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ニカラグア地震じしん (1972ねん)

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1972ねんニカラグア地震じしん
ニカラグア地震 (1972年)の位置(中央アメリカ内)
ニカラグア地震 (1972年)
Managua
Managua
本震ほんしん
座標ざひょう 北緯ほくい1211ふん 西経せいけい8613ふん / 北緯ほくい12.18 西経せいけい86.22 / 12.18; -86.22座標ざひょう: 北緯ほくい1211ふん 西経せいけい8613ふん / 北緯ほくい12.18 西経せいけい86.22 / 12.18; -86.22 [1]
震源しんげんふか 10 km (6.2 mi) [1] km
規模きぼ    M6.3 Mw [1]
最大さいだい震度しんど    震度しんどIX (Destructive) [2]
被害ひがい
死傷ししょうしゃすう 4,000–11,000にん死亡しぼう [3]
 20,000にん負傷ふしょう [3]
300,000にん被災ひさい [3]
プロジェクト:地球ちきゅう科学かがく
プロジェクト:災害さいがい
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1972ねんニカラグア地震じしん(1972ねんニカラグアじしん)は、1972ねん12月29にち1229ふん44びょう (CST)、ニカラグア首都しゅとであるマナグア周辺しゅうへん発生はっせいした地震じしん震源しんげん中心ちゅうしんから北東ほくとうに28km、震源しんげんふかさはおよそ10kmであった。また、モーメントマグニチュードは6.3、最大さいだいMSK強度きょうどはⅨ(建物たてもの一般いっぱん被害ひがい)であった。この地震じしんによってマナグアの広範囲こうはんい死傷ししょうしゃ発生はっせいし、4,000にんから11,000にん死亡しぼうしたほか、20,000にん負傷ふしょうし、300,000にん以上いじょういえうしなった。

地殻ちかく構造こうぞう[編集へんしゅう]

火事場かじば泥棒どろぼうまるために巡回じゅんかいしている兵士へいし

マナグアはニカラグアの西海岸にしかいがんちかゾロトラン南岸なんがんにあり、中央ちゅうおうアメリカの火山かざんれつとしてられる活火山かっかざんたいなかにある。そして、この都市としには火山かざん活動かつどう地震じしん活動かつどうなが歴史れきしがある。これは、中央ちゅうおうアメリカの南西なんせい境界きょうかいちかくで交差こうさする2つの地殻ちかくプレートの相対そうたいてきうごきからしょうじる。 ひがし太平洋たいへいよう海嶺かいれいひがし位置いちするココスプレート北東ほくとう方向ほうこう移動いどうしており、 カリブプレートしたにゆっくりとしずむ。 浸漬しんせきたいは、 メキシコからコスタリカまで太平洋たいへいようがん沿って4〜5キロのふかさでびる中央ちゅうおうアメリカ海溝かいこう表面ひょうめんからはじまった 。 [4] しかし、地震じしんは2つのプレートあいだ単純たんじゅん地殻ちかく変動へんどうではなく、カリブプレートの南西なんせいはしでのあつあさ調整ちょうせいによってこされたとかんがえられていた。

地震じしん破壊はかいされたマナグア中心ちゅうしんのホテル

今回こんかい地震じしんでは、市内しない中心ちゅうしんの27km2甚大じんだい被害ひがいけ、13km2建物たてもの破壊はかいされた。中心ちゅうしんのオフィスがいでは、19かいての建物たてもの1むね、15かいての建物たてもの1むね、7かいてから9かいての建物たてものやく5むね、3かいてから6かいての建物たてもの25むね以上いじょうふく建物たてものだい部分ぶぶんおおきな被害ひがいけた。被害ひがいおおくは主要しゅようどうから10~15びょう以内いない発生はっせいした地震動じしんどうによるものであり、だい部分ぶぶん工場こうじょうちいさな建物たてものおおきな被害ひがいけた。おおくのいえちいさなみせは40ねん以上いじょうまえのもので、タケサル(またはタルケサル)とばれる工法こうほうてられており、地震じしん被害ひがいけやすい設計せっけいとなっていた。市内しない推定すいてい53,000被害ひがいけた。水道すいどうおよび電力でんりょくもういちじるしくそこなわれ、はつわざわいの1週間しゅうかん以上いじょうはマナグアの10%のみしか水道すいどうサービスが機能きのうしていなかった。

表面ひょうめん断層だんそう[編集へんしゅう]

1972ねんのニカラグア地震じしんによる地震じしんもっと重要じゅうよう地質ちしつがくてき影響えいきょうの1つは、地表ちひょう断層だんそうだった。 断層だんそうせん調しらべると、北東ほくとう方向ほうこう移動いどうするよこ方向ほうこううごきが確認かくにんされており、余震よしんデータによりすくなくとも1つの断層だんそう地表ちひょうからマナグア地下ちか8〜10 kmまでひろがっていたことがあきらかになった。

余震よしん[編集へんしゅう]

本震ほんしんから1時間じかん以内いないに、マグニチュード5.0と5.2の2つの余震よしん午前ごぜん118ふん午前ごぜん120ふん発生はっせいした。 [5]

応答おうとう[編集へんしゅう]

破損はそんしたオフィスがい

マナグアでは100まんにん住民じゅうみんのうち60%が避難ひなんし、食糧しょくりょう不足ふそく病気びょうき直面ちょくめんした。また、乾季かんきかぜ地震じしんによってこされた火災かさい悪化あっかさせた。 [4] 地震じしん被害ひがいおおきかったため、市内しない緊急きんきゅうサービスのほとんどは通常つうじょうよりもいちじるしくひくいレベルで運営うんえいされる事態じたいおちいった。さらに、地震じしんによって利用りようできるすべての消火しょうか設備せつび破壊はかいされ、火災かさいはいくつかの地域ちいきすう日間にちかんわたってつづいたほか、震災しんさいまえは1,650しょうゆうしていた4つの主要しゅよう病院びょういんはすべて使用しよう不能ふのうおちいっていた。

ニカラグア政府せいふ援助えんじょうったえ、アメリカメキシコ、その25カ国かこくからすうひゃくまんドル相当そうとう援助えんじょれた。それにもかかわらず、援助えんじょ十分じゅうぶん分配ぶんぱいされなかったため、アナスタシオ・ソモサ・デバイレ大統領だいとうりょうひきいる与党よとう国家こっか主義しゅぎ自由党じゆうとう批判ひはんまととなった。とくに、外国がいこくからの援助えんじょ備蓄びちくしており被災ひさいしゃ手元てもととどいていないと非難ひなんされた。このような報道ほうどうけて、プエルトリコの野球やきゅうスターであるロベルト・クレメンテは、かれ計画けいかくした救援きゅうえん便びんのうち4便びんみずか同行どうこうすることをえらんだ。しかし、その便びんは1972ねん12月31にち墜落ついらくしクレメンテをはじめとするおおくのひと死亡しぼうした。

瓦礫がれき移動いどうさせるブルドーザー

また、マナグアは熱帯ねったい気候きこうであるにもかかわらずふゆふくとどいたり、電子でんしレンジが必要ひつよう冷凍れいとう食品しょくひんであるTVディナーとどいたりするなど、被災ひさいしたニカラグアの人々ひとびとのニーズにわない救援きゅうえん物資ぶっしおおかったことも難点なんてんであった。 [6]

のちにソモサとかれ仲間なかまは、かれ自身じしん利益りえきのために外国がいこく援助えんじょ使用しようしたと主張しゅちょうされた。 [よう出典しゅってん] 地震じしんまえ表面ひょうめんしはじめていた政権せいけんへの反対はんたいは、下層かそう階級かいきゅうあいだのみならずソモサ政権せいけん腐敗ふはいにうんざりした上流じょうりゅう階級かいきゅう中流ちゅうりゅう階級かいきゅうあいだでさえ急速きゅうそくたかまった。 これはニカラグア革命かくめいばれることになる革命かくめい運動うんどう発展はってんし、ソモサ政権せいけんは1979ねん打倒うちたおされた。

被害ひがいおおきさ、不完全ふかんぜん地下ちか地形ちけい援助えんじょ物資ぶっし横領おうりょう、それにつづ革命かくめいと11ねんにわたる内戦ないせんのために、市内しない中心ちゅうしんのほとんどが20ねんちかくものあいだ荒廃こうはいしたままでした。 1990年代ねんだいになってようやく本格ほんかくてき復興ふっこうはじまったのであった。

余波よは[編集へんしゅう]

地震じしんはそのすうじゅうねん復興ふっこうあいだにマナグアの様相ようそうえた。建物たてもの市内しない中心ちゅうしんからはなれて建設けんせつされているため、市内しない中心ちゅうしんはもはや明確めいかく定義ていぎされていない。 だい規模きぼ避難ひなんさい避難ひなんみんみず資源しげんちかく、ほとんど地震じしん影響えいきょうけない地域ちいきにキャンプを設置せっちした。マナグアは依然いぜんとして中央ちゅうおうアメリカで2番目ばんめ規模きぼほこ首都しゅとであり、大都市だいとしけんゆうしているが、その住民じゅうみんだい部分ぶぶん市内しない中心ちゅうしんからかなりはなれたバリオスまたは近隣きんりんんでいます。 コンニチでは、中央ちゅうおうにあった建物たてものわりに、政府せいふ教皇きょうこうヨハネ・パウロ二世よはねぱうろにせい敬意けいいあらわして「プラザ・デ・ラ・フェ」(信仰しんこう広場ひろば)を設置せっちした。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c ISC (2017), ISC-GEM Global Instrumental Earthquake Catalogue (1900–2013), Version 4.0, International Seismological Centre, http://www.isc.ac.uk/iscgem/index.php 
  2. ^ Ambraseys, N. N.; Adams, R. D. (2000), The Seismicity of Central America – A Descriptive Catalogue 1898–1995, Imperial College Press, p. 271, doi:10.1142/9781848160118_0001, ISBN 978-1860942440 
  3. ^ a b c USGS (September 4, 2009), PAGER-CAT Earthquake Catalog, Version 2008_06.1, United States Geological Survey, https://earthquake.usgs.gov/static/lfs/data/pager/catalogs/ 
  4. ^ a b Earthquake Information Bulletin, September–October 1973, Volume 5, Number 5., Retrieved on June 2, 2008
  5. ^ Earthquake Hazards Program Archived 2008-06-02 at the Wayback Machine. USGS, Retrieved on June 2, 2008
  6. ^ Cornell, James C. (1982), The Great International Disaster Book (3rd ed.), Charles Scribner's Sons.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Brown, Robert David; Ward, Peter L.; Plafker, George (1973), Geologic and seismologic aspects of the Managua, Nicaragua, earthquakes of December 23, 1972, Professional Paper, doi:10.3133/pp838 
  • Espinosa, A.F, ed. (1976), The Guatemalan earthquake of February 4, 1976, a preliminary report, Professional Paper, doi:10.3133/pp1002 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

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