トリカマルムのたたか

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トリカマルムのたたか
戦争せんそうヴァンダル戦争せんそう
年月日ねんがっぴ533ねん12月中頃なかごろ
場所ばしょ:トリカマルム
結果けっかひがしマ帝国まていこく勝利しょうり
交戦こうせん勢力せいりょく
ひがしマ帝国まていこく ヴァンダル王国おうこく
指導しどうしゃ指揮しきかん
ベリサリウス ゲリメル
戦力せんりょく
不明ふめい(16000にんじゃく?) 不明ふめい
損害そんがい
50にん 800にん

トリカマルムのたたか(トリカマロンとも、えい:Battle of Tricamarum)は、ヴァンダル戦争せんそうにおいて533ねんの12月中頃なかごろベリサリウスひきいるひがしマ帝国まていこくぐんゲリメルひきいるヴァンダル王国おうこくぐんとのあいだたたかわれた会戦かいせんである。

背景はいけい[編集へんしゅう]

ヴァンダルおうゲリメルは533ねん9月13にちアド・デキムムのたたかやぶれてヌミディア地方ちほうび、さらに首都しゅとカルタゴうしなった。かれサルディニアとう反乱はんらん鎮圧ちんあつからもどってきたあにザノン合流ごうりゅうし、再戦さいせんしてヴァンダルじん残党ざんとうムーアじんへいをかきあつめた。そしてそのぐんひきいてゲリメルはベリサリウスのるカルタゴへと進撃しんげきしたもののてきはすぐには出撃しゅつげきしてこず、ひがしローマぐんフンぞく部隊ぶたい買収ばいしゅうしようとしても、かれらはるために中立ちゅうりつ立場たちばろうとしたため後退こうたいした。これにたいし、ベリサリウスがいすがってきたため、メジェルダがわ河畔かはんにあり、カルタゴから20マイルほど西にし位置いちするトリカマルムにじんっていたヴァンダルぐんたたかいにおうじ、りょうぐんかわはさんで対陣たいじんした。

たたか[編集へんしゅう]

ゲリメルはへいにはけんのみを使つかってたたかうようにめいじており、このたたかいはアド・デキムムのたたかいと同様どうようにほとんど騎兵きへいのみでたたかわれた。たたかいがはじまるとひがしローマぐん将軍しょうぐんヨハネスひきいる先鋒せんぽう騎兵きへい部隊ぶたいてきをおびきせるべくかわわたってきた。中央ちゅうおう部隊ぶたいひきいていたザノンがそれにおうじたがすぐに退却たいきゃくし、ヴァンダルぐん川辺かわべまでしかてきわなかった。おなじようなことがさんかえされたのち、ベリサリウスは親衛隊しんえいたい全部ぜんぶ投入とうにゅうして攻撃こうげきくわわらせ、白兵戦はくへいせんとなった。

やがてヴァンダルぐん敗勢はいせいてんじ、ザノンをはじめとするヴァンダルのおおくの勇士ゆうし戦死せんしし、敗走はいそうした。そしてとうのゲリメルは味方みかた敗勢はいせいるやわずかなきょうものをつれて戦場せんじょうからげだした。てき敗走はいそうたフンぞく部隊ぶたい追撃ついげきくわわり、ヴァンダルへいころした。陣営じんえいのこされていたヴァンダルぐん妻子さいし財産ざいさんひがしローマぐんちた。このたたかいでひがしローマぐんは50にん、ヴァンダルぐんは800にんうしなった。

その[編集へんしゅう]

よるるとベリサリウスは勝利しょうり戦利せんりひんによって規律きりつゆるんだ自軍じぐんてき攻撃こうげき仕掛しかけるのではないかと心配しんぱいしたが、あたまうしなっていたヴァンダルぐん完全かんぜん崩壊ほうかいしており、それは杞憂きゆうわった。その、ベリサリウスはげたてきへいわるあつかうことはせず、翌年よくねんはるコンスタンティノープルおくると約束やくそくして投降とうこうさせた。そして、実際じっさいわずかな部分ぶぶんしか占領せんりょうしていなかったにもかかわらず、ヴァンダル王国おうこく全域ぜんいき帝国ていこく支配しはい公式こうしき宣言せんげんした。そのため、アフリカぞくしゅう、とりわけマウレタニア完全かんぜん平定へいていかれったのち、その後任こうにん将軍しょうぐんたちの任務にんむになった。一方いっぽうゲリメルはパプア山地さんちのメデウスにんだものの、やがて降伏ごうぶくした。

ところが、ベリサリウスの成功せいこうかれ配下はいか将軍しょうぐんたちの嫉妬しっとみ、かれらはユスティニアヌス1せいにベリサリウスは王位おういねらっていると讒訴ざんそした。そこで皇帝こうていかれにアフリカにまるか帰還きかんするかをえらばせ、ベリサリウスは後者こうしゃえらんで帰国きこくした(534ねん)。そしてかれはこの戦争せんそうでの勝利しょうりによって首都しゅと凱旋がいせんしきげるという栄誉えいよよくした。

このたたかいとそのまえのアド・デキムムでの勝利しょうり、そして戦争せんそう早期そうき終結しゅうけつはベリサリウスの才能さいのうゆえというよりはかず優位ゆういかすことができなかったゲリメルの無能むのう原因げんいんであったとかんがえられた。「かれ秘書ひしょプロコピウスはその戦争せんそうおどろくべき結果けっかあらわしており、それはすぐれた戦略せんりゃくではなく運命うんめい逆説ぎゃくせつ手柄てがらであるとかんがえることに躊躇ちゅうちょしていない」[1]。むしろベリサリウスの懸案けんあんかれ自身じしん野放図のほうず兵士へいしまとげることであり、げんフォエデラティ戦利せんりひん確保かくほすることしかかんがえていなかったし、上述じょうじゅつのようにフンぞく完全かんぜん信頼しんらいできる部下ぶかではなかった。

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  1. ^ Bury, p. 137

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]