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ゲリメル

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ゲリメル
Gelimer
ヴァンダル国王こくおう
ゲリメルがえがかれた銅貨どうか
在位ざいい 530ねん - 534ねん

出生しゅっしょう 480ねん
死去しきょ 553ねん
ガラティア
父親ちちおや ゲラリス
宗教しゅうきょう アリウスキリスト教きりすときょう
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ゲリメル(Gelimer、480ねん - 553ねん)は6代目だいめ最後さいごヴァンダル王国おうこくおう在位ざいい530ねん - 534ねん)である。

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

ゲリメルは建国けんこくしゃガイセリック曾孫そうそんで、4代目だいめおうトラスムンド末弟ばっていゲラリスのである。ゲリメルは戦士せんしほまれはたかかったが、権力けんりょくよく物欲ぶつよくつよ人物じんぶつであったという。ムーアじんたいする敗北はいぼくじょうじ、530ねんにゲリメルはクーデターこしてヒルデリック英語えいごばんおうはいし、みずか王位おういのぼった。この政変せいへんたいしてひがしローマ皇帝こうていユスティニアヌス1せいおやローマ政策せいさくっていたヒルデリックのがわってゲリメルにヒルデリックの復位ふくい要求ようきゅうした。しかし、ゲリメルはそれを拒否きょひし、ヒルデリックとそのおいエウアゲースを幽閉ゆうへいし、エウアゲースのあにホアメルのをえぐった。これにたいし、ユスティニアヌスはヒルデリックの身柄みがらわたしを要求ようきゅうしたが、これも拒否きょひされた。マ帝国まていこく復活ふっかつたくらんでいたユスティニアヌスはこれを口実こうじつとしてヴァンダル戦争せんそう開始かいしし、ベリサリウスひきいる遠征えんせいぐん派遣はけん決定けっていした[1][2]

これをけてトリポリがヴァンダル王国おうこくからひがしローマに寝返ねがえり、サルディニアへと年貢ねんぐ取立とりたてにおくられたゴダス離反りはんした。このうごきにたいし、ゲリメルはトリポリはあきらめたがあにザノンをサルディニアへと5000にんぐんともおくった[3]

アフリカスタグヌム上陸じょうりくしたベリサリウスは首都しゅとカルタゴ目指めざして進撃しんげきした。このほうけたゲリメルはおとうとアマタスにヒルデリックとその親族しんぞくころさせ、ぐん動員どういんして迎撃げいげきむかった。ゲリメルはデキムムという隘路あいろでベリサリウスをむかとうとし、533ねん9月13にちりょうぐん激突げきとつした(アド・デキムムのたたか)。ゲリメルはアマタスたい陽動ようどうとしてうみ右手みぎてながらすすてき正面しょうめん攻撃こうげきをかけさせ、おいギバムンドたいてき左翼さよくまわませ、そして自身じしん部隊ぶたい背後はいごくという作戦さくせん実行じっこううつした。しかし、この緻密ちみつ作戦さくせんかくたい連携れんけいれずに失敗しっぱいし、ゲリメルはヌミディア方面ほうめん敗走はいそうした。その、ベリサリウスはカルタゴに入城にゅうじょうした[4]

ゲリメルはローマぐん将兵しょうへい賞金しょうきんくびをかけて残存ざんそんへいやムーアじんにローマぐんたいするテロをおこなわせつつムーアじん協力きょうりょくあおいでぐん再建さいけんすすめた。そしてゴダスをころしたザノンがもどってくるとかれ合流ごうりゅうし、カルタゴへと進撃しんげきした。アリウス教徒きょうとやローマぐんフンぞく部隊ぶたい味方みかたにつけようとしたり、てきをカルタゴがいへとおびきせようとして失敗しっぱいしたため、ゲリメルはカルタゴをった。そこへベリサリウスが出撃しゅつげきし、533ねん12月にトリカマルムのたたかこった。ゲリメルはふたたやぶれ、ムーアじんむパプア山地さんちメデウスんだ[5][6]

ベリサリウスはヘレルぞく部隊ぶたい隊長たいちょうファラス同地どうち攻囲こういめいじ、ファラスはちからめで失敗しっぱいしたのち兵糧ひょうろうめをした。ファラスの降伏ごうぶくすれば元老げんろういん議員ぎいんとして余生よせいおくってもよいという降伏ごうぶく勧告かんこくたいし、ゲリメルはながらくべていないパンとなみだぬぐうための海綿かいめん、そしてみずからの悲運ひうんうたときかなでるきんもとめ、それらをった。それからさんヵ月かげつ劣悪れつあく生活せいかつ環境かんきょうえかねたゲリメルはついにローマぐん投降とうこうした[7][8]。ベリサリウスとの会見かいけんのぞんだゲリメルはなぜか大笑おおわらいをした。周囲しゅういかれ極度きょくど悲嘆ひたん分別ふんべつうしなったとおもったが、「知的ちてき観察かんさつしゃにはこの悲痛ひつう状況じょうきょうでの不釣合ふつりあいいな歓喜かんき空虚くうきょうつろいやすい人間にんげん栄華えいが風景ふうけいなどなん深刻しんこく瞑想めいそうあたいしないという教訓きょうくんかんじられた」[9]

帝都ていとコンスタンティノープルへとおくられたゲリメルは凱旋がいせんしき見世物みせものとしてかれてユスティニアヌスと后妃こうひテオドラ臣従しんじゅうれいささげたのち元老げんろういん議員ぎいんとしてむかえられた。ゲリメルはガラティア地方ちほう領地りょうちもらってそこで家族かぞくとも余生よせいおくり、553ねんった[10][11]

[編集へんしゅう]

  1. ^ 松谷まつや, p. 143-146
  2. ^ ギボン, p. 137-138
  3. ^ 松谷まつや, p. 148-151
  4. ^ 松谷まつや, p. 156-161
  5. ^ 松谷まつや, p. 164-176
  6. ^ ギボン, p. 159-160
  7. ^ 松谷まつや, p. 176-183
  8. ^ ギボン, p. 163-166
  9. ^ ギボン, p. 166
  10. ^ 松谷まつや, p. 185-190
  11. ^ ギボン, p. 168-169

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

先代せんだい
ヒルデリック英語えいごばん
ヴァンダルおう
530ねん-534ねん
次代じだい
ひがしマ帝国まていこく併合へいごう