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ドレッド・ツェッペリン

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドレッド・ツェッペリン
Dread Zeppelin
前列ぜんれつひだりから、エド・ツェッペリン、トーテルヴィス、チャーリー・ハジ、後列こうれつひだりから、ジャー・ポール・ジョー、カール・ジャー、プット=マン。1989ねん撮影さつえい
基本きほん情報じょうほう
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく カリフォルニアしゅうシエラ・マドレ (Sierra Madre, California)
ジャンル ロックレゲエ
活動かつどう期間きかん 1989ねん - 現在げんざい
レーベル Birdcage(インディ・レーベル)
I.R.S.レコード
イマーゴ・レコード
クレオパトラ・レコード
Cash Cow
公式こうしきサイト www.dreadzeppelin.com, dreadzeppelin.tv
メンバー トーテルヴィス
バット=ボーイ
スパイス
ボブ・ナーリー
ジギ・ナーリー
チャーリー・ハジ
きゅうメンバー カール・ジャー
ジャー・ポール・ジョー
チーズ
エド・ツェッペリン
フレッシュ・チーズ
ラスタ・リ=モーン
ジャー・ジャー・ゲイバー

ドレッド・ツェッペリン (Dread Zeppelin) は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのバンドで、レッド・ツェッペリン楽曲がっきょくレゲエのスタイルで演奏えんそうし、体重たいじゅう300ポンドにたっするラスベガス時代じだいエルヴィスそっくりさん (Elvis impersonator) がうたうという趣向しゅこうられる。長年ながねん活動かつどうなかで、バンドはエルヴィス・プレスリーボブ・マーリーヤードバーズ楽曲がっきょくなどもげている。I.R.S.レコード (I.R.S. Records) に所属しょぞくしていた時期じきには世界せかい各地かくちをツアーし、独自どくじの「ツェッペリン・イナ・レゲエ・スタイル (zeppelin-inna-reggae-style)」をひろめていた[1]

ザ・プライム・ムーヴァーズ

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ドレッド・ツェッペリンのかくとなったベーシストの Put-Mon (Gary Putman)、ドラマーのチーズ(Cheese:本名ほんみょう Curt Lichter、以下いか同様どうよう)、ギタリストのジャー・ポール・ジョー (Jah Paul Jo:Joseph "Severs" Ramsey) は、カリフォルニアしゅうパサデナ出身しゅっしんで、ザ・プライム・ムーヴァーズ (The Prime Movers) というバンドをんでいた[2]。ザ・プライム・ムーヴァーズは1986ねんアイランド・レコード契約けいやくし、イギリスでシングル「On The Trail」と「Dark Western Night」がヒットした[3]。「Dark Western Night」では、ビッグ・カントリースチュアート・アダムソンが、トレードマークのEBowギターを披露ひろうしており、「Strong As I Am」というマイケル・マン監督かんとくのスリラー映画えいが刑事けいじグラハム/こおりついた欲望よくぼう (Manhunter)』に使用しようされた[4]

1989ねんにザ・プライム・ムーヴァーズとしての活動かつどうわると、ジャー・ポール・ジョーは「ドレッド・ツェッペリン」と名乗なのあたらしいグループの結成けっせいをひらめいた[5]。もともと一緒いっしょだった3にんくわえ、あらたなギタリストカール・ジャーCarl Jah:Carl Haasis)と、体重たいじゅう300ポンドでラスベガス時代じだいのエルヴィスのそっくりさんであるトーテルヴィス(Tortelvis:Greg Tortell)がメンバーとなった[6]。バンドとトーテルヴィスがいになったのは、トーテルヴィスが運転うんてんしていた牛乳ぎゅうにゅう配達はいたつしゃ (milk float) が、バンドのくるま追突ついとつしたのがきっかけだったとされている[7]。ザ・プライム・ムーヴァーズ時代じだいながくグラフィック・アーティストとしてかかわっていたブライアント・フェルナンデス (Bryant Fernandez) も、コンガ奏者そうしゃエド・ツェッペリン (Ed Zeppelin) としてバンドにくわわった[8]

バードケージ・レコード

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ドレッド・ツェッペリンとしての最初さいしょのレコーディングは、レッド・ツェッペリンのシングルきょく移民いみんうた」と、そのBめんきょくでアルバム収録しゅうろくだった『ヘイ・ヘイ・ホワット・キャン・アイ・ドゥ (Hey Hey What Can I Do)』を茶化ちゃかしたものであった。ジャー・ポール・ジョーとラスタ・リ=モーン (Rasta Li-Mon:Lee Manning) のプロデュースで制作せいさくされたこのレコードは、バンド自身じしんのインディー・レーベルのバードケージ・レコード (Birdcage Records) から発売はつばいされ、おどろくほどのげとなり、ラスタ・レインボーしょくであるあかみどりあおしろ透明とうめいの7インチ45回転かいてんばんさいプレスされた。ドレッド・ツェッペリン初期しょきのレコーディングや。最初さいしょのアルバム『Un-Led-Ed』のだい部分ぶぶんは、ラスタ・リ=モーンが専属せんぞくエンジニアとしてはたらいていた、ユーリズミックスデイヴ・スチュワート自宅じたくスタジオで、レコーディングされた。

移民いみんうた」の成功せいこうのちだい2だんシングル「むねいっぱいのあい/Tour-telvis: A Bad Trip」がバードケージ・レコードからリリースされた[9]だい3だんたりて (Your Time Is Gonna Come)/ウッドストック(ライブ)」は、シングルばんとしては発売はつばいされなかったものの、シングルのコンピレーションとしてリリースされた『Komm Gib Mir Deine Zeppelin』(ビートルズの「きしめたい」のドイツ語どいつごばんのタイトルをもじったもの)におさめられた。このほか、バードケージは、ライブのカセットをしていたが、これは Live On Blueberry Cheesecake名付なづけられたドレッド・ツェッペリンのファンクラブ会員かいいんにだけ購入こうにゅうできるものであった。

I.R.S.レコード

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1990ねん、ドレッド・ツェッペリンは、マイルス・コープランド3せい (Miles Copeland III) のI.R.S.レコード契約けいやくわした。ファースト・アルバム『Un-Led-Ed』は、『レッド・ツェッペリン I』や『レッド・ツェッペリン II』からのカバーきょくおおいが、『レッド・ツェッペリン IV』(英語えいごでは正式せいしき題名だいめいい)におさめられた「ブラック・ドッグ」のカバーもはいっている。当初とうしょのメンバーであったドラムのチーズ(カート・リヒター)は、レコーディングの直後ちょくごにバンドから脱退だったいした。公認こうにんドラマーは、フレッシュ・チーズ(Fresh Cheese:Paul Maselli)となった。『Un-Led-Ed』のリリース直前ちょくぜんに、当初とうしょのメンバーであるパーカッションのエド・ツェッペリン(ブライアント・フェルナンデス)は、ふりふたつの双子ふたご兄弟きょうだいであるブルース・フェルナンデス (Bruce Fernandez) と交代こうたいした。

Un-Led-Ed』がおどろくほどの成功せいこうおさめたのをけ。ドレッド・ツェッペリンは1990ねんあきにツアーを3週間しゅうかんやすんで、2まいのアルバム『5,000,000* *Tortelvis Fans Can't Be Wrong』をレコーディングした。このアルバムには、おまりの「ツェッペリン・イナ・レゲエ・スタイル」にくわえ、ボブ・マーリーの「スター・イット・アップ (Stir It Up)」のカバーや、オリジナルきょく3きょく収録しゅうろくされている。

これにつづくアルバムとして、バンドは「Albert」とだいする、スターになろうとするロック評論ひょうろん実在じつざいのロック評論ひょうろんアルバート・ゴールドマン (Albert Goldman) をおもわせる)についてのロック・オペラ構想こうそうしていたが、これは実現じつげんしなかった。計画けいかく変更へんこうされて、ディスコきょくのカバーしゅうである『It's Not Unusual』が制作せいさくされた。『5,000,000* *Tortelvis Fans Can't Be Wrong』の発表はっぴょうに、フレッシュ・チーズとエド・ツェッペリンが脱退だったいし、しんアルバムのリハーサルの途中とちゅうでトーテルヴィスもバンドをめてしまった。このため、ベースのプット=マンが、ゲイリー・ B.I.B.B. (Gary B.I.B.B.) と名乗なのってボーカルをつとめた。『It's Not Unusual』には、ゲストとしてスクリーミン・ジェイ・ホーキンス (Screamin' Jay Hawkins) やランディ・バックマン (Randy Bachman) も登場とうじょうしている。

ディスコ音楽おんがく大衆たいしゅうけしなかったのか、人気にんきのあったフロントマンのトーテルヴィスがったためか、『It's Not Unusual』のげはまったくの期待きたいはずれにわった。バンドは I.R.S. から契約けいやく解除かいじょされ、事実じじつじょう解散かいさんした。

Hot & Spicy Beanburger

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バンド自身じしんはそれまでらなかったが、オーストラリア人気にんきロックバンドINXSはドレッド・ツェッペリンのファンで、全米ぜんべいツアーの前座ぜんざをドレッド・ツェッペリンにやってしいと依頼いらいしてきた。トーテルヴィスはバンドにもどることを説得せっとくされ、レコーディング契約けいやくはせず、1993ねん5月8にちカリフォルニアしゅうサンタモニカ公演こうえん (INXS: Live at Barker Hangar) だけに登場とうじょうすることになった。ドレッド・ツェッペリンはスタジオにもどり、ふたたびジャー・ポール・ジョーとラスタ・リ=モーンのプロデュースによってアルバム『Hot & Spicy Beanburger』を制作せいさくし、1993ねんにバードケージからリリースした。

1994ねんはる、ドレッド・ツェッペリンはオリジナルビデオ映画えいがNational Lampoon's Last Resort』に登場とうじょうし、クレジットタイトル音楽おんがく担当たんとうした[10]。その直後ちょくごに、カール・ジャー(カール・ハーシス)とエド・ツェッペリンがバンドを脱退だったいした。

プット=マンがベースからリードギターにわり、あらたにドラムのデイヴィッド・レイヴン (David Raven)、ベースのダーフ・ノズナ・ハジ(Derf Nosna Haj:Freddie Johnson)、コンガと景気けいきづけ (toast) のフェルナンデス(Fernandez:Pete Burke)をくわえたドレッド・ツェッペリンは、アルバム『No Quarter Pounder』を録音ろくおんした。

イマーゴ・レコード

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ドレッド・ツェッペリンにのこったメンバーは、イマーゴ・レコード (Imago Records) と契約けいやくし、クラシック・ロックのカバーをあつめたアルバム『The Fun Sessions』をリリースした。このアルバムは、ドレッド・ツェッペリンにとってはじめて、レッド・ツェッペリンきょくげていない、カバーきょく中心ちゅうしんのアルバムであるが、1きょくだけゲイリー・プットマンのいた「BBWAGS (Butt-Boy's Wearin' a Girls' Shirt)」もおさめられている。ダーフ・ノズナ・ハジとフェルナンデスはこのレコーディングを最後さいごにバンドをり、その、カール・ジャーとエド・ツェッペリンが復帰ふっきした。

クレオパトラ・レコード

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その、ドレッド・ツェッペリンは、クレオパトラ・レコード (Cleopatra Records) と契約けいやくし、伝説でんせつてきトロンボーン奏者そうしゃロイド・エリオット (Lloyd Ulyate) の息子むすこであるボブ・ナーリー (Bob Knarley) ことハワード・エリオット (Howard Ulyate) のプロデュースにより、1999ねんにアルバム『De-jah Voodoo』をリリースした[11]。この録音ろくおんのちに、あたらしいカバーをけ、『Re-Led-Ed』とタイトルをえて、クレオパトラから再発さいはつされた。

キャッシュ・カウ

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1995ねん、ドレッド・ツェッペリンは、キャッシュ・カウ(Cash Cow:「現金げんきん雌牛めうしかねのなる」の)というあたらしい制作せいさく会社かいしゃつくり、ゲイリー・プットマン(バット=ボーイ)とグレッグ・トーテル(トーテルヴィス)が経営けいえいにあたり、『The Fun Sessions』を制作せいさくした。キャッシュ・カウは、1996ねん12月にライブ・アルバム『Front Yard Bar*B*Que』を、1997ねん11月にはオリジナルきょくばかりのアルバム『Spam Bake』をリリースした。これら3さくはいずれもロバート・インコーヴァイア (Robert Incorvaia) がプロデュースしていた。『Spam Bake』はゲイリー・プットマンの「オリジナル作品さくひん傑作けっさく」であると同時どうじに、1960年代ねんだいのエルヴィス・プレスリー映画えいが音楽おんがくをもじったものであった。キャッシュ・カウ・レコードからは、いずれもボブ・ナーリーがプロデュースした、バンドにとって最初さいしょのクリスマスけアルバムとなった2002ねんの『Presents』や、2004ねんの『Chicken and Ribs』もリリースされ、さらにはDVD作品さくひん(『Jah-La-Palooza 2004』、『 Live in Minne-Jah-Polis 2002』)や、なが忠実ちゅうじつ支持しじしてきたファンたちの熱望ねつぼうこたえて商品しょうひんされたブートレッグ・ショーのるいもリリースされている。

2008ねん、バンドはアルバム『Bar Coda』をリリースしたが、これをプロデュースしたのは長年ながねんメンバーであったスパイス (Spice) ことクリス・ボーリン (Chris Boerin) だった。『Bar Coda』のレコーディングちゅうに、カール・ジャーはグループを脱退だったいした。ライブ・ショーにおいては、スパイスがキーボードとパーカッションを演奏えんそうして、カール・ジャーのけたあなめた。

リード・シンガーのトーテルヴィスは、2005ねん5月27にちアリゾナしゅうフェニックスバンク・ワン・ボールパークで、つい国家こっか星条旗せいじょうき」をバンドのメンバーたちとともにうた栄誉えいよよくした[12]じつはこれよりまえ1992ねんに、トーテルヴィスはミネソタ・ツインズのゲームで国歌こっかうたうことになっていたのだが、ロザンヌ・バーいちけんのような事態じたい懸念けねんされて、トーテルヴィスが国歌こっかうた機会きかい本番ほんばんの2にちまえになってキャンセルされたのであった。

ドレッド・ツェッペリンは、そのもツアーをつづけており[13]編成へんせいはオリジナル・メンバーであるバット=ボーイとトーテルヴィス、ながくメンバーであるスパイス、ボブ・ナーリー、ジギー・ナーリー (Ziggy Knarley)、チャーリー・ハジ (Charlie Haj) となっている。プットマンは、ドレッド・ツェッペリンのすべてのレコードに参加さんかし、すべてのライブ・ショーに出演しゅつえんした唯一ゆいいつのメンバーである。2009ねんに、バンドは結成けっせい20周年しゅうねんむかえた。

ディスコグラフィ

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シングル

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  • "Immigrant Song" / "Hey Hey What Can I Do" (1989) 7" clear, blue, green, red, white and yellow vinyl, Birdcage Records
  • "Whole Lotta Love" / "Tour-Telvis: A Bad Trip" (1989) 7" black and pink vinyl, Birdcage Records
  • "Heartbreaker (At The End Of Lonely Street)" (1990) UK CD single, IRS Records
  • "Your Time Is Gonna Come" (edit) (1990) UK CD single, IRS Records
  • "Stairway To Heaven" (1991) UK CD single, IRS Records

カセット

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  • Kom Gib Mir Deine Zeppelin (1989), 6 Song EP, Birdcage Records
  • Live On Blueberry Cheesecake (1992) 7 Song Fan Club EP, Birdcage Records

スタジオ・アルバム

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ライブ・アルバム

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  • Front Yard Bar*B*Que (1996)
  • The Song Remains Insane (1998) 2 CD オーストラリア限定げんていばん TWA Records
  • Haunted Houses O' The Holy (1999)
  • Live - Live At Larry's (2002)
  • Live - Hots On For Fresno (2003)
  • Live at The Cabooze in Minne-jah-polis (2003)
  • Jah-La-Palooza (2004)[17]
  • Pure Inner-Tainment (2009)[18]

出典しゅってん脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Robert Plant Talks about Dread Zeppelin!”. YouTube (2007ねん2がつ10日とおか). 2011ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  2. ^ Prime Movers Biography Bio”. Primemoversmusic.com (1988ねん8がつ6にち). 2008ねん5がつ12にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2011ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  3. ^ Stuart Adamson”. Bigcountryinfo.com. 2011ねん7がつ15にち閲覧えつらん[リンク]
  4. ^ Kyrby Raine. “The Prime Movers”. Ink 19. 2011ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  5. ^ Mick Wall, KERRANG! Magazine, July 21, 1990
  6. ^ Dread Zeppelin Biography - ARTISTdirect Music”. Artistdirect.com (1989ねん1がつ8にち). 2011ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  7. ^ Dread Zeppelin Biography”. OLDIES.com. 2012ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん
  8. ^ Dread Zeppelin - KERRANG!: July 21, 1990”. Home.earthlink.net. 2011ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  9. ^ Cover Art: Dread Zeppelin - Whole Lotta Love”. Tralfaz-archives.com. 2011ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  10. ^ Last Resort (1994) Soundtrack”. Mooviees.com (2007ねん1がつ22にち). 2011ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  11. ^ Lloyd Ulyate Discography at Discogs”. Discogs.com. 2011ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  12. ^ Dread Zeppelin At Bank One Ballpark - national Anthem”. Dreadzeppelin.com (2005ねん5がつ27にち). 2011ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  13. ^ Dread Zeppelin at House of Blues Sunset Strip”. Dreadzeppelin.com. 2011ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  14. ^ a b 1997ねんにオーストラリアのTWA Recordsからリリースされた、アルバム2まいをセットにした Hot & Spicy Beanburger/No Quarter Pounder にも収録しゅうろくされている。
  15. ^ in: 1994 The First No Elvis,CDs (2008ねん12月1にち). “CD: The First No Elvis – Birdcage Records 1994”. Dreadzeppelin.tv. 2011ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  16. ^ 3:02 pm (2009ねん6がつ24にち). “Dread Zeppelin Ruins”. Dreadzeppelin.tv. 2011ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  17. ^ a b 2005ねんのDVDパッケージ Chicken and Ribs / JahlaPalooza として再発さいはつ
  18. ^ Pure Inner-Tainment”. Dreadzeppelin.tv (2009ねん2がつ22にち). 2011ねん7がつ15にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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