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ダンディ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
1830年代ねんだいパリにおける洒落しゃれたダンディ。フロックコートを、みぎモーニングている。このような体形たいけいもとめてきついコルセットもちいられた

ダンディえい: dandy)は、なり・たくみな言葉ことばづかい・余裕よゆうある趣味しゅみといったものをとく重視じゅうししながら、あくまで無頓着むとんじゃくよそおってそれらを追求ついきゅうし、みずからに陶酔とうすいするおとこおんな精神せいしん[1]。ダンディは、とりわけ18世紀せいき後半こうはんから19世紀せいき前半ぜんはんにかけての英国えいこく自発じはつてきしょうじ、中産ちゅうさん階級かいきゅう出自しゅつじにかかわらず貴族きぞくのライフスタイルを模倣もほうしようとはげんだ。

ダンディに先行せんこうするものとしてプティ・メートルやミュスカダン英語えいごばんあらわれていたことは記録きろくじょうはっきりしているものの[2]現在げんざい意味いみでのダンディズムが最初さいしょあらわれたのはフランス革命かくめいにあたる1790年代ねんだいロンドンおよびパリである。ダンディは「つつしみ」について自問じもん批評ひひょうかえ洗練せんれんさせていったが、いたさきは「シニシズム(en)」こそが「知的ちてきダンディズム」であるとする作家さっかジョージ・メレディス定義ていぎであった(なおメレディス自身じしんはダンディではない)。もっとも、この時代じだいあつかった『べにはこべ』のスカーレット・ピンパーネルは、文学ぶんがく史上しじょうでもかなりのダンディではある。さきのものよりは手厳てきびしくない定義ていぎとして、トーマス・カーライルはダンディをたんなる「着道楽きどうらく」としている。オノレ・ド・バルザック人間にんげん喜劇きげきの1さく金色きんいろむすめ』(1835ねん)に、完全かんぜん俗人ぞくじんにして非情ひじょうひとアンリ・ド・マルセーを登場とうじょうさせており、このマルセーははじめ完璧かんぺきなダンディの要件ようけんたしていたが、憑りつかれたような恋愛れんあい過程かていはげしく凶悪きょうあく嫉妬しっと姿すがたあらわしていった。

シャルル・ボードレールは、ダンディズム後期こうきの「形而上学けいじじょうがくてき段階だんかい[2]にあってダンディを以下いかのように定義ていぎしている。すなわち、ダンディとは美学びがく宗教しゅうきょうにまでたかめ、それにのっとってきるもののことであり[3]、その宗教しゅうきょうというのは、ただダンディが存在そんざいするだけで責任せきにんある中産ちゅうさん階級かいきゅう市民しみんへの非難ひなんとなる、というものである。「あるめんで、ダンディズムは精神せいしん主義しゅぎおよびストイシズムちかづいてい」き、「[充分じゅうぶん資産しさん労働ろうどうまぬかれた]こうした存在そんざい[ちゅう 1]みずからにとっての観念かんねん洗練せんれん趣味しゅみうえでの追求ついきゅう感性かんせい思索しさくとにきている状態じょうたいならない。(中略ちゅうりゃく)ダンディズムはロマン主義しゅぎの1形態けいたいである。かんがえのりない世上せじょう連中れんちゅうしんじているらしいこととは裏腹うらはらに、ダンディズムはものおおはしゃぎをしてみせたり道具立どうぐだてが逸品いっぴんであったりすることですらない。こうしたことは、完全かんぜんなダンディにとっては精神せいしんにおける貴族きぞくてき優越ゆうえつ象徴しょうちょう以上いじょうのものではない。」

なにるか」ということと政治せいじてき抗議こうぎとのむすびつきは、イングランドでは18世紀せいきいたってことに顕著けんちょとなっており[4]、このことをふくくと、ダンディズムとはそれまでの貴族きぞくわって市民しみん社会しゃかいにな平等びょうどう主義しゅぎ時代じだい勃興ぼっこうたいする、貴族きぞく階級かいきゅうによるスタイルをつうじた政治せいじてき異議いぎもうてとみなすこともできる。ダンディズムはしばしば封建ほうけん社会しゃかいぜん工業こうぎょう社会しゃかいしょ価値かち、たとえば「完璧かんぺきなジェントルマン」や「自律じりつせる貴族きぞく」といったものへの郷愁きょうしゅう執着しゅうちゃくしたが、矛盾むじゅんしたことに、ダンディは観衆かんしゅう必要ひつようとするものであった。オスカー・ワイルドバイロンきょうの「マーケティングてき成功せいこうした人生じんせい」を調査ちょうさした Susann Schmid は、両者りょうしゃのうちに作家さっかでありゴシップおよびスキャンダルの発生はっせいげん供給きょうきゅうげんであるという、ダンディというものの公共こうきょう空間くうかんにおける役割やくわりをみてとっている[5]英国えいこく作家さっか Nigel Rodgers (en)は、天才てんさいてきなダンディであるというワイルドの地位ちい疑義ぎぎていし、ワイルドは便宜べんぎとしてダンディふうかまえをとっただけにぎず、求道きゅうどうしゃ苛烈かれつ要求ようきゅうすダンディズムの理念りねんたてまつげたのではないとみている。

語源ごげん

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「Dandy」というかたり起源きげんはよくわかっていない。1770年代ねんだいには、それまで服装ふくそう極端きょくたんであることを言葉ことばだった「eccentricity」が、人々ひとびと奇矯ききょう全般ぜんぱんもちいられはじめ[6]、それと並行へいこうして「dandy」という言葉ことばも18世紀せいき後半こうはんにはじめてあらわれている。アメリカ独立どくりつ戦争せんそう直前ちょくぜんにあたる時期じきには、植民しょくみんアメリカ市民しみん貧乏びんぼうをいいたてぞんざいな作法さほうをわらう「ヤンキードゥードゥル」がうたわれたが、その1ばん歌詞かしかられるのは、周囲しゅういにまさってダンディたらんとするものすぐれたうまかねひもかざったふくようする(そのようなものは「イタリアかぶれの伊達だてだん」という意味いみ皮肉ひにくをこめて「マカロニ」とばれた)にもかかわらず、平均へいきんてき植民しょくみんアメリカ市民しみん経済けいざいりょくがあまりにもひくかったため、1とうのポニーとかざる2、3まい羽根はねかざりさえあれば仲間なかまないぐんいたダンディとみなされ、そうしたダンディは米人べいじんよりさらに野暮やぼったいきゅう大陸たいりくがわ同胞どうほう英国えいこくへい)との比較ひかくにおいてもダンディであり、英国えいこくへい自身じしん米国べいこくのそうした伊達者だてしゃ周囲しゅういからことたやしているとみなすことさえあった、ということである[7]すこしのちの1780ねんごろスコットランドバラッドにも「dandy」という単語たんごあらわれるが[8]、ここでの「dandy」にはこの項目こうもくあつかっているようなふくみはまずないようである。「Dandy」のもともとのかたちはおそらく「jack-a-dandy」というものであったらしい[9]。「Dandy」はナポレオン戦争せんそうには流行りゅうこうとなった。当時とうじ用法ようほうとしては、「dandy」と「fop」はことなるものとされており、「dandy」のよそおいのほう上品じょうひんいているとみなされていた。

21世紀せいき現在げんざい英語えいごでは、「dandy」というかたりは、「fine」ないし「great」の意味いみをおどけて、またしばしば皮肉ひにくめてあらわ形容詞けいようしである。また名詞めいしとしてはなりのととのったおとこすが、それにくわえて自分じぶんのファッションを絶対ぜったいしている場合ばあいに「dandy」とぶことがおおい。

ボー・ブランメルと英国えいこくにおける初期しょきダンディズム

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ボー・ブランメル(1805ねん

英国えいこく社会しゃかいにおけるダンディの模範もはんとなったのは、「ボー・ブランメル」ことジョージ・ブライアン・ブランメル(1778ねん - 1840ねん)である。ブランメルは少時しょうじにはオックスフォおっくすふぉド大学どだいがくオリオル・カレッジ学生がくせいであり、のちには摂政せっしょうおう太子たいし即位そくいジョージ4せい)のきでもあったが、貴族きぞくだしではない。実際じっさいのところ、ブランメルのすごさは「まったなににももとづいていない」というのはフランスの作家さっかバルベー・ドールヴィイが1845ねん喝破かっぱするところである[10]白粉おしろいをはたくことも香水こうすいをつけることもなかったが、つね入浴にゅうよくひげりをかさず、よそおいは紺青こんじょう無地むじのコートであったブランメルは[11]かみにはきちんとブラシをて、けるもののサイズはぴったりで、コートからのぞリネンのりがきいてパリッとし、もちろんすべてはきれいに洗濯せんたくされてあって、仕上しあげは丹念たんねんむすんだクラヴァット英語えいごばん(ネクタイの前身ぜんしん)であった。1790年代ねんだいなか以降いこうのブランメルは「有名人ゆうめいじん」のはしりとなっていた。有名人ゆうめいじんとは有名ゆうめいだから有名ゆうめいであるというひとのことだが、ブランメルの場合ばあい口数くちかずすくないが機知きちんだ伊達だてぶつとして有名ゆうめいなのであった[よう出典しゅってん]

ナポレオン戦争せんそう首相しゅしょうであったしょうピットは、1795ねんたいふつ戦争せんそう戦費せんぴ捻出ねんしゅつ小麦粉こむぎこ使用しよう制限せいげん目的もくてきとして頭髪とうはつよう白粉おしろい課税かぜいしているが(当時とうじ男性だんせいようながしろかつら小麦粉こむぎこ原料げんりょうとする白粉おしろいによってしろくされていた。また当時とうじ不作ふさくのため小麦粉こむぎこ希少きしょうがっていた)、ブランメルはそれに先立さきだってすでにかつらの着用ちゃくようをやめ、かみをローマふう(ないしブルータスふう「à la Brutus」)にみじからせていた。またブランメルはそれまで一般いっぱんてきだったひざたけbreeches から、仕立したてたくろの pantaloons (いわゆるベルボトムではない)への変遷へんせん主導しゅどうした人物じんぶつでもあった。Pantaloons はほぼそのまま現在げんざいのズボンるいになっていき、西洋せいようでは以後いご200ねん男性だんせい服装ふくそう主流しゅりゅうとなっている。1799ねん規定きてい年齢ねんれいたっしたため、ブランメルはちち遺産いさん3まんポンドを相続そうぞくした。ブランメルはこの3まんポンドのほとんどをものごと豪華ごうからしに浪費ろうひし、1816ねんにはダンディの典型てんけいてき末路まつろである破産はさんいたった。ブランメルは債権さいけんしゃのがれてフランスにわたり、1840ねん、62さい目前もくぜん[よう出典しゅってん]カーン癲狂いん精神せいしん病院びょういん前身ぜんしん)で人知ひとしれずぼっした。

ダンディふうのスタイルをとった人物じんぶつでボー・ブランメルにまして成功せいこうした人物じんぶつとして、だい6だいバイロン男爵だんしゃくジョージ・ゴードン・バイロンげられる。バイロンきょうはフランス革命かくめい以降いこう一旦いったんすたれたレースのフリルをそでえりとにあしらった poet shirt (en)をることがあった。バイロンきょうのこのようなファッションじょう志向しこうは、アルバニア民族みんぞく衣装いしょうよそおった姿すがたえがかせた肖像しょうぞうることができる[よう出典しゅってん]

当時とうじ突出とっしゅつしたダンディとして、いまいちにんフランスのドルセー伯爵はくしゃくアルフレード・ドルセー英語えいごばんげることができる。ドルセーはくはバイロンきょう友人ゆうじんであり、ロンドン社交しゃこうかいさい上層じょうそう参入さんにゅうした。

1836ねんトーマス・カーライルつぎのようにいている。

ダンディは伊達だておとこであり、ダンディの生業せいぎょう、はたらき、りようはふくることのうちにある。ダンディにおいては感情かんじょう精神せいしん金銭きんせん社交しゃこうという機能きのうのいずれも、かしこくふくこなすという目的もくてき英雄えいゆうてき奉仕ほうししている。したがって、ひときるためにるのにたいし、ダンディはるためにきるのである。さてここで、殉教じゅんきょうであり詩情しじょうでありさらに預言よげんでもあるこのないかたたいして、ダンディが見返みかえりにのぞむこととはなんなのか。おそらくただに、存在そんざいみとめられること、といえるのだろう。あるいはきてうごいているなにぶつかとして、いやそれよりもつつましいかもしれない。はいなにぶつか、可視かしこう反射はんしゃするにもの……。[12]

19世紀せいきなかばには英国えいこくのダンディは、ヴィクトリアあさ当時とうじ男性だんせいファッションという非常ひじょう色彩しきさいとぼしいパレットのなかで、微細びさい洗練せんれん披露ひろうしていた。「良質りょうしつ毛織けおりしつ、ポケットのフラップやコートのかえしの角度かくど本当ほんとうただしい手袋てぶくろいろ、ブーツや革靴かわぐつ適切てきせつかえ加減かげんといった具合ぐあいである。こうしたことからイメージされるのは服装ふくそうっているが、自分じぶん外見がいけん無限むげん苦痛くつうかんじており、かつ外見がいけん関心かんしんよそおおとこである。この洗練せんれんされたダンディズムは、男性だんせいにおける英国えいこくらしさの本質ほんしつてき要素ようそとみなされつづけることとなった。」[13]

フランスにおけるダンディズム

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ジョアシャン・ミュラ(1767 - 1815)。フランスの軍人ぐんじんからナポリおうまでのぼりつめ、伊達だてぶつであったことから「ダンディおう」とばれた[14]

フランスにおけるダンディズムはフランス革命かくめい政治せいじてきむすびついている。ダンディズムの最初さいしょ段階だんかいにあたる jeunesse dorée (「金持かねもちの道楽どうらく息子むすこたち」のミュスカダン英語えいごばんとも)はきゅう体制たいせい支持しじという政治せいじてき表明ひょうめいのため貴族きぞくふう服装ふくそうをまとい、サン・キュロット革命かくめい支持しじ母体ぼたいである貧困ひんこんそう)とみずからを区別くべつした。

ボー・ブランメルの全盛期ぜんせいきにはファッションと作法さほうたいするその強権きょうけん絶対ぜったいてきなものであった。ブランメルの服装ふくそうやスタイルはしきりに模倣もほうされ、ことにフランスではさかんだったが、フランスでのきは英国えいこくとは多少たしょうことなっており、ブランメルの模倣もほう上位じょうい中産ちゅうさん階級かいきゅうだけでなくモンマルトルモンパルナスつど作家さっか芸術げいじゅつれんにもおこなわれた。かれらにとってダンディは、意識いしきてき自己じこつくりあげ、伝統でんとうとはっきり断絶だんぜつしたとして、革命かくめいてき価値かちかんからの祝福しゅくふく対象たいしょうでもあった。服装ふくそう入念にゅうねんさとデカダンてき生活せいかつ様式ようしきをもってすれば、ブルジョワ社会しゃかいたいして軽蔑けいべつ優位ゆういしめせることがこうしたフランスのダンディたちには理解りかいされていた。19世紀せいき後半こうはんにはフランスのダンディズムは文学ぶんがくにおける象徴しょうちょう主義しゅぎにもおおきな影響えいきょうあたえることとなった[よう出典しゅってん]

ボードレールはダンディズムにいたく関心かんしんがあり、記念きねんてき文章ぶんしょうものしている。すなわち、ダンディをこころざものは「エレガントであること以外いがい職業しょくぎょうつ」べきでなく、また「めいめいにおける観念かんねん追求ついきゅう以外いがいのいかなる状態じょうたい」もふさわしくなく、「ダンディはえず卓越たくえつ切望せつぼうしなければならない。ダンディはかがみまえき、なねばならない」。ほかにもフランスの知識ちしきじんはパリのとおりをうろつくダンディに関心かんしんせており、バルベー・ドールヴィイは『ダンディズムとジョージ・ブランメルにかんして』という伝記でんきてき考察こうさつで、ボー・ブランメルのかた詳細しょうさい吟味ぎんみしている[15]

その展開てんかい

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ロベール・ド・モンテスキュー(1855 - 1921)。ボルディーニ

ダンディは文学ぶんがく作品さくひんうえでは、ワイルドサキP・G・ウッドハウスファーバンク英語えいごばんといった破滅はめつてき雰囲気ふんいき共通きょうつうする作家さっかたちの作品さくひんによくあらわれ、それらは作家さっか自身じしん投影とうえいであることもあった。

スウィンバーンワイルドペイターといった詩人しじん、アメリカの画家がかホイッスラー、スペインの画家がかダリ、ほかにユイスマンスビアボーン英語えいごばんベル・エポック1870年代ねんだいから1914ねんまで)のダンディといえ、ロベール・ド・モンテスキューなどは『うしなわれたときもとめて』のシャルリュス男爵だんしゃくのインスピレーションをマルセル・プルーストあたえている。イタリアではガブリエーレ・ダヌンツィオカルロ・ブガッティが、世紀せいきまつ退廃たいはいてき芸術げいじゅつるいするダンディを代表だいひょうしている。ワイルドは「だれしも芸術げいじゅつ作品さくひんとなるか、芸術げいじゅつ作品さくひんるかしなければならない」といている。

19世紀せいきまつにはアメリカのダンディは dudeばれるようになり、エヴァンダー・ベリー・ウォール英語えいごばんは "King of the Dudes" の異名いみょうをとった。

ジョージ・ウォールデン英語えいごばんWho's a Dandy? (2002ねん)で、ノエル・カワードアンディ・ウォーホルクウェンティン・クリスプ英語えいごばん現代げんだいのダンディとしている[15]。また、P・G・ウッドハウスえがPsmith外見がいけん内面ないめんともダンディとされるほか、アガサ・クリスティエルキュール・ポアロもダンディとみなされている。

英国えいこく画家がかセバスチャン・ホーズリー英語えいごばんは、自身じしんを「暗黒あんこくがいのダンディ」 "dandy in the underworld" としており、自伝じでんのタイトルにも『暗黒あんこくがいのダンディ』をもちいている[16]

日本にっぽんでは、1990年代ねんだい後半こうはんいきなセンスをかんじさせる男性だんせいてき女性じょせいファッションのことをダンディ・ルックとんだ。またおなじく1990年代ねんだい後半こうはんにはダンディズムは王子おうじロリとなった[ちゅう 2]。ダンディという言葉ことばは、魅力みりょくてきだが比較的ひかくてき高齢こうれいで、よそおいの男性だんせいすこともあり、この場合ばあい通常つうじょう40だい後半こうはんから50だい該当がいとうする[よう出典しゅってん]

スペインでは19世紀せいき前半ぜんはんにダンディズムに関連かんれんして興味深きょうみぶか現象げんしょうこった。英国えいこくとフランスでは中産ちゅうさん階級かいきゅう貴族きぞく作法さほうれたのにたいし、スペインでは貴族きぞく下層かそう階級かいきゅう伊達だてだんマホ英語えいごばん)の流儀りゅうぎれたのである。スペインのマホたちは、当時とうじのフランスかぶれであるアフランセサド英語えいごばんとは、った服装ふくそう独自どくじのスタイルとから対照たいしょうてき存在そんざいであり、態度たいど生意気なまいき横柄おうへいなことではとりわけであった。スペインにおける著名ちょめいなダンディとしては、やや時代じだいくだるがだい12だいオスナ公爵こうしゃく英語えいごばんマリアノ・テジェス=ヒロンスペインばん画家がかサルバドール・ダリ詩人しじんルイス・セルヌーダ英語えいごばんげられる。

後代こうだい考察こうさつ

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アルベール・カミュは、1951ねんの『反抗はんこうてき人間にんげん』で以下いかのようにべている。

ダンディは美学びがくてき手段しゅだんつうじてみずからの統一とういつつくりだす。しかしその美学びがく否定ひてい美学びがくである。ボードレールにわせれば、「かがみまえき、ぬ」というのがダンディの標語ひょうごだが、これはたしかになかなかみょうである。しかしダンディの実際じっさいさまはこれとはぎゃくであって、ダンディというものは挑発ちょうはつによってしか存在そんざいすることができない。かつてひとみずからののっとるべき調和ちょうわ造物主ぞうぶつしゅからしていた。しかしかみとの断交だんこうひじりべつした瞬間しゅんかんから、ひと自分じぶんなまにはもなにもなく、日々ひびはまったく無意味むいみで、感覚かんかく無為むいついやされるとかんじるようになった。それゆえじんみずからをそのけなければならない。ダンディはみずからのちからふるいたせ、すさまじい拒絶きょぜつによってみずからに統一とういつつくりだす。放蕩ほうとうしゃとしてのダンディは、人並ひとなみの人生じんせい逸脱いつだつしてきるすべてのひと同様どうよう役者やくしゃでしかありえない。しかしこの役者やくしゃ世間せけん必要ひつようとする。ダンディは自分じぶんえんずべきやく世間せけんとの対比たいひにおいて設定せっていえんじることしかできない。ダンディは他人たにん表情ひょうじょうにしかみずからのせい実感じっかんすることができない。他人たにんかれかがみなのだ。このかがみはすぐにくもってしまうが、それもそのはずで、というのもひと注意ちゅういりょくにはかぎりがあるからである。それはえず挑発ちょうはつによって刺激しげきされなければならない。それゆえダンディはつね耳目じもくおどろかせるようてられているのである。奇矯ききょうであることがダンディの使命しめいであり、このことはダンディから洗練せんれん完成かんせいへのみちうばってしまう。ずっと半端はんぱなまま、物事ものごとじょくちのところをうろついて、他人たにん自分じぶんらしめるようつよい、しかも他人たにん価値かちみとめないのである。ダンディは人生じんせいえんじるが、それはダンディには人生じんせいきることができないからである。[17]

ジャン・ボードリヤールは、ダンディズムは「ニヒリズムの美学びがくてき形態けいたい」であるとべている[18]

Carlos Espartaco はアメリカの哲学てつがくしゃ詩人しじんの Eduardo Sanguinetti について以下いかのようにべている。

「ダンディだけが、ストアてきこころみの最期さいご継承けいしょうしゃであって、自身じしん1個いっこものとして「」の世界せかいくことで、「モード」(というものはダンディとおそらく不可分ふかぶんだが)のした流行りゅうこうのがれたのである。実際じっさい流行りゅうこう真空しんくう召喚しょうかんしてはじめて、(流行りゅうこうとしての)ダンディを規定きていする流行りゅうこう征服せいふくすることができるのだが、その真空しんくうというのは「いまここの感覚かんかくとはなんせんキロもへだたった」ものなのである。そして Eduardo Sanguinetti にとって、流行りゅうこうに「真空しんくう」を召喚しょうかんするとは(Sanguinetti が「はん流行りゅうこう」や「外見がいけん」といった文脈ぶんみゃくもちいるふく合戦かっせんりゃく用語ようごうと)自己じこ完全かんぜんにうつろにすることを意味いみし、それによりときから解放かいほうされるが、ただしあらたにまれずるきものはかさず登録とうろくするという努力どりょく否定ひていされない。この境地きょうちいたることは、ボードレールのうところの「ヘラクレスが双肩そうけんになう」大地だいちからの視点してん獲得かくとくすることにちかい。[19]

クウェインチュレル

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1819ねんのダンディゼット

おんなのダンディにあたるものはクウェインチュレル quaintrelle である。クウェインチュレルは情熱じょうねつある生活せいかつ、すなわち個人こじんてきスタイルや余暇よか気晴きばらし、他人たにんからの賞賛しょうさん人生じんせい快楽かいらく追求ついきゅう重視じゅうしするおんなである。

12世紀せいきには cointerrels(男性だんせいがた)および cointrelles(女性じょせいがた)という言葉ことばあらわれた。この2つは、はじめ熟練じゅくれん技術ぎじゅつつくられたものし、のちよそおいがうつくしく会話かいわたくみなひとした coint という言葉ことば由来ゆらいする[20]。18世紀せいきには coint は quaint となり[21]卓抜たくばつした会話かいわうつくしさをした。ちゅう英語えいご(12世紀せいきから15世紀せいき)の辞書じしょには quaintrelle はうつくしく着飾きかざった(あるいは装飾そうしょく過剰かじょうな)おんなとあるが、優雅ゆうがさやひとける魅力みりょくといったこのましい人格じんかくてき要素ようそしめされていない。クウェインチュレルが洗練せんれんかんして主要しゅよう哲学てつがくてき要素ようそをダンディと共有きょうゆうしているというかんがえは近代きんだいにおこったもので、これはクウェインチュレルの歴史れきしてきルーツにさかのぼって投影とうえいされた。

おんなのダンディは19世紀せいきはじめのわずかなあいだだけおとこのダンディとあらわれた時期じきかさなっている。この時期じきの「ダンディ」には fop や over-the-top fellow といった嘲笑ちょうしょうてきふくみがあった。ダンディ dandy の女性じょせいがたは dandyess あるいは dandizette である。チャールズ・ディケンズAll the Year Around (1869ねん)で、「1819ねんから1829ねんのダンディとダンディゼットは奇妙きみょう種族しゅぞくだったにちがいない。Dandizette はファッションきょう女性じょせい単語たんごで、彼女かのじょたちの非常識ひじょうしき加減かげんはダンディのものとまったわらなかった」とべている。1819ねんには Charms of Dandyism という小説しょうせつが「おんなダンディのトップ」オリヴィア・モアランド Olivia Moreland によってかれている。この小説しょうせつ実際じっさい作者さくしゃは Thomas Ashe という作家さっかであるとかんがえられているが、Ashe はどう時代じだい実在じつざい人物じんぶつをモデルになんさっかの小説しょうせついているため、オリヴィア・モアランドも実在じつざいした可能かのうせいがある。なお、この小説しょうせつではダンディズムは「スタイルにきる」こととむすびついている。その、ダンディという言葉ことば洗練せんれんすようになると、ダンディは男性だんせいにのみもちいられるようになっていた。Popular Culture and Performance in the Victorian City (2003ねん)では、この変化へんかを「(前略ぜんりゃく)あるいはダンディゼットも、言葉ことばすらおとこのためにとっておかれるようになった」としている。

著名ちょめいなダンディ

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著名ちょめいなクウェインチュレル

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クウェインチュレルのふしべたように、クウェインチュレルの活躍かつやくした期間きかんみじかいため、どう時代じだい人物じんぶつから名前なまえげるのはむずかしい。かりにクウェインチュレルとみなせそうな人物じんぶつとして、ブレッシントン伯爵はくしゃく夫人ふじん英語えいごばんマーケイザ・カサーティ英語えいごばんC・G・ゲスト英語えいごばんココ・シャネルタマラ・ド・レンピッカマレーネ・ディートリヒがいる。

注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ダンディのこと。ボードレールは資産しさん余暇よかをダンディの要件ようけんとしている。
  2. ^ この記事きじ翻訳ほんやくもとである英語えいごばんではこの文章ぶんしょうは、「日本にっぽんでは、1990年代ねんだい後半こうはんにダンディズムはあるしゅのファッション・サブカルチャーとなった」となっており、ファッション・サブカルチャーから Lolita fashion の Ōji Lolita (Boystyle)ふしにリンクがられている。このふしには、「Ōji あるいは Ōji-sama (いずれも prince の意味いみ)は、日本にっぽんのファッションのひとつで、ロリータ・ファッション男性だんせいてきなヴァージョンとされる。ただし Ōji は典型てんけいてきなロリータ・ファッションのスタイルに該当がいとうせず、むしろヴィクトリアあさ青年せいねんから影響えいきょうけていることから、ロリータ・ファッションとはみなされないことがある。(改行かいぎょう)Ōji てき要素ようそとしては、ブラウス、シャツ、ニッカーボッカーズなどたけみじかいズボン、ニーハイソックス、シルクハット、キャスケットなどがある。いろ通常つうじょうくろしろあお、ワインレッドがもちいられるが、色彩しきさいゆたかでより女性じょせいてきな Ōji ファッションも存在そんざいする。また、Ōji ファッションの適例てきれいBaby, The Stars Shine Bright の Alice and the Pirates ラインから販売はんばいされている商品しょうひんることができる。(後略こうりゃく)」とある(en:Lolita fashion oldid=731698712 より)。

出典しゅってん

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  1. ^ Cult de soi-même Charles Baudelaire, "Le Dandy", noted in Susann Schmid, "Byron and Wilde: The Dandy in the Public Sphere" in Julie Hibbard et al. , eds. The Importance of Reinventing Oscar: versions of Wilde during the last 100 years 2002
  2. ^ a b John C. Prevost, Le Dandysme en France (1817–1839) (Geneva and Paris) 1957.
  3. ^ Charles Baudelaire, Le Peintre de la vie moderne, IX. Le dandy, Calmann Lévy, 1885 (Œuvres complètes de Charles Baudelaire III. L’Art romantique, pp. 91-96).
  4. ^ Aileen Ribeiro, "On Englishness in dress" in The Englishness of English Dress, Christopher Breward, Becky Conekin and Caroline Cox, ed., 2002.
  5. ^ Susann Schmid, "Byron and Wilde: The Dandy in the Public Sphere" in Julie Hibbard et al. , eds. The Importance of Reinventing Oscar: versions of Wilde during the last 100 years 2002
  6. ^ Ribeiro 2002:20, under the subheading "Eccentricity, Extremes, and Affectation".
  7. ^ "Yankee Doodle"; Maccaroni.
  8. ^ Oxford English Dictionary. Oxford University Press. (1989). http://dictionary.oed.com. "dandy 1.a. One who studies above everything to dress elegantly and fashionably; a beau, fop, 'exquisite'. c1780 Sc. Song (see N. & Q. 8th Ser. IV. 81), I've heard my granny crack O' sixty twa years back When there were sic a stock of Dandies O; Oh they gaed to Kirk and Fair, Wi' their ribbons round their hair, And their stumpie drugget coats, quite the Dandy O." 
  9. ^ Encyclopaedia Britannica, 1911]
  10. ^ Barbey d'Aurevilly, "Du dandisme et de George Brummell," (published 1845, collected in Oeuvres complètes 1925:87–92).
  11. ^ "In Regency England, Brummel's fashionable simplicity constituted in fact a criticism of the exuberant French fashions of the eighteenth century" (Schmid 2002:83),
  12. ^ Thomas Carlyle, "The Dandiacal Body", in Sartor Resartus
  13. ^ Ribeira 2002:21.
  14. ^ 10,000 Famous Freemasons from K to Z. Books.google.com. (30 September 2004). https://books.google.com/books?id=dZbjtGC48-8C&pg=PA247&lpg=PA247&dq=joachim+murat+%22dandy+king%22&source=web&ots=JDwyaDnJ4Y&sig=q6GB320S3gY6cw38PPIlA-BuwHg&hl=en 16 February 2013閲覧えつらん 
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  16. ^ Beautiful and damned, New Statesman, 16 October 2006
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  20. ^ Old English Dictionary
  21. ^ Dictionary of Early English

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Jesse, Captain William. The Life of Beau Brummell. London: The Navarre Society Limited, 1927.
  • Lytton, Edward Bulwer, Lord Lytton. Pelham or the Adventures of a Gentleman. Edited by Jerome J. McGann. Lincoln: University of Nebraska Press, 1972.
  • Moers, Ellen. The Dandy: Brummell to Beerbohm. London: Secker and Warburg, 1960.
  • Murray, Venetia. An Elegant Madness: High Society in Regency England. New York: Viking, 1998.
  • Nicolay, Claire. Origins and Reception of Regency Dandyism: Brummell to Baudelaire. Ph.D. diss., Loyola U of Chicago, 1998.
  • Wharton, Grace and Philip. Wits and Beaux of Society. New York: Harper and Brothers, 1861.
  • 宝木たからぎはんよし『パリ物語ものがたり』(新潮しんちょう選書せんしょ、1984ねんだい14しょう「ダンディスムの系譜けいふpp.97-103

関連かんれん項目こうもく

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