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デーオバンド

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デーオバンド (デオバンド英語えいご: Deobandi; ウルドゥー: دیوبندی‎; ヒンディー: देवबन्दी; アラビア: الديوبندية‎; ベンガル: দেওবন্দি )は、19世紀せいき後半こうはんこったスンナイスラーム改革かいかく運動うんどう[1]:10きたインドウッタル・プラデーシュしゅうデーオバンドに位置いちするイスラーム神学校しんがっこうマドラサ)としてられるデーオバンド学院がくいんen関係かんけいしゃによって形成けいせいされた、みなみアジアにおけるスンナハナフィーほう学派がくはうちのウラマー集団しゅうだん派閥はばつ

デーオバンド発祥はっしょうであるデーオバンド学院がくいん

日本にっぽんでも活動かつどうおこなっているタブリーギー・ジャマーアトはデーオバンドから派生はせいした布教ふきょう団体だんたい21世紀せいき現在げんざいにおいてもインドパキスタン有力ゆうりょく派閥はばつであり、ターリバーン指導しどうはパキスタンにおける同派どうは系列けいれつのマドラサでまなんでいたことでもられる[2]

歴史れきし

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同派どうは創始そうししゃはデーオバンド学院がくいん創設そうせつしゃ同一どういつされている。ムガル帝国ていこく衰退すいたい滅亡めつぼうイギリス進出しんしゅつという状況じょうきょう、またインドだい反乱はんらん以降いこう没落ぼつらくしたムスリムにたいして、イギリスによる資金しきん援助えんじょ一切いっさいたよらずに、みずからの従来じゅうらい方法ほうほう革新かくしんさせた宗教しゅうきょう学校がっこう運営うんえいおよ教育きょういくおこなった。それが1867ねん創設そうせつのデーオバンド学院がくいんである。その革新かくしんてき宗教しゅうきょう学校がっこう運営うんえい教育きょういく実践じっせん評価ひょうかされており、宗教しゅうきょう学校がっこうとしてはエジプトのアズハル大学だいがくたか名声めいせいはくしている。そのためみなみアジアだけでなくみなみアフリカアフガニスタンミャンマーからも留学生りゅうがくせいあつまっている。

当初とうしょ政治せいじ運動うんどうから距離きょりいていたものの、20世紀せいきはいるとひろしイスラーム運動うんどう気運きうんたかまり、マフムード・ハサンのようにはんえい運動うんどう指導しどうする学者がくしゃ登場とうじょう。1919ねん結成けっせいされたインド・ウラマー協会きょうかい(Jamiat Ulema-e-Hind、インド・ウラマー連合れんごうともばれる)は同派どうは宗教しゅうきょう政党せいとうである。インド・パキスタン分離ぶんり独立どくりつ契機けいきに、インド支持しじそうはインド・ウラマー協会きょうかいにそのまま残留ざんりゅう、パキスタン支持しじそうはイスラーム・ウラマー協会きょうかい(Jamiat Ulema-e-Islam)として分裂ぶんれつした。

分離ぶんり独立どくりつ以後いご、インドのデーオバンド学院がくいんまなんだ学者がくしゃたちがパキスタンの各地かくちみずからの宗教しゅうきょう学校がっこう設立せつりつしたため、ハイバル・パクトゥンクワしゅうにある1947ねん創設そうせつのハッカーニーヤ学院がくいんや1951ねん創設そうせつスィンドしゅうカラチ学院がくいん有名ゆうめい独立どくりつからつづくパキスタン・インドあいだ継続けいぞくてき紛争ふんそうにより、パキスタンじんがインドのデーオバンド学院がくいん留学りゅうがくすることが困難こんなんであるため、両国りょうこくあいだにおけるデーオバンド学者がくしゃ直接的ちょくせつてき人的じんてき交流こうりゅう非常ひじょうかぎられている。

現在げんざいアフガニスタンを実質じっしつてき支配しはいするターリバーンの指導しどうしゃそうおおくはハッカーニーヤ学院がくいん卒業生そつぎょうせいである。

各国かっこくにおけるデーオバンド状況じょうきょう

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インド・ムスリムの15%(およそ1おく7せんまんにん)がデーオバンドぞくしているとされており[25]、かれらはおもにデーオバンド学院がくいんとインド・ウラマー協会きょうかいによって統制とうせいされている。どう学院がくいん協会きょうかい国家こっか資源しげんへのアクセスやムスリム団体だんたいへの代表だいひょうけんつため、インド・ムスリムのなかでは主要しゅようなグループのひとつである。

パキスタン

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2おくにん以上いじょうのムスリムをかかえるパキスタンでは、15-25%がデーオバンドぞくしている。またパキスタンのマドラサ(宗教しゅうきょう学校がっこう全体ぜんたいの65%ちかくがデーオバンドである。デーオバンドは1980年代ねんだい初頭しょとうから2000年代ねんだい初頭しょとうまでサウジアラビアからの資金しきん援助えんじょけていたものの、のちにその資金しきんはアフレ・ハディースながれた。

同派どうは系列けいれつむとされる過激かげき武装ぶそう組織そしき存在そんざいしており、パキスタン・ターリバーン運動うんどう(TTP) や、SSP、LeJがその代表だいひょうかくである。かれらはラホールダーター・ダルバールをはじめとするスーフィー聖者せいじゃびょうたいして自爆じばくテロをおこなっている。

バングラデシュ

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ムスリム人口じんこうおよそ1おく4せんまんにんのうち、やく半数はんすう以上いじょうがデーオバンド(またはタブリーギー・ジャマーアト)にぞくしている[29][30]?。また政府せいふ財政ざいせい支援しえんけていないだい部分ぶぶんのコウミ・マドラはデーオバンド系列けいれつである。

アフガニスタン

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アフガニスタンとパキスタンの国境こっきょうであるデュランドライン周辺しゅうへんおおパシュトゥーンじんあいだで、一般いっぱんてき教育きょういく施設しせつとして認識にんしきされているのがデーオバンドマドラサである[31]。パシュトゥーンじん民族みんぞく国家こっかアフガニスタンの最大さいだい民族みんぞくでおよそ1500まんにん、パキスタンでは人口じんこうの1わりにあたるやく4000まんにんんでいることにくわえ、ターリバーンやパキスタンのイスラーム・ウラマー協会きょうかい指導しどうしゃそうもパシュトゥーンじんおおい。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 浜口はまぐち恒夫つねお「イスラーム・ウラマー協会きょうかい」『岩波いわなみイスラーム辞典じてん岩波書店いわなみしょてん、 2002ねん
  • 小牧こまき幸代さちよ「デーオバンド同上どうじょう
  • 大石おおいし高志たかし「デーオバンド学院がくいん同上どうじょう

出典しゅってん

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  1. ^ Ingram, Brannon D. (2018). Revival from Below: The Deoband Movement and Global Islam. Oakland: University of California Press. ISBN 978-0520298002. LCCN 2018-14045. https://books.google.com/books?id=GOVvDwAAQBAJ 
  2. ^ タリバン「穏健おんけん強調きょうちょう アフガン首都しゅと占拠せんきょ 過激かげき政策せいさく復活ふっかつ懸念けねんも『読売新聞よみうりしんぶん朝刊ちょうかん2021ねん8がつ17にち国際こくさいめん

外部がいぶリンク

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