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テウデリク1せい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
テウデリク1せい
Theuderic I
ランスおう
在位ざいい 511ねん533/34ねん

出生しゅっしょう 484ねん
死去しきょ 533/34ねん
配偶はいぐうしゃ スアヴェゴータ
子女しじょ テウデベルト1せい
王朝おうちょう メロヴィングあさ
父親ちちおや クローヴィス1せい
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テウデリク1せい(Theuderic I、484ねん - 533/34ねん)は、フランク王国おうこく創始そうししゃクローヴィス1せい息子むすこ一人ひとり。クロヴィス死後しご領土りょうど分割ぶんかつにおいて、ランス首都しゅととする地域ちいき継承けいしょうした[1]

生涯しょうがい

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クロヴィスの長子ちょうし長男ちょうなん)である(ただし王妃おうひクロティルドではない[2])。フランク王国おうこく創始そうししゃクロヴィスの死後しご、その王国おうこくはテウデリクをふく息子むすこたちによってよん分割ぶんかつされ、テウデリクはランスを中心ちゅうしんとする地域ちいき統治とうちした[2]息子むすこテウデベルトをスカンディナヴィアに遠征えんせいさせたほか、サクソンじんむすんでテューリンゲンじん撃破げきはし、北海ほっかいバルト海ばるとかい交易こうえき進出しんしゅつした[2]。また、531ねんよりチューリンゲン王国おうこく攻撃こうげき、533ねんにチューリンゲンおうヘルマンフリートをツェルピッヒじょう殺害さつがい王国おうこく壊滅かいめつさせた[3]

テウデリクは533ねんまたは534ねん死去しきょし、息子むすこのテウデベルトが支配しはい継承けいしょうした[1]。このテウデリクのぶん王国おうこくが、のちにアウストラシアひがし王国おうこく)としょうされるようになった。ブルグントおうジギスムントむすめスアヴェゴータと結婚けっこんした[4]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b ル・ジャン、p. 24
  2. ^ a b c 柴田しばた 、p. 140
  3. ^ 成瀬なるせ 、p. 51
  4. ^ ミュソ=グラール、p. 64

参考さんこう文献ぶんけん

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  • レジーヌ・ル・ジャン 『メロヴィングあさ白水しろみずしゃ、2009ねん
  • 柴田しばた三千雄みちお へん、『世界せかい歴史れきし大系たいけい フランス1』、山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、1995ねん
  • ルネ・ミュソ=グラール 『クローヴィス』 白水しろみずしゃ、2000ねん
  • 成瀬なるせおさむ へん世界せかい歴史れきし大系たいけい ドイツ 1』 山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、1997ねん

関連かんれん項目こうもく

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先代せんだい
クローヴィス1せい
フランクおう
511ねん – 533/4ねん
次代じだい
テウデベルト1せい