、ニーハイソックス、シルクハット、キャスケットなどがある。色 いろ は通常 つうじょう 、黒 くろ 、白 しろ 、青 あお 、ワインレッドが用 もち いられるが、色彩 しきさい 豊 ゆた かでより女性 じょせい 的 てき な Ōji ファッションも存在 そんざい する。また、Ōji ファッションの適例 てきれい は Baby, The Stars Shine Bright の Alice and the Pirates ラインから販売 はんばい されている商品 しょうひん に見 み ることができる。(後略 こうりゃく )」とある(en:Lolita fashion oldid=731698712 より)。
^ Cult de soi-même Charles Baudelaire , "Le Dandy", noted in Susann Schmid, "Byron and Wilde: The Dandy in the Public Sphere" in Julie Hibbard et al. , eds. The Importance of Reinventing Oscar: versions of Wilde during the last 100 years 2002
^ a b John C. Prevost, Le Dandysme en France (1817–1839) (Geneva and Paris) 1957.
^ Charles Baudelaire, Le Peintre de la vie moderne, IX. Le dandy, Calmann Lévy, 1885 (Œuvres complètes de Charles Baudelaire III. L’Art romantique, pp. 91-96).
^ Aileen Ribeiro, "On Englishness in dress" in The Englishness of English Dress , Christopher Breward, Becky Conekin and Caroline Cox, ed., 2002.
^ Susann Schmid, "Byron and Wilde: The Dandy in the Public Sphere" in Julie Hibbard et al. , eds. The Importance of Reinventing Oscar: versions of Wilde during the last 100 years 2002
^ Ribeiro 2002:20, under the subheading "Eccentricity, Extremes, and Affectation".
^ "Yankee Doodle" ; Maccaroni .
^ Oxford English Dictionary . Oxford University Press. (1989). http://dictionary.oed.com . "dandy 1.a. One who studies above everything to dress elegantly and fashionably; a beau, fop, 'exquisite'. c1780 Sc. Song (see N. & Q. 8th Ser. IV. 81), I've heard my granny crack O' sixty twa years back When there were sic a stock of Dandies O; Oh they gaed to Kirk and Fair, Wi' their ribbons round their hair, And their stumpie drugget coats, quite the Dandy O."
^ Encyclopaedia Britannica , 1911]
^ Barbey d'Aurevilly, "Du dandisme et de George Brummell," (published 1845, collected in Oeuvres complètes 1925:87–92).
^ "In Regency England, Brummel's fashionable simplicity constituted in fact a criticism of the exuberant French fashions of the eighteenth century" (Schmid 2002:83),
^ Thomas Carlyle, "The Dandiacal Body", in Sartor Resartus
^ Ribeira 2002:21.
^ 10,000 Famous Freemasons from K to Z . Books.google.com. (30 September 2004). https://books.google.com/books?id=dZbjtGC48-8C&pg=PA247&lpg=PA247&dq=joachim+murat+%22dandy+king%22&source=web&ots=JDwyaDnJ4Y&sig=q6GB320S3gY6cw38PPIlA-BuwHg&hl=en 16 February 2013 閲覧 えつらん 。
^ a b George Walden , Who's a Dandy? – Dandyism and Beau Brummell , Gibson Square, London, 2002. ISBN 1903933188 . Reviewed by Frances Wilson in Uncommon People , The Guardian , 12 October 2006.
^ Beautiful and damned , New Statesman , 16 October 2006
^ Camus, Albert (2012). “II Metaphysical Rebellion” . The Rebel: An Essay on Man in Revolt . Knopf Doubleday Publishing Group. p. 51. ISBN 9780307827838 . https://books.google.com/books?id=t_3yQrhdxwUC&pg=PA51 11 October 2014 閲覧 えつらん 。
^ “Jean Baudrillard – Simulacra and Simulations – XVIII. On Nihilism ”. Egs.edu. 2013年 ねん 4月 がつ 19日 にち 時点 じてん のオリジナル よりアーカイブ。2013年 ねん 2月 がつ 16日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Espartaco Carlos 1989 "Eduardo Sanguinetti: The Experience of Limits" pag.98, 99 (Ediciones de Arte Gaglianone, first published 1989) ISBN 950-9004-98-7
^ Old English Dictionary
^ Dictionary of Early English
Barbey d'Aurevilly, Jules. Of Dandyism and of George Brummell . Translated by Douglas Ainslie. New York: PAJ Publications, 1988.
Carlyle, Thomas. Sartor Resartus . In A Carlyle Reader: Selections from the Writings of Thomas Carlyle . Edited by G.B. Tennyson. London: Cambridge University Press, 1984.
Jesse, Captain William. The Life of Beau Brummell . London: The Navarre Society Limited, 1927.
Lytton, Edward Bulwer, Lord Lytton. Pelham or the Adventures of a Gentleman . Edited by Jerome J. McGann. Lincoln: University of Nebraska Press, 1972.
Moers, Ellen. The Dandy: Brummell to Beerbohm . London: Secker and Warburg, 1960.
Murray, Venetia. An Elegant Madness: High Society in Regency England . New York: Viking, 1998.
Nicolay, Claire. Origins and Reception of Regency Dandyism: Brummell to Baudelaire . Ph.D. diss., Loyola U of Chicago, 1998.
Wharton, Grace and Philip. Wits and Beaux of Society . New York: Harper and Brothers, 1861.
宝木 たからぎ 範 はん 義 よし 『パリ物語 ものがたり 』(新潮 しんちょう 選書 せんしょ 、1984年 ねん )第 だい 14章 しょう 「ダンディスムの系譜 けいふ 」pp.97-103